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サービス終了したゲーム世界から、元部下たちが現実へ帰ってきた  作者: てへろっぱ


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19/50

第19話 静かに迎えてほしいと言ったら、三百万人が無言で頭を下げていた



「一度だけ、自分の目で見てみたいと思います」


 高城真琴さんがそう言った翌日。


 日本政府とアステリア王国の間で。


 史上初となる、地球側民間人の異世界訪問に向けた協議が始まった。


 高城さんは。


 元政府職員でも。


 外交官でも。


 研究者として派遣されるわけでもない。


 アステリア側の王権設備を七年間保全していた。


 ただ一人の地球人。


 王国側から見れば。


 三億人の暮らしを守った恩人。


 だからといって。


 何の手続きもなく、王城へ通すわけにはいかない。


「滞在時間は、地球時間で三時間を予定しています」


 水城さんが説明する。


「長くないですか」


 高城さんが尋ねた。


「アステリア側では、十日以上に相当します」


「三時間で十日」


「時間の感じ方は、地球側と同じです」


 ノアが答える。


「地球時間で三時間滞在しても、高城さん自身が十日分老化するわけではない」


「体感も三時間?」


「そう」


「向こうの人たちだけが、十日分待つ?」


「正確には、門を越えた人と、その周囲の時間は地球側へ合わせて調整される」


「王城全部?」


「最初は国境管理所と、その周辺だけ」


 世界間転移門を通った地球人が。


 数分の会話をする間に。


 アステリア側で何日も経過してしまえば、まともな交流はできない。


 そのため。


 門周辺の時間は。


 地球側へ近づけられている。


「調整範囲を広げれば、王城内も普通に移動できる」


「危険は?」


「今の技術なら、ほとんどない」


「ほとんど」


「初めて地球人が長時間滞在するから、完全とは言えない」


 ノアは。


 分からない部分を隠さなかった。


 高城さんも。


 その説明を聞いた上で頷く。


「身体へ異常が出た場合は、すぐに戻れますか」


「戻れる」


「門が閉じたら?」


「陛下と高城さんは、永久通行資格があるから緊急帰還できる」


「私にも?」


「国民議会が付けた」


「まだ少し納得していません」


 自分の知らないところで。


 異世界への永久通行資格が与えられた。


 普通なら。


 戸惑うのが当然だった。


「使用しない自由もあります」


 セレフィナが答える。


「資格を持つことによって、義務が生じることはございません」


「王国から呼び出されたりは?」


「いたしません」


「国が危険な時に、来てほしいと頼まれることも」


「高城さんは、我が国の臣民ではございません」


 セレフィナは。


 はっきり答えた。


「我々には、貴女へ命令する権限はございません」


「良かった」


「お願い申し上げる可能性はございますが」


「断っても?」


「もちろんでございます」


 少しずつ。


 アステリア側も。


 恩人だからと。


 相手へ役割を押しつけてはいけないと理解している。


「それと」


 高城さんが続ける。


「訪問について、もう一度確認したいことがあります」


「何でしょう」


「歓迎式典は、必要ありません」


 リゼルの表情が固まる。


「しかし」


「大勢の人が集まるのも困ります」


「王国民は、高城さんへ直接感謝を」


「気持ちは嬉しいです」


 高城さんは。


 柔らかく断る。


「でも、私は人前に立つのが得意ではありません」


「では、式典の参加者を一万人ほどに」


「多すぎます」


「千人」


「多いです」


「百人」


「関係者だけで」


 リゼルが。


 困ったように俺を見る。


「俺を見ても」


「陛下より、御説得を」


「高城さんが嫌だって言ってる」


「国民も、三百年分の感謝を伝えたいのです」


「だからって、嫌がる人を壇上に上げるのは違う」


 リゼルは。


 分かっている。


 それでも。


 国民の思いも知っている。


