第11話 異世界の宰相を面接したら、面接官の方が緊張していた
翌朝。
俺は再び、政府が用意した会議施設へ来ていた。
会社から与えられた特別休暇は、まだ六日残っている。
本来なら。
家で休み。
今後について考えるための時間だったはずだ。
だが。
朝から予定表は埋まっていた。
《午前九時》
《アステリア王国宰相セレフィナ・アルシェリア氏、就労希望面談》
《午前十一時》
《世界間通行制度に関する協議》
《午後一時》
《治癒魔法共同研究に関する事前確認》
《午後三時》
《マンション住民説明会》
「休暇とは何だったんだろうな」
「陛下には、予定を全て取り消し御休息いただくことも可能です」
隣を歩くリゼルが言う。
「取り消したら、誰が説明するんだ」
「我々が」
「それが不安だから来てる」
「御信頼いただけていないのでしょうか」
「信頼はしてる」
俺は答える。
「規模の感覚だけ、信用してない」
リゼルは。
反論しなかった。
自覚はあるらしい。
今日の主役であるセレフィナは、既に面接室へ入っていた。
日本側の服装。
白いブラウス。
黒いジャケットとスカート。
長い金髪は、後ろで一つにまとめられている。
エルフ特有の長い耳は隠していない。
机の前へ座り。
背筋を伸ばし。
膝の上へ両手を揃えていた。
向かい側には。
外務省の水城さん。
内閣官房の担当者。
厚生労働関係の担当者。
人事制度に詳しい民間企業の専門家。
計四人。
面接を受けるのはセレフィナ一人。
それなのに。
緊張しているのは。
明らかに面接官側だった。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
水城さんが頭を下げる。
「こちらこそ、正式な面談の機会を設けていただき、感謝申し上げます」
セレフィナも丁寧に頭を下げる。
「如月さんは、こちらへ」
俺は。
面接室の隅に用意された席へ座る。
今回。
俺は面接官ではない。
アステリア側の事情を補足する立会人。
それと。
セレフィナが俺との関係を理由に、無理な要求をしないか見守る役だった。
「陛下」
セレフィナが小さく俺を見る。
「今日は如月さんで」
「失礼いたしました」
仕事中。
ミーナと同じように。
日本側では、俺を陛下と呼ばない。
そう決めた。
「では、如月様」
「様も取って」
「如月さん」
セレフィナは。
ミーナほど苦しそうではない。
だが。
声が僅かに硬かった。
◇
「最初に確認いたします」
水城さんが書類を開く。
「今回の面談は、正式な採用を確約するものではありません」
「承知しております」
「現時点では、アステリア王国民に適用できる在留資格や就労制度が存在しません」
「はい」
「また、セレフィナさんは、アステリア王国の宰相であると」
「現在も、その役職にございます」
「他国の政府高官を、日本政府が職員として雇用することには、外交上、法制度上の問題があります」
「理解しております」
普通に考えれば。
現役の他国宰相が。
日本政府の役所へ就職したいと言っている。
簡単に採用できるはずがない。
「そこで」
水城さんが続ける。
「最初は雇用ではなく、両国間の制度を整備するための非常勤協力者として、実証的に参加していただく案を検討しています」
「報酬は発生するのでしょうか」
セレフィナが尋ねる。
「はい」
「無償では?」
「専門的な業務を依頼する以上、報酬を支給します」
「承知いたしました」
以前なら。
俺のために行う仕事だから、報酬はいらないと答えていたかもしれない。
ミーナと話した内容は。
セレフィナにも伝わっている。
仕事には正当な価値がある。
忠誠や善意を理由に。
無償で働かせてはならない。
彼女たちは。
その考えを受け入れ始めていた。
「ただし」
人事制度の専門家が口を開く。
「報酬を誰に支払うか、確認が必要です」
「私個人ではないのでしょうか」
「アステリア王国の宰相として参加する場合、国家間の業務委託に近い形になります」
「一個人として参加する場合は?」
「現在の役職との利益相反を整理する必要があります」
「利益相反」
セレフィナが。
地球側の言葉を、確かめるように繰り返す。
「アステリア王国の利益と、日本政府の利益が一致しない場合、どちらを優先するかという問題です」
「当然、我が国を優先いたします」
迷いのない答えだった。
