第6話 健康診断を受けただけなのに、王国で非常事態になった
《佐藤様の御息女についてです》
《長期間、地球側の治療を受けている疾患があるとのこと》
《治癒魔法による対応が可能か、相談を希望されています》
セレフィナから届いた連絡を見て。
俺は、すぐには返事ができなかった。
佐藤課長は助かった。
まだ完全に危険を脱したわけではないが、心臓の状態は安定している。
その結果を知った家族が。
今度は、長く病気を抱えている娘について相談したいと考えた。
当然の流れなのかもしれない。
目の前で。
地球には存在しなかった治癒魔法が、人の命を繋いだ。
自分の家族にも使えないか。
そう思わない方がおかしい。
「陛下」
リゼルが、俺の手元に浮かぶ通信画面を見る。
「御返答を」
「俺が決めていい話じゃない」
「セレフィナは、陛下の御許可を求めております」
「相談を受けることまで、俺の許可が必要なのか」
「地球側の方へ治癒魔法を使用することになります」
アステリアでは。
王立治癒院が、治療の可否を判断していた。
それでも。
地球側に対して。
初めて本格的な治癒を行うとなれば、国家間の問題になる。
「相談を受けるだけなら、止めなくていい」
俺は返信する。
《まず地球側の医師と話してください》
《治せると約束はしないこと》
《本人と家族へ、できることと危険性を全部説明すること》
送信。
すぐに返事が届いた。
《承知いたしました》
《御本人の治療歴および現在の状態を、地球側医師と共同で確認いたします》
治せるかもしれない。
治せないかもしれない。
治癒魔法を使うことで。
地球側の治療へ悪影響を与える可能性もある。
期待だけを持たせるわけにはいかない。
「これでいい」
「はい」
リゼルは頷いた。
だが。
その視線は、俺の顔から離れない。
「何だ」
「陛下御自身の健康確認が、まだでございます」
「今、その話をする?」
「佐藤様の御息女について御相談を受けるのであれば、地球人に対する治癒魔法の安全性を確認しなければなりません」
「それと俺の健康診断が、どう繋がるんだ」
「最初の検査対象は、陛下と決定しております」
「誰が決めた」
「先ほど、陛下御自身が了承なされました」
逃げ道がなかった。
確かに。
検査だけなら受けると言った。
「今日じゃなくてもいいだろ」
「一刻を争います」
「普通に立ってる」
「立っていることと、健康であることは異なります」
リゼルは譲るつもりがない。
会社の応接室にいた政府側担当者も。
俺の健康診断を行うことには賛成していた。
「地球側の検査設備が整いました」
水城さんが端末を確認する。
「移動先は、政府の医療研究施設です」
「もう準備したんですか」
「異世界側の医療技術について、安全性を確認する必要がありますので」
「俺は実験台?」
「強制ではありません」
言葉は丁寧だ。
だが。
周囲にいる全員が。
受けないという選択肢を認めていない顔をしていた。
「分かりました」
諦める。
「検査だけです」
「御意」
「勝手に治療しない」
「緊急性が確認された場合は」
「まず地球側の医師と相談」
「承知いたしました」
「寿命は調べない」
リゼルが少し黙る。
「表示しないだけじゃなくて、調べない」
「必要な情報が不足する可能性がございます」
「それでも」
「……御意」
明らかに不満そうだった。
◇
政府の医療研究施設へ到着したのは。
午後五時を過ぎた頃だった。
会社を訪れ。
政府と話し。
佐藤課長が倒れ。
治癒魔法について協議し。
気づけば。
一日が終わろうとしている。
昨夜。
リゼルたちが現れてから。
まだ二十四時間も経っていない。
「会社員の一日じゃないな」
車を降りながら呟く。
「陛下が会社員であることの方が異常でございます」
「まだ言うのか」
「御意思は尊重いたします」
リゼルが続ける。
「理解しているわけではございません」
正直だった。
施設の入口では。
複数の医師と研究者が待っていた。
異世界の治癒魔法を、初めて地球人へ本格的に検証する。
