第40話 『待たせた』と届いたので返事をしたら、三百年前の俺から引継ぎ面談を始められた
《作成日時――現在》
《作成者――レグナ》
《内容》
《蓮》
《やっと返せる》
《待たせた》
俺はベッドの上に座ったまま、王権端末をしばらく見つめていた。
十五年分の未同期記憶。その大半は《保留》に設定したばかりで、こちらから新しい記録を作った覚えもない。それなのに表示されている作成日時は、間違いなく数秒前だった。
問題は、作成者だ。
レグナ。
それは俺のプレイヤー名であり、アステリアでは今でも俺を示す名前でもある。
けれど、この文章を書いたのは俺ではない。
「……触らない方がいいよな」
昨日までなら、気になってそのまま開いていたかもしれない。だが十五年分の記憶を一人で触るなと黒田医師から言われたばかりだし、何より今度の表示は明らかに今までと違う。
俺は王権端末の画面を撮影し、ノア、高城さん、それからリゼルへ同時に送った。
三秒後。
ノアから着信。
『触った?』
「触ってない」
『開いた?』
「開いてない」
『同期した?』
「してない」
立て続けに聞かれて、さすがに俺も少しむっとした。
「俺だって学習するからな」
『偉い』
「子供扱いするな」
『昨日までなら開いてた』
「否定できないけど」
通信の向こうでは、ノアがすでに複数の術式画面を展開しているらしい。直後にリゼルからも着信が入り、三者通話へ切り替わった。
『陛下、御身体に異常はございませんか』
「ないよ。頭痛もないし、変な記憶も浮かんでない」
『では、そのまま何もなさらずお待ちください』
「分かった」
『絶対に、でございます』
「信用ないなあ」
『十五年分の未知の記憶を前にして、昨日「一個だけなら」と仰った方ですので』
「……はい」
言い返せなかった。
その間にもノアの解析は進み、端末の表示が少しずつ増えていった。
『これ、生きてる誰かが今書いたんじゃない』
「分かるの?」
『うん。送信元がない』
「じゃあ、何で作成日時が現在なんだ?」
『現在作ったから』
「誰が?」
『王権』
また王権だった。
俺の知らないところで、俺よりよほど仕事をしている機能である。
『正確には、昔保存された情報を条件成立時に文章へ変換する機能』
「予約メッセージみたいなもの?」
『近い』
ノアが解析結果をこちらへ転送した。
《遅延引継ぎ機構》
《作成者――レグナ》
《設定時期――サービス終了直前》
《起動条件――受領者との再接続》
《第二条件――経験情報同期機能の正常動作確認》
《第三条件――受領者による引継ぎ意思の確認》
最後の一行を読み、俺は眉を寄せた。
「引継ぎ意思って、俺そんな操作した?」
『操作じゃない』
「じゃあ何?」
『昨日』
ノアは一拍置いてから言った。
『蓮、言った』
「何を?」
『ありがとう、くらい言ってもいいかって』
「……あれ?」
帰りの車内。
誰もいないと思って、俺は確かに呟いた。
留守番の俺へ。
ありがとうくらい言ってもいいか、と。
「聞いてたの?」
『王権端末が』
「盗聴じゃん!」
『所有者音声認証』
「言い方を変えても盗聴っぽい!」
リゼルが通信の向こうで口元を押さえている。
「リゼル、笑ってる?」
『いいえ』
「笑ってるよね?」
『少々』
「認めた」
ただ、その程度のやり取りで少し緊張が抜けた。
少なくとも、今この瞬間にもう一人のレグナがどこかで生きていて、俺へ通信しているわけではないらしい。サービス終了前に残された仕組みが、今になって作動しただけだ。
それなら怖さはかなり減る。
けれど。
「俺が受け取ろうと思ったら、初めて開く仕組みだったのか」
『たぶん』
「十五年分を勝手に押しつけなかった」
『うん』
俺はもう一度、《待たせた》という三文字を見る。
妙なところで律儀だ。
そして、やっぱり俺っぽい。
◇
翌日。
政府施設の共同研究室には、昨日以上の人数が集まっていた。
高城さん、水城さん、黒田医師。アステリア側からはリゼル、セレフィナ、ノア、ミーナ。
「何で全員いるの?」
