第61話 『帰る先が同じ地球とは限らない』と言われたので記録を調べたら、帰還先に地球が二つ登録されていた
『地球へ帰るなら、三つ目の門は使うな。帰る先が、同じ地球とは限らない』
十一秒の音声が終わってからも、会議室では誰もすぐに口を開かなかった。
三十一年前に榊原直哉が残した録音より、さらに前のもの。
話していたのは別の男。
日本語。
そして内容は、説明というより警告だった。
「……同じ地球って、どういう意味だろう」
俺が最初に口にすると、ノアはすぐ答えず、受信したデータをもう一度解析画面へ表示した。
「分からない」
「だよね」
「でも、今ここで予想だけで決めない方がいい」
ノアらしい答えだった。
少し前なら未知の技術を前にして誰より先へ進みたがっていたのに、ここ数日のノアは分からないものほど止まる。
三百年の研究者生活というのは、人をずいぶん慎重にするらしい。
水城さんも同じ意見だった。
「『同じ地球ではない』という表現だけで、いわゆる並行世界や時間移動を想定するのは早すぎます。接続地点が異なるだけかもしれませんし、世界間設備における『地球』という名称の定義そのものが、私たちの考えるものと違う可能性もあります」
「同じ地球だけど、日本じゃない場所に出るとか?」
「それも可能性の一つです。ただし、それなら普通は『同じ地球とは限らない』とは言わないでしょうね」
「ですよね」
結局、不気味な部分だけが残った。
セレフィナが時計を見る。
もう午後十時を回っている。
「本日はここで終了しましょう」
珍しく、誰も反対しなかった。
「いいの?」
俺がノアへ聞くと、睨まれた。
「蓮は私を何だと思ってるの」
「昨日までなら『あと一個だけ調べる』って言いそうな人」
「……今日は言わない」
一瞬考えた時点で危なかった気もする。
それでも、ノアは解析端末を閉じた。
「音声データはもう隔離済み。夜間は自動解析だけ走らせる。誰も残らない」
「ノアも?」
「帰る」
「偉い」
「子供扱いしないで」
横でリゼルが小さく笑っていた。
セレフィナは既に明日の調査項目を整理し、地球側とアステリア側で分担を決め始めている。
俺はそこへ口を挟まなかった。
明日になれば、必要な結果は届く。
全部を自分で見ていなくてもいい。
最近ようやく、それが頭だけではなく感覚でも分かるようになってきた。
◇
翌朝。
世界が二つあるかもしれなくても、三つあるかもしれなくても、俺の会社は普通に始業する。
「おはようございます」
「おはよう」
社員証を通して部署へ入ると、まず自分の机。
次に、その横。
《世界間緊急連絡専用》
昨日までと同じ小さな机がある。
ただし、一つだけ変わっていた。
電話機の横に、黄色い札が追加されている。
《優先度判定中は本人へ直接問い合わせないこと》
「……何で増えたんですか、これ」
近くにいた総務担当へ聞くと、少し困った顔をされた。
「昨日、如月さんが専用端末を何度も気にしていたという報告がありまして」
「誰が報告したんです?」
「複数名から」
「見られてた……」
「仕事中に十五分で六回確認されたそうです」
「回数まで数えなくてもいいでしょ」
俺自身、そんなに見た覚えはなかった。
課長がパソコンから顔を上げる。
「緊急なら呼ぶ。緊急じゃなければ昼か退勤後。それで決めたんだろ」
「そうですけど」
「なら働け」
「はい」
正しい。
あまりにも正しい。
俺は大人しく仕事を始めた。
午前九時四十二分。
専用端末が黄色く光った。
見ない。
十時十三分。
もう一度光る。
見ない。
十時五十分。
今度は少し長く光った。
見ない。
「如月」
「はい」
課長に呼ばれ、反射的に立ち上がる。
「この資料、数字違う」
「そっち!?」
「そっちって何だ」
「すみません」
異世界より先に、俺の入力ミスが問題だった。
修正する。
十一時四十分。
電話機は静かなまま。
つまり緊急ではない。
十二時。
昼休みになってから、総務担当がタブレットを持ってきた。
「三件です」
「全部、第三境界関係?」
「はい。ただし優先度はいずれも三です」
受け取る。
一件目。
《十一秒音声の追加解析完了》
二件目。
《第三境界設備の過去記録抽出を開始》
三件目。
《帰還先識別情報に不整合を確認。十九時から合同確認会議を提案》
「……不整合」
少し嫌な言葉だった。
「緊急じゃないんですよね?」
「はい」
「じゃあ昼飯食べます」
総務担当が少し驚いた。
「見ないんですか?」
「見たら気になるんで」
「成長しましたね」
「会社で異世界対応について成長を褒められるの、変じゃないですか?」
