第47話 三百年前にリゼルからもらった徽章を返そうとしたら、『騎士でなくなっても隣にいたい』という意味だった
セレフィナから三百年前にもらった本を開いてから二日後。
俺は会社の昼休み、休憩室の隅で弁当を食べながら王権端末を眺めていた。
あの日、自動的に候補へ上がった《セレフィナの本を三人に見つかった日》という未同期記憶は、今も《保留》のままだ。
感情負荷は低。
推奨分類は喜劇。
しかも本人から「絶対に見ないでください」と念まで押されている。
気になる。
ものすごく気になる。
だが、開いたら絶対に怒られることも分かっている。
「……消せないのかな、これ」
小声で呟きながら詳細画面を閉じると、ちょうど別の通知が入った。
《リゼル・アルフェリア》
《本日十八時以降、地球側での公務予定あり》
《終了予定――十九時三十分》
予定そのものは共有されている。最近は地球側でもリゼルたちが単独で公務をこなす機会が増えており、俺が全部へ同行する必要はなくなった。
今日の内容は、地球側警備担当者との合同訓練らしい。
「近いな」
会場は会社から電車で二駅ほどだった。
そして、そこで思い出す。
《蓮に返す箱》に残っている三つの贈り物。
リゼルの銀色の徽章。
ノアの黒い魔導具。
セレフィナの本は既に開いたから、残りはこの二つだけだ。
順番は決めない。
自然に機会が来た方から。
そう言ったばかりだった。
「……これ、自然な機会でいいよな」
わざわざ呼び出すわけではない。俺も仕事帰りで、リゼルも近くにいる。
だったら。
少しくらい話してもいい。
俺は短いメッセージを送った。
《仕事終わったあと、時間ある?》
三十秒ほどで既読が付いた。
《ございます》
その直後。
《何時間でも》
「重い」
さらに一件。
《失礼いたしました》
《必要なお時間だけ確保いたします》
「修正が早いな」
俺は笑いながら返信した。
《じゃあ少しだけ》
その時点では。
本当に。
少しだけのつもりだった。
◇
午後七時四十分。
待ち合わせ場所に指定した小さな喫茶店へ入ると、リゼルは既に奥の席へ座っていた。
地球側との合同訓練を終えたばかりなので、今日は私服ではない。アステリアの正式な鎧ほど重装ではないものの、地球活動用に作られた黒い制服姿で、腰には細身の剣もある。
「ごめん、待った?」
「いいえ。私も先ほど参ったところです」
そう答えながら、テーブルの端には既に飲み終わりかけた紅茶がある。
「何分前?」
「二十分ほどです」
「それは待ったって言うんだよ」
「蓮さんをお待ちする時間は、待機時間に含まれませんので」
「どういう計算?」
「私の中では、です」
真顔だった。
三百年前からこういう人だったのだろう。
俺は向かいへ座り、注文を済ませてから鞄の中へ手を入れた。
「今日呼んだ理由なんだけど」
「はい」
小さな保管ケースを取り出す。
その時点で。
リゼルの表情が変わった。
「……それは」
「覚えてる?」
「もちろんです」
ケースを開く。
中には、小さな銀色の徽章が一つ。
派手な宝石も装飾もない。細長い盾を模した銀板の中央に一本の剣が刻まれ、その周囲を小さな翼の意匠が囲んでいる。
三百年前。
リゼルが。
留守番の俺へ正式に渡したもの。
「セレフィナの本は開けたから、次は自然に機会が来た人からって決めてたんだ。今日ちょうど近くにいるって分かったから」
「……左様でございましたか」
「嫌だった?」
「まさか」
リゼルは一度徽章を見て、それから俺へ視線を戻した。
「むしろ、私の方からいつお声を掛けるべきか迷っておりました」
「言えばいいのに」
「順番を求めていると思われたくありませんでしたので」
「ああ」
そこは気を遣っていたらしい。
「じゃあ、今日はこれを教えて」
「承知いたしました」
「何の徽章?」
俺が尋ねると。
リゼルは。
少し困ったように。
黙った。
「……また重いやつ?」
「重い、という表現が何を意味するかによります」
「その答え、だいたい重いやつなんだよな」
◇
「まず」
リゼルが徽章を指した。
「これは、近衛騎士団の徽章ではございません」
「違うの?」
「はい。王国軍とも、旧騎士団とも無関係です」
「じゃあ何の組織?」
「存在いたしません」
「……存在しない組織の徽章?」
「正確には、私が一つだけ作らせたものです」
「一個?」
「はい」
余計に分からなくなった。
俺は徽章を持ち上げ、裏側を見る。
