第37話 三百円のぬいぐるみを国宝にするなと言ったら、三百年前の俺の落書きが出てきた
翌朝。
俺が最初にした仕事は、王国の外交でも世界間交流でもなかった。
《王立記録院・新規史料登録申請》
《資料名――建国王より近衛騎士団長へ贈られた白き聖獣》
《歴史的重要度――特級》
「却下」
ベッドの上で王権端末を操作する。
《却下理由を入力してください》
「三百円のぬいぐるみだから」
《金銭的価値と歴史的重要度は一致いたしません》
「反論してきた!」
しかも自動応答ではない。
担当者が起きている。
朝六時四十分だぞ。
《当該資料は、三百年ぶりに再開された建国王と近衛騎士団長の私的休息日において、建国王本人より直接贈与された――》
「説明が重い!」
《――地球文化交流初期を象徴する極めて重要な》
「ただのクレーンゲーム!」
《取得方法についても記録いたします》
「しなくていい!」
《取得費用――地球通貨三百円》
「そこまで残すな!」
俺が必死に入力していると、個人通信が入った。
リゼル。
《おはようございます、蓮さん》
「おはよう」
一瞬、手が止まる。
昨日だけの呼び方だと思っていた。
まだ少しぎこちないが、ちゃんと「蓮さん」だった。
《何か問題がございましたか》
「記録院が、昨日の犬を歴史資料にしようとしてる」
数秒。
《却下してください》
「珍しく意見一致した」
《あれは私物です》
「うん」
《私がいただいたものです》
「そうだね」
《王国へ寄贈する予定はございません》
強い。
近衛騎士団長の声だった。
「記録院から保管協力を求められたら?」
《拒否します》
「展示だけなら?」
《拒否します》
「精密撮影」
《拒否します》
「ノアが構造解析」
《既に昨夜拒否しました》
「やっぱり来てたのか」
《三度》
「七番……」
昨日の白い犬。
どうやら無事に近衛騎士団長執務室を守り抜いたらしい。
《ただし》
「うん?」
《記録そのものを残すことには反対いたしません》
「そこはいいんだ」
《はい。昨日の出来事を無かったことにはしたくありませんので》
少しだけ、返事に詰まった。
「じゃあ、写真だけ?」
《私物としての所有権が明記されるのであれば》
「急に法務が強い」
《三百年、国家運営に関わっておりますので》
「そうだった」
俺は記録院へ返信する。
《現物の史料登録は不可》
《所有者リゼル・アルフェリアの私物》
《出来事についての記録保存のみ許可》
送信。
十秒。
《承知いたしました》
「素直」
続いて。
《資料名称を変更します》
「うん」
《建国王と近衛騎士団長の第二次私的休息日における地球文化贈答記録》
「大げさ!」
◇
午前十時。
政府施設。
今日は高城さん、水城さん、黒田医師、それからアステリア側のノアが集まっていた。
議題は、俺の中に残っているらしい《ログアウト中の経験情報》について。
第34話の――いや、俺の人生で話数を数えるのも変だけど――休息感謝祭の日に見た記憶は、王宮記録と九割以上一致していた。
しかも最近、夢だけではない。
起きている時にも、匂いや景色をきっかけに短い断片が浮かぶようになっている。
「今日は少し方法を変えます」
高城さんが資料を閉じた。
「これまでの照合は、如月さんが思い出した内容を記録と比較する形でした」
「はい」
「ただ、それでは記録を見た経験や、皆さんから聞いた話を無意識に再構成している可能性を完全には排除できません」
「要するに、俺が知ってる情報を夢で組み合わせてるだけかもしれない?」
「その可能性です」
黒田医師も頷く。
「現時点で健康上の異常はありません。ただ、記憶なのか、夢なのか、別種の情報なのかは慎重に切り分けた方がいいでしょう」
「分かりました」
「そこで今日は、如月さんが一度も閲覧していない資料を使います」
「クイズ?」
「試験ではありません。分からなければ分からないで構いません」
高城さんが強調した。
「無理に思い出そうとしないでください」
「七つの基本に追加されそう」
「何ですか、それ」
「こっちの話です」
ノアが画面の向こうで手を上げた。
《私が選んだ》
「資料?」
《うん。如月さんに見せてないものだけ》
「ノアが答え知ってるなら、顔に出さないでね」
