第3話 会社を辞めないと言ったら、元部下たちが全員入社しようとした
「その看板を設置するな!」
俺の声が、早朝のマンションとアステリア王城へ同時に響いた。
世界間転移門の向こう。
巨大な看板を運んでいた文官たちが、一斉に動きを止める。
《アステリア王国・地球臨時大使館》
金色の文字で書かれた看板は、俺の部屋の壁より大きかった。
どうやってこちら側へ出すつもりだったのか。
そもそも出したところで、一階の入口にも屋上にも設置できない。
「陛下から中止の御命令です」
セレフィナが門の向こうへ告げる。
文官たちは迷わず頭を下げた。
「承知いたしました!」
返事だけは素晴らしく早い。
看板が運び去られていく。
安心したのも束の間。
別の文官たちが、今度は少し小さな看板を持って現れた。
《アステリア王国・建国王地球御滞在所》
「それも駄目!」
「陛下。大使館ではございません」
セレフィナが説明する。
「名称の問題じゃない」
「では、どのような名称であれば」
「何も設置しなくていい」
「所在を明示しなければ、地球側で陛下をお訪ねになる方々が迷われます」
「訪ねてこなくていいんだよ」
朝の六時台。
このマンションには、普通に眠っている住民がいる。
異世界の国家元首を訪ねる行列など作られたら、全員出ていくことになる。
「門の向こうにいる人たちにも伝えてくれ。今日は誰もこちらへ来ないように」
リゼルが僅かに眉を寄せる。
「陛下の警護もでしょうか」
「部屋に三人いる時点で十分だろ」
リゼル。
セレフィナ。
ノア。
三百年前から知っている三人が、既に俺の部屋へいる。
「カルロたちは?」
「財務と地球側資産の管理に必要です」
「一度帰ってもらってくれ」
床へ正座していたカルロが、静かに頭を下げた。
「陛下の御命令とあらば」
「マンションの購入交渉も止めてください」
「保留ではなく、中止でございましょうか」
「中止」
明確に答える。
カルロの表情が、ほんの少し曇った。
「承知いたしました」
納得はしていない。
それでも、正式な命令には従うらしい。
管理会社の長谷川さんと、所有者の小野寺さんにも改めて謝る。
「本当にすみません。売買の話はなかったことにしてください」
「如月さん」
小野寺さんが、名残惜しそうに口を開く。
「先方は、金額について再検討も可能だと」
「再検討しなくていいです」
「百八十億円以上になる可能性も」
「だから止めてください」
売る側からすれば、人生で二度とない機会だろう。
俺が所有者でも、簡単には諦められない。
しかし。
俺が住んでいるという理由だけで、古いマンションが百八十億円になるのはおかしい。
世界間転移門の価値が含まれているとしても。
その門が、いつまでこの場所に存在するかも分かっていない。
「今後のことは、日本政府とも相談してから決めます」
外務省という言葉を出すと。
二人とも、それ以上は強く言わなかった。
「では、売買の件は一旦白紙ということで」
長谷川さんがまとめる。
「お願いします」
「ただし、世界間転移門については、管理会社としても確認が必要です」
「分かっています」
壁を壊したわけではない。
だが、部屋の中に別世界へ続く穴が開いている。
賃貸契約で想定されている使い方ではない。
「それと」
長谷川さんが、言いにくそうに廊下を見る。
「他の入居者から、昨夜から廊下で甲冑の音がするという連絡が入っておりまして」
リゼルが僅かに視線を逸らした。
「もう音は出さないようにします」
「可能であれば、その銀色の方には、建物内で鎧を」
「脱げというのですか」
リゼルの声が低くなる。
長谷川さんの肩が跳ねた。
「リゼル」
「しかし、陛下。即時戦闘へ移行できぬ状態で、御側へ控えることは」
「日本で、すぐ戦闘になることはない」
「昨夜、陛下の御居所へ複数の不明な足音が接近いたしました」
「上の階の住民だと思う」
「確証はございません」
「毎日同じ時間に帰ってくる人だから」
リゼルは納得していない。
それでも、長谷川さんを怯えさせたことには気づいたらしい。
「鎧の音については、対策いたします」
「お願いします」
リゼルが胸元へ触れる。
白銀の鎧が淡い光に包まれた。
金属の装甲が消え。