研究者たちが緊張するのも分かる。
俺は。
世界初の異世界医療被験者になろうとしていた。
「如月蓮さんですね」
先ほど会社にいた黒田医師が、こちらへ歩いてくる。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
「先に確認します。検査は御本人の自由意思で受けられますか」
「はい」
周囲を見る。
リゼル。
ノア。
政府関係者。
全員が俺を見ている。
「たぶん」
「嫌であれば、中止できます」
「受けないと、リゼルたちが納得しないので」
「陛下」
リゼルが悲しそうな顔をする。
「強制しているつもりはございません」
「受けないと言ったら?」
「御納得いただけるまで、必要性を御説明いたします」
「それを強制に近いって言うんだ」
黒田医師が記録用紙へ何かを書き込む。
「一応、御本人は同意していると」
「はい」
「アステリア側からは、どなたが検査を担当しますか」
「私が行う」
ノアが手を上げる。
「セレフィナさんではなく?」
「セレフィナは病院」
「ノアさんは、医療の専門家ですか」
「魔導工学と生命構造解析が専門」
「治癒魔法を使うことは」
「簡単なものなら」
ノアが胸を張る。
「陛下の身体を勝手に変えないでください」
リゼルが釘を刺す。
「分かってる」
「以前、陛下の装備重量を軽減するため、許可なく骨格補助術式を試しました」
「二百九十八年前の話」
「私は忘れておりません」
「成功した」
「陛下がおられない間に、陛下の装備を使った実験をしたことが問題です」
「壊してない」
二人の間で。
三百年分の知らない話が出てくる。
「俺の装備、まだ残ってるのか」
「王国の最重要国宝として保管しております」
「使って実験したの?」
「保全研究」
「俺がいたら止めたと思う」
「だから、いない間にした」
「堂々と言うな」
黒田医師が。
更に何かを記録へ加えていた。
この国を。
本当に友好的な相手として扱っていいのか。
少し疑われている気がする。
◇
最初は。
地球側の一般的な健康診断だった。
身長。
体重。
血圧。
血液検査。
心電図。
画像検査。
問診。
「平均睡眠時間は」
「五時間くらいです」
問診を担当する医師の手が止まる。
「休日は?」
「六時間くらい」
「日中、眠気はありますか」
「あります」
「食事は」
「朝は食べないこともあります」
隣で聞いていたリゼルの顔が。
少しずつ険しくなる。
「昼は会社の近くで」
「夜は?」
「コンビニか、簡単に作って」
「野菜は」
「食べる時もあります」
「毎日ではない?」
「はい」
医師が記録する。
リゼルが。
小さな声で確認する。
「陛下」
「何」
「昨夜の食事は」
「カップ麺」
「その前は」
「弁当」
「一昨日は」
「覚えてない」
リゼルが、ゆっくり目を閉じた。
怒っている。
「地球では普通の範囲だから」
問診を担当していた医師が。
少し困った顔で答える。
「珍しくはありませんが、改善した方がいい生活習慣です」
「ほら」
「普通とは申されておりません」
リゼルが即座に言い返す。
「珍しくないだけでございます」
医師が。
申し訳なさそうに頷いた。
「その通りです」
味方がいない。
地球側の検査が終わったあと。
今度は、アステリア側の診断を行うことになった。
広い検査室。
中央に椅子が置かれている。
床には。
ノアが設置した、薄い金属板と小さな結晶。
地球側の研究者たちは。
透明な壁の向こうから様子を観察している。
「本当に三分で終わるんだな」
「通常は」
「通常じゃない場合は?」
「陛下だから、詳しく見る」
「三時間掛ける気じゃないだろうな」
「必要なら」
「三分で終わらせて」
椅子へ座る。
ノアが俺の前に立つ。
「目を閉じて」
「何か感じる?」
「温かいかもしれない」
目を閉じる。
床の結晶が光った。
足元から。
柔らかな熱が昇ってくる。
痛みはない。
体の中を。
風が通り抜けていくような感覚。
「解析開始」
ノアの声。
周囲へ、何十枚もの画面が浮かぶ。
自分の身体の内側が。