古い文字が彫られている。
《No title》
「ノー・タイトル?」
「《称号なし》という意味です」
「ますます分からない」
リゼルは紅茶のカップへ手を伸ばしたものの、既にほとんど残っていないことに気づき、そのまま静かに戻した。
「当時、私は近衛騎士団長でした」
「うん」
「陛下の御側にいる理由を問われれば、いつでも答えることができました。近衛騎士団長だから。護衛任務だから。王命だから。国家の安全保障上必要だから」
「全部仕事だな」
「はい」
それは今も変わらない。
リゼルが俺の近くにいる時。
護衛。
随行。
警備。
相談。
何かしら理由がある。
少なくとも。
彼女自身は、そういう理由をきちんと用意しようとする。
「ある日、陛下から尋ねられました」
「何を?」
「《俺が王様辞めたら、お前どうするの》と」
俺は少し笑った。
「セレフィナにも似た話してたな」
「はい。おそらく同じ時期でございます」
国家が安定し始めた頃。
ゲームとして遊んでいた俺は、いつか自分が必要なくなると思っていた。
その後を。
四人はそれぞれ別の形で考えていたらしい。
「リゼルは何て答えた?」
「《近衛騎士団長を辞します》と」
「即答?」
「はい」
「俺が王様辞めるだけなのに?」
「御守りする王がおりませんので」
「次の王は?」
「その方には、その方の近衛騎士団長がおります」
「なるほど……いや、なるほど?」
筋は通っている。
通っているけれど。
かなり俺個人へ寄っている。
「それで俺は?」
「《じゃあお前、無職じゃん》と」
「台無し!」
「私も同様に思いました」
「思ったんだ!?」
「近衛騎士団長以外の職歴がございませんでしたので」
「転職の相談みたいになってる……」
リゼルの口元に笑みが浮かぶ。
「そこで陛下から、《別に俺についてくる必要ないから、自分の好きなことしろよ》と」
「俺なら言う」
「はい」
「それで?」
「非常に困りました」
「また困ってる」
セレフィナも。
同じようなことを言っていた。
王と宰相でなくなれば。
会う理由がなくなる。
だから。
したいことを百個考えた。
「リゼルは何を考えたの?」
「陛下のお側にいる理由を」
「……」
「近衛騎士団長でなくなった後も」
一度。
言葉を選ぶ。
「あなたの隣にいるための理由を、探しました」
静かな言葉だった。
「見つかった?」
「いいえ」
あっさり否定した。
「見つからなかったんだ」
「はい。護衛任務ではない。王命でもない。国家のためでもない。その条件で、私が陛下の御側にいる理由を何日考えても説明できませんでした」
「それで徽章?」
「はい」
リゼルは銀色の徽章へ視線を落とした。
「理由がないのであれば」
少し。
照れたように。
「理由のないことを示す徽章を作ればよいと」
「発想がおかしい!」
「当時の私も、今ほど柔軟ではございませんでしたので」
「今も結構怪しいよ?」
「……否定はいたしません」
◇
「つまり」
俺は徽章を持ち上げる。
「《称号なし》」
「はい」
「これ付けてる時は、近衛騎士団長でも護衛でもない?」
「そのつもりで作りました」
「じゃあ何?」
リゼル。
黙る。
「そこが一番大事じゃない?」
「当時の私にも分かりませんでした」
「分からないまま作ったの!?」
「ですから《称号なし》なのです」
強い。
理屈としては。
妙に強い。
「で、これを留守番に?」
「はい」
「何て言って渡したの?」
そこで。
リゼルが。
明らかに。
困った。
「リゼル?」
「……可能であれば」
「うん」
「記憶情報の方を先に御覧いただけないでしょうか」
「何で?」
「私の口から申し上げるのは」
一度。
目を逸らす。
「少々、難しいため」
「そんなこと言われると余計気になる」
王権端末。
取り出す。
「関連記憶ある?」
「おそらく」
検索。
《リゼル》
《銀色の徽章》
すぐ。
一件。
《経験情報》
《題名――リゼルから名前のない徽章をもらった日》
《感情負荷――低》
《同期推奨――可》
「低い」
「はい」
「見る?」
「……はい」
本人。
覚悟。
決めたらしい。
俺は。
《閲覧のみ》
選ぶ。
◇
三百年前。
王城。
夜。
留守番の俺は。
執務室。
椅子。
ぐったり。
『終わらん』
机。
書類。
山。
『今日中に終わらせる必要はございません』
リゼル。
横。
鎧。
『明日の俺に押しつける』
『適切な判断かと』
『明日の俺が怒る』