代わりに、白いシャツと黒いズボンのような衣服へ変わる。
形だけなら、地球でも目立たない。
ただし、腰の剣は残っていた。
「剣も」
「これだけは、お許しください」
「外から見えないようにできる?」
「可能です」
剣が透明になった。
触れば存在するらしいが、見た目だけなら何も持っていない。
長谷川さんが、現実を受け入れることを諦めたような顔になる。
俺も似たようなものだった。
◇
午前七時二十二分。
外務省の車両が到着した。
黒い車が二台。
その前後に、警察車両までいる。
マンションの前に集まっていた住民たちが、窓やベランダから様子を窺っていた。
「何か事件ですか」
一階まで下りると、隣の部屋に住む老婦人から声を掛けられた。
「少し、役所の人と話すだけです」
「警察まで来てるけど」
「安全確認みたいなものです」
嘘ではない。
説明が足りないだけだ。
俺の後ろには。
銀髪のリゼル。
金髪で長い耳を持つセレフィナ。
頭に小さな角があるノア。
三人が並んでいる。
全く普通ではない。
「外国の人?」
「かなり遠いところから来ました」
異世界とは言えなかった。
「綺麗な人たちねえ」
老婦人が笑う。
リゼルは、どう反応すればいいのか分からず俺を見る。
「褒められてる」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
老婦人は満足そうに自分の部屋へ戻っていった。
「地球の民は、陛下と親しく接するのですね」
リゼルが驚いたように言う。
「隣に住んでるだけだからな」
「陛下と壁一枚を隔てた場所に?」
「そうだけど」
「警備上の問題がございます」
「またマンションを買おうとするなよ」
「購入は中止との御命令を受けております」
少し安心する。
「周辺住民へ、別の住居を御用意する方法もございます」
「結局追い出すつもりじゃないか」
「より安全で快適な住居を、無償で提供いたします」
「本人たちが望んでないだろ」
「確認いたしますか」
「しなくていい」
善意なのが一番困る。
車の前には、四十代ほどの男性が立っていた。
「如月蓮様ですね」
「はい」
「外務省の水城です。先ほどはお電話で失礼しました」
落ち着いた声。
眼鏡。
深い疲労の残る顔。
電話の相手とすぐに分かった。
「こちらこそ、朝早くから申し訳ありません」
「我々も、初めての事態ですので」
水城さんは、俺の後ろにいる三人を見る。
「アステリア王国の方々で間違いありませんか」
「はい」
セレフィナが前へ出る。
「アステリア王国宰相、セレフィナ・アルシェリアと申します」
「宰相」
水城さんの表情が少しだけ硬くなる。
「外務院次官の方が交渉担当と聞いていましたが」
「アルノルトは、現在そちらの担当部署へ投影体を派遣しております」
「既に来ています」
「御迷惑をお掛けしております」
「警備区域内へ直接現れたため、かなり混乱しました」
「次回からは、建物の入口で事前に御連絡いたします」
「入口にも、できれば普通の方法で来てください」
日本政府側も苦労しているらしい。
水城さんは、リゼルとノアにも簡単に挨拶する。
次に。
「武器はお持ちですか」
リゼルの表情が変わる。
「陛下をお守りするための最低限の装備を」
「携行したまま、政府施設へ入ることは認められません」
「武器を手放すことはできません」
空気が張り詰める。
警察官たちも、僅かに姿勢を変えた。
目には見えないが。
リゼルの腰には剣がある。
「リゼル」
「陛下」
「預けてくれ」
「御身に危険が及んだ場合」
「政府の人と話をするだけだ」
「万が一がございます」
「その時は、俺たち全員で逃げればいい」
「陛下を逃走させるなど」
「戦うよりいいだろ」
リゼルは長い間迷っていた。
やがて。
見えない剣を鞘ごと外す。
白い光を纏い、手のひらほどの銀色の飾りへ変わった。
「この状態であれば、武器として使用できません」
水城さんが警察側へ確認する。
検査機器には反応しなかった。
「施設内では、その状態を維持してください」
「承知いたしました」
ノアも、白衣の内側から複数の道具を取り出す。
杖。
赤い石。
金属の球。
小さな箱。
用途の分からない黒い筒。
「全部、武器ですか」
「半分は研究用」