「静かに迎えるくらいなら?」


 俺が高城さんへ尋ねた。


「静かに?」


「大きな式典はなし。演説もなし。音楽もなし」


「人は?」


「王城の関係者だけ」


 俺は。


 アステリア側へ念を押す。


「関係者の範囲を広げないこと」


「承知いたしました」


 セレフィナが答える。


「国民議会全員とか言わない」


「はい」


「王国軍全員も」


「はい」


「王都の市民も呼ばない」


「はい」


「街道へ並べない」


「……はい」


 最後。


 僅かな間があった。


「本当に?」


「高城さんの御意思を尊重いたします」


 セレフィナが。


 きちんと答える。


「静かに」


「はい」


「少人数で」


「はい」


「普通に」


「可能な限り」


「最後が不安だ」


     ◇


 訪問当日。


 高城さんは。


 政府の技術施設ではなく。


 マンション一階にある仮設世界間通行検査室へ来ていた。


 古いノートパソコンと。


 王権情報保存体は。


 既に政府の管理下で安全に保管されている。


 今日は。


 手荷物も少ない。


 小さな鞄。


 財布。


 地球側の携帯電話。


 筆記具。


 水。


 そして。


 三百年前の記録を保存した。


 透明の結晶。


「持っていくんですか」


 俺が尋ねる。


「向こうで、受け取ったものですから」


「王国へ返す?」


「いいえ」


 高城さんは。


 結晶の入った箱を見る。


「一度、元の場所で確認してから、また地球へ持ち帰ります」


「個人所有?」


「現時点では、私と如月さんの共同保管物として扱われています」


 水城さんが答えた。


「記録の権利関係が複雑ですので」


 送ったアステリア側。


 受け取った高城さん。


 本来の宛先である俺。


 誰か一人の物と決めることはできない。


「アステリア側へ持ち込む許可は?」


「取得済みです」


「持ち帰りも?」


「はい」


 全て。


 正式な手続きが終わっている。


 高城さんの旅券。


 地球側の出国記録。


 アステリア側の入国申請。


 検疫。


 健康確認。


 緊急時の連絡方法。


「体調は?」


 黒田医師が尋ねる。


「問題ありません」


「少しでも異常を感じたら、すぐに伝えてください」


「分かりました」


「治癒魔法を受ける場合も、事前説明と同意が必要です」


「はい」


 リゼルが。


 高城さんの少し後ろへ立っている。


 今日は護衛役。


 ただし。


 高城さんへ近づきすぎない。


 本人の許可なく触れない。


 武器も使わない。


 守ると言っても。


 地球側で決められた範囲だけ。


「リゼルさん」


 高城さんが振り返る。


「はい」


「そんなに緊張しなくても大丈夫です」


「私は緊張しておりません」


「ずっと同じ場所を見ています」


「高城さんの周囲に危険がないか確認しております」


「今日は王城へ行くんですよね」


「だからこそ」


「自分の国なのに?」


「王城内で事故が起きない保証はございません」


 階段。


 扉。


 床。


 魔導具。


 警戒対象は。


 敵だけではないらしい。


「今日のリゼルは、普通の案内役」


 俺が言う。


「護衛も兼ねております」


「案内を優先」


「御意」


 午前十時。


 高城さんの通行許可が発行された。


《通行者――高城真琴》


《国籍――日本国》


《目的――アステリア王国非公式訪問》


《滞在時間――地球時間三時間》


《訪問区域――王城国境管理所、旧王城区画、王立魔導研究院》


《儀式参加――なし》


《報道公開――本人の事前承認を必要とする》


《所持品――申告済み》


「非公式訪問」


 高城さんが旅券を見る。


「国賓ではない?」


「御希望に従い」


 セレフィナの声が。


 門の向こうから届く。


「私人として御迎えいたします」


「ありがとうございます」


「ただし、王国法上の安全保護等級は最高位となります」


「私人ですよね」


「私人であっても、危険から御守りする必要がございます」


「護衛は何人?」


 高城さんが尋ねる。