細かな光として表示されている。
「心臓、正常」
ノアが読み上げる。
「肺、軽い負担」
「負担?」
「今すぐ問題になるものではない」
黒田医師が、地球側の検査結果と比較する。
「こちらの検査結果とも一致しています」
「肝臓、少し疲れてる」
「肝臓が疲れるって言い方するのか」
「地球の言葉に合わせた」
「胃、炎症が少し」
「病気?」
「食事と休息を改善すれば、治る範囲」
地球側の医師も頷く。
珍しい結果ではない。
働いている成人なら。
同じような状態の人間は、いくらでもいるだろう。
「首、肩、腰」
ノアが。
眉を寄せる。
「負担が蓄積してる」
「座り仕事だから」
「筋力不足」
「急に厳しいな」
「事実」
リゼルの顔が、更に険しくなる。
「陛下は、慢性的な苦痛に耐えておられるのですか」
「苦痛ってほどじゃない」
「痛みはございますか」
「肩が凝るくらい」
「存在するのですね」
「会社員なら普通」
「その言葉を使用するたび、問題が増えております」
リゼルの指摘は正しかった。
「血液、軽度の栄養不足」
「食事の改善」
地球側の医師が記録する。
「筋肉量、最低限」
「最低限って」
「生存には十分」
「言い方」
「戦闘には不十分」
「戦わないからいい」
「逃走にも不十分」
「何から逃げるんだ」
「敵」
「日本に敵はいない」
「現在は」
「リゼルと同じことを言うな」
ノアは真剣だった。
地球側の検査と。
アステリア側の診断。
結果は大きく違わない。
軽い睡眠不足。
運動不足。
食生活の偏り。
肩や腰への負担。
すぐに命へ関わるような問題はない。
「健康じゃないか」
「健康ではない」
ノアが即答する。
「致命的な問題がないだけ」
「地球側では、そういうのをだいたい健康って」
「言わない」
黒田医師も否定した。
「要改善ですね」
「会社の健康診断でも、似たようなことを言われてます」
「改善しましたか」
「少しは」
「どのあたりを?」
答えられなかった。
「陛下」
リゼルの声が。
明らかに低くなっている。
「後で話そう」
「今、伺います」
「検査中だから」
「検査が終了した後、詳細に伺います」
逃げられないらしい。
「次、生命力」
ノアが。
空中の画面を切り替える。
「地球人の基準がない」
「比較できない?」
「普通の人間種の基準を使う」
新しい数値が表示される。
《総合生命力――基準値七十一パーセント》
ノアの動きが止まった。
「何?」
「低い」
「さっき命に関わる問題はないと言っただろ」
「肉体は」
「肉体は?」
ノアが画面を拡大する。
人の形をした光。
その周囲に。
薄い靄のようなものが広がっている。
「魂が疲れてる」
「魂にも疲労があるのか」
「ある」
「治る?」
「普通なら、長く休めば」
「なら休めばいい」
「でも」
ノアは。
別の表示を開いた。
《魂体接続状況》
《肉体――地球側個体》
《世界管理情報――アステリア側》
《接続継続時間――三百二年》
検査室が静まり返る。
「三百二年?」
「陛下の身体は七年しか経ってない」
ノアが。
俺を見る。
「でも、魂の一部はずっとアステリアに繋がってた」
サービス終了後。
俺は。
ゲームとの接続が切れたと思っていた。
パソコンを閉じ。
普通に生活していた。
それでも。
目には見えない何かが。
三百年間。
アステリアとの間に残っていた。
「危険なのか」
「分からない」
「切れる?」
「切ると、もっと危険かもしれない」
「どっちだよ」
「調べる」
ノアが。
初めて、焦った表情を見せていた。
「第七系統を追加」
「何の系統?」
「世界間接続」
床の結晶が。
今までより強く光る。
「ノア」
リゼルが止める。
「陛下への負担は」
「ない」
「確実ですか」
「たぶん」
「中止してください」
リゼルが即座に命じる。
「陛下への負担が完全に確認できぬ検査は、認められません」
「でも調べないと」
「まず停止を」
「待って」
俺は二人を止める。
「痛くはない」
「しかし」
「危険なものかもしれないなら、確認した方がいい」
