第53話 ゲーム開発前に異世界を見つけた研究者を訪ねたら、三十年間ずっと『向こうは生きている』と信じていた
最初の接続者を探すことになってから、三日後。
世界間技術検証施設へ呼ばれた俺は、会議室の壁面モニターに並んだ十一人分の名前を眺めていた。
三十年以上前、《境界情報処理研究プロジェクト》に参加していた研究者たち。
ゲームが作られるより六年前、地球とエルグランドを初めて繋いだ可能性がある人たちだ。
十一人のうち、既に亡くなっていることが確認できたのが五人。海外在住が二人。現在の所在を確認中なのが三人。
そして、一人だけ。
「本人と連絡が取れました」
水城さんが資料を一枚めくった。
「当時、プロジェクトの若手研究員だった冬木玲子さん。現在八十二歳。ご本人へ事情を限定的に説明したところ、面会に応じていただけるそうです」
「限定的って、どこまで?」
「《三十年以上前の境界情報処理研究について確認したいことがある》とだけです。アステリアや異世界については、まだ伝えていません」
「それで会ってくれるんだ」
「正確には、こちらが研究名を出した段階で先方から《やっと来たのね》と言われました」
俺は水城さんを見る。
「……やっと?」
「はい」
嫌な予感というより、妙な引っ掛かりが残る言葉だった。
冬木さんは現在、一人暮らしではなく、家族と同居しているらしい。体調そのものに大きな問題はないが、高齢者を突然政府施設まで呼び出すわけにもいかないので、こちらから出向くことになった。
同行者については少し揉めた。
「全員で行く必要はないよね?」
そう言った瞬間、リゼルがまず口を開いた。
「蓮さんがお一人で向かわれるのであれば、私は同行いたします」
「政府の人もいるから護衛いらないよ」
「護衛のみを理由として申し上げているわけではございません」
銀色の徽章を開けたあの日以来、こういう時のリゼルは少しだけ強くなった。
理由がなくても一緒に行く。
俺自身がそう言った手前、断りづらい。
セレフィナも「地球側とアステリア側双方の歴史に関わる人物であれば、私もお話を伺いたく存じます」と続き、ノアに至っては最初から鞄へ解析機器を詰め始めていた。
「ノア、それ全部置いていこうね」
「記録装置だけ」
「本人の家を研究施設にしない」
「小さいの一個」
「駄目」
最後にミーナを見ると、彼女は少し考えてから首を横へ振った。
「私は今回は残ります。大勢で伺えば、冬木様も落ち着いてお話しできないでしょうから」
「助かる。じゃあ俺、水城さん、リゼル、セレフィナで――」
「私も行く」
ノアが即座に割り込んだ。
「三十年前の機械の話になる可能性が高い」
それは正論だった。
「分解しない?」
「本人の家は分解しない」
「機械は?」
「ノア」
「しない」
約束してもらった。
◇
冬木玲子さんが暮らしているのは、東京都内から少し離れた住宅地だった。
大きな研究施設でも、厳重な警備のある屋敷でもない。
ごく普通の二階建ての家。
玄関横には季節の花が植えられ、自転車が一台置いてある。
「普通の家だな」
思わず口にすると、セレフィナが横で小さく笑った。
「蓮さんは、三十年前に異世界を発見した研究者の御自宅へ何を想像しておられたのですか」
「地下研究所とか」
「私も」
ノアが頷いた。
「ノアと発想被った……」
少し落ち込む。
インターホンを押して数十秒ほどすると、玄関が開いた。
出てきたのは五十代くらいの女性だった。
「水城さんですね。母から聞いています。どうぞ」
冬木さんの娘さんらしい。
事前に政府関係者が訪問することは説明済みだが、同行しているリゼルたちの素性については、まだ詳しく伝えていない。
ただ。
娘さんはリゼルの銀髪とセレフィナの長い耳、ノアの特徴的な姿を見ても、それほど驚かなかった。
「母から、《たぶん変わったお客さんが来るから驚かないで》と言われていました」
「そこまで予想してたの?」
俺が聞くと、娘さんは困ったように笑った。