面接官側が。
一瞬黙る。
「正直ですね」
「私はアステリア王国宰相でございます」
セレフィナは穏やかに続ける。
「地球側の職務を得るため、自国の利益を軽視すると申し上げる方が不誠実です」
正論だった。
「ただし」
セレフィナが続ける。
「両国の利益が対立しないよう、事前に制度と手続きを整えることこそ、連絡調整員の役割だと考えております」
面接官たちが。
一斉に記録を取る。
既に。
普通の就職面接ではない。
外交交渉の一部になっている。
◇
「こちらが、提出いただいた経歴書です」
民間の人事専門家が。
一冊の分厚い書類を持ち上げる。
履歴書。
というより。
辞書に近い。
「何ページあるんですか」
俺が尋ねる。
「要約版で四百八十二ページです」
「要約できてないだろ」
「詳細版は、二万七千ページほどになります」
セレフィナが答える。
「提出前に削減いたしました」
「何を削った」
「日常的な会議、定例予算、軽微な地方紛争、人口十万人以下の都市行政支援などです」
「十万人以下が軽微なのか」
「国家全体と比較した場合は」
アステリア。
人口一億八千万人。
協力地域を含めれば三億以上。
三百年間。
その国の中枢で働き続けた。
経歴が四百ページで収まる方がおかしい。
「まず、現在までの職歴を簡単に説明していただけますか」
「はい」
セレフィナが答える。
「アステリア建国初期より、内政、外交、財務、法務を担当。建国王レグナ陛下御不在後は、初代摂政会議議長として統治制度の再編を行いました」
俺が消えたあと。
国が混乱しないよう。
王の命令を待たずに動ける制度を作った。
「その後、国民議会創設、地方自治制度整備、中央官庁再編、通貨統一、周辺諸国との国交正常化を担当いたしました」
「国交正常化は何か国と?」
「現在の国家単位では、三十七か国です」
「現在の?」
「消滅、統合、分裂した国を含めますと、百二十一か国となります」
面接官の一人が。
ペンを止めた。
「戦争交渉の経験は」
「大小合わせ、二百七十二件」
「二百七十二」
「うち、開戦前に回避できたものが百九十八件。停戦交渉が四十三件。終戦協定の締結が三十一件です」
「失敗したことは?」
質問した面接官の声が。
少し弱くなっていた。
「ございます」
セレフィナは即答する。
「建国百二十二年目。北西部で発生した穀物不足に対し、中央政府による備蓄放出の判断が十三日遅れました」
「十三日?」
「結果として、二十七の村で食料配給が一時不足しました」
「死亡者は」
「飢餓による死者は出ておりません」
「では」
「住民へ不安を与え、地方政府への信頼を損なった時点で、政策としては失敗です」
セレフィナは。
自分の失敗を隠そうとはしなかった。
「どのように改善しましたか」
「備蓄量だけを基準とする制度を廃止。輸送時間、天候、魔獣発生率、地域人口変動を含めた早期警戒制度を作りました」
「同様の問題は?」
「以後、百八十年間発生しておりません」
面接官たちは。
何を比較対象にすればいいのか分からない顔をしていた。
◇
「セレフィナさんの長所を教えてください」
ようやく。
普通の就職面接らしい質問が出た。
「利害の異なる複数組織の意見を整理し、実行可能な妥協案を作ることです」
「具体例は」
「山岳民と地下種族の水源争いを、共同管理制度によって解決しました」
「どれくらい続いていた争いですか」
「およそ四百年です」
「解決までの期間は」
「十三年」
地球の面接で求められる具体例として。
規模が大きすぎる。
「短所は?」
「業務を一人で抱え込みすぎる傾向があります」
その答えに。
俺は小さく頷いた。
ゲーム時代も。
セレフィナは。
問題が起きると、自分で処理しようとすることが多かった。
「現在は改善されていますか」
「部下への権限委譲を進めております」
「どれくらい?」
「現在、宰相府の直接管理職員は、約十二万人です」
「十二万人へ委譲を?」
「全員へ直接指示するわけではございません」
「それはそうでしょうね」
面接官の声に疲れが滲む。
「直属の管理責任者は、三百二十一名です」
「まだ多いです」
「以前は七百名を超えておりました」
「改善はしている」
俺が口を挟むと。
面接官たちは。
反応に困ったような顔をした。
「如月さんの立場から見て、セレフィナさんの勤務能力はどうでしょうか」