『引継ぎでございますので』
セレフィナが当然のように答える。
「俺個人の記憶だよ?」
『国家運営情報を含む可能性がございます』
「なるほど」
『加えて』
「うん」
『三百年前の陛下が、現在の陛下へ何を残されたのか』
一瞬だけ、セレフィナの声が柔らかくなった。
『私も知りとうございます』
「……そっか」
リゼルも何も言わないが、通信画面から離れる様子はない。
ミーナに至っては、なぜかテーブルへ茶と菓子まで用意している。
「ミーナ」
『はい』
「何でお茶?」
『長くなる可能性を考慮いたしました』
「引継ぎ会議みたいになってきた」
『会社でも引継ぎの際には飲み物をご用意されるのでは?』
「場合によるかな」
高城さんが笑いながら資料を置いた。
「今回は本当に引継ぎですから、あながち間違っていないかもしれません」
黒田医師だけは、いつも通り慎重だった。
「昨日確認された遅延引継ぎ機構についてですが、本文そのものに強制同期作用はありません。まず文章として閲覧し、その後、関連する経験情報を個別に選択できる仕組みです」
「つまり、読むだけなら大丈夫?」
「現時点の解析では。ただし、途中で気分が悪くなれば中止してください」
「分かりました」
「そしてもう一つ」
「はい」
「内容が何であっても、過去のあなたから現在のあなたへの命令ではありません」
俺は少し驚いた。
「そこまで考えてませんでした」
「今は、です。ですが内容を読んだあと、三百年前の自分が望んだことだから従わなければならない、と感じる可能性があります」
黒田医師は端末を指した。
「受け取るかどうか。受け取ったあと、どうするか。それを決めるのは今のあなたです」
「……はい」
リゼルが静かに頷いた。
『私も同意いたします。かつての陛下が何を残されていようとも、現在の陛下を拘束するものではございません』
「リゼルがそれ言うと説得力あるな」
『三百年前の契約でも、同じことを申し上げましたので』
「そうだった」
俺は王権端末へ指を置いた。
《遅延引継ぎ》
《閲覧しますか》
「開きます」
《受領者――如月蓮》
《本人確認――完了》
《引継ぎを開始します》
画面が切り替わった。
◇
《蓮へ》
最初から。
俺の本名だった。
《これを読んでるなら、多分戻れたんだと思う》
「多分なんだ」
思わず声が出る。
ノアが小さく頷いた。
『陛下っぽい』
「いちいち判定しなくていいよ」
次。
《先に言っておく》
《十五年分ある》
《全部一気に見るな》
「自分で分かってた!」
黒田医師が笑う。
「三百年前の如月さんからも同じ指示ですね」
「俺より自制心あるじゃん」
《頭おかしくなるかもしれない》
「書き方!」
《たぶん大丈夫だけど、たぶんで試す量じゃない》
「完全に俺だ……」
高城さんまで笑い始めた。
「昨日、ノアさんがほぼ同じことを言っていましたね」
『私は安全って言った』
「《たぶん》付きでな」
文章は続く。
《これは俺の記憶だけど、蓮の記憶じゃない》
《だから要らないなら捨てていい》
《必要なところだけ取ってもいい》
《全部持っていく必要もない》
そこで。
少しだけ、文章の間隔が空いていた。
《俺は蓮の代わりをしてただけだから》
笑いが止まる。
《最初は本当にそれだけだった》
《蓮がいない間、動けるなら動いとこうと思った》
《みんな困ってたし》
《仕事いっぱいあったし》
「やっぱり仕事してる……」
リゼルが小さく笑う。
『当時の陛下は、本当にそのようなお方でした』
《でも長くなった》
《思ってたより、かなり長くなった》
《みんなと飯食った》
《喧嘩した》
《怒られた》
《ノアが研究塔壊した》
『そこ必要?』
「重要だったんだろ」
《リゼルが休まない》
『……』
「これも重要」
《セレフィナも休まない》
『陛下』
「俺に言われても」
《ミーナは俺より俺の体調に詳しい》
『当然でございます』
「当然なんだ」
《他にもいっぱい》
《だから途中から、代わりって言うのも違う気がした》
俺はそこで、少しだけ読む速度を落とした。
