表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サービス終了したゲーム世界から、元部下たちが現実へ帰ってきた  作者: てへろっぱ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/35

第10話 元侍女が正式採用されたら、日本中の企業が異世界人を欲しがり始めた



《申請者――ミーナ・フェル》


《滞在目的》


《一、建国王レグナ陛下の生活支援》


「一番目から駄目」


 俺は、世界間転移門の向こうにいるミーナへ告げた。


 日本政府へ提出された滞在許可申請書。


 その最初に書かれていた目的が。


 俺の生活支援だった。


「理由を伺ってもよろしいでしょうか」


 ミーナは、王城側の国境管理所で背筋を伸ばしている。


 茶色い猫耳。


 白と黒の侍女服。


 手には、地球側の書式に合わせて作られた申請書の控え。


「俺の世話をするために、わざわざ地球で働く必要はない」


「必要はございます」


「ない」


「陛下の御衣服には、補修を必要とする箇所がございました」


「あれは直してもらった」


「他の御衣服も確認が必要です」


「普通に着られてる」


「冷蔵庫の内部にも、栄養管理上の問題が」


「勝手に開けてないよな」


「開けておりません」


 ミーナの耳が少し下がる。


「前回の御滞在時、陛下が扉を開けられた際に、内部を確認いたしました」


「見ただけ?」


「はい」


 中には。


 飲み物。


 調味料。


 使いかけの野菜。


 コンビニで買った食品。


 それほど変な物は入っていない。


 ただ。


 三百年以上、王城の生活環境を管理してきた者から見れば。


 不十分なのだろう。


「とにかく、俺専属で働くのは認めない」


「陛下」


「何」


「陛下の御許可がなければ、地球側で生活支援を行えないことは理解しております」


 ミーナは。


 静かに申請書を見る。


「ですが」


 顔を上げる。


「地球で働きたいと望むこと自体も、禁じられるのでしょうか」


 俺は答えられなかった。


 三百年前。


 最後に伝えた言葉。


 もう俺の命令を待たなくていい。


 これからは、自分たちのために生きろ。


 その言葉で。


 彼女たちは国を作り。


 仕事を選び。


 自分たちの意思で三百年を生きた。


 俺へ忠誠を誓っている。


 今でも俺を王として扱う。


 それでも。


 一人一人の人生まで、俺の所有物ではない。


「ミーナ自身が、地球で働きたいのか」


「はい」


 即答だった。


「俺のためだけじゃなく?」


 ミーナは。


 少し考える。


「陛下の御側で働きたいという思いが、最も大きいことは否定いたしません」


「正直だな」


「偽りを申し上げることはできません」


 ミーナは続ける。


「しかし、地球の住居管理にも興味がございます」


「こっちの?」


「はい」


「王城と比べたら、小さい建物ばかりだぞ」


「規模が小さいからこそ、一人一人の暮らしへ近い場所でございます」


 王宮生活管理院。


 ミーナが作り上げた組織は。


 王城だけでなく。


 病院。


 学校。


 避難所。


 共同住宅。


 人々が生活する場所を整える仕事をしている。


「地球の方々が、限られた空間と資源をどのように管理しているのか」


 ミーナの尻尾が、ゆっくりと揺れる。


「私は学びたいと思っております」


 俺の部屋を掃除したい。


 食事を作りたい。


 それだけではない。


 彼女自身が。


 地球で新しいことを知りたいと望んでいる。


「分かった」


「陛下」


「一番目の目的は消して」


「消すのですか」


「俺の生活支援は、仕事として契約しない」


 先に線を引く。


「でも、管理会社から正式に依頼された仕事を受けることには反対しない」


 ミーナの耳が立ち上がった。


「本当でございますか」


「日本政府とアステリア側。管理会社。本人。全部が納得した条件なら」


「ありがとうございます」