「ゲーム時代の話でいいですか」
「お願いします」
「仕事は完璧です」
俺は答える。
「問題を渡せば、俺が考えている以上の形で解決してくれます」
「高い評価ですね」
「ただ」
セレフィナが、こちらを見る。
「俺のためになると思うと、規模を考えずに全部やります」
「如月さん」
「事実だろ」
「否定はいたしません」
会社の買収。
政府への外交文書。
マンションへの在外公館申請。
社員全員の保護対象化。
全て。
俺のためになると判断して行った。
「命令を守りますか」
「守る」
「指示されていないことを、勝手に行う可能性は」
「非常に高いです」
「如月さん」
「それも事実だろ」
「事前報告を学んでおります」
「最近は」
そこは。
きちんと評価する。
「前より相談してくれるようになりました」
「前とは」
「二日前です」
「改善速度は非常に速いと」
「アステリアでは、数か月経ってますから」
地球側との時間差。
俺たちには二日。
セレフィナたちにとっては。
既に何か月分もの学習期間がある。
「規則を覚えれば、同じ失敗はほとんどしません」
「それは大きな強みですね」
「ただし、新しい抜け道を見つけることはあります」
「抜け道ではなく、御命令の範囲内で最善策を」
「それを地球では抜け道って呼ぶこともある」
面接官の一人が。
《指示遵守能力――要確認》
と記録したのが見えた。
◇
面接は。
予想以上に長く続いた。
「日本語の読み書きは」
「問題ございません」
「使用可能な地球側機器は」
「一般的な情報端末、文書作成、表計算、通信機能を学習済みです」
「学習期間は」
「アステリア時間で七か月」
地球側では。
この面接を申し込んでから。
半日ほどしか経っていない。
「情報管理について」
「業務上知り得た情報を、アステリア政府へ無断で持ち帰ることはいたしません」
「自国政府から提出を求められた場合は」
「日本側との契約内容を確認し、開示可能な範囲を協議します」
「宰相命令として、自分自身へ提出を命じることは」
「利益相反となりますので、別の責任者へ判断を委ねます」
既に。
対策まで考えている。
「地球側勤務中は、日本政府の指示へ従えますか」
「契約範囲内であれば」
「如月さんの指示と、日本政府の指示が対立した場合は?」
面接室の空気が。
僅かに変わった。
セレフィナが。
俺を見る。
「陛下の御命令を優先いたします」
「如月さんです」
「失礼いたしました」
だが。
答えそのものは変えなかった。
「それでは、採用は難しいですね」
人事制度の専門家が。
はっきり伝えた。
セレフィナの表情が止まる。
「日本政府の仕事をする以上、契約と法令に従っていただく必要があります」
「如月さんが、法令に反する命令を出された場合も?」
「俺は出さない」
「仮定の話です」
「出したとしても、従わないでくれ」
俺が言うと。
セレフィナが、こちらを向いた。
「しかし」
「俺を理由に、地球側の決まりを破るなら働けない」
「陛下の御身に関わる場合は」
「本当の緊急時は別」
そこは。
地球側でも認められる場合がある。
「でも」
俺は続ける。
「俺が嫌だと言ったから、政府の仕事を勝手に止めるとか。俺のために情報を持ち出すとか。そういうのは駄目だ」
セレフィナは。
長い間、何も言わなかった。
「難しい?」
「はい」
正直な答えだった。
「私は」
セレフィナが。
自分の手を見る。
「三百年以上、陛下の御意志を国の最上位に置いてまいりました」
「俺はいなかっただろ」
「だからこそです」
俺がいない。
命令もない。
それでも。
建国時の理念。
最後に残した言葉。
俺ならどう考えるか。
それを基準に。
三百年間、国を動かしてきた。
「急に、俺を優先するなと言われても難しいか」
「申し訳ございません」
「謝らなくていい」
俺自身も。
彼女たちへ。
王ではなく一個人として扱えと言っている。
その一方で。
困った時は命令して止めている。
都合がいいのは。
俺の方かもしれない。
「なら」
水城さんが口を開く。
「最初から、日本政府の職員として採用するのではなく」
新しい書類を出す。
「アステリア王国政府から派遣される、正式な連絡官として勤務していただく方法が考えられます」
「日本の職員ではない?」
「はい」
「両国間の窓口?」
「その立場であれば、自国を優先すること自体は問題になりません」