《出ない》
「昨日、白い犬を分解したそうな顔してたよ」
《してない》
「リゼルから報告来てる」
《……》
「出てるじゃん」
◇
最初の資料。
三百年前の王城の倉庫。
俺には何も浮かばなかった。
二枚目。
旧研究院の机。
「知らない」
三枚目。
小さな木箱。
「分からない」
高城さんは淡々と記録する。
ノアも何も言わない。
「これでいいんですよ」
「結構、何も覚えてないですね」
「それが自然です。三百年分が突然すべて戻る方が、むしろ心配です」
四枚目。
古い食器。
「……これ」
少しだけ。
引っかかった。
「何か?」
「ミーナが怒るやつ?」
ノア。
《正解》
「何で?」
《陛下が野菜を隠した皿》
「そんな物まで保存してるの!?」
《底に入れた》
「何を」
《豆》
「小学生か!」
高城さんが笑いを堪えながら確認する。
「この情報は?」
「聞いてない……と思います」
《言ってない》
「記録には?」
《ある》
ただし。
王宮日誌に《建国王、昼食時に豆を残す》程度。
皿の底へ隠したことまでは書かれていない。
「少し興味深いですね」
高城さんが印を付けた。
「ただ、一件では偶然もあります」
「次お願いします」
◇
六枚。
七枚。
八枚。
ほとんど分からない。
それでいい。
むしろ、少し安心した。
もし何を見ても全部分かるなら、本当に俺の頭の中へ三百年分が一気に流れ込んでいることになる。
九枚目。
高城さんが画面を切り替えた。
古い紙。
端だけ。
文章部分は隠されている。
「これは?」
「紙ですね」
「はい」
「それ以上は?」
「……」
何も。
浮かばない。
ただ。
右下。
少し茶色く変色した余白。
そこを見ていると、無性に何かを書きたくなった。
「紙あります?」
「ありますよ」
高城さんからメモ用紙とペンを受け取る。
考えず。
手を動かす。
丸。
耳。
目。
口。
四本の足。
背中に。
妙に大きい剣。
「……犬?」
水城さん。
「たぶん」
「上手ではありませんね」
「そこ評価する?」
自分でもひどい。
犬というより。
耳の尖ったジャガイモ。
剣を背負わせたせいで、さらに意味が分からない。
「何で描いたんです?」
「分かりません。何となく」
ノア。
画面の向こう。
固まった。
「ノア?」
《……》
「顔に出さない約束」
《無理》
高城さんの表情も変わる。
「如月さん」
「はい」
「少し待ってください」
職員へ指示。
別端末。
アステリア側へ確認。
「何?」
「まだ何も言いません」
「気になる」
「先に一つ」
高城さん。
「この絵を描く時、何か思い出しましたか」
「いや」
俺は自分の落書きを見る。
「ただ」
「はい」
「剣」
犬の背中。
「もっと長かった気がする」
描き足す。
大剣。
犬より長い。
「こう」
そして。
なぜか。
横へ文字。
《休め》
「……」
自分で書いて。
手が止まった。
「何だこれ」
ノアが立ち上がった。
《そのまま》
「え」
《それ以上、何も聞かないで》
「分かった」
《リゼル呼ぶ》
「何でリゼル?」
返事。
なし。
通信。
切り替え。
◇
十五分後。
アステリア側。
旧王城記録院。
リゼルが来た。
「陛下」
「今日は蓮さんじゃないんだ」
「公務中ですので」
「切り替え早いな」
「……昨日の呼称を御希望であれば」
「今はいい!」
高城さんが俺の落書きを、まだリゼルには見せない。
「リゼルさん。一つ確認させてください」
「はい」
「建国暦八年以降、如月さん――レグナ氏が、犬のような生き物の絵を描いた記録はありますか」
リゼル。
動きが止まった。
「ございます」
「公的記録に?」
「いいえ」
「誰が知っています?」
「私と」
一度。
「おそらく、当時の陛下だけです」
部屋。
静かになる。
「どこに?」
「私的休息契約書の」
リゼル。
頬。
わずかに赤い。
「裏面に」
「契約書?」
俺。
思わず前へ出る。
第35話で発見された。
俺とリゼル。
二人だけの休息日。
年一回。
身分も職務も持ち込まず。
二人で過ごすための契約。
「裏?」
「はい」
「俺、見てないよね」
「表面のみです」
高城さん。
すぐ確認する。
「研究資料としても?」
水城さんが端末を調べる。
「裏面画像は受領していません」