 セレフィナが僅かに黙る。


「関係者だけですよね」


「はい」


「人数は?」


「王城内に五百名」


「多いです」


「通常勤務中の職員を含みます」


「私のために集めた人は?」


「四十八名」


「減らせますか」


「既に当初案の百分の一以下です」


 当初案。


 四千八百人以上だったらしい。


「姿が見えない場所に待機するなら」


 高城さんが妥協する。


「構いません」


「ありがとうございます」


「大きな行列は」


「ございません」


「音楽も?」


「ございません」


「演説は?」


「ございません」


「花火は?」


「中止いたしました」


「予定してたんですか」


「昼間でも見える魔法花火を」


「中止してくれてありがとうございます」


「はい」


 高城さんは。


 まだ少し不安そうだった。


     ◇


「門を開きます」


 ノアが。


 地球側の仮設出口を起動する。


 赤い光。


 銀色の枠。


 向こう側に。


 アステリア王城の国境管理所が見える。


 日本側より。


 遥かに広い。


 高い天井。


 白い石壁。


 金色の境界線。


 いくつもの窓口。


《地球方面入国審査》


《旅券確認》


《検疫・治癒確認》


《所持品申告》


 今日は。


 窓口の職員以外。


 誰も見えない。


「本当に静かですね」


 高城さんが言う。


「約束したので」


 俺も少し安心する。


「先に俺が行きます」


 俺は。


 赤い光を越える。


 身体へ。


 一瞬だけ。


 温かい風が触れた。


 次の瞬間。


 地球側の床ではなく。


 アステリア王城の白い石床へ立っていた。


 ゲームの中で。


 何度も見た世界。


 だが。


 俺が実際に身体ごと来るのは。


 これが初めてだった。


「陛下」


 門の向こう側。


 リゼルが。


 息を飲んでいる。


「そういえば」


 俺は。


 自分の手を見る。


「俺も、アステリアへ来たことなかったな」


 三百年前。


 俺は。


 画面越しにしか、この世界を見ていない。


 城の床へ触れたことも。


 風を感じたことも。


 空気を吸ったこともない。


「陛下」


 セレフィナが。


 数歩先に立っている。


 黒いジャケットではない。


 アステリア王国宰相としての。


 白と金の衣装。


 金色の瞳に。


 涙が浮かんでいた。


「お帰りなさいませ」


 リゼルも。


 ノアも。


 アルノルトも。


 国境管理所の職員たちも。


 一斉に膝をつこうとする。


「待って」


 全員が止まる。


「今日は高城さんの訪問が目的だから」


「しかし」


「俺の帰還式は別の日に」


 自分で言ってから。


 嫌な予感がする。


「別の日にも大規模にしなくていい」


「詳細は、後日協議いたします」


 セレフィナが。


 静かに答えた。


 絶対に。


 既に準備が始まっている。


「高城さんを」


「はい」


 俺が振り返る。


 赤い門から。


 高城さんが、一歩踏み出した。


     ◇


 地球側から。


 アステリア王国へ。


 高城真琴さんが入国した。


 足元を確認する。


 空気を吸う。


 周囲を見る。


「大丈夫ですか」


 黒田医師の声が。


 門越しに聞こえる。


「問題ありません」


 高城さんが答える。


「少し」


「何か異常が?」


「空気が、綺麗です」


 王城の窓。


 そこから入る風。


 草。


 水。


 花。


 僅かに甘い香りがする。


 地球の都市部とは。


 全く違う空気。


「魔力を感じますか」


 ノアが尋ねる。


「分かりません」


「地球人だから普通」


「身体への影響は?」


「今はない」


 治癒師が。


 離れた位置から検査する。


 直接触れない。


 魔法を掛ける前にも。


 必ず確認する。


「生命状態、正常」


「魂接続、安定」


「時間調整、問題なし」


「入国を許可いたします」


 王国側の管理官が。


 高城さんの旅券へ。


 小さな印を押した。


《アステリア王国入国》