他国の外交官や。
政府代表と同じ。
「ただし、報酬はアステリア王国側から支給されます」
「地球側で働くのに?」
「日本政府との雇用関係ではなくなりますので」
セレフィナが。
少し考える。
「私は、地球側で正当な報酬を受け取ることも学びたいと思っております」
「では」
別の面接官が提案する。
「日本政府からは、制度調査および助言に対する協力費を支給する。連絡官としての給与は、アステリア側が支給する」
「二つの立場を分けるのですね」
「はい」
「それであれば、利益相反も整理しやすくなります」
話が。
採用面接から。
新しい外交制度の設計へ変わっている。
「でも」
俺は口を挟む。
「一番大事な質問が、まだじゃないですか」
「何でしょう」
「志望動機です」
セレフィナが。
僅かに俺を見る。
面接官たちも。
今まで、あえて避けていたのかもしれない。
「セレフィナさん」
水城さんが尋ねる。
「なぜ、地球側の連絡調整業務を希望されたのですか」
「建国王陛下の御側へ」
「それだけなら、不採用でお願いします」
俺は。
答えが終わる前に言った。
セレフィナの目が。
僅かに見開かれる。
「如月さん」
「俺の近くにいるためだけに、政府の仕事を選ぶのは違う」
「しかし」
「ミーナにも言った」
俺の世話をするためではなく。
自分がやりたい仕事を選べと。
「セレフィナ自身が、この仕事をしたい理由は?」
彼女は。
すぐには答えなかった。
三百年以上。
俺を中心に考えてきた。
国を守ることも。
制度を作ることも。
いつか俺が戻る場所を残すため。
だから。
俺を抜きにした志望動機を聞かれて。
言葉が出ない。
「陛下の御側へいたい」
セレフィナは。
もう一度口にする。
「それが私の偽りのない思いです」
「うん」
「ですが」
金色の瞳が。
面接官たちへ向く。
「それだけではございません」
少しずつ。
言葉を選ぶ。
「私は、陛下が七年間を生きられた世界を知りたい」
俺が働き。
暮らし。
一人で生活してきた地球。
「陛下が、今の会社を大切にされる理由を理解したい」
ゲーム世界だけが。
俺の人生ではない。
「そして」
セレフィナは続ける。
「王がおられずとも、国が続く制度を作った私たちが」
国民議会。
地方自治。
法律。
王の命令だけに頼らない国。
「王が御帰還なされたあとも、自分たちで考え続けるために」
一度。
俺を見る。
「地球の制度を学びたいと思っております」
俺を。
再び絶対的な王として戴くだけではない。
俺が帰ってきても。
国民は自分で考える。
議会は意見を持つ。
間違っていると思えば。
王へ反対する。
「地球では」
セレフィナが。
水城さんへ尋ねる。
「統治する者を、民が批判することが認められているのでしょうか」
「はい」
「王や政府の判断を、法によって止めることも?」
「制度上、可能です」
「国民が、統治者を選び直すことも?」
「日本では、選挙によって代表者を選びます」
「我が国にも議会はございます」
だが。
建国王である俺の存在は。
今も特別なまま。
「陛下が正しいと信じるだけの国ではなく」
セレフィナは。
静かに続ける。
「陛下が誤られた時に、止められる国でありたい」
俺は。
その言葉を聞いて。
少しだけ驚いた。
忠誠を誓い。
俺の命令を最優先にすると言った彼女が。
同時に。
俺を止められる国を作りたいと言った。
「そのために」
セレフィナが。
面接官たちへ頭を下げる。
「地球側の制度と、人々の考え方を学ぶ機会をいただきたいと望んでおります」
面接室が。
静かになる。
今度は。
誰もすぐに質問しなかった。
◇
面接終了後。
俺たちは。
別室で結果を待つことになった。
「言いたいことは言えた?」
俺が尋ねる。
「はい」
セレフィナは答える。
「陛下の御側へいたいという理由を、否定されるとは思っておりませんでした」
「ごめん」
「いいえ」
首を横へ振る。
「必要な御指摘でした」
「本当に?」
「私は」
セレフィナが。
窓の外を見る。
「陛下が御帰還なされれば、三百年前と同じように戻れると」
「思ってた?」
「どこかで」
以前と同じ。
俺が命令し。
リゼルが守り。
セレフィナが国を動かし。
ノアが技術を作り。
ミーナが王城を整える。
そんな日々。
「でも」
俺は答える。
「三百年も経ってる」
「はい」