ノア。
《私も見てない》
「ノアも?」
《契約本文だけ》
「じゃあ」
高城さん。
「原本を、こちらへ向けてもらえますか」
「承知いたしました」
記録官。
手袋。
古い契約書。
慎重に。
裏返す。
紙。
茶色。
端。
小さな。
落書き。
「……」
俺。
机。
自分で今描いた絵。
画面。
三百年前の絵。
並べる。
耳の形。
丸い胴体。
意味不明な四本足。
背中。
長すぎる剣。
そして。
横。
《休め》
「同じじゃん」
線。
三百年前の方が。
もっと雑。
でも。
同じ。
「これ」
俺。
「俺が描いた?」
リゼル。
ゆっくり。
頷いた。
「はい」
◇
「状況を教えて」
俺は言った。
高城さん。
「待ってください」
「え」
「まず如月さん自身で、何か浮かぶか確認します」
「分かった」
「無理には」
「しない」
目。
閉じる。
何も。
最初は。
ただ暗い。
でも。
紙。
インク。
風。
何か。
匂い。
甘い。
焼き菓子。
それから。
声。
『陛下』
リゼル。
『何』
『契約書へ落書きをなさらないでください』
……。
「待って」
目を開ける。
「浮かんだ?」
高城さん。
「うん」
「内容は?」
「俺」
一度。
「怒られてる」
リゼルの口元が。
ほんの少し。
動く。
「契約書に落書きするなって」
「……はい」
「言った?」
「申し上げました」
「やっぱり」
「他には?」
もう一度。
目を閉じる。
◇
三百年前。
小さな部屋。
俺。
机。
リゼル。
鎧。
立っている。
『座れば?』
『護衛中ですので』
『休みの日の契約作ってるんだけど』
『はい』
『その横で護衛してたら意味なくない?』
『契約成立前ですので』
『抜け道使うな』
俺。
紙。
第四条。
《年一回》
《二人で過ごす》
書く。
リゼル。
真面目。
読み込む。
『これで』
『はい』
『その日は護衛禁止』
『緊急時を除きます』
『はいはい』
『陛下』
『何』
『これは』
一度。
『本当に必要でしょうか』
『嫌?』
『そうではございません』
『じゃあ必要』
『理由になっておりません』
俺。
ペン。
余白。
犬。
描く。
『陛下』
『リゼル』
『はい』
『これ何に見える?』
『……犬でしょうか』
『正解』
『なぜ犬を』
『お前』
『私?』
『休めって言っても、ずっと俺の後ろいるだろ』
犬。
背中。
大剣。
『番犬』
『……』
『剣持った番犬』
『陛下』
『似てる』
『似ておりません』
『似てる』
横。
《休め》
書く。
『これで』
『何がでしょう』
『休みの日は、この犬も休み』
『私は犬ではございません』
『知ってる』
少し。
沈黙。
俺。
笑う。
『でも』
『はい』
『俺がいなくても』
そこで。
景色。
一瞬。
揺れる。
『ちゃんと休めよ』
リゼル。
止まる。
『……なぜ、そのような』
『俺、いつまでゲームやってるか分かんないし』
『ゲーム?』
『こっちの話』
俺。
契約書。
渡す。
『約束』
『陛下』
『俺の護衛してない時間まで』
一度。
『俺のために使うな』
リゼル。
何も。
言わない。
『自分のために使え』
長い。
沈黙。
そして。
『……承知』
一度。
『いたしかねます』
『何で!』
俺。
笑う。
リゼル。
ほんの少し。
笑う。
『ですが』
『うん』
『努力いたします』
◇
目。
開く。
「……」
喉。
少し。
乾いている。
誰も。
すぐには話さなかった。
「俺」
リゼルを見る。
「犬描いたあと」
「はい」
「俺がいなくても休めって」
リゼル。
息。
止まる。
「言った?」
「……」
「リゼル」
「はい」
声。
いつもより。
小さい。
「おっしゃいました」
「記録」
高城さん。
「残っていますか」
リゼル。
首を横へ。
「ございません」
「他に聞いていた方は?」
「おりません」
「その会話を、これまで如月さんへ?」
「一度も」
高城さん。
水城さん。
黒田医師。
互いに見る。
「では」
俺。
「これ」
今。
机にある。
下手な犬。
三百年前。
契約書裏面。
下手な犬。
「偶然?」
高城さんは、すぐには答えなかった。
「偶然の可能性を、完全にゼロとは言いません」
「はい」
「ですが」
紙。
二枚。
見る。
「これまでとは意味が違います」