《蓮じゃない》
《でもレグナではある》
《多分それでいい》
昨日。
俺も似たことを考えた。
こいつは俺じゃない。
けれど。
偽物でもない。
《それでサービスが終わるらしい》
部屋の空気が変わった。
《地球側の蓮が、もう来られなくなるらしい》
《最初は意味分からなかった》
《こっちは普通に明日もあるから》
リゼルたちは黙っている。
三百年前。
彼女たちが経験した日。
俺にとってはサービス終了。
でもアステリアにとっては、ただ明日が続く世界だった。
《蓮が来ないなら、このまま俺がやればいいとも思った》
俺の指が止まる。
「……そう思ったんだ」
誰も答えない。
《でも、それは違う》
《俺が決めることじゃない》
《蓮の場所だから》
《蓮が戻るかもしれない》
《戻らないかもしれない》
《分からない》
《だから》
次の文字。
《残す》
《俺が見たもの》
《俺が聞いたもの》
《俺が覚えたこと》
《蓮が欲しいなら全部返す》
《いらないなら捨てろ》
《それでいい》
俺は息を吐いた。
十五年分。
あまりに多い。
知らない人生。
でも。
向こうは最初から。
選択権を俺に渡すつもりだった。
「本当に」
小さく言う。
「俺よりちゃんとしてない?」
『比較対象が同じ方ですので』
セレフィナが静かに答える。
「それ言われると逃げ場ないな」
文章はまだ終わっていなかった。
《あと》
《重要な引継ぎ》
全員の表情が引き締まる。
国家機密。
サービス終了の真相。
管理者権限。
誰もが、たぶんそういうものを想像した。
《リゼル》
『はい』
本人が反射的に返事をした。
《剣の手入れ、自分でやりすぎ》
「そこ!?」
リゼルの顔が固まる。
《職人に任せろ》
『……』
《壊してから持っていくな》
「リゼル?」
『当時は、戦時でございましたので』
「今は?」
『……改善しております』
ノア。
『昨日、自分でやってた』
『ノア』
『はい』
『後ほど』
『逃げる』
次。
《セレフィナ》
セレフィナが姿勢を正す。
《机の右下三段目》
《食べてない菓子がある》
《捨てろ》
『……』
「三百年前の?」
『違います! 当時の話です!』
《本人は非常食って言ってるけど半年ある》
「半年!」
『保存魔法がございますので!』
《新しいの買え》
「正論」
次。
《ノア》
『何』
《爆発したら事故って言うのやめろ》
『事故』
《二回目からは事故じゃない》
『……』
「言い負かされてる」
《四回やった》
「四回!?」
『研究には失敗がある』
《屋根は研究材料じゃない》
「三百年前の俺、強いな」
次。
《ミーナ》
『はい』
《俺が寝てる間に部屋掃除するのやめて》
『……』
「ミーナ?」
『業務です』
《起きたら物の場所変わってる》
『必要な整理です』
《靴下勝手に捨てるな》
『穴が開いておりました』
「これはミーナが正しい!」
通信画面の向こうで、リゼルが耐えきれず笑った。
セレフィナも口元を隠している。
ノアに至っては、完全に肩を揺らしていた。
「引継ぎって、これ?」
俺は半分呆れながら続きを読む。
《以上》
「終わった!」
と思ったら。
《嘘》
「まだあるのかよ!」
◇
《一番大事》
今度こそ。
文章の雰囲気が少し変わった。
《みんなは蓮を待ってる》
リゼルたちが静かになる。
《でも》
《戻ってきたからって、全部背負うな》
俺は画面を見た。
《王様だからって全部やるな》
《俺も途中までやって失敗した》
《頼め》
《任せろ》
《休め》
《帰りたい時は地球に帰れ》
《こっちにいたい時はこっちにいろ》
《蓮の人生だから》
胸の奥に。
妙なものが落ちた。
三百年前の俺。
いや。
俺ではない。
でも俺から生まれ。
俺の代わりとして始まり。
やがて自分なりに三百年前の彼らと生きたレグナ。
そいつが。
最後に残したのは。
王国を頼むでも。
みんなを守れでも。
役目を引き継げでもなかった。
《あと》
《リゼルたちにも言っとく》
四人が同時に画面を見る。
《蓮が戻っても囲むな》
「遅い!」
『陛下!?』