「ただし」


 ミーナが姿勢を正す。


「はい」


「無給で働かない」


「報酬は必要ございません」


「そこが駄目」


 即座に返す。


「地球で仕事をするなら、地球側の報酬を受け取る」


「私は陛下に仕える者で」


「管理会社に仕事を頼まれるんだろ」


「はい」


「なら、管理会社から給料をもらう」


「しかし」


「対価を受け取らないと、他の人の仕事まで安く扱われる」


 ミーナが黙る。


 彼女が無償で。


 三百年分の技術を提供すれば。


 地球側の清掃業者や管理会社の社員は、太刀打ちできない。


 善意だから無料。


 忠誠だから無料。


 それを認めれば。


 アステリア人は、どれほど働いても金を受け取らなくてよい存在にされるかもしれない。


「自分の仕事には、それだけの価値があると思ってくれ」


 ミーナは。


 自分の手を見る。


「価値」


「三百年以上続けてきた仕事だろ」


「はい」


「堂々と金を受け取っていい」


 猫耳が。


 僅かに震えた。


「陛下より、そのように仰せいただけるのであれば」


 ミーナは深く頭を下げる。


「地球側の決まりに従い、正当な報酬をお受けいたします」


「よし」


「その報酬で、陛下の御食事を」


「俺に使わない」


「まだ何も」


「顔に出てる」


 ミーナの尻尾が。


 ゆっくり背後へ隠れた。


     ◇


 ミーナの申請書は修正された。


《滞在目的》


《一、日本側居住施設の生活環境調査》


《二、管理会社から要請された清掃助言業務》


《三、地球側住民との文化交流》


《四、アステリア王国の生活管理制度研究》


 俺の生活支援は消えた。


 表向きだけ消して。


 実際には勝手に世話をする。


 ということも禁止した。


「滞在場所は?」


 水城さんが確認する。


 場所は。


 マンション一階の仮設世界間通行検査室。


 日本政府。


 管理会社。


 建物所有者。


 アステリア側の担当者。


 俺。


 そして。


 門の向こう側にいるミーナ。


 全員で行われる正式な打ち合わせだった。


「地球側での宿泊は、今回は認めません」


 政府側の担当者が答える。


「日帰り?」


「まずは三日間。午前九時に入国し、午後五時までに帰国していただきます」


「三日」


 ミーナが繰り返す。


「初日は建物設備と清掃方法の確認。二日目は管理会社社員への助言。三日目は試験的な清掃業務です」


「承知いたしました」


「魔法の使用は禁止」


「はい」


「アステリア側の道具を持ち込む場合は、全て事前申告」


「はい」


「入居者の私室へは入らない」


「はい」


「本人の許可なく、身体、所持品、生活情報へ触れない」


「はい」


 細かい条件。


 だが。


 ミーナは一つずつ真剣に聞いている。


「報酬についてです」


 管理会社の長谷川さんが書類を開く。


「正式な雇用ではなく、三日間の試験業務委託として」


「待ってください」


 政府側の労働担当者が止める。


「業務内容や指揮命令関係を考えると、雇用契約の方が適切です」


「異世界人を、日本の会社が雇用できるんですか」


「現行制度をそのまま適用できるかは、検討が必要です」


 国籍。


 在留資格。


 住所。


 銀行口座。


 税金。


 社会保険。


 地球のどの国にも所属していない。


 正確には。


 地球そのものに存在しない国の国民。


「三日間の実証事業として、日本政府側が協力金を支給する方法は」


 別の担当者が提案する。


「雇用とは別に、技術検証への協力者として扱う」


「ミーナが働いた報酬になりますか」


 俺が尋ねる。


「はい」


「金額は?」


「一日当たり三万円」


「高くないですか」


「三百年以上の生活施設管理経験を持つ、国外専門家です」


 国外という表現でよいのかは分からない。


「専門家への調査協力費としては、高額ではありません」


 ミーナは。


 提示された金額を見ても、反応しなかった。


「三万円が、どれくらいか分かる?」