「どう違う?」
「公開記録にない」
「うん」
「研究資料にもない」
「うん」
「如月さんへ提示されてもいない」
「うん」
「さらに」
リゼル。
「唯一知っている当事者の証言と一致した」
「……」
「初めてです」
高城さん。
静かに。
「記録を参照しなくても成立する、ログアウト中の経験情報が確認されました」
◇
黒田医師。
すぐ。
「今日はここまでにしましょう」
「もう?」
「もう、です」
「まだ平気だけど」
「平気な時に止めます」
「ちゃんとしてる」
「三百年分ありますからね。一日で調べる必要はありません」
高城さんも頷く。
「次回以降も、未閲覧資料による照合を増やします」
「分かりました」
ノア。
《私も探す》
「何を」
《陛下に見せてない変なもの》
「言い方」
《いっぱいある》
「そんなに!?」
《変な落書き》
「まだあるの!?」
《食べかけのお菓子》
「捨てて!」
《壊した椅子》
「何した俺!」
《セレフィナの似顔絵》
「それは」
画面。
セレフィナ。
《破棄を希望いたします》
「本人いた!」
《先ほどからおります》
「黙ってたの!?」
《重要な検証でしたので》
そして。
《なお》
「何」
《私の似顔絵については》
「うん」
《絶対に公開しないでください》
「そんなひどいの?」
ノア。
《似てる》
《ノア様》
《はい》
《後ほど》
《逃げる》
「平和だ」
◇
研究終了。
リゼル。
通信。
まだいる。
「リゼル」
「はい」
「一個いい?」
「何でしょう」
「三百年前」
「はい」
「俺がいなくなったあと」
少し。
迷った。
「ちゃんと休んだ?」
リゼル。
沈黙。
「……」
「リゼル?」
「努力は」
「うん」
「いたしました」
「結果は?」
「……」
「結果」
「三百年間」
「うん」
「国家を守っておりました」
「休んでない!」
「必要がございましたので!」
「契約!」
「陛下が不在でした!」
「俺がいなくてもって言ってる!」
「……」
「負けた?」
「……はい」
三百年前の俺。
ちゃんと。
先回りしていた。
「じゃあ」
「はい」
「今から守って」
「何をでしょう」
「契約」
「……」
「俺がいるからとか、いないからとか関係なく」
一度。
「自分のためにも休む」
リゼル。
ゆっくり。
頷く。
「承知いたしました」
「本当に?」
「はい」
「昨日みたいな日」
「……」
「また作ろう」
リゼル。
少し。
笑う。
「はい」
◇
帰宅。
夜。
風呂。
飯。
ベッド。
今日は。
夢を見ないと思った。
頭を使った。
疲れていた。
目を閉じる。
すぐ。
眠る。
そして。
声。
『レグナ』
知らない。
男。
俺。
目を開ける。
でも。
地球の部屋じゃない。
アステリアの王宮でもない。
真っ暗。
何もない。
ただ。
目の前。
ゲーム時代に見慣れた。
半透明の画面。
《接続状態――異常》
《地球側通信――不安定》
『レグナ』
また。
声。
『聞こえるか』
誰。
『ログアウトするな』
画面。
赤。
《緊急接続》
《管理者権限》
文字。
一瞬だけ。
見える。
《送信者――》
ノイズ。
読めない。
『まだ切るな』
「誰だ」
夢の中の俺が。
初めて。
自分から。
問い返した。
声。
一瞬。
止まる。
『よかった』
男。
息を吐く。
『まだ、そっちにいるな』
「そっち?」
『今から説明する』
画面。
大きく。
揺れる。
『君がログアウトしている間――』
ノイズ。
『アステリアは』
声。
途切れる。
最後。
一言。
『止まっていない』
目。
覚めた。
「……」
午前三時十一分。
俺は。
ベッドの上。
起きる。
王権端末。
開く。
震える指で。
一つ。
入力。
《高城さん》
《起きたら連絡ください》
一度。
止める。
追加。
《今までと違う夢を見ました》
《三百年前の俺の記憶じゃないかもしれません》
送信。
そして。
もう一つ。
どうしても。
頭から消えない言葉。
《管理者権限》
七年前。
サービス終了後。
アステリアから届いた救難信号を守り続けていた。
元運営社員。
共同管理者。
俺は。
暗い部屋で。
一人。
画面を見る。
三百年前の記憶が戻り始めたことで。
今まで見えなかったものまで。
こちらを向き始めていた。