「みんな変わった」
「陛下も」
「俺も?」
「以前より、慎重になられました」
「昔は違った?」
「ゲームであると、お考えでしたので」
兵を動かし。
国境を広げ。
資源を集める。
画面の向こうの人々が。
本当に生きていると知らなかった。
「知らなかったとはいえ」
「御悔やみになる必要はございません」
「でも」
「陛下が築かれた国で、多くの者が生きました」
セレフィナは。
穏やかに笑う。
「完璧ではございません」
「そうだろうな」
「争いも。失敗も。悲しい出来事もございました」
「うん」
「それでも」
金色の瞳が。
俺を見る。
「アステリアを作ってくださったことへ、私は感謝しております」
全てが正しかったわけではない。
間違いがなかったわけでもない。
それでも。
そこに生きた人々がいる。
「だからこそ」
セレフィナが続ける。
「これからの国は、陛下お一人だけで決めるものではございません」
「分かってる」
「本当に?」
「それ、俺が言ってる側だから」
勝手に国民議会の決議を取り消せず。
会社全員の保護指定も止められず。
既に何度も思い知らされている。
「なら」
セレフィナは。
少し楽しそうに微笑んだ。
「私が地球で学ぶことも、陛下だけの御意思では止められません」
「そう来る?」
「自分のために生きよとの、陛下の御命令でございます」
七年前。
俺が最後に残した言葉を。
完璧に返された。
「面接に落ちたら?」
「別の方法を探します」
「勝手に働かないでくれ」
「正式な手続きを行います」
たくましくなった。
本当に。
三百年分。
◇
一時間後。
結果が伝えられた。
「セレフィナ・アルシェリアさん」
「はい」
「日本政府職員としての採用は、現時点では見送ります」
セレフィナの表情は変わらない。
予想していたのだろう。
「ただし」
水城さんが続ける。
「アステリア王国政府派遣連絡官として、受け入れ協議を開始します」
「ありがとうございます」
「同時に、日本政府から、世界間制度調査への特別協力を依頼します」
「謹んで、お受けいたします」
「最初は三日間」
「ミーナと同じ?」
「はい。実際の業務を通じ、問題がないか確認します」
「勤務内容は」
「両国間の連絡文書整理。制度差の確認。通行申請の調整。翻訳内容の監修です」
「陛下の生活支援は」
「業務に含まれません」
「承知いたしました」
少しだけ。
残念そうだった。
「勤務時間は、日本時間午前九時から午後五時」
「物理的に地球側へ滞在するのでしょうか」
「初日は」
水城さんが説明する。
「二日目以降は、正式に許可された投影体の使用を試験します」
以前。
外務省の建物へ、無許可で現れた投影体。
今度は。
事前に場所と時間を決め。
本人確認を行い。
許可された区画だけで使う。
「本体は、アステリア側へ残る?」
「はい」
「それなら、向こうの仕事もできる」
「ただし、投影体で地球側業務を行っている時間は、本体側の行動を制限していただきます」
「二重労働を防ぐためですか」
「同時に二か所で働けば、健康面と勤務時間の管理ができません」
セレフィナが。
少し驚いた顔をする。
「投影体で働いている間、本体が別の仕事を行うことは認められない?」
「日本側から報酬を受ける時間については」
「時間が勿体なくは」
「休んでください」
俺と水城さんの声が重なった。
「セレフィナ」
「はい」
「地球で八時間働きながら、アステリアでも一か月働くつもりだった?」
「可能ですので」
「やめて」
「しかし」
「健康診断を受けさせるぞ」
その言葉で。
セレフィナが黙った。
俺の健康診断で。
王国中が大騒ぎしたばかりだ。
「地球側の労働制度では、休息も仕事の一部として管理します」
水城さんが説明する。
「連絡官として参加する条件です」
「承知いたしました」
少し不満そうだが。
受け入れた。
「初日の勤務は、明日の午前九時からです」
「よろしくお願いいたします」
セレフィナが。
日本政府側の担当者へ深く頭を下げた。
異世界国家の宰相。
地球側での最初の仕事が。
正式に決まった。
◇
翌朝。
セレフィナは。
仮設世界間通行検査室を通り。
日本へ正式に入国した。
服装は。
昨日と同じ黒いジャケット。
胸元には。
日本政府が用意した身分証。
《世界間制度調査・特別協力員》
《セレフィナ・アルシェリア》