「昔から時々、変なことを言う人なんです。《若い頃に別の世界を見た》とか、《いつか向こうから誰か来る》とか。家族は半分、昔話だと思っていました」
リゼルとセレフィナが目を合わせる。
俺も何となく背筋を伸ばした。
どうやら。
冬木玲子という人は。
三十年以上前の出来事を忘れてはいなかったらしい。
◇
案内された和室に、その人はいた。
白髪を短く整えた小柄な女性。
窓際の椅子へ座り、膝の上には古いノートを一冊置いている。
俺たちが部屋へ入ると、冬木さんは最初に水城さんを見て、それから俺へ視線を移した。
そして。
最後。
リゼル。
セレフィナ。
ノア。
三人を見た。
表情が。
止まった。
「……そう」
掠れた声。
「本当に」
両手が。
膝の上で震える。
「いたのね」
リゼルが一歩前へ出ようとしたので、俺はさりげなく手で止めた。
まず本人が落ち着くまで待つ。
冬木さんはしばらく三人を見つめていた。
特に。
セレフィナの耳。
ノアの小さな角。
リゼルの金色の瞳。
作り物では説明しづらい部分を。
何度も。
確認するように。
「……ごめんなさいね」
やがて冬木さんが目元を拭った。
「年を取ると、すぐ涙が出てしまって」
「いえ」
俺は向かいへ座る。
「こちらこそ、突然すみません」
「突然じゃないわ」
「え?」
「三十三年待ったもの」
部屋が静かになった。
冬木さんは俺たちを見渡したあと、少しだけ笑った。
「それで。どこまで分かったの?」
◇
こちらが説明したのは、必要な範囲だけだった。
エルグランドが実在する世界と接続していたこと。
アステリアという国が現在も存在していること。
ゲーム終了後も世界は続き、三百年以上の時間が経過したこと。
そして。
その世界から。
今。
地球へ人が来ていること。
冬木さんは途中で驚いたり、質問を挟んだりしなかった。
ただ静かに聞いていた。
全ての説明が終わってから。
一つだけ。
聞いた。
「向こうの人たちは」
声が。
少し。
震える。
「ちゃんと、生きていた?」
俺は。
迷わず。
「はい」
答えた。
「ずっと」
冬木さんの目から、また涙が落ちた。
今度は。
拭かなかった。
「そう……」
笑う。
「よかった」
本当に。
それだけ。
何度も。
「よかった」
繰り返した。
俺は三十年以上前の研究終了報告書を思い出した。
《接続先を架空世界として扱わないこと》
この人たちは。
最後には。
気づいていた。
向こう側に。
誰かがいる。
数字でも。
プログラムでも。
シミュレーションでもない。
人が。
生活している。
「冬木さん」
「はい」
「三十三年前、何があったんですか?」
冬木さんはすぐには答えなかった。
代わりに。
膝の上の古いノートへ手を置いた。
「長い話になるわよ」
「大丈夫です」
「若い人の《大丈夫》は信用ならないのよ」
「じゃあ途中でお茶休憩入れます」
「あら、それなら大丈夫ね」
少し。
笑う。
リゼルたちも。
ようやく。
肩の力が抜けた。
◇
「最初に見つけたのは、私じゃないの」
冬木さんの話は、そこから始まった。
「研究室にいた十一人の誰でもない」
「プロジェクト外の人?」
「ええ。だから、あなたたちが参加者名簿だけを調べても辿り着けない」
水城さんがすぐにメモを取る。
「どなたですか?」
「当時、研究室へ出入りしていた大学院生」
「研究員ではなく?」
「正確には、アルバイトみたいなものね。機械の面倒を見るのが得意だったから、夜間の監視を頼んでいたの」
冬木さんは懐かしそうに目を細めた。
「変わった子だったわ。正式な担当でもないのに、誰より長く実験装置を眺めていた」
「名前は?」
冬木さん。
答える。
「榊原直哉」
初めて聞く名前だった。
水城さんも知らないらしい。
「その榊原さんが、最初に?」
「ええ」
「何を見つけたんです?」
「人」
短い答え。
「研究装置が作ったはずの仮想空間に、一人の人間がいたの」
「一人?」
「最初はね」
冬木さんはノートを開いた。
紙。
黄ばんでいる。