リゼルは納得していない。
「少しでも異常があれば止める」
「……御意」
ノアが検査を続ける。
光が。
俺の身体の周囲へ集まる。
空中に。
見覚えのある形が現れた。
赤い縦線。
俺のマンションに開いている。
世界間転移門と同じ形。
「門?」
「違う」
ノアが。
画面を操作する。
「門の入口じゃない」
「なら何だ」
「座標」
俺の身体。
正確には。
魂と呼ばれる部分の中心に。
アステリア側の座標が刻まれている。
「世界間転移門は、陛下の部屋に固定されたのではございませんか」
リゼルが尋ねる。
「違う」
ノアが断言した。
「最初に陛下を見つけた場所だから、部屋に開いただけ」
「では」
「本当の接続先は」
ノアが。
俺を指差す。
「陛下」
全員の視線が集まる。
「俺?」
「陛下が移動すれば、門も移動できる」
「今、マンションに開いてる門は?」
「一時的な出口」
「閉じるのか」
「陛下が長く別の場所にいれば、出口を作り直す」
俺は。
検査室の壁を見る。
「ここに?」
「可能性が高い」
地球側の研究者たちが。
一斉に動き始めた。
政府関係者が。
通信端末で、どこかへ連絡を始める。
「待ってください」
水城さんが。
今までで一番真剣な顔をしていた。
「如月さんが移動するたび、異世界への門が開く可能性があるということですか」
「長く滞在した場所」
ノアが訂正する。
「どれくらい滞在すれば?」
「分からない」
「勤務先にも?」
「陛下が毎日いるなら」
「会社に門が開くかもしれない?」
「ある」
俺が会社へ戻り。
長時間働けば。
アステリアへの門が。
会社の壁に開く可能性がある。
「自宅のマンションを買収しようとした意味がなくなるな」
俺が呟く。
「いいえ」
リゼルが即座に答える。
「陛下が御滞在になる場所を、全て確保すればよいのです」
「買う場所を増やすな」
「会社も含め」
「絶対に駄目」
「では、陛下の御移動を制限する必要が」
「それも駄目」
会社を守るために。
俺を一か所へ閉じ込めようとする発想になっている。
「門が勝手に開かないようにできないのか」
ノアが考える。
「調整装置が必要」
「作れる?」
「材料があれば」
「どれくらい掛かる」
「最短で三日」
三日。
それまでは。
俺が長く滞在した場所へ。
新しい門が形成される可能性がある。
「今夜は自宅へ帰った方がいいですね」
水城さんが言う。
「門の位置を動かさないために」
「そうします」
「安全確認が終わるまで、政府側の職員も同行します」
「部屋が狭いです」
「廊下または別室で待機します」
マンションの住民に。
また説明が必要になる。
「検査は終わり?」
「肉体の検査は」
ノアが答える。
「接続は、もっと調べたい」
「今日はここまで」
リゼルが言い切る。
「陛下には休息が必要です」
「珍しく正しい」
「常に陛下にとって正しい判断をしております」
「マンション百八十億円は?」
「安全確保のため、正しい判断でございました」
自信は揺らがなかった。
◇
検査結果は。
地球側とアステリア側で共有された。
ただし。
俺の許可なく、全てを公開しない。
会社へは。
すぐに命へ関わる問題はなかったことだけを伝える。
そう決めた。
決めたはずだった。
「陛下」
帰る準備をしている時。
リゼルの通信具が。
激しく光り始めた。
「どうした」
「王都より、緊急連絡です」
「何かあった?」
空中へ。
アステリア王城の映像が開く。
大勢の文官。
騎士。
治癒師。
料理人。
全員が走り回っていた。
遠くでは。
巨大な鐘が鳴っている。
「何の鐘?」
「国家緊急警報でございます」
「どうして?」
画面の中央に。
大きな文字が表示されていた。
《建国王陛下健康上の重大懸念を確認》
「誰が重大懸念って言った!」
「生命力七十一パーセントとの速報が」
ノアが目を逸らす。
「送ったの?」
「詳細解析用に、研究院へ」
「緊急って付けた?」
「早く調べる必要があった」
研究院へ届いた情報。
《建国王陛下》
《生命力、基準値の七十一パーセント》
《慢性的栄養不足》
