第15話 日本政府に、異世界国家として認めてもらう
書き直し消去予定
《安全な世界境界封鎖に必要な条件》
《地球側統治機構による世界間接続承認》
《期限――第七塔破壊まで、二十時間五十八分》
第一世界境界管理塔の中央に、残り時間が表示されている。
塔は起動した。
世界境界を閉じるために必要な四基も揃った。
大裂界だけを外部へ切り離し、地球との転移門を残す。
そのために最後に必要なのは、巨大な魔力でも、古代の秘宝でもなかった。
日本政府の承認。
俺がどれだけ地球との接続を残したいと願っても、地球側が拒否すれば成立しない。
「急いで戻ろう」
天城久遠が維持する地球側人工端末へ接続する。
第一塔の床に白い転移円が広がった。
リゼル。
セレフィナ。
ノア。
第七端末。
全員が円の中へ入る。
「日本政府との交渉に必要な資料はございますか」
セレフィナが俺へ尋ねる。
「向こうが何を聞くかも分からない」
「想定される質問への回答は、既に準備しております」
「いつの間に?」
「陛下が第四塔へ向かわれている間に、外務院へ指示を出しました」
また知らないところで進んでいる。
「どれくらいある」
「簡易版が六百八十二ページ。詳細版は四千百八十七ページでございます」
「簡易版の意味を調べ直してくれ」
「要点のみをまとめております」
「六百ページは要点じゃない」
ノアが横から口を挟む。
「技術資料は別にある」
「何ページ?」
「図表を除いて一万二千くらい」
「持っていかなくていい」
「必要になる」
「全部読む時間がない」
「読む必要はない。渡すだけ」
受け取る側の迷惑を考えてほしい。
だが、現実世界で正式な交渉をするなら、何も準備していないよりはいい。
「資料を渡すのは構わない。でも、勝手に条約を結ぶなよ」
「陛下の御承認なく、最終的な締結は行いません」
「最終的じゃない締結って何だ」
「事前合意、暫定合意、共同声明、議事録確認、覚書などがございます」
「全部、先に見せてくれ」
「御意」
セレフィナは素直に頷いた。
その顔には、第五塔の件を隠していた時のような迷いはない。
少なくとも今は、俺へ情報を渡そうとしている。
《地球側人工境界端末への転移を開始》
白い光が視界を覆う。
◇
グランドリンク旧本社地下施設へ戻ると、外務省の職員二人が同じ場所で待っていた。
俺たちが第一塔へ向かってから、地球側では一時間も経っていないらしい。
「如月様」
職員の一人が駆け寄ってくる。
「御無事でしたか」
「一応」
「日本政府との協議について、連絡が入りました」
「どこで行うんですか」
「地上へ車両を用意しております。政府側も既に関係省庁を招集しています」
俺たちが塔を再起動している間。
地球側でも、事態は動いていた。
転移門。
アステリア王国。
大裂界。
世界境界。
最初は外務省だけで扱っていた話が、官邸、警察、科学技術、通信、電力、防衛へ広がっている。
「説明に、どれくらい時間が必要ですか」
「通常であれば、数日から数週間は必要な内容です」
「二十時間しかない」
「承知しております」
職員の表情は硬い。
「そのため、正式な国家承認とは切り離し、まずは緊急の世界間接続承認について協議します」
「別なんですか」
「日本国がアステリア王国を外交上の国家として正式承認することと、危機対応のため接続先の統治主体として認めることは別問題です」
いきなり全てを決める必要はない。
世界境界管理塔が求めているのは、地球側の統治機構による承認。
国際法上の細かな手続きまで、塔が求めているわけではない。
「暫定的な承認でも、管理塔が受け入れる可能性はあります」
第七端末が答えた。
「接続先世界を代表する正規の意思決定であると確認できれば、条件を満たします」
日本政府が。
日本国内に存在する転移門について。
接続を受け入れる。
そこまで決めてもらえればいい。
「それなら、何とかなるかもしれない」
少しだけ希望が見えた。
だが、外務省職員は安堵していない。
「政府側からは、多くの確認事項が出ています」
「当然でしょうね」
「アステリア側の人口、統治制度、軍事力、感染症、魔法の危険性。転移門を通じて、日本へ侵入可能な生物や物質についてもです」
どれも答えなければならない。