「仕事中は、陛下と呼ばないこと」
俺が確認する。
「如月さん」
「よし」
「勤務終了後は」
「好きにして」
「陛下」
「まだ勤務前?」
「開始まで、二分ございます」
「細かいな」
「規則を守っております」
午前九時。
セレフィナの初勤務が始まった。
最初の仕事は。
地球とアステリアの間に溜まっている文書の整理だった。
通行申請。
技術交流。
治癒魔法。
企業からの問い合わせ。
就労希望。
外交上の確認。
俺のマンションに関する安全対策。
書類は。
既に四百件以上溜まっている。
「今日は、分類するだけで構いません」
水城さんが説明する。
「緊急性。担当部署。追加情報が必要なもの。重複しているもの」
「承知いたしました」
「地球側の書類へ不慣れだと思いますので」
「不明点は、必ず確認いたします」
セレフィナが席へ座る。
パソコンを開く。
最初の書類を読む。
二枚目。
三枚目。
速度が。
少しずつ上がる。
十分後。
机の上に。
分類済みの資料が積まれ始めた。
「早くないですか」
「内容に重複がございます」
「どれくらい?」
「企業からの問い合わせ二百三十一件のうち、要望内容は十二種類に分類できます」
「十分で?」
「はい」
更に。
「治癒魔法共同研究に関する文書は、医療、法制度、倫理、費用、情報管理を別々に協議しているため、同一内容への回答が重複しております」
「どうすれば?」
「共同窓口を一つ設け、質問を統合すべきです」
「資料を作れますか」
「既に作成しております」
画面へ。
《地球・アステリア医療技術共同窓口設置案》
が表示される。
「いつ?」
「今」
仕事が速い。
速すぎる。
午前十時。
四百件以上あった書類は。
緊急性。
担当部署。
内容別。
全て整理されていた。
「終わりました」
「まだ一時間ですよ」
「追加の業務をいただけますか」
水城さんが。
困ったように俺を見る。
「俺を見ても」
「アステリアでは、これが普通なのでしょうか」
「セレフィナなら普通です」
「他の人も?」
「役職によると思います」
セレフィナの仕事は。
文書整理だけでは終わらなかった。
アステリア側から届いた表現の誤解。
地球側の制度と合わない要求。
翻訳すると強い命令に聞こえる文章。
一つずつ修正する。
「こちらの文書」
セレフィナが指摘する。
《アステリア王国は、地球側へ王立治癒院の受入れを要求する》
「要求ではなく、協議を求めるという意味です」
「翻訳の問題?」
「アステリア語では、正式な提案を意味する表現です」
「日本語では、かなり強いですね」
「修正いたします」
更に。
《日本政府は、アステリア王国民の地球側通行を当面認めない》
「我が国では、永久的な拒絶と受け取られる可能性がございます」
「安全確認が終わるまで、という意味です」
「期限と再検討条件を明示すべきです」
「確かに」
昨日まで。
一つの文章を送るたびに。
双方が違う意味へ受け取っていた。
セレフィナが間へ入るだけで。
誤解が次々と減っていく。
午後一時。
昼休憩。
「休んでください」
水城さんが言う。
「まだ対応可能です」
「休憩も勤務条件です」
「承知いたしました」
セレフィナは。
用意された休憩室へ移動する。
「陛下」
「勤務中」
「今は休憩中です」
「休憩も勤務時間に入る」
「では、如月さん」
完璧に規則を使い始めている。
「昼食は、何を選ばれたのですか」
「売店の弁当」
「栄養は」
「俺の話じゃなくて、セレフィナは?」
「食事を取らずとも、数日は」
「食べて」
「御命令?」
「地球側で働く先輩としての助言」
セレフィナが。
少しだけ笑う。
「では、従います」
売店で。
自分の協力費から昼食を買う。
金額。
支払い方法。
レシート。
ミーナと同じように。
全てが初めてだった。
「この紙は、提出するのでしょうか」
「自分で買った昼食なら必要ない」
「個人の支出」
「そう」
「自由に使える?」
「ああ」
セレフィナは。
財布の中に残った金を見る。
「これほど小さな行動へ、国の承認を必要としない」
「普通だよ」
「アステリア王国宰相としては、私的支出も警備と財務局へ報告しております」
「大変だな」
「慣れております」
「地球では、自分の金なら自分で決めていい」
セレフィナは。
しばらく売店を見る。
弁当。
飲み物。
菓子。
文房具。
雑誌。