《一万人で迎えに行くな》
「もう一万二千人来たよ!」
リゼルが目を逸らした。
セレフィナも逸らした。
ミーナまで。
ノアだけは平然としている。
「七番もいたよね?」
『いた』
「堂々とするな!」
《家に押しかけるな》
「玄関から始まったよ!」
《勝手に仕事辞めさせるな》
「危なかったよ!」
《会社買うな》
「未遂だった!」
高城さんがついに吹き出した。
水城さんまで下を向いて肩を震わせている。
「全部やられてるんだけど!」
リゼルが非常に申し訳なさそうな顔になった。
『……三百年前の陛下は』
「うん」
『我々の行動を、かなり正確に予測なされていたようでございます』
「何で止めなかったの!?」
『その記録を知りませんでしたので!』
「そこだけ届いてない!」
最後。
《まあ》
《多分やる》
「諦めてる!」
《その時は蓮が止めろ》
「俺に投げた!」
《頑張れ》
「雑!」
そして。
本当に最後の一行。
《おかえり》
俺は。
今度は何も言えなかった。
長い文章の最後に。
それだけ。
ゲームを始めた十五年前から。
サービス終了した七年前まで。
俺がいなかった時間を生きた誰か。
戻れなくなった俺の場所を守った誰か。
三百年以上。
俺の元部下たちと同じ世界にいたレグナ。
そいつが。
俺へ残した最後の言葉だった。
「……ただいま」
自然に。
口から出た。
王権端末が。
小さく光った。
《引継ぎ受領を確認》
次。
《遅延引継ぎ機構――完了》
それだけだった。
新しいメッセージは来ない。
誰かが返事をすることもない。
留守番は。
今ここにいるわけではない。
最初から。
これを渡すためだけに残された仕組みだった。
それが分かって。
少し寂しく。
同時に。
少し安心した。
◇
「同期はどうしますか」
黒田医師が尋ねた。
俺は十五年分の一覧を見る。
「今まで通りで」
「保留?」
「はい。一個ずつ」
全部を受け取る必要はない。
向こうもそう言っている。
「面白そうなのから」
「基準が軽いですね」
「三百年分あるんですよ。重いのからやったら続かないです」
高城さんが笑う。
「それも合理的かもしれません」
俺は一覧を開いた。
低負荷。
日常。
未閲覧。
大量。
「何かない?」
ノアが検索する。
『ある』
「何?」
『これ』
《経験情報――個人》
《感情負荷――低》
《題名――四人が陛下の隣席を巡って揉めた件》
「……」
リゼル。
『待ってください』
セレフィナ。
『ノア』
ミーナ。
『その記録は』
ノア。
『低負荷』
「採用」
三人。
『陛下!』
「こういうのでいいんだよ!」
国家の命運。
世界の真相。
サービス終了の秘密。
それも大事だ。
でも十五年分もあるなら、全部それでは俺の頭がもたない。
「開こう」
『陛下、お待ちください!』
《経験情報を閲覧しますか》
「はい」
『陛下!』
押した。
◇
三百年前。
王城。
食堂。
長いテーブル。
俺。
椅子。
その右。
リゼル。
左。
セレフィナ。
正面。
ノア。
後ろ。
ミーナ。
『……何これ』
昔の俺が言う。
『御食事でございます』
ミーナ。
『それは分かる』
『では問題はございません』
『あるよ』
リゼル。
『陛下の右側は護衛上、私が適任です』
セレフィナ。
『左側は政務上、私が適任でございます』
ノア。
『正面は観察しやすい』
『何を観察するの』
『陛下』
『やめて』
ミーナ。
『私は給仕がございますので、後方を』
『囲まれてる!』
現在。
俺は。
ゆっくり画面から顔を上げた。
リゼル。
セレフィナ。
ノア。
ミーナ。
四人とも。
いる。
「……三百年前から?」
誰も答えない。
「三百年前からこれなの?」
『……』
「リゼル?」
『護衛上の必要性が』
「セレフィナ?」
『政務効率の観点から』
「ノア?」
『観察』
「ミーナ?」
『給仕です』
「全員変わってない!」
十五年分の未同期記憶。
俺は。
ようやく一つ。
重大な事実を理解した。
こいつらは。
三百年で変わったんじゃない。
最初から。
こうだった。