《長期睡眠不足》
《複数部位に継続的負担》
《魂体へ三百二年間の接続疲労》
嘘は。
何も書かれていない。
だが。
受け取った側から見れば。
三百年ぶりに帰還した建国王が。
深刻な状態にあるようにしか見えない。
「すぐに訂正してくれ」
セレフィナから通信が入る。
《陛下!》
病院にいるはずなのに。
普段の冷静さが完全に消えていた。
《御身体に、重大な異常が確認されたと》
「重大じゃない」
《生命力が三割近く失われております》
「アステリア側の基準だろ」
《三百年以上にわたり、魂へ負担が》
「今すぐ死ぬような問題じゃない」
《御食事も十分ではなく、睡眠も》
「それは改善する」
《直ちに王立治癒院へ》
「行かない」
《陛下》
「地球側の医師も、すぐに治療が必要とは言ってない」
セレフィナは。
明らかに納得していない。
「佐藤課長の家族の対応を優先してくれ」
《しかし》
「俺の方は、本当に大丈夫だから」
《陛下は、常にそのように仰せになります》
反論できなかった。
《せめて、今夜だけでも十分な休息を》
「それは約束する」
《御食事は》
「ちゃんと食べる」
《王城料理局よりお運びします》
「一人分だけ」
《承知いたしました》
珍しく。
条件を付けずに受け入れた。
だが。
王都の混乱は止まらない。
《国民議会、緊急招集》
《建国王健康回復特別予算を審議》
《王立治癒院、地球派遣要員を選定》
《王城料理局、三十日分の献立作成》
《王国軍、陛下への睡眠妨害要因を調査》
「最後の軍は止めて」
リゼルが。
すぐに指示を送る。
「陛下の御休息を妨げる者の調査は、近衛騎士団が」
「引き継がなくていい!」
「では、誰が」
「誰も調べなくていい」
「睡眠不足の原因を解決しなければ」
「俺が早く寝る」
「それだけでございますか」
「スマートフォンも寝る前は見ない」
「スマートフォンが陛下の睡眠を妨害している?」
リゼルの視線が。
俺の手元へ向く。
スマートフォンを守るように。
反射的に胸元へ引いた。
「没収しないでくれ」
「検討いたします」
「決めるのは俺だ」
「では、御自身で使用時間を制限なさってください」
「分かった」
国家元首ではなく。
親に注意される子供のようになっていた。
「今日の検査結果について」
水城さんが。
真剣な顔で俺を見る。
「アステリア側へは、正確な説明を改めて行いましょう」
「お願いします」
「ただし」
「何ですか」
「地球側の医師としても、睡眠と食事は改善してください」
「はい」
そこだけは。
素直に受け入れるしかなかった。
◇
施設を出ようとした時。
外は既に暗くなっていた。
政府が用意した車で。
自宅へ戻る。
その予定だった。
しかし。
正面玄関の前に。
大型トラックが何台も停まっている。
「何ですか、あれ」
荷台には。
大量の箱。
机。
椅子。
寝具。
調理器具。
食材。
水城さんが。
配送担当者へ確認する。
「アステリア王国から、如月さん宛ての物資だそうです」
「一人分って言ったよな」
リゼルが通信を確認する。
「御食事は一人分でございます」
「他は?」
「寝具、調理設備、空調、運動器具、栄養管理設備、緊急治療設備です」
「部屋に入らない」
「そのため」
リゼルが続ける。
「マンションの隣室を、一時的に借りる交渉を」
「止めて」
「購入ではございません」
「借りるのも駄目」
「では、政府施設へ設置を」
「俺は自宅へ帰る」
水城さんが。
トラックの台数を見る。
「必要な物だけ、選びましょう」
「何もいりません」
「寝具は改善した方がいいのでは」
「政府側まで乗らないでください」
最終的に。
一人分の夕食。
地球側の規格に合う、小さな枕。
栄養状態を記録する腕輪。
その三つだけ受け取ることになった。
「腕輪は必要?」
「装着は任意です」
ノアが答える。
「勝手に送信しない?」
「陛下が許可した情報だけ」
「どこへ送る」
「陛下の端末」
「アステリアへは?」
「送らない」
「本当に?」
「約束する」
少し迷ったが。
受け取ることにした。