接続を許可した結果、日本が危険に晒される可能性はないのか。
俺ですら、完全には分かっていない。
「分からないことは、分からないと答えます」
都合のいい部分だけを伝えて、承認を取るつもりはなかった。
天城久遠のように。
必要だからと、判断材料を隠したくはない。
巨大な球体の上へ、天城の姿が現れた。
『一つ助言しよう』
「聞くだけ聞きます」
『全てを正直に話せば、承認は得られない』
「どうして」
『大裂界が地球へ流入する可能性がある。魔法の原理も分からない。相手から見れば、危険しかない』
「だから隠せと?」
『危機が解決した後で説明すればいい』
「駄目です」
『君は三億人の命を背負っている』
「日本側の人たちにも、命があります」
地球には八十億人。
日本にも大勢の人が住んでいる。
アステリアを助けるためなら、地球側へ危険を隠していいわけではない。
「承認したことで何が起きるか。分かっていることは全部伝えます」
『それで拒否されたら?』
「別の方法を探します」
『時間はない』
「それでもです」
天城は、しばらく俺を見ていた。
『御影君は、君のそういう部分を評価したのだろうな』
「あなたは評価しないんですか」
『評価と信頼は別だ』
「俺も同じです」
天城の映像が僅かに笑った。
『好きにするといい』
◇
地上へ出る。
旧本社の前には、来た時よりも多くの車両が並んでいた。
俺たちは二台の車へ分かれて乗る。
俺の隣にはリゼル。
向かいにはセレフィナと外務省職員。
ノアと第七端末は後続車だった。
車が動き出す。
窓の外には、いつもの日本の街が広がっている。
コンビニ。
信号。
横断歩道。
昼食へ向かう会社員。
昨夜までなら、何も特別に感じなかった光景。
今は、この世界も守らなければならない対象に見える。
「陛下」
リゼルが小さな声で呼ぶ。
「どうした」
「日本政府より、接続を拒否された場合は」
「まだ考えてない」
「アステリアを救うため、地球との門を閉じることも必要となります」
地球との接続を未登録のまま残せば、大裂界の一部が流れ込む可能性がある。
安全に世界境界を閉じるには。
日本政府から承認を得るか。
地球との接続ごと切断するしかない。
「その時は、陛下は地球側へお戻りください」
「リゼル」
「我々は、陛下の御帰還を望みました」
リゼルは窓の外を見たまま続ける。
「ですが、陛下から御故郷を奪うことを望んだわけではございません」
「まだ決まってない」
「はい」
「決まってないうちから、俺だけ帰す話をするな」
少し強く言ってしまった。
リゼルは反論しなかった。
「申し訳ございません」
「謝らなくていい。今は承認を取ることだけ考える」
「御意」
その返事は、いつもより小さかった。
◇
協議の場所として案内されたのは、一般の会議室には見えない施設だった。
地下駐車場から直接建物へ入り。
窓のない廊下を進み。
複数の確認を受けた後、大きな会議室へ通される。
長い楕円形のテーブル。
壁一面の大型画面。
既に三十人近い人間が座っていた。
外務省。
内閣官房。
警察。
防衛関係者。
科学技術関係者。
厚生関係者。
電力と通信の専門家。
全員、机の前に資料を置いている。
俺の勤務先の社長室で行われた話し合いとは、空気が違った。
中央に座る五十代ほどの男性が立ち上がる。
「内閣官房で、今回の対応を担当しております、榊原です」
「如月蓮です」
「存じております」
差し出された手を握る。
その直後。
リゼルとセレフィナが俺の背後で片膝をついた。
「アステリア王国初代近衛騎士団長、リゼル・アルフェリアにございます」
「同国宰相、セレフィナ・アルシェリアでございます」
会議室の視線が集まる。
「立ってくれ」
日本へ来るたびに言っている気がする。
二人が立ち上がった。
榊原という男性は、表情を変えなかった。
「お掛けください」
俺の席は、テーブルの中央に用意されていた。
名前の前には。
《アステリア王国建国王 如月蓮陛下》
と書かれている。
「この陛下って消せませんか」
「先方から提出された正式な表記です」
セレフィナを見る。
「外交上の礼式でございます」
「日本では普通に如月でいい」
「御意」
言いながら、名札を直す気はないらしい。