「地球側の通貨であることは理解しております」


「価値は?」


「食事を何回分購入できますか」


「店にもよるけど、三十回以上は」


 ミーナの耳が揺れた。


「一日の仕事で?」


「専門家としての金額だから」


「受け取りすぎでは」


「それだけの経験があると評価されたんだ」


 ミーナは。


 長谷川さんと政府側の担当者を見る。


「私の技術を、そのように評価してくださることへ感謝いたします」


 深く頭を下げた。


 契約書。


 同意書。


 検査。


 身分証明。


 全ての手続きを終え。


 ミーナの三日間の試験業務が決定した。


 勤務開始は。


 翌日の午前九時。


「今日からじゃないのか」


 ミーナが残念そうに尋ねる。


「準備が必要だから」


「私は準備できております」


「地球側の準備」


「では、明日まで待ちます」


 たった一日。


 ミーナにとっては。


 アステリア側で一か月以上に感じるのかもしれない。


「その間、何もしなくていいからな」


「業務計画を作成いたします」


「地球側の建物を勝手に調べずに作れる?」


「前回、許可された範囲で確認した内容だけを使用いたします」


「ならいい」


「清掃道具の申告書も作成します」


「一人分だけ」


「はい」


「王宮生活管理院の職員を、補助として連れてこない」


「はい」


「建物全体の改修計画を出さない」


「助言を求められた場合は?」


「出す前に管理会社と相談」


「承知いたしました」


 以前より。


 会話が早く進む。


 地球側のやり方を。


 本当に覚え始めていた。


     ◇


 翌朝。


 午前八時五十分。


 俺は、マンション一階の通行検査室にいた。


 会社からは。


 一週間の特別休暇を与えられている。


 出勤はできない。


 その代わり。


 政府との協議。


 転移門の安全確認。


 元部下たちの入国対応。


 会社にいる時より忙しい。


「陛下」


 世界間転移門の向こうから。


 ミーナの声が聞こえる。


「本日の入国準備が整いました」


「持ち物は?」


「申告済みでございます」


 検査台へ。


 一つずつ置かれている。


 白い布。


 地球側でも使用可能と確認された清掃用具。


 筆記具。


 記録帳。


 作業用の手袋。


 地球側の安全靴。


 管理会社から貸与された制服。


 そして。


 青い旅券。


「問題ありません」


 アステリア側国境職員が確認する。


 続いて。


 日本政府側も事前情報を確認する。


《通行者――ミーナ・フェル》


《目的――生活環境調査および清掃助言実証》


《滞在時間――八時間》


《魔法使用――禁止》


《就労区域――建物共用部および管理会社指定区域》


 最後に。


 俺が通行を許可する。


「今日は仕事で来るんだから」


「はい」


「俺の侍女じゃなくて、管理会社の協力者」


 ミーナの耳が。


 少しだけ下がる。


「承知しております」


「嫌?」


「陛下へお仕えする者であることを、やめるわけではございません」


「もちろん」


「ただ、地球側では」


 ミーナは。


 管理会社から渡された制服を見る。


「こちらの仕事を、責任を持って行います」


 赤い門を越える。


 日本側へ。


 正式に入国。


 体温。


 心拍。


 所持品。


 身体表面。


 全て異常なし。


「おはようございます」


 ミーナが。


 長谷川さんへ頭を下げる。


「本日より三日間、よろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 管理会社の制服へ着替える。


 紺色の作業服。


 胸元には。


《中央住宅管理・実証協力員》


 と書かれた名札。


 名前は。


《ミーナ・フェル》


 猫耳と尻尾は隠していない。


 だが。


 姿だけなら。


 少し変わった外国人の作業員に見えなくもない。


「似合ってる」


 俺が言うと。


 ミーナの耳が立つ。