『本日の陛下へ?』
『たぶん』
昔の俺。
伸び。
『帰る』
『御部屋までお送りします』
『同じ城だよ』
『護衛ですので』
『リゼル』
『はい』
『前話したやつ』
『……』
『俺が王様辞めたらどうするって』
『覚えております』
『考えた?』
『はい』
『何する?』
『……』
『農家?』
『なぜですか』
『剣使えるし、畑耕せそう』
『剣で畑を耕す者はおりません』
『じゃあ剣術教師』
『候補には』
『あるんだ』
『ですが』
リゼル。
小さな箱。
出す。
『これを』
『何』
『お受け取りください』
開ける。
銀。
徽章。
『……新しい騎士団?』
『違います』
『何の徽章?』
『何でもございません』
『何でもない徽章作ったの?』
『はい』
『大丈夫?』
『大丈夫です』
昔の俺。
裏。
見る。
《No title》
『称号なし?』
『はい』
『何に使うの』
リゼル。
長い。
沈黙。
そして。
『陛下が』
『うん』
『王でなくなられた後』
両手。
強く。
握る。
『私が近衛騎士団長でなくなった後』
『うん』
『それでも』
声。
少し。
小さく。
『お側にいたいと思った時に』
昔の俺。
止まる。
『……』
『近衛騎士団長としてではありません』
『うん』
『臣下でも』
『うん』
『護衛でもございません』
『じゃあ』
リゼル。
困る。
本当に。
困る。
『分かりません』
『分からないんだ』
『はい』
『でもいたい?』
リゼル。
ゆっくり。
『はい』
昔の俺。
徽章。
見る。
『じゃあ』
『はい』
『別に徽章いらなくない?』
『……』
『理由なくても来ればいいじゃん』
『……』
『リゼル?』
『それでは』
『うん』
『私が困ります』
『何で』
『理由がございません』
『だから』
昔の俺。
笑う。
『会いたいから来たでいいだろ』
リゼル。
完全。
停止。
『リゼル?』
『……』
『聞こえてる?』
『少々』
『うん』
『お待ちください』
『何を』
『今』
耳。
赤い。
『理解しておりますので』
『何を?』
『……陛下は』
『うん』
『時折』
一度。
『非常に困ることを』
『俺何か言った?』
『おっしゃいました』
『ごめん』
『謝らないでください!』
『どっち!?』
◇
記憶。
終わる。
俺。
喫茶店。
目。
開く。
向かい。
現在のリゼル。
耳。
赤い。
三百年前と。
同じ。
「……」
「……」
「リゼル」
「はい」
「ほぼ全部、本人から言わせた方が楽だったんじゃない?」
「無理です」
「即答だ」
「三百年前の私の方が、まだ勢いがございました」
「若かった?」
「はい」
「便利な言い訳」
リゼルが。
少し。
笑う。
◇
「でも」
俺は銀色の徽章を見る。
「これ、留守番が持ってたんだよな」
「はい」
「付けた?」
リゼル。
頷く。
「一度だけ」
「いつ?」
「陛下が」
一度。
「正式に退位を検討なさった時期がございました」
「そんなことあったの?」
「国が安定した頃です。結局、完全な退位はなされませんでしたが、一週間ほど王としての公務を離れられました」
「休暇みたいなもの?」
「現在の言葉なら、近いかと」
「その時?」
「はい」
留守番の俺は。
王冠。
外す。
王服。
脱ぐ。
普通の服。
そして。
この徽章を。
胸へ。
「俺が付けるの?」
「はい」
「リゼルじゃなく?」
「この徽章は、私の身分を示すものではございません」
「じゃあ」
「私が」
リゼル。
目。
逸らさない。
「役職も命令も理由もなく、あなたの隣にいることを」
一度。
「あなたが許した証として」
渡した。
そういうこと。
「……重いな」
「やはり」
「悪い意味じゃなくて」
「分かっております」
「いや」
俺。
考える。
「分かってる?」
「……七割ほど」
「何その数字」
リゼルが笑う。
◇
「これ」
俺は徽章をケースへ戻そうとして。
止めた。
「返した方がいい?」
リゼル。
表情。
固まる。
「何でございますか」
「いや、三百年前は留守番に渡したんだろ。俺がそのまま持ってていいのかなって」
「……」
「リゼル?」
「蓮さん」
「はい」
「ミーナの家の鍵は」
「持ってる」
「セレフィナの本は」
「家の本棚」
「私の徽章だけを」
一度。
声。
低く。
「返却なさるのでございますか」
「違う違う違う!」
危険。
ものすごく。
危険。
「所有権の話!」
「私も所有について申し上げております」
「そういう意味じゃなく!」
