第39話 十五年分の未同期記憶を開いたら、もう一人の俺が『蓮への引継ぎ帳』を作っていた
朝から表示されている数字を、俺はもう何度目になるか分からないくらい見直していた。
《ログアウト中経験情報》
《同期率――二・八パーセント》
《未同期経験情報――大量》
《推定対象期間――十五年》
数字そのものは昨夜から変わっていない。
それなのに、見れば見るほど意味が分からなくなる。
「十五年って……俺がゲームやってた期間、丸ごとじゃん」
《そう》
スマホの向こうで、ノアが当然のように答えた。
朝七時十三分。
俺はまだ部屋着で、テーブルの上には食べかけのトーストがある。一方、ノアはアステリアの研究室にいるらしく、背後では複数の術式画面がせわしなく動いていた。
「いや、そうじゃなくて。これ全部が俺の頭に入ってくるの?」
《たぶん》
「軽く言うな!」
《まだ調査中》
「じゃあ『たぶん』って言うなよ!」
《分からないって言うと蓮が不安になる》
「今の答えでも十分不安だよ!」
ノアは少し考えたあと、別の画面を開いた。
《でも、今すぐ全部入ることはない》
「それは分かる?」
《うん。同期速度がある》
新しい表示が俺の王権端末にも転送される。
《経験情報同期》
《現在速度――極低速》
《安全制御――有効》
《自動統合――制限中》
安全制御という文字を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
「誰が制限してるの?」
《王権》
「便利だな、俺の知らないところだけ」
《昔の陛下が設定した可能性》
「また昔の俺?」
《もしくは留守番》
昨日から、俺たちはログアウト中の俺をそう呼ぶようになっていた。
七年前、地球側の元運営社員と会話した存在。
《蓮はいない》
《俺は留守番》
そう名乗った、もう一人の俺。
同じ外見。
同じ口調。
たぶん、かなり似た考え方。
けれど、俺がゲームを閉じている間もアステリアで生き続けていた存在だ。
「なあ、ノア」
《何?》
「十五年分って、本当に全部そいつが経験したこと?」
《正確には違う》
「違うの?」
《地球側でゲームが稼働していた十五年間に紐づく、ログアウト期間の経験情報》
「……つまり?」
《アステリア側の体感時間に直したら、もっと長い可能性がある》
「聞かなきゃよかった!」
十五年でも十分重いのに、それ以上らしい。
俺が頭を抱えていると、ノアは平然と続けた。
《高城から連絡》
「もう?」
《今日来てって》
「やっぱり?」
《黒田も》
「病院側まで?」
《十五年分の記憶を一人で触るなって》
「それは俺もそう思う」
さすがに今回は勝手に操作する気にならなかった。
◇
午前十時。
政府施設の検証室には、いつもの顔ぶれが揃っていた。
高城さん、水城さん、黒田医師。そしてアステリア側の大型通信画面にはノア、リゼル、セレフィナ、ミーナまでいる。
「全員?」
「陛下に関する十五年分の記録と伺いましたので」
リゼルは当然のように答えた。
「通常業務は?」
「副団長へ任せております」
「ちゃんと任せた?」
「はい」
「休暇じゃないよね?」
「公務です」
少しだけ安心した。
昨日までの話の流れで、リゼルが仕事を放り出して来たのかと思った。
隣ではセレフィナが大量の資料を準備している。
《念のため、当時の国家記録と照合できるよう整理いたしました》
「早いね」
《昨夜から》
「寝た?」
《二時間ほど》
「セレフィナ」
《はい》
「後で寝ようか」
《しかし》
「リゼル」
「セレフィナ」
《……承知いたしました》
「強い」
国家最高権力者級の人たちなのに、最近は誰を休ませるかの方が重要になっている気がする。
黒田医師が咳払いし、本題へ戻した。
「まず大前提として、今日は十五年分の情報を同期する日ではありません」
「はい」
「確認だけです。同期がどういう仕組みなのか、止められるのか、選択できるのか。それを調べます」
「分かりました」
「それから、如月さん」
「はい」
「これはあなた自身の記憶ではない可能性があります」
黒田医師は言葉を慎重に選んでいた。
「現在のあなたが経験したものではなく、ログアウト中に活動していた存在の経験です。たとえ同じ人格を元にしているとしても、一度に大量に統合すれば、自我認識へ影響する可能性があります」
「俺が俺じゃなくなるとか?」
「そこまで強く断定する材料はありません。ただ、慎重に扱うべきです」
リゼルの表情が、一瞬で硬くなった。
「危険があるのであれば、同期そのものを停止してください」
《賛成いたします》
セレフィナも即答する。
《蓮様が現在の蓮様でなくなる可能性が一厘でもあるのでしたら、過去の記録など不要です》
「ミーナ」
《はい》
「さらっとすごいこと言ったね」
《過去より現在の蓮様が重要です》
「……ありがとう」