びっしり。
手書き。
数字。
図形。
日付。
「私たちの装置は、いろいろな情報を仮想空間へ置き換える実験をしていた。ネットワーク負荷なら地形。通信なら光。データの集中点なら建物。そうやって、人間が見ただけで状態を理解できる形へ変換する研究だったの」
そこまでは。
前回。
資料。
読んだ。
「ある晩、榊原君が一人で装置を監視していた時、入力していないデータが混ざった」
「エルグランド?」
「後から考えれば、そうだったのでしょうね。でも当時はそんな名前すらなかった。最初に表示されたのは、荒野だったそうよ」
「荒野」
「何もない場所。草と石と、遠くに山があるだけ」
ゲーム画面。
想像する。
「それで、そこに人が?」
「ええ」
冬木さん。
一度。
息。
「女の子が一人」
ノアが。
少し。
身を乗り出す。
「年齢は?」
「見た目なら、十歳くらい」
「種族は?」
「分からないわ。人間に見えたそうよ」
俺。
引っ掛かる。
「その子、誰だったんですか?」
「分からない」
「記録は?」
「ほとんど残っていないの」
「どうして?」
「榊原君が消したから」
俺たち。
全員。
止まる。
◇
「消した?」
水城さんが聞き返す。
「はい。正確には、研究サーバーへ正式保存しなかった。自分のローカル端末だけで観測を続けていたの」
「何でそんなことを?」
「怖かったから」
冬木さんは苦笑した。
「機械の故障ならいい。プログラムが勝手に人間を生成したのでも、まだいい。でも榊原君は、数日でそうではないと思い始めた」
少女は。
同じ場所に。
毎日。
いた。
眠る。
起きる。
何かを食べる。
歩く。
雨が降れば。
雨宿り。
転べば。
泣く。
「プログラムされた動きに見えなかった?」
「最初は高度な自動生成だと思った。でも、ある日榊原君が実験で光を一度だけ点滅させた」
「光?」
「こちらから送れる、一番単純な刺激」
少女。
見る。
「翌日」
冬木さん。
「その子が石を並べていた」
「石?」
「一つ」
間。
「少し離して」
「一つ?」
俺。
分かった。
「光一回に対して、石一個?」
「榊原君もそう思った」
だから。
次の夜。
光。
二回。
翌日。
石。
二つ。
「それが始まり?」
「ええ」
三十年以上前。
ゲームより。
ずっと前。
最初の会話は。
チャットでも。
音声でも。
言葉でもなく。
光。
石。
それだけ。
◇
「榊原さんは、その子とどれくらい話したんですか?」
「話した、と言えるようになるまで半年以上掛かったわ」
数字。
図形。
色。
位置。
少しずつ。
意味。
作る。
最初。
一。
二。
三。
次。
はい。
いいえ。
今日。
昨日。
人。
空。
水。
「言語そのものを作った?」
セレフィナが静かに尋ねた。
「おそらく。こちらの日本語を教えるというより、共通の記号を増やしていったと言った方が近いかしら」
「相手の少女も理解していたのですか」
「とても頭のいい子だったそうよ」
冬木さん。
少し。
寂しそう。
「むしろ榊原君の方が追いつけなかったくらい」
「実際に会ったことは?」
「ない」
画面。
向こう。
見るだけ。
「でも」
冬木さん。
俺。
見る。
「あなたと同じだったと思う」
「俺と?」
「最初はデータだと思っていた。でも、毎日見ているうちに、それでは済まなくなった」
俺。
十五年。
リゼル。
セレフィナ。
ノア。
ミーナ。
ゲームのキャラ。
そう。
分かってた。
でも。
最後。
ただのデータ。
思えなかった。
「榊原君は、一年ほどして私だけに話したの」
《先生》
《向こうに人がいる》
当時。
冬木さん。
まだ。
先生と呼ばれるほど。
年齢。
上じゃない。
「私は笑ったわ」
「信じなかった?」
「当然でしょう?」
冬木さん。
少し。
笑う。
「二十代の大学院生が、夜中の研究室で《別世界の女の子と話してる》と言うのよ。まず寝なさいって言った」
「それは言う」
俺。
同意。
ノア。
「でもいた」
「いたのよ」
◇
冬木さんも。