「では、どういう意味でしょうか」
顔は。
笑ってる。
でも。
目。
笑ってない。
「持ってます!」
俺は徽章をケースから出した。
「俺が持つ!」
「……本当に?」
「はい!」
「無理をなさっては」
「してない!」
リゼルの表情が。
ゆっくり。
元へ。
戻る。
「よかった」
「怖かった……」
「何がでしょう」
「何でもない」
◇
そこで。
俺はふと思う。
「付けてみる?」
「……」
また止まる。
「今?」
「嫌ならいいけど」
「いえ」
「じゃあ」
徽章。
小さい。
仕事帰りのシャツ。
胸。
付ける。
銀色。
目立たない。
「こんな感じ?」
リゼル。
見る。
長い。
見てる。
「リゼル?」
「……似合っております」
「徽章だけだけど」
「はい」
「三百年前も?」
「同じことを思いました」
「言った?」
「申し上げておりません」
「何で?」
「言う必要が」
一度。
止まる。
それから。
苦笑。
「当時は、必要がないことを言うのが苦手でしたので」
「今は?」
リゼル。
胸。
徽章。
見る。
「少しは」
一度。
「上手くなりました」
「じゃあ、聞こうかな」
「何でしょう」
「今の俺がこれ付けてるの、嬉しい?」
リゼル。
答える。
今度は。
そんなに時間が掛からなかった。
「はい」
それだけ。
でも。
十分だった。
◇
店を出る頃には、午後九時近くになっていた。
「少しだけの予定だったんだけどな」
「申し訳ございません」
「何でリゼルが謝るの。俺が質問したんだし」
「ですが」
「今日の家の規則、使う?」
「ここは喫茶店でございます」
「そうだった」
二人で笑う。
駅まで。
歩く。
夜。
人。
多い。
リゼル。
俺の隣。
少し。
前でも。
後ろでもない。
護衛の時。
半歩。
後ろ。
警戒時。
少し前。
でも。
今。
横。
「リゼル」
「はい」
「今日、公務終わったよね」
「はい」
「今、護衛?」
リゼル。
少し考える。
「いいえ」
「近衛騎士団長?」
「それは役職としては」
「今日の今この瞬間」
「……いいえ」
「じゃあ」
俺。
胸。
銀色の徽章。
指す。
「これ?」
リゼル。
歩きながら。
笑う。
「はい」
「理由なし?」
「はい」
「帰る方向同じだからとかじゃなく?」
「門までは逆方向です」
「逆なの!?」
「はい」
「じゃあ何でこっち来てるの」
聞いて。
リゼル。
止まらない。
三百年前なら。
長く。
理由を探した。
今は。
普通に。
「もう少し」
一度。
「蓮さんと歩きたかったので」
言った。
俺。
何も。
返せない。
「蓮さん?」
「いや」
「はい」
「上手くなったなと思って」
「何がでしょう」
「必要のないこと言うの」
リゼル。
一瞬。
赤い。
でも。
今度は。
否定しなかった。
◇
地球側の転移門がある施設まで送り届け。
「じゃあ、また」
「はい」
リゼル。
門。
前。
胸の徽章。
見る。
「蓮さん」
「何?」
「その徽章は」
「うん」
「職場へは付けていかない方がよろしいかと」
「そりゃそうだ」
「王立記録院にも見せないでください」
「何で?」
「建国期特級史料として回収を求められます」
「また!?」
「唯一現存する《無称号徽章》ですので」
「名前付いてるじゃん!」
「後世の仮称です」
「記録院が勝手に!?」
「はい」
危なかった。
会社へ付けて行く気はなかったが。
王国側でも。
見せない方がいいらしい。
「じゃあ保管しとく」
「お願いいたします」
「家に?」
「地球の?」
「いや」
一度。
考える。
「王様じゃなくていい家」
リゼル。
少し。
驚く。
「あそこなら」
「……はい」
「セレフィナの本もあるし。ミーナの鍵で入る家だし」
「ノアの品だけ、まだございませんね」
「次は自然に機会が来たら」
リゼル。
頷く。
「承知いたしました」
門。
光。
その直前。
「ただし」
「何?」
「ノアの場合」
一度。
「自然に機会が来るのを待たず」
「うん」
「自分で機会を作る可能性がございます」
「……」
門。
消える。
俺。
一人。
「七番ならやるな」
その瞬間。
王権端末。
通知。
《ノア》
《明日暇?》
「早い!」
更に。
《黒いやつ》
俺。
画面。
見る。
《開けよう》
「自分から来た!」
三百年前から残る最後の贈り物。
どうやら。
自然な機会を待つ気がない本人によって。
明日。
強制的に。
開封されることになりそうだった。