ノアだけは黙って画面を調べていた。
《見つけた》
「何?」
《設定》
王権端末に新しい項目が表示される。
《経験情報同期方式》
《自動》
《選択》
《保留》
《破棄》
「破棄までできるんだ」
《うん》
「じゃあ、とりあえず保留?」
黒田医師が頷く。
「それが安全でしょう」
俺は《保留》を選ぼうとして、指を止めた。
「待って」
「どうしました?」
「選択って何?」
ノアが開く。
《経験単位ごとに確認して同期》
「一個ずつ見られる?」
《たぶん》
「また『たぶん』」
《今回は安全制御ある》
黒田医師を見る。
「一件だけなら?」
「内容と負荷が事前に分かるのであれば、検討できます」
ノアがさらに調べる。
《感情負荷》
《低》
《中》
《高》
《重大》
「そこまで分類されてるの?」
《うん》
「誰が?」
《分からない》
まただ。
俺の知らないところで、やたらと丁寧に整理されている。
「一番軽いの、一件だけ見てもいいですか」
黒田医師は少し考えたあと、高城さんたちと相談した。
「低負荷のもの。途中で中止可能。映像ではなく情報閲覧のみ。それなら試してみましょう」
◇
《低負荷経験情報》
《候補――二万八千四百十一件》
「多い!」
《日常が多いから》
「そんなに日常あったの?」
《三百年近く生きてる》
「そうだった……」
俺がログアウトしている間のレグナは、世界を救う大事件ばかり経験していたわけじゃない。
普通に起きて。
飯を食って。
仕事をして。
誰かと話して。
寝ていた。
それが積み重なれば、当然こうなる。
「適当に一個選ばないでよ?」
《選ばない》
ノアが絞り込む。
《感情負荷――極低》
《身体負荷――なし》
《重大事件との関連――なし》
《国家機密――なし》
《個人機密――》
表示が止まった。
「何?」
《あり》
「駄目じゃん」
ノアが次。
《個人機密――あり》
「また?」
次。
《あり》
「何してたの、留守番!」
《日記とか多い》
「日記?」
《陛下、意外と書いてる》
「俺、日記なんて書かないけど」
《留守番は書いてた》
少しだけ、興味が湧いた。
別の人生。
でも俺に似た人間。
そいつが何を考えていたのか。
《これ》
ノアが一件を選ぶ。
《経験番号――004118》
《分類――事務》
《内容――記録整理》
《感情負荷――極低》
「事務仕事?」
《うん》
「平和」
黒田医師も頷く。
「まずはそれくらいがいいでしょう」
「じゃあ」
俺は画面へ触れた。
《閲覧のみ》
《同期しません》
《開始しますか》
確認。
押す。
◇
最初に見えたのは。
机だった。
夢のように中へ入り込む感覚ではない。
自分の記憶を思い返している時に近い。
場所。
王城。
夜。
机の上には大量の書類。
目の前に座っているのは。
俺。
いや。
留守番。
右手にペン。
『……今日も多いな』
声まで俺だった。
書類を一枚処理。
二枚。
三枚。
途中。
別の冊子を開く。
表紙。
《蓮への引継ぎ》
「……何?」
思わず声が出た。
映像が止まる。
黒田医師。
「大丈夫ですか」
「はい」
「続けます?」
「お願いします」
再開。
留守番の俺は。
その冊子へ。
何か書く。
《建国暦十二年・春》
《リゼル》
《新しい剣を支給》
《本人は前の方が使いやすいと言っている》
《蓮が戻ったら、古い剣を勝手に捨てるなと伝える》
「……」
次。
《セレフィナ》
《執務室の棚を三つ増設》
《書類を捨てない》
《蓮が戻ったら、たまには強制的に休ませること》
通信画面。
セレフィナが目を逸らした。
《ノア》
《研究塔の屋根をまた壊した》
《本人は事故と言っている》
《たぶん嘘》
《蓮が戻ったら叱ってもらう》
「七番」
《三百年前の私》
「今も変わってないよね」
《……》
次。
《ミーナ》
《新しいスープ》
《美味い》
《蓮にも食わせたい》
ミーナ。
動かない。
《……その料理》
「覚えてる?」
《はい》
「まだ作れる?」
《もちろんです》
「今度お願い」
《はい》
少し。
声が嬉しそうだった。
留守番は。
更にページをめくる。
戦争。
外交。
国の制度。
大事件もある。
でも。
その合間。
どうでもよさそうなことが。
大量に書いてある。
《リゼル、髪を三センチ切った》
《本人は変わっていないと言う》
《蓮なら気づくか不明》
「気づかないと思う」
リゼル。
「陛下」
「ごめん!」
次。
《ノア、猫を拾う》
《二日後に逃げられる》
《泣いてないと言っている》
《泣いてた》
《泣いてない》
「記憶の中の自分と喧嘩しないで!」
《泣いてない》
「はいはい」
《セレフィナ、初めて会議中に寝る》
《全員見なかったことにした》
セレフィナ。
《その記録は削除してください》
「俺の記憶なんだけど」
《お願いします》
「考えとく」
《蓮様》
「圧が強い!」
俺は。
笑っていた。
気づけば。
最初に感じた怖さが。