笑われた。
俺も少し笑って、自分の昼食を取りに行った。
◇
午後七時。
合同確認会議。
会議室へ入ると、リゼルたち四人は既に揃っていた。
今日は冬木さんを呼んでいない。
昨夜の十一秒音声は榊原直哉の私的な記録ではなく、世界間設備に関する技術警告と判断されたためだ。
何か榊原さんへ繋がる事実が出れば、その時に改めて伝える。
「蓮さん、お疲れさまです」
「リゼルもお疲れ。今日は何してたの?」
「午前中は近衛騎士団の人事面談を。その後、地球滞在者向け警護規則の改訂会議へ出席いたしました」
「ちゃんと本業してる」
「もちろんです」
少し誇らしそうだった。
セレフィナも朝から議会との調整。
ミーナは地球側の管理会社で勤務。
ノアだけは今日一日、今回の解析へ参加していたらしい。
「ノアは休憩した?」
「した」
「昼飯は?」
「食べた」
「睡眠は?」
「六時間半」
「完璧」
「だから何で蓮が確認するの」
言われて気づく。
完全に立場が逆になっていた。
「いつも俺が聞かれてるから、たまにはいいかなって」
「蓮様は昨日五時間二十分でした」
ミーナが横から入った。
「なんで知ってるの?」
「昨日お帰りになった時刻と、今朝お送りくださった連絡時刻から推測いたしました」
「推測で睡眠時間を出さないで」
「では今夜は七時間を目標にいたしましょう」
「話が広がった」
水城さんが来るまでの数分で、俺の睡眠改善会議になりかけていた。
これ以上続くと本当に就寝時刻まで決められそうなので、俺は机の資料へ逃げた。
そこへちょうど水城さんたち地球側の担当者が入室する。
「お待たせしました」
「いえ。むしろ助かりました」
「何かありましたか?」
「ありません」
ミーナが笑っていた。
◇
「結論から申し上げます」
水城さんが大型画面へ資料を表示した。
「昨夜の音声だけでは、《同じ地球》という表現の意味は判断できませんでした」
予想通りだった。
「ただし、音声に付属していた記録情報から、少なくとも話者が何を警戒していたのかは少し見えてきました」
画面が切り替わる。
《記録分類――境界通行安全警告》
《対象――RETURN ROUTE》
《帰還経路》
「個人的なメッセージじゃなかった?」
「はい。設備利用者へ残された警告記録だった可能性が高いです」
つまり。
あの男は誰か特定の相手ではなく。
後から来る人間全員へ向けて、
《三つ目の門は使うな》
と残していた。
「理由は?」
「そこが、今日確認したい部分です」
ノアが操作を引き継ぐ。
第三境界設備から受け取った情報ではなく、こちら側――アステリア地下にある《最初の門》の内部記録を調べたらしい。
「昨日までは接続先が三つあるところまでしか見てなかった。でも、各接続先の古い登録履歴が残ってた」
表示。
一番目。
《LOCAL》
《ELGRAND》
二番目。
《EXTERNAL》
《EARTH》
三番目。
《EXTERNAL》
《IDENTIFICATION FAILED》
ここまでは既に知っている。
「問題は二番目」
「地球?」
「うん」
ノアがさらに階層を開く。
《EARTH》
その下。
《CURRENT DESTINATION RECORDS:2》
「……二?」
一瞬。
意味が分からなかった。
「地球が二個?」
「まだそう決めないで」
すぐ止められる。
「同じ地球の別地点かもしれない。別時刻かもしれない。古い登録が残ってるだけかもしれない」
「でも二つある?」
「登録上は」
画面には二行。
《EARTH/A》
《EARTH/B》
仮称だった。
元の記録にAやBと書かれているわけではなく、区別するために技術班が付けたものだ。
「Aが?」
「今、蓮たちがいる地球」
複数の識別値が表示される。
境界特性。
世界側時間係数。
接続安定値。
俺にはよく分からない数字ばかりだ。
ただ、一項目だけ読めた。
《CURRENT LINK:ACTIVE》
「今繋がってるからね」
「そう」
「Bは?」
ノアが開く。
《EARTH/B》
《CURRENT LINK:CLOSED》
閉鎖中。
そこまではいい。
次。
《DESTINATION STATUS:VALID》
「有効?」
「設備から見ると、接続可能な宛先としてまだ存在してる」
会議室が静かになる。
「昔の壊れた記録じゃない?」
「その確認に今日一日掛かった」
「結果は?」
「壊れてない」
ノアは簡潔に答えた。
「少なくとも門は、《地球》という分類の接続先を二つ区別して持ってる」
水城さんがすぐ補足する。