《特別永久通行資格保有者》


 文字を見た高城さんが。


 少し困った顔になる。


「毎回、これが表示されるんですか」


「資格情報ですので」


「特別扱いは、なるべく」


「入国審査を免除しているわけではございません」


 管理官が説明する。


「高城さんにも、通常の安全確認を受けていただきました」


「それなら」


 特別資格があっても。


 規則は同じ。


 高城さんも納得した。


「では」


 セレフィナが。


 王城奥へ続く扉を示す。


「御案内いたします」


     ◇


 国境管理所の扉が開く。


 広い廊下。


 高い窓。


 白い柱。


 壁には。


 アステリアの歴史を描いた絵が並んでいる。


「これが」


 高城さんが。


 小さく呟く。


「本当の王城」


「ゲームで見たものと違いますか」


 俺が尋ねる。


「かなり」


 昔の王城は。


 もっと小さかった。


 今は。


 三百年間。


 増築と改修を繰り返した巨大建築。


「古い部分も残っています」


 セレフィナが説明する。


「本日は、そちらへ御案内する予定です」


 廊下を歩く。


 職員たちが。


 道の端へ寄り。


 静かに頭を下げる。


 声は掛けない。


 集まらない。


 仕事の手も止めない。


「普通ですね」


 高城さんが少し安心したように言う。


「普通です」


 セレフィナが答える。


「王城内では」


 最後の言葉が。


 少し気になった。


「外へ出ないよな」


「旧王城区画へ向かうため、中庭を通ります」


「中庭だけ?」


「はい」


「街へは?」


「本日の予定にございません」


「なら」


 廊下の先。


 大きな扉が開く。


 青い空。


 白い雲。


 巨大な王城の中庭。


 中央には。


 噴水。


 木々。


 花。


 何百人も集まることができる広さ。


 だが。


 そこにも。


 人の姿はなかった。


「本当に、誰も集めてない」


 俺が言う。


「高城さんの御意思でございますので」


 セレフィナは。


 少し誇らしそうだった。


 ようやく。


 相手の希望を。


 そのまま尊重できた。


 そう思った。


 中庭を歩き。


 反対側の回廊へ向かう。


 その途中。


 高城さんが足を止めた。


「何か聞こえませんか」


「音?」


「人の気配が」


 俺も。


 周囲を見る。


 中庭には。


 誰もいない。


 だが。


 王城の外。


 城壁の向こう。


 何か。


 大勢の人間がいるような。


 僅かな空気の揺れを感じる。


「セレフィナ」


「はい」


「外に何人いる」


「王城の外でございますか」


「王都」


「通常通り、国民が生活しております」


「王城前広場には?」


 セレフィナが。


 少しだけ視線を逸らす。


「何人」


「概算で」


 嫌な言葉。


「三百万人ほど」


「集めたのか!」


「集めておりません」


「では、どうして」


「高城さんが本日御来訪なされることは、非公開情報でした」


「なのに?」


「王城の門へ続く街道の清掃が、通常より丁寧に行われていること」


「はい」


「王国軍の休暇日程が、一部変更されたこと」


「はい」


「王宮料理局が、地球人向け食事の試作を行ったこと」


「はい」


「これらの情報から、国民が自主的に判断したようです」


「漏れてるじゃないか」


「機密情報そのものは、漏洩しておりません」


「推理された?」


「はい」


 三億人の国。


 建国王の帰還。


 そして。


 国を救った地球人。


 少しの変化だけで。


 誰が来るのか。


 国民たちは気づいた。


「静かにって」


 高城さんが尋ねる。


「伝わっているんですか」


「はい」


「大声を出したりは」


「厳禁とされています」


「旗や音楽は?」


「禁止です」


「では」


「王城の外で、静かにお待ちしております」


 三百万人が。


 無言で。


「帰ってもらうことは?」


「王城前広場や街道は、一般の立入りが認められた場所です」


「追い返せない?」