ノアも。
地球側のやり方を学ぼうとしている。
全て拒否するのも違う気がした。
◇
午後九時四十六分。
政府の車は。
俺のマンションへ向かっていた。
あと十分ほどで到着する。
その時。
ノアが突然、顔を上げた。
「止めて」
「何?」
「車を止めて」
運転手へ伝え。
安全な場所へ車が停まる。
「どうした」
「門が動いてる」
「マンションの?」
「違う」
ノアが。
車の壁へ手を当てる。
細い赤い線が。
何もなかった場所に浮かんでいる。
「ここに開くのか?」
「車は動いてたから、固定されない」
赤い線が消える。
「では、どこに?」
ノアが。
後方を見る。
俺たちが、何時間も滞在した場所。
政府の医療研究施設。
「施設」
水城さんが、すぐに連絡を取る。
数秒後。
研究施設から映像が届いた。
俺が検査を受けた部屋。
中央の壁に。
赤い縦線が浮かんでいる。
線は。
少しずつ広がっていく。
人が通れる大きさへ。
世界間転移門。
「閉じられますか」
水城さんが尋ねる。
「陛下が離れれば、不安定になる」
ノアが答える。
「でも一度、出口を作り始めた」
研究施設の職員たちが。
部屋から避難する。
政府側の警備が。
扉の前へ配置される。
門の向こう側が。
少しずつ見え始めた。
アステリア王城。
巨大な広間。
そして。
門の前に整列している。
何百人もの治癒師。
料理人。
騎士。
文官。
全員が。
こちらの出口が開く瞬間を待っていた。
「どうして、あんなにいる」
リゼルが。
少し誇らしそうに答える。
「陛下の御健康回復を願う、緊急支援団でございます」
「誰も通すな!」
俺の命令が。
通信越しに王城へ届く。
門の前にいた全員が。
一斉に片膝をついた。
「御命令、承知いたしました!」
誰も。
門を越えようとはしなかった。
そこは守られた。
だが。
門の向こう側。
治癒師たちの後ろには。
更に大勢の国民が集まっている。
王都だけではない。
地方からも。
種族も。
年齢も違う人々が。
俺の体調を心配して。
食料。
薬。
寝具。
手紙。
自分たちが用意できるものを持ち寄っていた。
「陛下」
リゼルが。
静かに言う。
「誰も、陛下へ御迷惑を掛けたいわけではございません」
「分かってる」
「皆、陛下が生きておられることを」
一度。
声が震える。
「今度こそ、失いたくないのです」
三百年間。
待ち続けた。
ようやく見つけた。
その翌日に。
俺の生命力が低下していると聞かされた。
過剰反応するなという方が。
彼らにとっては難しいのかもしれない。
「皆へ伝えてくれ」
「何と」
「俺は大丈夫だって」
「陛下御自身の御言葉で、お伝えください」
門の向こう。
何千人もの視線が。
俺を待っている。
俺は。
車内から通信を繋いだ。
「心配してくれて、ありがとう」
自分の声が。
王城へ響く。
「検査では、すぐに命へ関わる問題はなかった」
集まっていた人々から。
安堵の声が漏れる。
「睡眠不足と、食生活は注意された」
料理人たちの目が光った。
「だから、そこは自分で改善する」
先に言う。
「食事や寝具を送ってくれる気持ちはありがたい。でも、俺の部屋には入らない」
何人かが。
明らかに残念そうな顔をする。
「それと」
何を言えば。
彼らを安心させられるのか。
少し迷う。
「今日は、ちゃんと食べて。八時間寝る」
王城が。
一瞬静かになった。
次の瞬間。
大歓声が上がった。
「陛下が御休息を!」
「八時間もの御睡眠を!」
「料理局へ伝えろ!」
「王都の鐘を鳴らせ!」
「国民議会へ御報告を!」
「待って。報告しなくていい」
遅かった。
王都の巨大な鐘が。
一斉に鳴り始める。
緊急警報とは違う。
祝い事を知らせる鐘。
《建国王陛下》
《本日八時間の御休息を宣言》
《王都全域へ公布》
「睡眠時間を公布するな!」
俺の声は。
鳴り響く鐘と。
三百年ぶりに安心した国民の歓声に。
完全にかき消されていた。
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