「ありがとうございます」


「仕事中は、陛下って呼ばなくていいから」


 耳が下がった。


「それは」


「入居者や管理会社の人が困る」


「では」


 真剣に考える。


「蓮様」


「様も取って」


「蓮」


 ミーナが。


 恐る恐る口にする。


 ゲーム時代も。


 現実で会ってからも。


 彼女が俺を名前だけで呼んだことはなかった。


「呼び捨ては難しい?」


「非常に」


「じゃあ、如月さんで」


「陛下に、地球側の家名を付けて」


「仕事中だけ」


 長い葛藤のあと。


「如月さん」


 声が。


 僅かに震えていた。


「はい」


「本日、よろしくお願いいたします」


「こちらこそ」


 ミーナは。


 恥ずかしそうに顔を伏せた。


 たったそれだけの呼び方が。


 国家儀礼より難しいらしい。


     ◇


 最初の業務は。


 建物全体の確認だった。


 外壁。


 屋上。


 階段。


 廊下。


 エレベーター。


 ゴミ置き場。


 駐輪場。


 消防設備。


 配管。


 電気設備。


 ただし。


 触れる前に管理会社へ許可を取る。


「こちらの扉を開けてもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


「内部へ入っても?」


「危険な設備はありません」


「記録を取ります」


 ミーナは。


 約束を完璧に守っていた。


 魔法を使わない。


 勝手に触らない。


 勝手に直さない。


 気づいたことは。


 全て紙へ書く。


「何か問題がありますか」


 長谷川さんが尋ねる。


「重大な問題はございません」


 ミーナが答える。


「ただし、住民の方が日常的にお使いになる場所について、改善可能な箇所が二百七十一件ございます」


「二百七十一?」


「小さなものを含みます」


 手すりの僅かな緩み。


 雨の日に滑りやすい床。


 夜間に暗くなる場所。


 子供が手を挟む可能性のある扉。


 高齢者には少し高いゴミ置き場の蓋。


 風が強い日に音を出す窓枠。


 事故が起きたことはない。


 苦情も出ていない。


 それでも。


 生活する者の視点で見れば。


 改善できる場所は多い。


「全部直す必要はございません」


 ミーナは続ける。


「危険性と費用を比較し、優先順位を決めるべきです」


「全部アステリア式に変えるとは言わないんですね」


「地球の方が使われる建物でございます」


 長谷川さんの質問へ。


 ミーナは迷わず答える。


「地球側の方法を尊重しなければなりません」


 俺は少し驚いた。


「どうしましたか、如月さん」


「いや」


 昨日まで。


 俺の部屋へ王宮浴場を繋げようとしていた者たちとは思えない。


「随分理解が早いと思って」


「昨夜」


 アステリア時間では。


 一か月以上。


「日本の住宅管理制度、清掃技術、建築基準、事故例、住民対応について学習いたしました」


「一晩で?」


「十分な時間がございました」


 地球とアステリアの時間差。


 新しい制度を覚える上では。


 あまりにも強力だった。


「それと」


 ミーナは少しだけ笑う。


「陛下に、何度も御注意をいただきましたので」


 以前と同じ失敗をしないよう。


 本気で学んだのだろう。


     ◇


 午前十一時。


 ゴミ置き場。


 ミーナは。


 分別表を確認していた。


「燃えるゴミ」


「はい」


「燃えないゴミ」


「はい」


「資源ゴミ」


「はい」


「粗大ゴミ」


「はい」


「アステリアより細かいです」


「向こうでは、どうしてる」


「大部分は再利用いたします」


「魔法で?」


「素材分離術式を使用します」


「今日は使うなよ」


「使用いたしません」


 住民が。


 ゴミ袋を持って近づいてくる。


 昨日。


 ミーナの耳に触れた老婦人だった。


「あら、今日も来たの」


「本日は、管理会社より正式な御依頼を受けております」


「そうなの。良かったわねえ」


