第44話 三百年ぶりに『王様じゃなくていい家』へ帰ったら、玄関だけは昔のまま残されていた
翌日の午後。
政府施設での記憶検証を終えた俺は、ミーナと二人でアステリア側の転移門を抜けた。
行き先は王城ではない。
外交施設でも、研究塔でも、三百年前の史跡でもない。
ミーナが建国暦十二年、自分の給料で買ったという小さな家。
昔の俺が愚痴半分に口にした。
《俺が王様じゃない場所、一個くらいないの?》
その一言を本気で受け取り、ミーナが用意した家だった。
「本当に二人だけでいいの?」
転移門を出てしばらく歩いたところで、俺はもう一度確認した。
いつものアステリア訪問なら、少し離れたところに護衛がいる。政府間交流が始まってからは地球側の担当者が同行することも多い。
今日は誰もいない。
「問題ございません。旧王都住宅区は現在も治安上の危険がほとんどなく、緊急時には私が対応できます」
「そうじゃなくて、リゼルたち」
「そちらでしたか」
ミーナは納得したように頷いた。
「リゼル様には、護衛不要であることを御説明いたしました。セレフィナ様には歴史記録官の同行も不要と。ノア様には位置情報の常時取得を禁止しております」
「最後だけ具体的だな」
「既に試みておられましたので」
「七番……」
ノアならやる。
昨日から《家見たい》《構造だけ》《地下ある?》と個人通信が何度も来ていた。
全部断った。
三百年前の留守番が、《四つの贈り物は一人ずつ本人がいる時に開けろ》とまで書き残しているのだ。ミーナから渡された家の鍵を確かめる日くらい、その忠告に従ってもいい。
「それにしても」
俺は周囲を見回した。
「ここ、本当に昔の住宅区なの?」
「はい。建物の多くは建て替えられておりますが、道の位置は建国期から大きく変わっておりません」
三百年前の王都。
その言葉から想像していた景色とはかなり違った。
石造りの古い街並みがそのまま残っているわけではない。魔導灯らしい細い柱が等間隔に並び、店先には地球で言えば電光掲示板に近い表示装置まである。
それでも王城周辺ほど巨大な建物はなく、道幅も狭い。
軒先で植木へ水をやっている老人がいて、その横を子供たちが走っていく。小さな食料品店からパンの匂いが流れてきて、向かいの家では誰かが洗濯物を取り込んでいた。
国家を三百年間支えてきた大国の首都なのに、ここだけは妙に生活の匂いが濃い。
「昔もこんな感じ?」
「もっと建物は低く、道も舗装されておりませんでした。ただ、雰囲気は近いかと」
「そっか」
王城では、俺が歩くだけで誰かが姿勢を正す。
最近は俺が嫌がると分かっているため、過剰な跪礼こそ減った。それでも建国王レグナだと気づかれれば、どうしたって普通ではいられない。
ここでは地球用の服を着ていることもあって、今のところ誰にも気づかれていなかった。
「なんかいいな」
「何がでしょうか」
「誰も俺見てない」
ミーナが少しだけ目を細めた。
「それが、この家を選んだ理由の一つでした」
「最初から?」
「はい。当時もこの辺りは王城関係者が少なく、陛下のお顔を直接知る者がほとんどおりませんでしたので」
「ちゃんと考えてたんだ」
「家を買ってから、愚痴だったと気づきましたが」
「順番!」
やっぱり勢いで買った部分もあったらしい。
◇
「こちらです」
大通りから二本ほど細い道へ入ったところで、ミーナが足を止めた。
「……これ?」
「はい」
俺はしばらく家を見た。
二階建て。
小さい。
本当に小さい。
今の俺が地球で住んでいるマンションよりは広そうだが、王城の一室と比べるような建物ではない。
淡い灰色の壁。
濃い茶色の屋根。
玄関横には小さな庭があり、一本の木が立っていた。
「普通だ」
「家ですので」
「いや、分かってるけど。三百年間、国家管理で保存された建物って聞いたから、もっとこう」
「記念館のようなものを想像なさいましたか」
「ちょっと」
「陛下がお嫌がりになりますので、外観は可能な限り変えておりません」
「それ、三百年前の俺が?」
「いいえ。私が」
「よく分かってる」
もし門の前に《建国王私邸跡》なんて石碑が立っていたら、その場で帰っていたと思う。
ただ、一つだけ妙なところがあった。
玄関。
家全体は何度も修繕されているはずなのに、そこだけ周囲より明らかに古い。
「ドアだけ年季入ってない?」
「はい」
「交換しなかったの?」
「できませんでした」
「できない?」
「私が、させませんでした」
ミーナは少しだけ視線を落とした。