全員が席につく。
最初に、榊原が状況を整理した。
「本日の協議は、アステリア王国を日本国が正式に国家承認するための最終交渉ではありません」
「分かっています」
「日本国内に形成された世界間転移門と、その接続先について、緊急措置として受け入れの可否を判断します」
「それで十分です」
「ただし、承認には日本側の安全が確認できることが必要です」
「分かる範囲は全て説明します」
榊原が一度頷く。
「それでは、アステリア王国側から説明をお願いします」
セレフィナが立ち上がった。
机の上へ手を向ける。
淡い光が広がり、会議室の中央に立体映像が現れた。
アステリア全土の地図。
王都。
周辺都市。
山脈。
海。
防衛塔。
「アステリア王国は、建国より三百二年。現人口一億八千万人。保護領および協力地域を含めた統治対象人口は、三億一千四百万人を超えます」
会議室が僅かにざわつく。
「現在は議会、各地域の自治機関、王国各省により統治されております。陛下の御帰還以前も、国家機能は維持されておりました」
「如月さんが不在でも、国家として成立していた?」
「はい」
「では、現在の国家元首は別にいるのではありませんか」
当然の質問だった。
俺も気になっていた。
セレフィナは別の資料を表示する。
「陛下御不在中、恒久的な国王は置かれておりません」
「三百年間も?」
「摂政会議および国民議会により運営されてまいりました」
建国王は俺一人。
その後、誰も王位へ就かなかった。
俺の帰還を待つためだったのか。
俺の名前を利用して、権力争いを避けるためだったのか。
両方なのだろう。
「陛下御帰還後、国民議会、摂政会議、各自治領代表による緊急合同議決を実施いたしました」
「聞いてないぞ」
思わず声が出た。
セレフィナは平然と続ける。
「賛成一千八百四十二。反対零。棄権三により、建国王の統治権限復帰が承認されております」
「いつ?」
「陛下が第四塔へ向かわれている間でございます」
また俺が知らない間だった。
「棄権した三人は?」
「陛下の御意思を確認せず議決を行うことに反対いたしました」
「その三人の方が正しくないか」
「手続き上、議決は成立しております」
日本政府と交渉する前に、アステリア側の手続きまで終わらせていた。
有能だ。
困るほどに。
榊原が俺を見る。
「如月さん御本人は、国家元首への復帰を受け入れておられるのですか」
「正式に考える時間はありませんでした」
「では、受け入れていない?」
誤魔化すことはできない。
「最初は、元に戻るつもりはありませんでした」
会議室が静かになる。
「でも今は、アステリアを守るために必要な権限を使っています。避難命令も出した。施設も停止した。世界境界管理塔も動かした」
自分は関係ないとは言えない。
「少なくとも、この危機が終わるまでは、責任を持ちます」
「危機が終わった後は?」
「その時に、アステリアの人たちと話し合います」
セレフィナが何か言いたそうにしている。
だが、今回は口を挟まなかった。
榊原は俺の答えを記録させた。
「では、アステリアを代表して今回の承認を求めているのは、如月さん御本人で間違いありませんか」
「はい」
ここだけは、はっきり答える。
「日本政府に、アステリアとの世界間接続を承認してほしい」
「理由を説明してください」
俺は大裂界について話した。
世界の外側から侵入しようとしている存在。
領主権限を奪い。
世界境界管理塔を掌握し。
アステリアだけでなく、地球への経路も得ようとしていること。
管理塔を四基起動したことで、閉鎖条件は整った。
だが、地球との接続が未登録のままでは。
大裂界を閉じる際に、その一部が転移門を通じて地球へ流れ込む可能性がある。
「確率は」
科学技術関係者らしい女性が尋ねる。
「三十二・八パーセントです」
「根拠は」
「世界境界管理塔の計算」
「その設備の信頼性は?」
「完全には証明できません」
会議室の空気が硬くなる。
予想していた反応だった。
「管理塔は、この世界を長期間守ってきました。でも、俺たちも全てを理解しているわけではありません」
「理解できていない装置の判断を根拠に、日本へ承認を求めているのですか」
「はい」
不利になる答えでも、変えるつもりはない。