 老婦人は。


 自分のことのように喜んでいる。


「この袋は、こちらでよろしいでしょうか」


 ミーナが確認する。


「大丈夫ですよ」


「少々重いようですが」


「瓶が入ってるのよ」


「お持ちします」


「いいの?」


「業務の範囲として許可を得ております」


 ミーナが。


 袋を受け取る。


 見た目以上に重かったらしい。


 だが。


 片手で簡単に持ち上げる。


「力あるのねえ」


「猫人族は、人間種より身体能力が高い傾向にございます」


「便利ねえ」


 老婦人は笑う。


「お昼、一緒に食べない?」


「勤務時間中でございますので」


「休憩時間なら?」


 ミーナが俺を見る。


「俺に聞かず、長谷川さんへ」


「そうでした」


 勤務先の担当者へ確認する。


「昼休憩は自由に過ごして構いません」


「では」


 老婦人へ頭を下げる。


「御一緒させていただきます」


 交流まで。


 申請通り進んでいる。


     ◇


 午後一時。


 建物一階の小さな休憩室。


 ミーナ。


 老婦人。


 管理会社の長谷川さん。


 俺。


 政府側の担当者が一人。


 全員で昼食を取ることになった。


 俺はコンビニの弁当。


 長谷川さんも同じ。


 政府担当者は、サンドイッチ。


 老婦人は。


 自分で作ったおにぎりと煮物。


 ミーナは。


 アステリア側から持ち込んだ食事ではない。


 近くの店で。


 自分の協力金から購入した弁当だった。


「初めて地球のお金を使ったのか」


「はい」


 ミーナが。


 財布からレシートを出す。


「こちらが、購入記録です」


「見せなくていい」


「報告は必要では」


「自分の金だから、自分で管理していい」


 ミーナの動きが止まる。


「私自身で?」


「当然だろ」


「陛下へ使用報告をせずとも?」


「しなくていい」


「王宮生活管理院の予算ではございませんが」


「ミーナ個人の報酬だ」


 まだ。


 完全には理解できていないようだった。


 三百年間。


 国の予算や。


 王城の物資を管理してきた。


 自分一人のために。


 自由に使える金を持つ経験は。


 ほとんどなかったのかもしれない。


「欲しいものを買っていい」


「陛下のための物も?」


「自分の物を先に買って」


「必要な物は全て王国より支給されております」


「地球で使いたい物とか」


 ミーナは。


 少し考える。


 休憩室の端。


 老婦人が持ってきた。


 猫の絵が描かれた小さな布袋を見る。


「あちらは」


「買い物袋」


「猫人族が描かれております」


「普通の猫だと思う」


「少し似ております」


「欲しい?」


 ミーナは。


 すぐには答えなかった。


 やがて。


 小さく頷く。


「一つ、購入してみたいです」


「勤務が終わったら、店を教えるわよ」


 老婦人が笑う。


「ありがとうございます」


 ミーナも笑う。


 報酬。


 仕事。


 自分の欲しい物。


 忠誠や国のためではない。


 彼女自身の生活が。


 少しずつ地球側にも作られ始めていた。


     ◇


 午後三時。


 最初の問題が起きた。


 五階から。


 子供の泣き声が聞こえた。


「どうした?」


 廊下にいた住民が。


 階段の方を見る。


「誰か閉じ込められてる?」


 声は。


 エレベーターの中からだった。


 古い設備。


 扉が途中で止まり。


 中に、小学生くらいの男の子が一人取り残されている。


「管理会社へ連絡を!」


 長谷川さんが。


 すぐに保守会社へ電話を掛ける。


「内部と話せますか」


 ミーナが尋ねる。


「非常通話が繋がります」


 長谷川さんが。


 エレベーター内へ呼びかける。


「大丈夫ですか。今、助けを呼んでいます」


『怖い……』


 子供の声。


 照明は点いている。


 完全に落下したわけでもない。


 ただ。


 扉が開かない。


「到着まで二十分ほど掛かるそうです」


「二十分」