「屋根も壁も床も、生活するために必要な箇所はすべて修繕しております。ですが玄関扉だけは、当時のものを補修しながら残しました」
「何で?」
「この鍵で」
俺の手にある真鍮色の鍵を見る。
「開けていただきたかったからです」
それだけで。
三百年分の時間が、急に鍵の重さへ乗った気がした。
俺は何も言わず、鍵穴へ差し込む。
回るのか不安だった。
少し硬い。
けれど、ゆっくり力を入れると。
カチリ。
小さな音がした。
「開いた」
「はい」
ミーナの声も小さい。
ドアノブへ手を掛ける。
押す。
三百年前に、留守番の俺も開けた扉。
玄関の向こうには。
誰もいなかった。
当然だ。
それなのに。
妙に。
帰ってきたような気がした。
◇
家の中は、思っていた以上に普通だった。
玄関を上がれば小さな居間があり、その奥に台所。二階には寝室が二つ。浴室と物置もある。
家具の多くは新しい。
三百年間ずっと同じ机や椅子を使えるわけがないから、壊れるたびに当時の形へ近いものへ交換してきたらしい。
「この机も?」
「五代目です」
「椅子は?」
「八代目になります」
「ソファ」
「十一代目」
「結構変わってる」
「三百年ございますので」
「そうだよな」
ただし。
全部が新しいわけではなかった。
壁に掛けられた小さな棚。
台所の木製カップ。
窓際に置かれた傷だらけの箱。
そういう細かな物だけが、妙に古い。
「これ、当時から?」
「はい」
「何で残したの?」
「陛下がお使いになったものですので」
「また記録院みたいなこと言ってる」
「歴史的価値ではございません」
「じゃあ?」
ミーナは古いカップを手に取った。
「私が、残したかっただけです」
俺はそれ以上聞かなかった。
誰かが使ったカップ。
誰かが座った椅子。
そういう物を捨てられない気持ちは、何となく分かる。
ゲームがサービス終了したあと。
俺だってスクリーンショットを消せなかった。
使い道のなくなった設定資料や、イベントでもらった記念画像まで残していた。
向こうも。
同じだったのだろう。
「ところで」
俺は玄関脇にある小さな籠へ気づいた。
「これ何?」
「通信端末を」
「はい?」
「こちらへ」
ミーナが俺の王権端末を指した。
「何で?」
「家へ仕事を持ち込まないためです」
「……」
「三百年前からの規則です」
「そんなのあったの?」
「ございました」
「聞いてない」
「今、御説明しております」
「先に言って!」
端末を見る。
今のところ通知はない。
たぶん。
いや。
絶対に、そのうち来る。
「緊急連絡は?」
「私の端末へ届きます。本当に陛下御本人が必要な場合のみお渡しいたします」
「ミーナが仕分けるの?」
「はい」
「三百年前も?」
「当時は、玄関で文官を止めておりました」
「物理!」
「書類を持って入ろうとなさる方もおりましたので」
「強かった?」
「三人ほど泣かれました」
「何したの!?」
「お帰りいただいただけです」
「絶対それだけじゃない顔してる!」
けれど。
俺は端末を籠へ入れた。
電源までは切らない。
ただ。
手元から離す。
「こんな感じ?」
「はい」
ミーナが。
ほんの少し。
嬉しそうに笑った。
「お帰りなさいませ」
「……」
不意打ちだった。
「今?」
「はい」
「さっき玄関入った時じゃなく?」
「あちらでは、まだ王権端末をお持ちでしたので」
「判定厳しいな」
「この家では、仕事を手放してからが帰宅です」
「なるほど」
妙に納得した。
「じゃあ」
一度。
言ってみる。
「ただいま」
ミーナが。
止まった。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
それから。
「はい」
いつもの落ち着いた表情へ戻る。
「お帰りなさいませ、蓮様」
◇
昼食は。
もう済ませていた。
だから今日は家を見るだけの予定だった。
そのはずなのに。
「何で料理始めてるの?」
「お茶の準備です」
「鍋出したよね?」
「軽食も」
「昼食後です」
「蓮様は先ほど、門を出られる際にパンを一つしか召し上がっておりません」
「見てたの?」
「はい」
「十分だよ」
「不足しております」
「ここでも侍女長!」
「家ですので」
「その理屈、何にでも使えるな!」
結局。
少しだけ。
という言葉を信じた俺が悪かった。
三十分後。
テーブル。
スープ。
小さなパン。
肉料理。
野菜。
果物。
「夕食前だよ?」
「量は抑えております」
「これで?」