「ただ、承認しなかった場合の危険もあります」
現在開いている世界間転移門。
大裂界。
既に地球側の存在は、回収者に探されている。
何もしなければ安全という状況ではない。
「接続を拒否すれば、アステリア側はどうしますか」
榊原が尋ねる。
「地球との転移門ごと閉じます」
リゼルの指が僅かに動いた。
俺は続ける。
「それが一番安全です」
「如月さんは、地球へ残る?」
「まだ決めていません」
「その判断を、二十時間以内に?」
「そうなります」
会議室の何人かが、互いに資料を確認する。
「アステリア側が接続を閉じれば、日本への危険はなくなるのではありませんか」
防衛関係者が尋ねる。
「完全には分かりません」
第七端末が立ち上がった。
「説明を許可しますか」
「頼む」
「外部侵蝕体は、既に地球側人工端末の存在を間接的に認識しています。転移門を閉じた場合、追跡経路の大半は失われます」
「大半ということは、残る?」
「はい。将来、別の経路から地球を発見する可能性があります」
「確率は?」
「算出不能です」
日本政府から見れば。
承認しても危険。
拒否しても、将来的な危険は残る。
簡単に決められる話ではない。
「転移門を承認した場合、日本側が得る利点は何ですか」
今度は、別の男性が尋ねた。
利点。
アステリアを救える。
それだけでは、日本政府が国民へ説明するには弱いのかもしれない。
セレフィナが資料を開こうとする。
俺は手で止めた。
「最初に言っておきます」
全員の視線が集まる。
「承認の対価として、金や資源を渡して買収するつもりはありません」
セレフィナの動きが止まる。
たぶん、その資料を出そうとしていた。
「ただし、接続を維持するなら、日本側にも利益が必要だということは分かります」
魔法技術。
医療。
新しい資源。
異世界との交易。
研究。
観光。
思いつくだけでも、様々な可能性がある。
「安全が確認できたものから、協力することはできます」
「軍事技術も?」
「今ここでは約束できません」
「治癒魔法は」
「日本側の法律と、アステリア側の安全基準を確認してからです」
「資源輸入は?」
「同じです」
セレフィナが僅かに俺を見る。
外交交渉としては、すぐに使える材料を提示した方がいいのだろう。
だが。
何でも渡すと約束して承認を得れば、後で必ず問題になる。
「今、約束できるのは」
一度、言葉を選ぶ。
「アステリア側で危険なものを、勝手に地球へ持ち込ませないこと」
ノアが少し目を逸らした。
「転移門を通る者と物品を、両政府で管理すること」
リゼルが静かに頷く。
「地球側で問題が起きた時、アステリアが責任を持って対応すること」
セレフィナが資料へ書き加える。
「それと、日本側が困った時、できる範囲で協力します」
国家間の約束としては、曖昧かもしれない。
けれど。
今の俺が嘘をつかずに言えるのは、そこまでだった。
榊原は、しばらく俺を見ていた。
「如月さん」
「はい」
「アステリア王国は、非常に高度な技術と、我々が理解できない能力を持っています」
「はい」
「その国の代表としては、ずいぶん控えめな回答ですね」
「昨日まで会社員だったので」
会議室の何人かが、僅かに表情を緩めた。
「国家間の交渉に慣れてないんです。だから、分からないことまで約束したくありません」
「正直ですね」
「後から揉めるよりはいいでしょう」
榊原は小さく頷いた。
「その点については同意します」
◇
協議は続いた。
感染症。
魔力が地球環境へ与える影響。
アステリアの住民が地球へ来た場合の身分。
犯罪が起きた時の裁判権。
転移門の警備。
門が存在するマンションの扱い。
会社員である俺の身分。
「最後の二つは、今必要ですか」
「転移門の管理主体を決めるために必要です」
俺のマンションは、現在アステリアと地球を繋ぐ唯一の門になっている。
普通の賃貸物件として扱い続けるのは無理がある。
「建物の所有者は、アステリア側への売却を希望しております」
政府側の担当者が言う。
「百八十億円の件ですか」
「現在、提示額は二百四十億円へ修正されています」
「上げるなと言っただろ」
アルノルトたちが交渉した結果だろう。
なぜ買う側が値段を上げているのか。