少女。
見た。
翌日。
そして。
光。
送った。
少女。
返す。
何度。
試しても。
規則。
理解。
間違えれば。
向こうから。
訂正。
戻る。
「そこから正式な研究になった?」
「ええ。でも榊原君は最後まで反対していた」
「何に?」
「大勢で触ることに」
研究対象。
なる。
刺激。
増える。
実験。
増える。
少女だけでなく。
周辺。
観測。
始まる。
村。
道。
人。
次々。
見える。
世界。
広がる。
「榊原君は《見るだけにしろ》って、何度も言った。向こうは実験動物じゃないって」
「でも研究は進んだ」
「ええ」
倫理審査。
当時。
まだ。
異世界なんて。
前提。
ない。
「誰も悪意はなかったわ。知りたかった。ただ、それだけ」
冬木さん。
ノート。
撫でる。
「だからこそ、怖いのよね」
研究。
知るため。
でも。
知るために。
触る。
向こうに。
人がいるなら。
その刺激は。
人生。
変える。
俺。
ゲームで。
何度。
やった。
イベント。
検証。
効率。
それが。
向こう。
現実。
「最初の警告文」
俺。
聞く。
「《接続先を架空世界として扱わないこと》って」
「榊原君が書いた」
「じゃあ終了報告書も?」
「原文は彼」
そうだった。
最初。
気づいた。
人。
◇
「榊原さんは今どこに?」
そこが。
一番。
重要。
冬木さん。
すぐ。
答えなかった。
窓。
外。
見る。
「分からないの」
「所在不明?」
「三十一年前から」
水城さんが表情を変える。
「失踪届は?」
「出ているわ」
正式。
記録。
ある。
研究終了の。
約一年後。
榊原直哉。
二十七歳。
自宅。
戻らず。
車。
駅前駐車場。
発見。
財布。
家。
残る。
事件。
事故。
証拠。
なし。
そのまま。
現在。
「異世界と関係ある?」
俺が聞く。
冬木さん。
「分からない」
でも。
ノート。
後半。
開く。
「ただ、消える一週間前。榊原君は私のところへ来た」
夜。
研究。
既に終了。
装置。
封印。
それでも。
彼。
言った。
《まだ繋がってる》
「どうやって?」
「研究所の装置じゃない。自分で小さな装置を作っていたらしいの」
ノア。
目。
光る。
「残ってる?」
「ノア」
「聞いただけ」
冬木さん。
笑う。
「残念だけど、見つかっていないわ」
「残念」
「本当に残念そうにしない」
「でも」
冬木さんの表情。
戻る。
「榊原君は、最後に妙なことを言った」
「何を?」
《向こうから、こっちを見てる》
俺。
背中。
冷える。
「少女が?」
「いいえ」
《あの子じゃない》
《もっと大きいもの》
「WORLD CORE?」
ノア。
即。
冬木さん。
首。
傾げる。
「その名前は知らない。でも、彼は《世界の奥に何かいる》と言っていた」
俺たち。
互い。
見る。
WORLD CORE。
世界そのものではない。
世界を維持する。
機能。
三十年以上前。
既に。
存在。
◇
「榊原さんが最後に残した文字」
俺は。
WORLD CORE。
教えてくれた。
伝言。
見せる。
《もし、いつか本当に向こうと話せる人が現れたら》
《俺たちが勝手に世界だと思ったり、ゲームだと思ったりしたことを謝ってくれ》
《それから》
《向こうにも、こっちにも》
《ちゃんと人がいたと伝えてくれ》
冬木さん。
読む。
手。
震える。
「……これ」
「心当たりあります?」
「字は違う。でも」
一度。
息。
「榊原君が言いそう」
「WORLD COREによると、一度だけ直接話したらしいです」
「直接?」
「はい」
冬木さん。
長く。
黙る。
「なら」
目。
閉じる。
「最後に、成功したのね」
「何が?」
「彼はずっと」
ノート。
最後のページ。
開く。
一行。
《向こうの誰かと、言葉で話したい》
「少女じゃなくて?」
「最初は少女と。でも研究が終わる頃、その子とは通信できなくなっていた」
「死んだ?」
「分からない」
世界。
時間。
流れる。
少女。
何年。
向こう。
経った?