「はい」
三百年前から。
ミーナの少量は信用してはいけないらしい。
「いただきます」
「どうぞ」
食べる。
スープ。
「……あれ?」
「いかがなさいましたか」
「これ」
妙に。
知っている気がした。
味そのものを覚えているわけではない。
でも。
香り。
口に入れた時の温度。
何かが。
ほんの少し。
頭の奥へ触れた。
「蓮様?」
「待って」
無理に思い出すな。
黒田医師に言われている。
だから。
追わない。
ただ。
浮かんでくるものだけ。
そのまま。
待つ。
◇
雨。
昔の家。
窓。
外。
暗い。
『今日は帰りません』
ミーナ。
若い。
いや。
今と外見はほとんど変わらない。
『何で』
『雨が強くなっております』
『歩いて十分くらいだろ』
『十五分です』
『誤差』
『陛下が眠られた後、御一人になるためです』
『一人でいいよ』
『駄目です』
『ここ、王様じゃなくていい家じゃなかった?』
『王様でなくとも、一人暮らしの男性が高熱を出しているのであれば帰りません』
『熱あったっけ』
『ございます』
『知らなかった』
『存じております』
俺。
ソファ。
毛布。
『じゃあ』
『はい』
『飯』
『すぐに』
『何か軽いやつ』
『承知いたしました』
台所。
匂い。
同じ。
スープ。
ミーナ。
振り返る。
『陛下』
『ここで陛下禁止じゃなかった?』
『……』
『ミーナ』
『はい』
『呼び方』
『レグナ様』
『様もいらない』
『それは』
『家の規則』
『……レグナ』
『よし』
昔の俺。
笑う。
『飯できたら起こして』
『既に眠るおつもりですか』
『熱あるらしいから』
『自覚した途端に病人にならないでください』
『おやすみ』
『レグナ』
『何』
『……おやすみなさい』
◇
「蓮様?」
目を開ける。
家。
現在。
ミーナ。
俺。
「大丈夫?」
「……はい」
「俺じゃなくてミーナ」
ミーナの猫耳が。
完全に立っていた。
「今」
「何か?」
「少しだけ」
俺は、無理に細部を思い出さないまま話した。
「雨の日。俺、ここで熱出した?」
ミーナ。
動かない。
「三百年前」
いや。
正確には。
留守番が。
ここで。
「ミーナが帰らないって言って、スープ作ってた」
沈黙。
「この味」
一度。
「同じ?」
ミーナの目が。
ゆっくり。
細くなる。
「はい」
「じゃあ」
「覚えておられたのですか」
「覚えてたというより」
俺は胸を指した。
「留守番から、少しだけ来たみたい」
「……そうですか」
「変?」
「いいえ」
ミーナは席へ座る。
いつものように。
静かに。
でも。
少し。
声が違った。
「嬉しいです」
「昔の俺、ここにも来てたんだな」
「はい」
「一回だけって帳面に書いてあったけど」
「宿泊されたのは一度です」
「……」
「日帰りでは、もう少し」
「留守番!」
俺。
帳面の記述を思い出す。
《家、一回だけ行った》
「嘘じゃん!」
「おそらく、泊まられた回数を」
「絶対都合よく書いてる!」
ミーナ。
珍しく。
声を出して笑った。
◇
食後。
家の中を。
もう少し見る。
二階。
小さな寝室。
ベッド。
「ここ?」
「はい」
「昔の俺が泊まった?」
「はい」
「今の布団、新しいよね?」
「先週交換いたしました」
「仕事が早い」
隣。
もう一部屋。
机。
椅子。
本棚。
俺はその本棚の端に、変な物を見つけた。
「これ何?」
木の板。
紙。
何か。
貼ってある。
《この家の規則》
「……」
「昔の陛下がお作りになりました」
「俺?」
「はい」
読む。
《一、仕事を持ってこない》
「まとも」
《二、王命禁止》
「王様なのに?」
「王様でなくてよい家ですので」
「なるほど」
《三、腹が減ったら言う》
「子供?」
「陛下は空腹を隠されることがございましたので」
「忙しい時だけね」
《四、眠かったら寝る》
「さらに子供」
《五、帰りたくなったら帰る》
少し。
読む手が止まる。
《六、誰かが来たら、仕事じゃなければ入れていい》
《七、ここでは名前で呼ぶ》
ミーナを見る。
「これ」
「はい」
「今日ずっと蓮様だよ」
「……」
「様」
「現在のお名前に対する敬称ですので」
「抜け道!」
三百年前のリゼルと同じことを言う。
「家の規則」
「ですが」
「ミーナ」
「……」
「言ってみて」
猫耳。
少し下がる。
「蓮」
言った。
思っていたより。
普通。
でも。
ミーナ本人には。
普通じゃなかったらしい。
「……これでよろしいでしょうか」
「うん」
「落ち着きません」