「危険行為を行っておりませんので」


 集会の自由。


 地球側だけでなく。


 アステリア側にも。


 似た権利がある。


「高城さん」


 俺は。


 本人へ尋ねる。


「嫌なら、外へ出なくて大丈夫です」


「はい」


「王城内だけ見て、帰ることも」


「分かっています」


 高城さんは。


 城壁の向こうを見る。


「三百万人」


「会わなくていいです」


「でも」


 透明の結晶を。


 両手で持つ。


「この中で」


 七年間。


 何度も見た。


 俺の帰還を待つ人たち。


「私は」


 一度。


 深く息を吸う。


「彼らが本当に生きていると知りたくて、ここまで来ました」


 高城さんが。


 セレフィナを見る。


「顔を見るだけなら」


「もちろんでございます」


「演説はしません」


「はい」


「壇上にも立ちません」


「はい」


「近くへ集めないでください」


「警備線を維持いたします」


「静かに」


「全員へ伝えます」


 高城さんが。


 頷いた。


「では」


「城壁の上から、御覧になりますか」


「少しだけ」


 予定にはなかった。


 だが。


 本人が望んだ。


 先に確認し。


 安全を確かめ。


 警備方法を決める。


 誰も。


 勝手には進めなかった。


     ◇


 王城の階段を上がる。


 城壁の上。


 広い通路。


 地球で言えば。


 十階建ての建物より高い。


「足元に気をつけてください」


 リゼルが言う。


「手すりへ触れても?」


「はい」


 高城さんが。


 石の手すりへ手を置く。


 そして。


 ゆっくり。


 外を見た。


 王都。


 どこまでも続く建物。


 白い屋根。


 青い水路。


 空を飛ぶ船。


 遠くを歩く巨大な生物。


 人間。


 エルフ。


 獣人。


 角のある者。


 翼のある者。


 ゲーム画面では。


 小さな絵だった。


 一人一人が。


 本当に生きている。


 その王都を通る。


 王城前の大街道。


 そこに。


 人々が並んでいた。


 何列も。


 何十列も。


 見える範囲の。


 全ての道。


 広場。


 建物の窓。


 屋根。


 数え切れないほど。


 だが。


 音はない。


 誰も叫ばない。


 旗も振らない。


 魔法も使わない。


 高城さんが。


 城壁へ姿を見せた。


 その瞬間。


 三百万人が。


 一斉に。


 頭を下げた。


 音は。


 衣服が揺れる小さな音だけ。


「これは」


 高城さんの声が震える。


「静かですが」


「多いですよね」


「はい」


 俺は。


 セレフィナを見る。


「約束は守ったつもり?」


「声を上げず」


「はい」


「音楽も使わず」


「はい」


「式典も行わず」


「はい」


「壇上もございません」


「人数以外は完璧だ」


「国民の自主的な行動を禁止することは」


「分かってる」


 地球でも。


 同じだった。


 善意の人間を。


 ただ多いという理由だけで追い返すことは難しい。


 高城さんが。


 何も言わずに。


 人々を見ている。


 一分。


 二分。


 誰も。


 頭を上げない。


「ずっと、このまま?」


 高城さんが尋ねる。


「高城さんが、御礼を受け取られたと判断するまで」


「どうすれば?」


「軽く手を上げていただければ」


「それだけ?」


「はい」


 高城さんは。


 迷ったあと。


 ゆっくり。


 右手を上げた。


 すると。


 三百万人が。


 一斉に顔を上げる。


 歓声はない。


 それでも。


 笑っている。


 涙を流している。


 両手を胸へ当てている。


 高城さんが。


 小さく頭を下げた。


 人々も。


 もう一度。


 静かに頭を下げた。


「ありがとう」


 高城さんが呟く。


 声は。


 王城前広場までは届かない。


 それでも。


 透明の結晶が。


 淡く光った。


 高城さんの声が。


 誰の耳にも大きく響くのではなく。


 小さな風のように。