 ミーナの耳が。


 小さく動く。


「魔法を使用すれば、扉を開けられます」


「許可されていません」


 政府担当者が答える。


「緊急時の使用条件は?」


「人命に直結する危険がある場合です」


「現在の危険は」


「保守会社によれば、落下防止装置は作動しています」


 今すぐ。


 命に関わる可能性は低い。


 だから。


 勝手に魔法を使わない。


「承知いたしました」


 ミーナは。


 扉の前へ座る。


 非常通話の近くへ。


「中にいる方」


『誰?』


「私は、ミーナと申します」


『猫の人?』


「はい」


 昨日。


 建物の中で見かけていたのかもしれない。


「救助の方が来られるまで、私がここにおります」


『本当?』


「はい」


「怖くない?」


『怖い』


「では、お話をいたしましょう」


 ミーナは。


 扉を無理に開けない。


 魔法も使わない。


 ただ。


 子供が一人だと感じないよう。


 話し続ける。


「アステリアには、大きな空を飛ぶ鳥がおります」


『ドラゴン?』


「ドラゴンもおります」


『見たことある?』


「何度も」


『怖くないの?』


「初めて会った時は、少し怖かったです」


 嘘ではない。


 王城での出来事。


 猫人族の村。


 空を飛ぶ竜。


 俺が知らない。


 三百年間のアステリアの話。


 子供の泣き声が。


 少しずつ止まっていく。


 二十分後。


 保守会社の作業員が到着。


 安全に扉が開けられた。


 子供が。


 母親へ抱きつく。


 怪我はない。


「ありがとうございます」


 母親が。


 ミーナへ何度も頭を下げる。


「私は何もしておりません」


「ずっと話してくれたから、この子が落ち着けました」


 子供が。


 母親の後ろから顔を出す。


「またドラゴンの話してくれる?」


「機会がございましたら」


 ミーナは。


 柔らかく笑った。


 魔法は使っていない。


 扉も壊していない。


 規則を破ってもいない。


 それでも。


 一人の子供を安心させた。


 生活を守るという仕事は。


 部屋を綺麗にすることだけではない。


 ミーナが。


 三百年の間に作った組織の意味が。


 少しだけ分かった気がした。


     ◇


 午後五時。


 初日の業務が終了した。


 通行検査室で。


 帰国前の確認を行う。


「地球側から持ち出す物は?」


「こちらです」


 ミーナが。


 猫の絵が描かれた布袋を検査台へ置く。


 老婦人と一緒に買ったらしい。


「個人購入品として申告済みです」


「他は?」


「本日の業務記録」


「個人情報は?」


「入居者名および室番号は、地球側に残します」


 持ち帰るのは。


 建物の一般的な構造。


 清掃方法。


 作業の感想。


 アステリア側で研究しても問題のない情報だけ。


「完璧ですね」


 水城さんが答える。


「明日も、同じ条件で入国を認めます」


「ありがとうございます」


 ミーナが。


 管理会社の長谷川さんへ頭を下げる。


「本日は、お世話になりました」


「こちらこそ」


「改善すべき点がございましたら」


「ありません」


 即答だった。


「むしろ、正式な契約について検討したいと思っています」


「正式な?」


「三日間の試験が終わった後です」


 長谷川さんは。


 政府側へ用意した書類を渡す。


《アステリア王国民の短期就労制度創設に関する要望》


「管理会社として、日本政府へ提出します」


「まだ一日目ですよ」


 俺が言う。


「一日で、十分な働き方を確認できました」


 更に。


 建物の住民から。


 新しい要望書が届いている。


《ミーナ氏の継続勤務を希望》


《希望理由》


《共用部が安全になった》


《高齢者へ丁寧に対応してくれる》


《子供にも優しい》


《猫耳が可愛い》


「最後だけ違うだろ」


 俺は思わず突っ込む。


「全て住民の意見です」


 昨日。