「俺はちょっと面白い」
「笑わないでください」
「ごめん」
規則。
まだある。
《八、帰ってきた奴にはおかえりと言う》
《九、出る時はまたなと言う》
最後。
《十》
文字。
少し。
濃い。
《この家で起きたことを仕事にしない》
「……」
「これ」
俺。
分かった。
「だから記録院に入ってない?」
「はい」
「三百年前の出来事なのに」
「この家での記録は、原則として王宮記録へ提出しておりません」
「ミーナが?」
「陛下御自身が望まれました」
誰にも。
歴史にしない。
偉業にも。
伝説にも。
建国王の逸話にも。
しない。
ただ。
家で。
飯を食った。
寝た。
風邪を引いた。
それだけ。
「いい規則だな」
「私も、そう思います」
俺は。
古い板を見ながら。
少しだけ笑った。
「これなら記録院も来られない?」
「来たことはございます」
「来たの!?」
「玄関で帰しました」
「強い!」
◇
午後四時。
そろそろ地球へ戻る時間になった。
玄関。
俺は籠から王権端末を取る。
通知。
三十七件。
「……」
リゼル。
七。
セレフィナ。
五。
ノア。
二十一。
ミーナ。
ゼロ。
政府関連。
四。
「七番」
「緊急はございませんでした」
「二十一件来てる」
「すべて《家どう?》の類です」
「仕分けありがとう」
靴。
履く。
ドア。
開ける前。
何となく。
振り返る。
居間。
小さな机。
ソファ。
台所。
三百年間。
俺を待っていた家。
いや。
少し違う。
家は。
何も待たない。
残したのは。
ミーナ。
その後の管理者。
そして。
帰ってくるかもしれないと。
三百年。
捨てなかった人たち。
「ミーナ」
「はい」
「この家」
「はい」
「これからも使っていい?」
ミーナ。
少し。
驚く。
「もちろんです」
「王様じゃなくていい日」
「はい」
「また来る」
一度。
ミーナを見る。
「今度は」
「はい」
「四人でもいいかもな」
目。
見開く。
「リゼルたちも?」
「この規則」
壁。
《誰かが来たら、仕事じゃなければ入れていい》
指す。
「俺だけの休む家じゃないだろ」
ミーナは。
しばらく。
何も言わなかった。
「三百年前も」
「うん」
「陛――」
止まる。
「レグナは」
言い直す。
「同じことをおっしゃいました」
「だから?」
「リゼル様も。セレフィナ様も。ノア様も」
「来たことある?」
「ございます」
「全員?」
「はい」
「何で教えてくれなかったの」
「本日、蓮が御自身でそうおっしゃるか」
今度は。
ちゃんと。
名前。
「少しだけ、待ってみたかったので」
「……そっか」
なら。
答えは。
同じだったらしい。
俺と。
留守番。
全部が同じではない。
でも。
似ているところは。
やっぱり多い。
「じゃあ」
玄関。
外へ。
「またな」
家の規則。
第九条。
ミーナが。
扉の内側。
笑う。
「はい」
一度。
「また」
◇
地球。
自宅。
夜。
王権端末を開く。
三人。
待っていた。
リゼル。
《お帰りなさいませ》
セレフィナ。
《無事に御帰宅されたようで何よりです》
ノア。
《写真》
「第一声それ?」
《家》
「駄目」
《一枚》
「自分で行けばいいだろ」
一度。
止まる。
そうだ。
《今度》
入力。
《みんなで行く?》
三秒。
リゼル。
《……よろしいのでございますか》
セレフィナ。
《私どもも、ですか》
ノア。
《行く》
「七番だけ早い」
ミーナ。
少し遅れて。
《家の規則を守られるのであれば》
リゼル。
《もちろんです》
セレフィナ。
《仕事は持ち込みません》
ノア。
《研究道具は仕事?》
ミーナ。
《仕事です》
ノア。
《小さいのも?》
《仕事です》
《見るだけ》
《駄目です》
「もう始まってる」
俺は笑う。
そして。
その下。
新しい通知。
《旧私邸利用申請》
「……」
申請者。
《リゼル・アルフェリア》
《セレフィナ》
《ノア》
三件。
「申請するなって!」
すぐ。
三人。
《規則が不明でしたので》
「普通に来い!」
制度をなくすたび。
こいつらは。
新しい申請書を作る。
三百年。
本当に。
そこだけは変わらない。
俺は三件まとめて却下し。
代わりに。
一件。
予定を入れた。
《四人で家へ行く日》
送信。
直後。
四人。
同時に。
《承知》
返ってくる。
そして。
一秒後。
ノア。
《席順は?》
「自由!」
三百年ぶりに帰った家で。
次に解決しなければならない問題は。
どうやら。
また。
席だった。