 王都全体へ広がった。


『ありがとう』


 ノアが。


 驚いたように結晶を見る。


「勝手に通信した?」


「私じゃない」


「誰が?」


「王権情報保存体」


 三百年間。


 アステリアから。


 地球へ届かなかった声を保存してきた結晶。


 今度は。


 地球人の声を。


 アステリアへ返した。


 王都の人々が。


 その一言を聞く。


 静かなまま。


 泣く者が増えた。


「音声を広げない約束でした」


 高城さんが困った顔をする。


「申し訳ございません」


 セレフィナが頭を下げる。


「こちらも予想しておりませんでした」


「怒ってはいません」


 高城さんは。


 もう一度。


 王都を見る。


「伝わって良かったです」


     ◇


 城壁から戻り。


 旧王城区画へ向かう。


 そこは。


 三百年前。


 俺がゲーム画面で見ていた王城と。


 ほとんど同じ姿を残していた。


 古い石壁。


 狭い廊下。


 小さな執務室。


「ここ」


 俺は。


 扉の前で足を止める。


 見覚えがある。


「俺の部屋?」


「はい」


 ミーナが。


 扉の前で待っていた。


 今日は。


 王宮生活管理院総監としての侍女服。


「地球側の勤務は?」


「本日は休暇を取得しております」


「休めてる?」


「はい」


「本当に?」


「昨日までに、必要な業務は部下へ引き継ぎました」


「完璧」


 ミーナが扉を開く。


 机。


 椅子。


 棚。


 窓。


 ゲーム時代の。


 俺の執務室。


「三百年間、残してたのか」


「はい」


 床。


 家具。


 壁。


 修復はしている。


 だが。


 配置は変えていない。


「高城さん」


 ミーナが。


 部屋の中央へ案内する。


「こちらでございます」


 机の横。


 小さな台。


 そこに。


 三百年前の。


 王権接続装置が置かれていた。


 若いノアたちが。


 地球へ最初の信号を送った機械。


「これが」


 高城さんが。


 透明の結晶を近づける。


 二つが。


 共鳴するように光った。


《初期王権通信装置》


《送信記録――八千四百十二件》


《保存先――地球側保全者》


《記録帰還を確認》


 古い装置から。


 柔らかな音が鳴る。


《送信任務完了》


 ノアが。


 目を見開く。


「三百年」


「装置も待ってた?」


「送り届けた確認が取れるまで、止まれなかった」


 若いノアが作った。


 最初の通信装置。


 何度壊れても。


 修復し。


 記録を送り続けた。


 高城さんが。


 透明の結晶を。


 装置の上へ置く。


 光が。


 ゆっくり流れ込む。


《全記録照合完了》


《欠損――なし》


《地球側保全者・高城真琴》


《任務完了を確認》


 高城さんの前に。


 小さな光が現れた。


 若いノアの姿。


 三百年前の記録。


『地球側の人』


 まだ。


 高城さんの名前を知らない時代。


『誰か分からないけど』


『保存してくれてるなら』


 若いノアが。


 装置を調整しながら言う。


『ありがとう』


『陛下へ届いたら』


『もう、守らなくていい』


 映像が消える。


 現在のノアが。


 高城さんを見る。


「昔の私が言ってる」


「はい」


「だから」


 ノアは。


 少し不器用に。


 頭を下げた。


「七年間、お疲れさま」


 高城さんの目から。


 涙が溢れた。


「はい」


 七年前。


 何を守っているかも分からず。


 いつ終わるかも分からず。


 誰にも信じてもらえないまま。


 一人で持ち続けた役目。


 ようやく。


 本当に終わった。


     ◇


 旧王城を見たあと。


 高城さんは。


 王立魔導研究院へ案内された。


 巨大な建物。


 何百人もの研究者。


 だが。


 高城さんの訪問区画にいるのは。


 ノアを含め。


 十名だけ。


「研究者たちも会いたがっていたのでは」


 高城さんが尋ねる。


「千二百人が希望した」


「断ったんですか」