「残り半分は?」
「護身用」
「置いていってください」
ノアが不満そうに俺を見る。
「俺を見ても駄目」
「地球は不便」
「武器を持たずに役所へ入るのは普通だ」
ノアは道具を一つずつ転移門の向こうへ送り返した。
最後まで黒い筒だけを持っていたが。
俺が見続けると、渋々消した。
「これで全部?」
「攻撃能力のあるものは」
「ないものは持ってるんだな」
「治療器具」
「それならいい」
水城さんが少し不安そうにしている。
俺にも、それが本当に治療器具なのか判断できない。
車に乗る。
俺とリゼルと水城さんが一台目。
セレフィナとノアは後続車。
「政府施設へ向かう前に、確認させてください」
車が動き始めると、水城さんが書類を開いた。
「如月様は、御自身の意思で現在の職場へ勤務されていますか」
「はい」
「退職や休職を妨げられている事実は」
「ありません」
「給与の未払い、暴力、脅迫は」
「ないです」
「御本人の意思に反して、長時間労働を強制されていることは」
「うちの会社、そこまで悪いところじゃありません」
労働時間は普通。
給料も、特別高くはないが支払われている。
上司に怒られることはあっても、理不尽な暴力などない。
「アステリア側から提出された文書には、陛下が生活のために労働を強制されていると」
「働かなければ生活費がないという意味です」
「地球の一般的な雇用制度を、強制労働と誤認した?」
「そうだと思います」
隣のリゼルは納得していない。
「陛下ほどの御方が、食事と住居を得るため、労働を求められております」
「地球では普通なんだ」
「普通であることと、陛下に適切であることは別です」
昨夜から何度目か分からない言葉だった。
水城さんが慎重に尋ねる。
「アステリア王国では、国家元首は働かないのですか」
「陛下は、統治そのものが御役目でございます」
「三百年間、不在だったんだろ」
「現在は御帰還なされました」
「復帰すると決めてない」
「国民の九十八・九パーセントが望んでおります」
「俺の一票はどこに入るんだ」
「陛下は投票対象ではございません」
本人を除外して、復帰の是非を決めたらしい。
水城さんが書類へ何かを書き加える。
「アステリア側の統治制度についても、詳しい確認が必要ですね」
「お願いします」
俺一人では。
何が決まっていて。
何が決まっていないのか。
もう分からなくなっていた。
◇
連れていかれたのは、外務省の庁舎そのものではなかった。
窓の少ない建物。
入口には警備員。
周囲にも複数の車両が停まっている。
異世界から来た者たちを、いきなり普通の役所へ入れるわけにはいかないのだろう。
会議室へ通される。
長い机。
壁にある大型画面。
既に十人以上の担当者が待っていた。
外務省。
内閣官房。
警察。
科学技術関係者。
電力会社の社員までいる。
ノアの連絡を受けて来たのだろうか。
「如月さん。お掛けください」
「はい」
俺の席は中央に用意されていた。
その両側へ、リゼルとセレフィナが座る。
ノアは席へ座らず、壁にある機械を興味深そうに見ていた。
「触るなよ」
「見てるだけ」
返事をしながら、手は伸びている。
「手も離して」
ノアが渋々、機械から一歩離れる。
協議が始まった。
最初に確認されたのは。
本当にアステリアという世界が存在するのか。
リゼルたちは何者なのか。
門はどのように開いたのか。
どれくらいの人数が行き来できるのか。
危険な生物が地球へ侵入する可能性はあるのか。
「現時点で、門を通る者は全て王国側で管理しております」
セレフィナが答える。
「陛下の御許可なく、一般国民をこちらへ渡らせる予定はございません」
「昨夜、一万二千人の先遣隊が待機していると聞いたんだけど」
「王城側で待機しております」
「全員、こちらへ渡る予定だったのですか」
政府側の担当者が尋ねる。
「当初は、そのように希望しておりました」
「今は?」
「陛下より、誰も渡らせぬよう御命令を受けております」
そこは守られている。
「門の向こう側を、こちらから確認することは可能ですか」
「映像のみであれば」
セレフィナが空中へ手を向ける。
会議室の中央に。
巨大な王城の映像が浮かび上がった。
石柱。
赤い絨毯。
整列する騎士。