「ただし、繰り返しますが、これを並行世界の存在証明とは扱いません。現在確認できているのは、《地球》と分類された二つの異なる境界識別情報が存在することだけです」
「はい」
そこは大事だ。
俺も勝手に結論を作らない。
「同じ地球の別時代って可能性も?」
「否定できません」
「別の場所?」
「それも否定できません。ただし通常、同一世界内の位置違いは境界識別情報を分けません」
「じゃあ可能性低い?」
「現時点では、そう考えています」
世界そのものが違う。
時間が違う。
あるいは、俺たちがまだ想像すらできない別の違い。
何も確定していない。
でも。
昨夜の警告。
《帰る先が、同じ地球とは限らない》
あの言葉と。
地球の登録先が二つあるという事実。
無関係だと考える方が難しくなってきた。
◇
「WORLD COREは?」
俺は尋ねた。
「もう聞いた?」
「まだ」
ノアが首を振る。
「みんな揃ってからにしようと思って」
「ありがとう」
少し嬉しかった。
王権端末を起動する。
「WORLD CORE」
《はい》
「境界設備に《EARTH》の接続先が二つ残ってる。知ってる?」
返事は少し遅かった。
《存在は確認できます》
「両方、地球?」
さらに間。
《回答できません》
「分からない?」
《はい》
WORLD COREですら知らない。
「じゃあ、どうして両方EARTHって分類されてる?」
《登録を行った存在が》
《同一名称を設定したためです》
セレフィナが反応した。
「WORLD COREが付けた名称ではないのですね」
《はい》
「誰が登録した?」
《不明です》
また。
WORLD COREより古い領域。
世界自己維持機構が今の自己認識を確立した時には、既に《最初の門》はあった。
なら、この二つの地球を登録したのも。
もっと古い誰か。
「二つの接続先の違いは分かる?」
《比較可能です》
画面へ大量の数値が表示された。
俺には分からない。
ノアだけが前へ出る。
「止めて。一個ずつ」
《了解しました》
「世界構造は同じ?」
《高一致》
「どれくらい?」
《99.9999971%》
俺は眉をひそめた。
「ほぼ同じじゃない?」
「ほぼ、だけど完全じゃない」
ノアは数字を見つめる。
「違いが小さすぎる」
「小さいなら同じ地球じゃないの?」
「世界同士の比較でこの差がどれくらいなのか、基準がない」
水城さん側でも記録する。
「時間係数は?」
《一致》
「物理法則?」
《測定可能範囲では一致》
「生命構造?」
《過去観測値では高一致》
「……人間も?」
《過去観測記録では》
《類似生命存在あり》
類似。
同じとは言わなかった。
少しずつ、嫌な感じが強くなる。
「最後の接続はいつ?」
ノアが聞く。
《EARTH/A》
《現在接続中》
「Bは?」
WORLD COREの返事が。
止まった。
三秒。
五秒。
十秒。
「分からない?」
《換算中です》
さらに待つ。
《ELGRAND基準》
《約四百二十七年前》
「四百二十七年前……」
アステリア建国より前。
当然、榊原直哉より遥かに前だ。
「地球時間へ換算できる?」
《基準同期点が不足しています》
《正確な換算は不可能です》
時間の進み方が違う世界同士だ。
エルグランドの四百二十七年前が、地球でいつなのかは単純には出せない。
ただ。
記録が存在する。
「その時、誰か通った?」
俺が聞いた。
返答。
《はい》
全員の視線が画面へ集まった。
「どっちからどっちへ?」
《ELGRANDから》
《EARTH/B》
「人数は?」
《一名》
また。
人間が。
世界を越えている。
「識別情報は?」
《破損》
「名前は?」
《記録なし》
ここまでは想定の範囲だった。
四百年以上前の記録。
壊れていてもおかしくない。
「帰ってきた?」
俺が尋ねる。
《はい》
今度は。
想定していなかった。
「……帰ってきた?」
《はい》
「Bへ行って、エルグランドへ戻った?」
《はい》
リゼルが僅かに身を乗り出す。
「戻られた方の記録は残っておりますか?」
《一部》
「見せて」
古い記録。
ほとんどが壊れている。
でも。
帰還後の状態確認だけが残っていた。
《生体――正常》
《境界汚染――なし》
《記憶連続性――》
そこで。
表示が止まった。
「何?」
ノアの声が低くなる。
WORLD COREが続きを出す。
《不一致》
俺は意味が分からなかった。
「記憶連続性、不一致?」
「行く前と帰ってきた後で……」
ノアが画面を見たまま答える。
「同じ人の記憶として繋がってないってことだと思う」
「記憶喪失?」
「それなら普通は欠損」
ノアは首を横に振った。