「ただ、榊原君は諦めなかった」
だから。
WORLD CORE。
話した。
「ELGRAND」
名前。
付けた。
世界領域。
「その名前にも理由ある?」
俺。
聞く。
冬木さん。
笑う。
「大げさでしょう?」
「え?」
「榊原君、そういう名前が好きだったのよ」
「本人が作った言葉?」
「英語の《EL》と《GRAND》を適当に合わせたとか、そんなことを言っていたと思うけど……本人も後から《意味はない》って」
「ゲームタイトルの元が適当!」
ノア。
「蓮と似てる」
「どこが!?」
「アステリアの名前」
「……」
俺。
黙る。
「適当だった?」
セレフィナ。
俺。
見る。
「……最初、星っぽい響きがいいなって」
「蓮さん」
「ごめん!」
歴史。
重い。
名前。
意外と。
軽い。
そんなものなのかもしれない。
◇
一時間ほど話したところで、休憩を入れた。
冬木さんの娘さんが持ってきたお茶と菓子を囲む。
リゼルたちを。
冬木さん。
興味深そう。
見る。
「あなたたちは、向こうで何をしていたの?」
リゼル。
少し。
迷い。
「私は、アステリア王国で近衛騎士団長を務めております」
「騎士さん」
「はい」
「本当に剣を?」
「扱います」
「触ってもいい?」
リゼル。
困る。
俺。
「剣はたぶん駄目」
「そう。残念」
八十二歳。
結構。
好奇心。
強い。
「あなたは?」
「セレフィナと申します。宰相職を」
「あら、政治家」
「多少異なりますが、近いかと」
「大変でしょう」
「非常に」
即答。
俺。
笑う。
ノア。
「私は研究」
冬木さん。
一気。
顔。
変わる。
「何の?」
「魔導工学。世界間接続。最近は地球技術も」
「……」
冬木さん。
娘さん。
見る。
「この子、一晩泊めてもいい?」
「駄目ですよ!」
俺。
即。
答える。
「絶対朝まで研究の話するから!」
「する」
「本人認めてる!」
冬木さん。
声。
上げて。
笑う。
「いいわね」
目元。
また。
少し。
濡れる。
「本当に、人なのね」
さっきまで。
資料。
世界。
研究。
そんな。
話。
してた。
でも。
目の前。
お茶。
飲む。
リゼル。
菓子。
遠慮。
取らない。
セレフィナ。
気遣う。
ノア。
二個。
取る。
そういう。
姿。
見る。
「三十三年前」
冬木さん。
静か。
「私たちは画面越しにしか見られなかった。だから最後まで、心のどこかで怖かったの」
「何が?」
「全部、私たちの勘違いだったんじゃないかって」
データ。
自動生成。
ただの。
機械。
「人がいる」と。
信じた。
でも。
証明。
できない。
「でも今日」
リゼル。
見る。
「もう疑わなくて済む」
リゼルは。
どう返すか。
少し。
考えた。
そして。
「冬木様」
「なあに?」
「三十三年前、そちらからこちらへどのような影響があったのか、私は存じません」
「ええ」
「ですが」
一度。
「あなた方が、途中で我々を《人かもしれない》と考え、慎重に扱おうとしてくださったのであれば」
頭。
下げる。
「そのことには、感謝申し上げます」
冬木さん。
止まる。
そして。
泣いた。
「……ずるいわ」
「申し訳ございません」
「そういう意味じゃないの」
泣きながら。
笑う。
「三十三年分、一気に返ってきたみたい」
◇
帰る前。
冬木さんが。
俺を呼び止めた。
「如月さん」
「はい」
「これ、持っていって」
最初から。
膝。
乗せてた。
古いノート。
「いいんですか?」
「これは研究所の物じゃない。私個人の記録だから」
「でも大事なものじゃ」
「だからよ」
手渡される。
重い。
紙。
だけ。
なのに。
「榊原君が最後に私へ預けた紙も、後ろに挟んである」
「最後に?」
「失踪する一週間前」
俺。
すぐ。
開こうとする。
「今読む?」
「帰ってから」
冬木さん。
笑う。
「今日は、もう十分でしょう」
最近。
みんな。
《急ぐな》。
言う。
「分かりました」
「それと」
「はい」
「もし向こうへ行くことがあったら」
もう。
何度も。
行ってる。
でも。
黙って。
聞く。
「最初の女の子を探してみて」