その中から。
小さなノートを一冊選んだ。
「仕事用?」
「個人用です」
「何を書く?」
「地球で学んだことを」
表紙には。
青い空と白い雲が描かれている。
アステリアの宰相が。
初めて。
国の予算でも。
王のためでもなく。
自分のために買った物だった。
◇
午後五時。
セレフィナの初勤務が終了した。
提出された成果は。
文書四百二十七件の分類。
共同窓口設置案、三件。
翻訳表現修正案、百十二件。
制度上の問題点、四十八件。
緊急対応が必要な案件、七件。
更に。
《日本・アステリア間連絡実務暫定手引》
全六百二十ページ。
「一日で?」
水城さんが。
分厚い資料を見る。
「基本部分のみです」
「これが基本?」
「詳細版は、アステリアへ戻った後に作成します」
「休む条件だっただろ」
俺が止める。
「勤務時間外に、日本側の業務を行うことは禁止されておりません」
「それ、抜け道」
「では、追加作業は行いません」
以前なら。
必要だからと勝手に完成させていた。
今回は。
止めれば、すぐに受け入れた。
大きな進歩だった。
「本日の勤務は、いかがでしたか」
水城さんが尋ねる。
「非常に有意義でした」
「明日も参加を希望されますか」
「はい」
「日本政府側としても、継続をお願いします」
実証勤務。
初日は成功。
セレフィナは。
正式な手続きを守り。
自分の能力を示した。
何の問題もない。
はずだった。
◇
セレフィナがアステリアへ帰国してから。
三十分後。
水城さんの端末へ。
大量の通知が届き始めた。
「何ですか」
俺が尋ねる。
「省庁内からの問い合わせです」
「アステリアから?」
「日本側です」
画面を見る。
《経済産業関係部門》
《セレフィナ氏へ、異世界企業制度の整理を依頼したい》
《厚生労働関係部門》
《治癒魔法共同研究制度の設計へ協力を求めたい》
《国土交通関係部門》
《世界間物流制度について意見を聞きたい》
《農林水産関係部門》
《異世界農産物の検疫基準策定へ参加を希望》
《財務関係部門》
《アステリア通貨および税制の説明を依頼》
《法務関係部門》
《異世界人の在留資格制度検討に協力を要請》
「全部、セレフィナを借りたいってこと?」
「そのようです」
更に。
別の通知。
《各部門からの人員要請》
《合計――三十七件》
「まだ一日しか働いてないぞ」
「一日で、三か月分の文書整理を終えましたので」
「三か月?」
「はい」
水城さんは。
嬉しいより。
困っているように見えた。
「問題があります」
「働きすぎ?」
「それもありますが」
画面へ。
新しい資料が表示される。
《セレフィナ・アルシェリア氏受入れ希望部署一覧》
《第一希望――外務関係部門》
《第二希望――内閣官房》
《第三希望――法務関係部門》
《第四希望――財務関係部門》
まだ続いている。
「奪い合いになってる?」
「本人は、アステリア王国の派遣連絡官です」
「日本政府の職員じゃない」
「その説明をしても、会議へ参加してほしいという要望が」
元部下たちは。
地球で働きたいと望んだ。
俺は。
本人たちの意思を尊重しろと言った。
正式な手続き。
正当な報酬。
規則を守ること。
全て揃えた。
その結果。
今度は。
日本政府の各部署が。
異世界の宰相を取り合い始めていた。
「セレフィナ本人は、どう言ってるんですか」
水城さんが。
アステリア側から届いた返答を表示する。
《全ての要望へ対応可能です》
「駄目」
即座に言う。
「勤務時間は一日八時間まで」
《では、各部署へ一時間ずつ》
「八部署以上あるだろ」
《会議時間を短縮します》
「そういう問題じゃない」
更に。
セレフィナから追伸が届く。
《陛下》
《地球側の皆様より仕事を必要とされることは、喜ばしいことでございます》
《私は、まだ働けます》
俺は。
地球側で働き始めた元部下たちへ。
正当な報酬を受け取れと教えた。
次に教えなければならないことも。
どうやら決まった。
「明日の最初の仕事は」
俺は水城さんへ言う。
「セレフィナに、仕事の断り方を教えてください」
異世界国家の宰相は。
三百年分の実務能力を持っていた。
だが。
頼まれた仕事を。
無理だからと断る能力だけは。
まだ身につけていなかった。
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