「今日は静かにって言われたから」


「ノアさんが?」


「私が決めた」


 勝手に全員を呼ばず。


 本人の希望を優先した。


「ありがとうございます」


「別の日に、会ってくれる?」


 高城さんは。


 少し考える。


「一度に十人くらいなら」


「分かった」


 予定を分ける。


 人数を減らす。


 アステリア側も。


 少しずつ地球式の対応を学んでいた。


「第二の門について」


 ノアが。


 研究室の中央へ。


 新しい設計図を表示する。


「高城さんのノートパソコンと、ネットカフェ端末の接続記録を使う」


「私の端末を?」


「壊さない」


「所有者の許可を得てからです」


「今聞いてる」


 ノアが。


 高城さんを見る。


「研究に使っていい?」


「何をするか、先に説明してください」


「分かった」


 ノアは。


 少しも不満を見せず。


 設計を一つずつ説明した。


 接続情報だけを複製。


 個人データには触れない。


 パソコン本体へ魔力を流さない。


 失敗しても端末は壊れない。


 研究成果の所有権。


 使用範囲。


 危険性。


 全て。


「それなら」


 高城さんが頷く。


「協力します」


「本当に?」


「はい」


「報酬も出す」


「必要ありません」


「駄目」


 ノアが即座に答えた。


 俺とミーナが。


 同時にノアを見る。


「仕事には正当な価値がある」


 ノアが言う。


「高城さんの端末と経験を使うなら、報酬が必要」


 俺が。


 彼女たちへ伝えた言葉。


 今度は。


 ノア自身が使っている。


「研究協力費として、日本側とアステリア側の両方から」


「二重に受け取ることになります」


「仕事が二つある」


「二つ?」


「地球側では、端末と技術情報の提供」


「はい」


「アステリア側では、王権端末共同研究への助言」


「私はエンジニアを辞めています」


「経験は消えてない」


 高城さんが。


 少し困ったように笑う。


「契約内容を確認してから決めます」


「分かった」


 その場で。


 金額も。


 地位も。


 決めない。


 後から。


 正式に話し合う。


 本当に。


 変わった。


     ◇


 三時間の滞在は。


 あっという間に終わった。


 国境管理所へ戻る。


 高城さんは。


 王城を何度も振り返る。


「どうでした?」


 俺が尋ねる。


「まだ」


 一度。


 言葉を探す。


「現実だと、完全には理解できていません」


「俺も」


「如月さんも?」


「今日、初めて来たので」


「そうでした」


 高城さんが笑う。


「ゲームの中で見た場所に」


「本当に立つとは思わなかった」


「私もです」


 旅券。


 持ち物。


 健康状態。


 帰国前の確認。


 全て問題なし。


「御訪問、ありがとうございました」


 セレフィナが頭を下げる。


「こちらこそ」


「次回は」


「まだ決めていません」


「承知しております」


「式典は」


「行いません」


「三百万人も」


「国民の自主的行動につきましては」


「止められない?」


「可能な範囲で、事前に人数制限を御願いいたします」


「お願いします」


 赤い門の前。


 高城さんが。


 リゼルたちを見る。


「また」


 一度。


 言葉を止める。


「来てもいいですか」


「もちろんでございます!」


 リゼルの声が。


 国境管理所へ響く。


 静かな歓迎は。


 もう終わったらしい。


「国家行事ではなく」


「はい」


「普通の訪問で」


「はい」


「十人くらいと話すだけ」


「御意」


「街を歩く時も、軍を出さない」


「警護は必要です」


「少人数で」


「百名ほど」


「十人」


「五十」


「十人」


「二十」


「十人」


 リゼルが。


 長い間迷ったあと。


「……十五名」


「交渉が始まってる」


 高城さんが。


 少し楽しそうに笑った。


     ◇


 地球側へ戻る。


 健康確認。


 時間経過。


 記憶。


 身体。


 全て正常。


「異常はありません」