遠くに見える街。
建物の上空を飛ぶ、巨大な鳥のような生物。
会議室が静かになる。
映像とは分かっていても。
誰も、すぐには言葉を出せなかった。
「これが、アステリア王国です」
セレフィナの声が響く。
「建国より三百二年。現人口一億八千万人。協力地域を含めた保護対象人口は、三億を超えます」
「三億」
政府側の一人が、小さく繰り返す。
「如月さんが、この国を建国した?」
「ゲームでは」
俺は答える。
「最初は二十人くらいの小さな砦でした」
「ゲーム上の操作が、現実へ反映されていたと」
「今のところ、そう考えるしかありません」
「住民が実在することを、当時は?」
「知りませんでした」
俺だけではない。
《エルグランド・サーガ》を遊んでいた誰もが。
画面の向こうに本当に人がいるなど、考えていなかったはずだ。
「アステリア王国は、日本国へ何を求めていますか」
セレフィナが口を開く。
「第一に、陛下の安全」
「国交ではなく?」
「国交も必要でございます。しかし、全てに優先して陛下の御身をお守りしなければなりません」
「セレフィナ」
「事実でございます」
政府側の担当者たちが、俺を見る。
俺がアステリアにとって、どういう存在なのか。
説明すればするほど。
普通の会社員だという部分から遠ざかっていく。
「第二に、世界間転移門周辺の安全確保」
今度は外交らしい内容だった。
「第三に、地球側の法制度および社会制度の確認。第四に、双方の人員、物資、情報の移動に関する協議」
「資源や技術の提供を求める予定は」
「現時点ではございません」
セレフィナが微笑む。
「我が国には、陛下へ十分な生活を提供するだけの資源がございます」
「俺の生活の話から離れられないのか」
「最重要事項ですので」
協議開始から一時間。
アステリアが実在する可能性は、否定できないと判断された。
少なくとも。
リゼルたちは未知の技術を持つ実在の人物であり。
俺のマンションには、映像では説明できない門が存在する。
日本政府は。
正式な国家承認ではなく。
まずは、正体不明の国外または異世界の統治組織として、緊急の連絡窓口を設けることになった。
「本日中に、転移門の安全確認を開始します」
「部屋に大勢入るんですか」
「必要最小限の人数です」
「住民に迷惑が掛からないようにしてください」
「警察と管理会社を通じて調整します」
マンション一棟の買収は止めた。
だが。
政府の調査対象になることは、止められなかった。
「次に、如月さんの勤務先についてです」
俺は少し身構える。
壁の大型画面へ。
勤務先の会議室が映った。
大崎社長。
人事部長。
直属の上司。
三人が座っている。
『如月君。聞こえるか』
「はい」
『まず、無事でよかった』
「ご迷惑をお掛けしています」
『迷惑という言葉で処理できる規模ではなくなっているが、君が悪いとは思っていない』
社長の後ろ。
会議室の窓には、報道関係者らしき人影が見える。
既に会社へ人が集まり始めているらしい。
『会社として確認する。君は、自分の意思で働いているのか』
「はい」
『退職を希望しているのに、会社から止められている事実は』
「ありません」
『会社から不当な扱いを受けているか』
「受けていません」
直属の上司が、目に見えて安心する。
朝から。
異世界国家に告発されたような状態だったのだろう。
「セレフィナ。会社側の説明に、問題は?」
隣を見る。
「現時点では、陛下の自由意思が尊重されていると判断いたします」
『理解いただけたでしょうか』
大崎社長が尋ねる。
「はい」
セレフィナが答える。
「しかし、陛下の住居、食事、休息、護衛、御報酬には改善の余地がございます」
『護衛まで会社へ求められても困ります』
「その点は、我が国で用意いたします」
「用意しなくていい」
『如月君』
大崎社長が、俺を見る。
『今日は出勤しなくていい』
「でも」
『この状況で通常業務をさせる方が問題になる』
「仕事が残っています」
『引き継ぎはこちらで行う』
社長は少し考え。
『ひとまず、一週間の特別有給休暇を認める』
「一週間?」
『欠勤扱いにはしない。給与も支払う』
俺が何も言う前に。
リゼルが立ち上がった。
「地球の雇用主殿」