「名前は?」
「それが分からないの」
「何か手掛かりは?」
「あるわ」
冬木さん。
ノート。
表紙。
指。
「榊原君が描いた」
裏返す。
小さな。
紋章。
三つの輪。
中央。
一本。
木。
みたいな。
図。
「その子が、何度も石で作っていた形」
リゼル。
見る。
顔。
変わる。
「……これは」
「知ってる?」
セレフィナも。
近づく。
そして。
完全に。
表情。
変わった。
「蓮さん」
「何?」
「この紋章」
指。
「アステリア王国のものではございません」
「じゃあ?」
「建国以前の遺跡で見つかる印です」
俺。
止まる。
「建国以前?」
「はい」
リゼルが続ける。
「現在では、《三環樹紋》と呼ばれております。意味も、作成者も不明ですが」
「どれくらい古い?」
セレフィナ。
答える。
「少なくとも」
一度。
「アステリア建国より千年以上前です」
冬木さん。
ゆっくり。
こちら。
見る。
「それ」
声。
小さい。
「榊原君が三十三年前に見た女の子が作っていたのよ」
地球。
三十三年前。
アステリア。
建国より。
千年以上。
前の印。
時間。
合わない。
俺たち。
ずっと。
地球の七年が。
向こうの三百年。
そう。
考えてきた。
でも。
最初の接続。
その頃に見えた少女は。
アステリアの歴史で。
もっと。
遥か昔。
いたかもしれない。
世界間で。
時間。
一定じゃない。
可能性。
「……また増えた」
俺。
思わず。
言う。
「何がです?」
リゼル。
「調べること」
ノア。
横。
「楽しい」
「俺はちょっと怖いよ!」
冬木さん。
楽しそう。
笑った。
◇
その夜。
自宅へ戻って。
俺は。
冬木さんから。
預かった。
ノート。
机。
置いた。
最後。
封筒。
挟まってる。
黄ばんだ。
小さい。
封筒。
《冬木先生へ》
文字。
手書き。
中。
一枚。
紙。
榊原直哉。
失踪。
一週間前。
残した。
文章。
最初。
《先生》
《向こうへ行く方法が、分かったかもしれません》
俺。
読む。
手。
止まる。
続き。
《まだ試さないでください》
《人間が通れるか確認できていません》
《ただ》
《もし俺が戻らなかったら》
一度。
息。
《失敗したとは限りません》
その下。
《向こうへ着いた可能性もあります》
「……え?」
榊原直哉。
三十一年前。
失踪。
車。
駅前。
荷物。
残る。
死体。
なし。
行方。
不明。
そして。
世界間転移。
現在。
実際に。
可能。
俺は。
最後の行。
読む。
《あの子を探しに行きます》
俺。
椅子。
背。
預ける。
「いやいやいや……」
三十一年前。
最初の接続者は。
消えたんじゃない。
もし。
この手紙。
正しいなら。
地球から。
誰よりも早く。
エルグランドへ。
渡った。
可能性。
ある。
王権端末。
開く。
WORLD CORE。
管理者通信。
入力。
《榊原直哉という地球人を知ってる?》
送る。
数秒。
返事。
《はい》
俺。
立ち上がる。
《エルグランドへ来た?》
少し。
長い。
間。
そして。
《はい》
「……マジか」
次。
《今どこにいる?》
返事。
《不明》
「そこは分からないのかよ!」
でも。
更に。
新しい。
表示。
《最後に確認された記録があります》
《閲覧しますか》
俺。
押す。
《地球時間》
《三十一年前》
《エルグランド側換算》
表示。
俺。
完全に。
止まる。
《アステリア建国――八百四十七年前》
「……」
榊原。
転移。
アステリア。
できる。
八百年以上。
前。
俺が。
ゲームを始める。
遥か。
昔。
更に。
《同行者――一名》
「同行者?」
名前。
《識別名――不明》
その下。
《特徴情報》
《三環樹紋を所持》
最初の。
少女。
「……見つけたんだ」
三十年以上前。
地球の大学院生。
榊原直哉は。
異世界へ渡り。
最初に画面越しで出会った少女と。
一緒に。
アステリアが生まれる八百年以上前の世界を。
歩いていた。
そして。
その二人が。
その後。
何をしたのか。
俺たちは。
まだ。
何も知らなかった。