 黒田医師が答える。


「地球側では、三時間二分経過しています」


「本当に」


 高城さんが時計を見る。


「三時間だけ」


 アステリア側では。


 時間調整区域の外で。


 十日以上が経過している。


「王国側では」


 アルノルトが。


 新しい情報を確認する。


「高城さん御訪問の影響で、国民議会へ複数の提案が提出されています」


「何ですか」


 高城さんが。


 少し身構える。


《地球側保全者記念日制定案》


「辞退します」


《王都内に記念像を設置》


「要りません」


《王権保全記念博物館》


「大きくしないでください」


《高城真琴氏の功績を、学校教育へ》


「子供に教えるほどでは」


「一国の存続へ関わった歴史でございます」


 アルノルトが答える。


「ですが、本人の個人情報は公開しません」


「名前は?」


「本人の許可が得られなければ、地球側保全者とのみ記載します」


「それなら」


 高城さんも。


 完全には拒否しなかった。


「記念像は?」


「不要です」


 即答だった。


「博物館は?」


「王権端末の歴史を残す場所なら」


 一度。


 考える。


「私個人ではなく、あの装置を作った人たちと、守り続けた人たち全員の記録を置いてください」


 ノア。


 リゼル。


 セレフィナ。


 ミーナ。


 王国民。


 地球側の運営社員。


 誰か一人だけではない。


「その提案を、国民議会へ伝えます」


「お願いします」


 高城さんは。


 深く息を吐いた。


「これで、終わりましたね」


「何が?」


「七年間預かっていたものを、返せました」


「はい」


「共同管理者でもなくなった」


「はい」


「普通の生活へ戻れます」


 その言葉の直後。


 ノアの端末へ。


 通知が届いた。


《王権端末共同研究・地球側協力者登録》


《候補者――高城真琴》


「まだ、契約してませんよ」


「候補者だけ」


 ノアが答える。


「日本政府側からも」


 水城さんの端末。


《世界間接続技術検証・特別協力者候補》


「こちらも?」


「高城さん御本人が希望される場合に限ります」


 更に。


 高城さんの携帯電話へ。


 一通のメールが届いた。


「誰からですか」


 俺が尋ねる。


「今の勤務先です」


 件名。


《政府発表に関連する臨時面談について》


「正体が分かった?」


「政府から、必要な範囲で事情説明が行われました」


「会社を辞めろとか?」


「違います」


 高城さんが。


 メールを読む。


「勤務先が」


「はい」


「世界間接続技術の研究事業へ、会社として参加できないか聞いています」


 高城さんは。


 現在。


 小さな企業の社内システム管理者。


 異世界研究とは。


 何の関係もない仕事をしている。


 だが。


 会社側は。


 高城さんを手放そうとはしなかった。


 むしろ。


 彼女の経験を生かし。


 新しい事業へ参加しようとしている。


「普通の生活に戻るつもりだったんですが」


「嫌なら断っていいです」


 俺が言う。


「はい」


「引き受ける義務はない」


「分かっています」


 高城さんは。


 王国側から届いた共同研究案。


 日本政府からの協力依頼。


 勤務先からの面談要望。


 三つの画面を見る。


「でも」


「はい」


「七年間」


 少しだけ笑う。


「何が起きたか分からない機械を、一人で調べていました」


「……」


「今度は」


 ノアを見る。


「本当に分かる人たちと、一緒に調べられるんですよね」


「できる」


「なら」


 高城さんは。


 自分の意思で答えた。


「契約内容を聞いてから、考えます」


 アステリア王国を救った地球人は。


 爵位も。


 領地も。


 国家最高勲章も望まなかった。


 その代わり。


 七年間一人で守り続けた。


 古いノートパソコンの続きを。


 今度は正式な仕事として。


 異世界の研究者たちと一緒に調べようとしていた。


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