画面の向こうの三人が、僅かに姿勢を正す。
「何でしょうか」
「陛下へ休息を与え。なおかつ報酬を減じぬという理解で、相違ございませんか」
『はい』
「陛下の不在中、業務上の損失について責任を求めることも」
『ありません』
リゼルは。
初めて会社側へ、少しだけ柔らかい表情を向けた。
「御配慮に感謝いたします」
『こちらこそ』
妙な外交が成立した。
「では、一週間休ませていただきます」
『そうしてくれ』
「その後は出勤します」
画面の向こう。
社長たちの表情が止まった。
隣でも。
リゼルとセレフィナが俺を見る。
「何?」
『如月君。復帰については、一週間後に改めて話し合おう』
「退職するつもりはありません」
仕事が好きで仕方ないわけではない。
だが。
昨夜まで続けていた生活を。
急に全て捨てるつもりもなかった。
「今まで通り働きたいです」
リゼルが、ゆっくり口を開く。
「陛下」
「今は会社の話をしてるから」
「御生活のために働く必要は、既にございません」
「金の問題だけじゃない」
「では、何のために」
「七年間続けてきた仕事だから」
同僚もいる。
担当している業務もある。
急に異世界が現れたからと。
何の説明もせず、全てを投げ出したくない。
「俺が今まで生きてきた場所を、勝手になかったことにしないでくれ」
リゼルが言葉を止める。
セレフィナも。
ノアも。
黙って俺を見ていた。
俺にとって、アステリアは大切だった。
それは変わらない。
だが。
この七年間の生活も、俺の人生だ。
「申し訳ございません」
リゼルが頭を下げる。
「陛下の御心を、十分に理解しておりませんでした」
「謝らなくていい」
「陛下が現在の御勤めを望まれるのであれば」
リゼルは画面の向こうの会社を見る。
「我々も、その御意思を尊重いたします」
少し肩の力が抜けた。
「ありがとう」
これで。
会社を辞めさせようとする話も止まる。
俺はそう思った。
だが。
セレフィナが、何かを考えるように目を伏せていることには気づかなかった。
◇
会社との協議が終わる。
続けて、転移門の調査方法。
リゼルたちの地球側での身分。
金や物資を持ち込む場合の手続き。
様々な話し合いが行われた。
午前十一時を過ぎた頃。
ようやく最初の協議が終了する。
「今日は、政府側が用意した場所へ移動していただくことも可能です」
水城さんが言う。
「自宅へ戻ります」
「転移門がある部屋です。調査員が出入りしますが」
「分かっています」
「警備も配置します」
「廊下を塞がないようにしてください」
それだけはお願いする。
会議室を出ようとした時。
俺のスマートフォンが震えた。
会社の同僚からだった。
《如月》
《今どこにいる》
心配して連絡をくれたらしい。
《政府の人と話してる》
返信すると。
すぐに電話が掛かってきた。
「もしもし」
『如月!』
同僚の声が大きい。
「聞こえてる」
『お前、異世界の王様って本当なのか』
「まだ説明できない」
『それより、会社に何とかしてくれ!』
「何があった」
画面の向こうから。
大勢の声が聞こえる。
会社の受付が混乱しているらしい。
「報道の人?」
『違う!』
同僚が叫ぶ。
『朝来た、あの異世界の連中だよ!』
「使節団なら、もう話は終わったはずだけど」
『使節団じゃない!』
嫌な予感がする。
『全員、入社希望者だ!』
「何人?」
『分からない! 今も増えてる!』
俺はセレフィナを見る。
彼女は。
何も知らないという顔をしている。
「何をした」
「私は何も」
電話の向こうで。
会社の受付担当者の声が聞こえた。
『次の方、お名前と希望部署をお願いします!』
『アステリア王国第三騎士団副団長、ルーク・バルゼン! 希望部署は、陛下と同じ部署であります!』
『王立治癒院所属、上級治癒師メルエ! 陛下の健康管理が可能な部署を希望します!』
『王城料理長補佐! 昼食担当として雇用を希望いたします!』
『竜騎兵ですが、地球側の運転免許取得にも対応可能です!』
「待って」
どうしてそうなった。
『如月』
同僚の声が震えている。
『会社の採用システムに、応募が殺到してる』
「何件?」
『今確認できてるだけで、一万二千件以上!』
一万二千。
昨夜。
王城で待機していた先遣隊の人数と同じだった。