「不一致は、別の記憶がある時に使う分類」
水城さん側でも緊張が走る。
「具体的な記録は残っていますか?」
《断片のみ》
表示。
《帰還者申告》
そして。
一文。
古代の境界記録を、WORLD COREが現在の言語へ変換する。
《私は帰ってきた》
《だが》
《私の家には》
そこで一度途切れる。
次の断片。
《私ではない私が住んでいた》
誰も口を開けなかった。
昨夜。
知らない日本人の声が言った。
《帰る先が、同じ地球とは限らない》
あれは。
理論上の警告ではなかったのかもしれない。
「……その人、どうしたの?」
俺が聞く。
《ELGRANDへ帰還後》
《三日間の保護記録あり》
「その後は?」
《記録欠損》
分からない。
名前も。
どこから来た人なのかも。
その後どう生きたのかも。
何も分からない。
ただ。
一度。
《地球》と呼ばれる場所へ帰り。
そこで。
自分ではない自分を見つけて。
エルグランドへ戻ってきた人間がいた。
◇
「今日はここから先へ進めない方がいい」
最初に言ったのは俺だった。
自分でも少し驚いた。
ノアが俺を見る。
「うん」
「EARTH/Bには繋がない。試験信号も送らない」
「賛成」
水城さんも頷く。
「地球側としても、接触は保留を提案します。少なくとも現在のEARTH/Aとの違いを十分に解析するまでは、能動的な操作を行うべきではありません」
セレフィナが資料へ書き込む。
「ではアステリア側も同様の方針で固定します。地下《最初の門》について、EARTH/Bに関係する操作権限を一時的に凍結しましょう」
「それ、できる?」
「ノア?」
「できる」
「蓮様の認証だけで解除できない形にできますか?」
セレフィナが聞く。
俺は思わず彼女を見る。
「俺の認証でも駄目にするの?」
「はい」
即答だった。
「何らかの誤操作、あるいは蓮様一人しかいない状況で判断を迫られた場合への対策です」
「賛成」
俺も即答した。
むしろ助かる。
「解除条件どうする?」
ノアが聞く。
「地球側とアステリア側、双方の承認。技術、安全、行政の三部門ずつ。さらに蓮の認証」
「俺も必要なんだ」
「現在の設備仕様上、最後の鍵は蓮だから」
「じゃあ七重?」
「数え方によるけど、だいたい」
「そこまでやれば安心か」
俺が言うと。
セレフィナは少し考えた。
「もう一部署増やしましょうか」
「増やさなくていいよ」
「ですが――」
「張り合わないで」
「誰とでしょう?」
「分からないけど」
水城さんが笑いを堪えていた。
少しだけ空気が戻る。
怖い情報が出た。
だからこそ。
全部をその場で決めない。
開かない。
触らない。
専門家に任せる。
そして帰る。
それでいい。
ミーナが時計を見る。
「蓮様。本日はここまでになさいますか?」
「うん。帰ろう」
「では夕食は?」
「家で食べます」
「冷蔵庫に何がございますか?」
「そこまで確認する?」
「必要です」
「多分、卵と――」
そこまで言ったところで。
ノアの前にある解析端末が、小さな音を鳴らした。
「何?」
「自動比較終わった」
「明日でいい?」
俺が言うと、ノアは画面を見たまま返事をしなかった。
「ノア?」
「……これだけ見た方がいい」
「緊急?」
「分からない。でも」
ノアが。
さっき表示された二つの地球。
《EARTH/A》
《EARTH/B》
その比較結果を大型画面へ出す。
構造一致率。
時間係数。
生命構造。
いくつもの項目。
そして最後。
《CURRENT DESTINATION STATUS》
A。
《ACTIVE》
当然だ。
俺たちが今いる地球。
続いて。
B。
さっきまでは、
《VALID》
だった。
接続可能な宛先として存在している。
それだけ。
でも。
自動確認が終わった現在。
表示が変わっていた。
《ACTIVE》
俺は画面を見る。
「……向こうも、今ある?」
「ある」
ノアが答えた。
「少なくとも境界設備からは、今も存在してる世界として反応してる」
そして。
もう一行。
今までなかった表示が追加される。
《REMOTE OBSERVATION DETECTED》
「これ何?」
ノアはすぐ答えなかった。
WORLD COREへ確認する。
地球側の技術者も同時に調べる。
数十秒後。
ノアがゆっくりこちらを見る。
「EARTH/B側から」
「うん」
「こっちを見てる」
誰も操作していない。
通信も送っていない。
接続もしていない。
それでも。
二つ目の《地球》は。
俺たちが自分たちの存在に気づいたのと。
ほぼ同じタイミングで。
こちらの存在に。
気づいていた。