 ミーナを呼び戻したいと言っていた人は。


 数人だった。


 今日の終わりには。


 入居者の七割以上が。


 彼女の継続勤務を希望していた。


「ミーナ」


「はい」


「どうしたい」


 俺ではなく。


 彼女自身へ尋ねる。


「地球側での仕事を」


 ミーナが。


 布袋を大切そうに持つ。


「もう少し、続けたいと思っております」


「なら」


 俺は頷く。


「正式な制度ができたら、自分で決めていい」


「陛下の御側へ残っても?」


「仕事としてなら」


「ありがとうございます」


 ミーナは。


 今日一番嬉しそうに笑った。


     ◇


 その日の夜。


 ミーナの試験勤務は。


 日本政府とアステリア王国の共同発表として、限定的に公表された。


《異世界国家との人員通行試験に成功》


《アステリア王国民一名が、日本国内で生活環境管理の実証事業へ参加》


 名前。


 正確な場所。


 俺の住所。


 勤務先。


 それらは伏せられている。


 それでも。


 発表から一時間後。


 外務省には。


 大量の問い合わせが届き始めた。


「如月さん」


 水城さんから電話が掛かってくる。


「何か問題が?」


『問題というより』


 疲れた声だった。


『国内企業から、アステリア王国民の受入れに関する問い合わせが殺到しています』


「どれくらい?」


『現時点で、二千三百社を超えています』


「多すぎません?」


『まだ増えています』


 問い合わせ内容が。


 端末へ表示される。


《建設会社》


《アステリア王国の建築技師との技術交流を希望》


《医療機関》


《王立治癒院との共同研究を希望》


《物流会社》


《空間収納および転移技術の実証を希望》


《農業法人》


《異世界作物の栽培技術について協議を希望》


《食品会社》


《王城料理局との共同開発を希望》


《警備会社》


《近衛騎士団の危機管理教育を希望》


《大学》


《エルフの長期的森林管理研究者を招聘したい》


《金融機関》


《国家財政運営経験百年以上の人材について、面談を希望》


 以前は。


 アステリアの一万二千人が。


 俺の会社へ入社しようとした。


 今度は。


 日本側の会社が。


 アステリアの人材を求め始めている。


「すぐに許可しないでください」


『もちろんです』


「本人たちの意思も確認してください」


『それが最優先です』


「会社に買われるような扱いも駄目」


『雇用条件、権利保護、報酬、在留資格。全て制度を作る必要があります』


 一人の侍女が。


 正式な手続きを守って。


 一日働いた。


 それだけで。


 地球側は。


 異世界の三百年分の技術と経験に。


 本格的な価値を見出し始めていた。


「それと」


 水城さんが続ける。


『アステリア側からも、回答が来ています』


「どんな?」


『地球側企業から届いた人材交流要望について、国内で希望者を募集すると』


「待って」


『既に始まっています』


 画面が切り替わる。


《アステリア王国・地球側就労希望調査》


《募集開始から二十分》


《登録者数――三百八十二万一千四百六十人》


「多すぎる!」


 希望職種。


 研究。


 医療。


 建築。


 農業。


 料理。


 教育。


 警備。


 翻訳。


 事務。


 商業。


 そして。


《地球側居住施設管理》


 その項目には。


 既に三十二万人が登録している。


「どうして生活管理だけで、そんなにいるんだ」


『ミーナさんの働く姿が、アステリア側で報道されたようです』


 画面へ。


 王国側の新聞が表示される。


《王宮生活管理院総監ミーナ・フェル》


《地球で正式な報酬を得る》


《建国王陛下より、自らの仕事の価値を認めよとの御言葉》


 俺が。


 ミーナに言ったことまで。


 国中へ伝わっていた。


《労働には正当な価値がある》


《忠誠や善意を理由に、無償で働くべきではない》


《地球で働く者は、地球側の制度と人々を尊重すること》