少しだけ消えている。
留守番の俺は。
俺の人生を奪おうとしていたわけじゃない。
少なくとも。
この記録を見る限り。
ずっと。
誰かへ渡すつもりだった。
「これ」
俺は言う。
「何冊ある?」
ノアが調べる。
《……多い》
「何冊?」
《四百八十七》
「多すぎ!」
《途中から魔導記録に変更》
「そりゃ紙じゃ無理だ」
高城さん。
「題名は全部同じですか」
《ほぼ》
「ほぼ?」
《途中で変わる》
「何に?」
表示。
《蓮が戻ったら話すこと》
胸の奥が。
少しだけ。
熱くなる。
更に。
その後。
《蓮に返すもの》
そして。
最後期。
《引継ぎ》
「……」
高城さんが静かに言った。
「初めから、自分が永久にレグナとして生きるつもりではなかったように見えますね」
「うん」
俺も。
そう思う。
◇
「一番最後の引継ぎ、見られる?」
俺が尋ねると、リゼルがすぐ反応した。
「陛下」
「分かってる。無理はしない」
黒田医師も慎重だった。
「今の一件だけで終える予定でした」
「はい」
「ただし、情報として題名と作成日だけ確認するなら問題ありません」
ノア。
《出す》
一覧。
最後。
《引継ぎ記録・最終》
《作成日時――地球側サービス終了当日》
全員。
静かになる。
「その日」
《うん》
俺が。
最後にログインした日。
みんなへ挨拶して。
ゲームを閉じた日。
「内容は見ない」
自分に言い聞かせる。
「情報だけ」
《作成者――レグナ》
《転送先――如月蓮》
「俺」
《転送状態――失敗》
やっぱり。
届いていない。
《再送――失敗》
《再送――失敗》
《保留》
そして。
その下。
別の項目。
《管理者権限による転送支援――受理》
「管理者権限」
昨日の夢。
地球側。
元運営社員。
また。
同じ言葉。
「誰が支援した?」
ノアが開こうとする。
だが。
《情報破損》
《識別不能》
「また分からないか」
《でも》
「何?」
《そのあと》
続き。
《転送方式変更》
《記憶情報として保存》
《対象者との再接続時に統合》
俺は。
息を止めた。
「これ」
高城さんも画面へ近づく。
「今起きている同期そのものですね」
サービス終了の日。
留守番の俺は。
自分が経験したことを。
俺へ返そうとした。
でも。
接続が切れる。
届かない。
だから。
記憶として保存した。
いつか。
俺が戻った時に。
渡せるように。
「十五年分って」
俺は。
画面を見る。
「俺を乗っ取るためじゃない」
《うん》
ノア。
「俺に」
一度。
「返すために残したんだ」
リゼルが。
ゆっくり。
目を閉じた。
「陛下らしい、と申し上げるべきなのでしょうか」
「俺じゃないけどね」
「いいえ」
リゼル。
俺を見る。
「陛下です」
「……」
「少なくとも」
一度。
「私たちと過ごした方も」
それ以上。
何も言わない。
でも。
分かった。
リゼルにとって。
留守番は。
偽物ではない。
俺も。
たぶん。
そう思い始めている。
◇
今日はそこで終わった。
同期設定は。
《保留》
自動同期。
停止。
これからは。
俺が選ぶ。
見たいものだけ。
少しずつ。
黒田医師と相談しながら。
受け取る。
帰宅途中。
スマホ。
リゼル。
《陛下》
「何?」
《先ほどの引継ぎ記録ですが》
「うん」
《私について》
「何?」
少し。
間。
《髪を三センチ切ったことまで》
「ああ」
《記録されていたのですね》
「そうみたい」
《……》
「どうした?」
《いえ》
また。
少し間。
《当時の陛下も》
「うん」
《気づいておられなかったので》
「留守番も?」
《はい》
「じゃあ記録した意味ないじゃん!」
《後日、セレフィナから聞いたようです》
「人づて!」
リゼル。
通信の向こう。
笑う。
《ですので》
「何?」
《現在の陛下もお気になさらず》
「フォローされてる!」
《はい》
「三百年前の俺に負けた気がする」
《同じ方です》
「そこ便利だな!」
通信を切る。
少し。
気持ちが軽かった。
十五年分。
まだ。
二・八パーセントしか戻っていない。
怖くないと言えば。
嘘になる。
でも。
向こう側にいるのは。
知らない誰かじゃない。
俺が帰ってくるまで。
俺の場所を守って。
みんなと暮らして。
最後には。
全部。
返そうとしてくれた。
留守番。
「……ありがとうくらい」
誰もいない車内で。
小さく。
言う。
「言ってもいいか」
その夜。
王権端末。
通知。
一件。
《保留中引継ぎ情報に新規項目を検出》
「新規?」
十五年分。
既に保存されていたものじゃない。
《作成日時――現在》
「現在?」
指。
止まる。
《作成者――レグナ》
「……」
俺は。
レグナだ。
でも。
この項目を。
作っていない。
《内容》
一行。
《蓮》
次。
《やっと返せる》
そして。
《待たせた》
部屋の中で。
王権端末だけが。
静かに光っていた。