「全員かよ……」
俺が会社を辞めたくないと言った。
だから。
自分たちも同じ会社へ入り。
俺の職場を支えようと考えたらしい。
悪意はない。
会社を乗っ取るつもりでもない。
ただ。
三百年ぶりに見つけた俺が。
今の仕事を大切にしていると知った。
ならば、その仕事を守ろう。
自分たちも一緒に働こう。
それだけだった。
『それと』
「まだあるの?」
『全員、履歴書を持ってきてる』
「地球の履歴書?」
『日本語で書いてある』
仕事が早すぎる。
『学歴と職歴が、意味分からないんだよ!』
電話の向こうから、受付担当者が読み上げる声が聞こえた。
『王立軍事学院首席卒業。北方防衛戦役従軍歴百四十七年。魔獣討伐数二万八千四百十一体……』
『元財務大臣。国家予算編成経験八十七年。通貨危機収束実績三回……』
『王立魔導研究院博士号を十二分野で取得。都市規模の空間転移装置を設計……』
採用担当者が。
どう評価すればいいのか分からず困っている。
当然だった。
「応募を止めてくれ」
セレフィナが、すぐに門の向こうへ連絡を送る。
「陛下より、地球側企業への雇用応募中止の御命令です」
数秒後。
返事が届く。
「既に提出済みの応募書類は、どういたしましょう」
「全部取り下げて!」
電話の向こうへも伝える。
「今、止めました」
『本当に頼むぞ』
「申し訳ない」
『あと、もう一つ』
「今度は何」
『社長宛てに、アステリアの国民議会から正式な提案書が来てる』
「どんな?」
同僚が、書面を読む。
『陛下が現在の企業へ勤務継続を望まれる場合、職場環境を守るために必要な支援を行いたい』
そこまでは分かる。
『第一案。アステリア王国による会社への長期融資』
「断って」
『第二案。主要取引先への信用保証』
「必要ない」
『第三案。会社の全株式取得』
「絶対に駄目!」
会議室に俺の声が響く。
水城さんを含め。
日本政府側の人間が全員、こちらを見ている。
『第四案。会社側が買収を望まない場合、同一事業を行う新会社を設立し、全従業員を好条件で移籍させる』
「会社を残せ!」
俺が会社を辞めたくないと言った。
元部下たちは、その意思を尊重した。
尊重した結果。
俺が働き続けられるように。
会社を支援し。
人員を補充し。
必要であれば会社そのものを買い。
それが駄目なら、全く同じ会社を新しく作ろうとしていた。
「セレフィナ」
「はい」
「俺は、会社を守りたいと言ったんだ」
「承知しております」
「会社をアステリアの一部にしろとは言ってない」
「御意向は理解しております」
「本当に?」
セレフィナが少し黙る。
「現在、理解いたしました」
今まで、違う理解をしていたらしい。
「国民議会にも伝えて。会社に手を出すな」
「一切の接触を禁じるのでしょうか」
「普通の取引まで止めなくていい。ただし、俺のために買収したり、会社を作り替えたりしない」
「承知いたしました」
これで止まる。
今度こそ。
そう思った直後。
ノアが、机の上へ小さな画面を出した。
「陛下」
「今度は何」
「応募停止命令は届いた」
「ならいい」
「でも」
ノアが表示を拡大する。
《地球側企業への就職応募――中止》
《代替支援計画を検討》
「代替支援って何だ」
「まだ決まってない」
画面の向こう。
アステリア王国の会議室では。
何百人もの文官たちが集まり。
俺が会社へ勤務し続けながら。
会社へ迷惑を掛けず。
アステリアの支援を拒否されない方法について。
既に、新しい会議を始めていた。
議題は。
《建国王陛下の地球側勤務環境を、御意思に反せず改善する方法》
俺の元部下たちは。
命令に背くつもりはない。
会社を買収しない。
社員として押しかけない。
新会社へ置き換えない。
全て守る。
その上で。
まだ俺自身も想像していない、別の方法を見つけようとしていた。
「その会議も止められない?」
セレフィナは、少し申し訳なさそうに答えた。
「国民が自発的に陛下を案じ、意見を出すことまでは禁じられません」
三百年前。
俺は彼らへ言った。
もう俺の命令を待たなくていい。
これからは、自分たちのために生きろ。
その言葉は。
どうやら。
俺を心配するな、という意味には。
全く受け取られていなかった。