 俺が、そこまで立派な演説をした覚えはない。


 だが。


 内容そのものは間違っていなかった。


「アステリアの人たちは、地球に来たら全員俺の近くで働こうとするんじゃ?」


『今回の募集要項では、如月さんの勤務先、居住地、私生活に関係する職種は除外されています』


「そこは学習してる」


『ただし』


 画面の一番下。


《希望勤務地》


《建国王陛下が暮らす国――九十九・七パーセント》


「国単位まで近づいてる!」


 俺の会社へ押しかけることは。


 禁止された。


 自宅の近くへ集まることも。


 禁止された。


 だから。


 日本国内の。


 俺とは直接関係のない職場へ。


 正式な手続きで働きに来ようとしている。


 命令違反ではない。


 本人たちの自由意思。


 日本企業からの需要もある。


 正当な報酬を受け取る。


 規則を守る。


 俺が止める理由は。


 ほとんど残っていなかった。


「如月さん」


 水城さんが。


 静かに尋ねる。


『アステリア王国から、日本へ受け入れる最初の就労者を選ぶ必要があります』


「ミーナ以外に?」


『はい』


「候補は?」


 別の画面が開く。


《地球側企業からの正式面談希望者》


《王立治癒院副院長》


《王立魔導研究院空間技術部長》


《元王国財務大臣》


《王城料理局総料理長》


《王国農業院種子管理官》


《王立学院言語学教授》


《近衛騎士団戦術教官》


 全員。


 三百年後のアステリアを支える。


 最高峰の人材だった。


 更に。


 一番下に。


 見覚えのある名前が表示される。


《申請者――セレフィナ・アルシェリア》


《現職――アステリア王国宰相》


《希望職種――日本政府・アステリア間連絡調整員》


「宰相まで働く気なのか」


 世界間転移門の向こう。


 セレフィナから通信が入る。


《地球側の制度を学ぶため、必要な役目です》


「アステリアの仕事は?」


《地球時間で八時間滞在した場合でも、我が国では一か月以上経過いたします》


「両立できるの?」


《十分に可能です》


 地球で一日働き。


 アステリアへ戻れば。


 次の出勤までに。


 一か月以上。


 宰相として仕事ができる。


 時間差まで考えれば。


 むしろ。


 地球側で働くことは難しくない。


《陛下》


 セレフィナが。


 穏やかに微笑む。


《面接を受けてもよろしいでしょうか》


「俺の許可が必要?」


《国王としてではなく》


 一度。


 言葉を区切る。


《地球で先に生活しておられる方として、御意見を伺いたく存じます》


 元部下たちは。


 勝手に押しかけることをやめた。


 命令の抜け道を探すこともやめた。


 地球側の規則を学び。


 許可を取り。


 働く意思を示し。


 正当な報酬を求め。


 面接を受けようとしている。


「受けるだけなら」


《ありがとうございます》


「採用されたら、ちゃんと雇用条件を確認して」


《はい》


「嫌な仕事なら断っていい」


 セレフィナが。


 少しだけ驚いた顔をする。


「俺のためじゃなく」


 続ける。


「セレフィナ自身がやりたいかどうかで決めてくれ」


 彼女は。


 しばらく何も言わなかった。


 やがて。


 三百年前と変わらない。


 優しい笑みを浮かべる。


《陛下の御言葉、確かに承りました》


 その夜。


 日本政府は。


 異世界国家の宰相を。


 臨時連絡調整員として採用できるか。


 本気で検討を始めた。


 そして。


 アステリア王国では。


 地球へ働きに行くための。


 履歴書作成講座が。


 王都全域で開かれていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


続きが気になる、面白かったと思っていただけましたら、ページ下部からブックマークと評価で応援していただけると嬉しいです。


皆さまの応援が、今後の更新の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