「アステリア側からは、周辺六棟についても購入希望が出ています」
「六棟?」
「転移門周辺へ、在外公館、警備施設、来訪者用宿泊所、検疫施設を設置する計画とのことです」
セレフィナを見る。
「初めて聞いた」
「陛下の御生活への影響を抑えるために必要かと」
「俺の生活、完全に消えてないか」
自宅の周辺が異世界国家の公館地区になろうとしている。
「計画だけで、契約はしておりません」
「計画も先に見せてくれ」
「御意」
政府側からすれば、アステリアが直接土地を買い集めることにも懸念がある。
最終的に。
門周辺は日本政府が一時的に管理し。
アステリア側へ必要な区画を提供する。
建物の購入については、正式な国交交渉まで保留。
そういう形でまとまった。
俺の部屋へ自由に帰れるかは、分からない。
「会社の扱いについては」
人事関係ではなく、外務省の担当者が資料を開いた。
「勤務先から、如月さんの雇用を継続したいとの意向が届いております」
「この状況で?」
「休職制度を適用し、状況が落ち着いた後に復帰を希望する場合は受け入れるとのことです」
大崎社長。
直属の上司。
会社の人たち。
朝には、俺が国家元首だと聞いて混乱していた。
それでも、いきなり解雇するつもりはないらしい。
「アステリア側からは、勤務継続への正式な抗議が」
「止めてください」
「既に撤回されています」
「誰が?」
「外務院次官のアルノルト氏です」
社長室で話し合った結果が、反映されている。
勝手に始めた問題を、勝手に解決していた。
協議開始から、六時間が経った。
時計は午後七時を回っている。
俺は昨日から眠っていない。
机に座っているだけでも、頭が重くなってきた。
それでも、残り時間は減っている。
《第七塔破壊まで――十四時間十二分》
政府側は一度、別室で協議することになった。
俺たちは会議室に残される。
「陛下、少しお休みください」
リゼルが言う。
「今寝たら起きられない」
「御身体が限界です」
「終わってから寝る」
セレフィナが小さな瓶を取り出した。
「疲労回復薬がございます」
「副作用は?」
「眠気が一時的に消失します。その後、通常の三倍程度の睡眠が必要となります」
「あとで寝られるなら使う」
「陛下」
リゼルが止めようとする。
「倒れるよりいい」
薬を一口飲む。
苦い。
喉を通った直後、頭の重さが少しずつ薄れていく。
体の疲れそのものが消えたわけではない。
無理やり感じなくしているだけだ。
「一本だけにしてください」
「分かってる」
ノアが会議室の設備を見ている。
「地球側の通信網と、アステリアの魔導通信を接続できる」
「今はするなよ」
「試験だけ」
「試験も駄目」
「もう一部繋いだ」
「戻せ」
「便利」
「安全確認してからだ」
ノアが不満そうに接続を解除する。
本当に油断できない。
十五分後。
政府側の人間が戻ってきた。
榊原が席につく。
「日本政府としての回答をお伝えします」
会議室の空気が変わった。
俺も座り直す。
「日本国は、アステリア王国との正式な外交関係について、今後継続して協議します」
「はい」
「それとは別に、現在の緊急事態を解決するため、アステリア王国を世界間転移門の接続先を代表する統治主体として暫定承認します」
一瞬、意味を理解するのが遅れた。
「承認する、ということですか」
「はい」
榊原が正式な文書をテーブルへ置く。
「ただし、条件があります」
転移門の共同管理。
人員と物品の移動制限。
危険な生物、魔法、武器の持ち込み禁止。
日本側の安全調査。
問題発生時の即時協議。
「この条件をアステリア側が受け入れるのであれば、日本政府は世界間接続を承認します」
俺は文書へ目を通す。
分からない法律用語も多い。
セレフィナが同時に確認している。
外務省職員から、簡単な説明も受ける。
「問題は?」
セレフィナへ尋ねる。
「緊急措置としては受け入れ可能でございます」
「後で不利になる部分は?」
「恒久的な条約ではないため、正式交渉の余地は残されております」
「なら、受け入れる」
セレフィナが文書へアステリアの言葉を併記する。
俺の前に、署名欄が置かれた。
《アステリア王国代表》
《建国王レグナ》
地球側の名前も必要だと言われ。
その下に《如月蓮》と書き加える。
「本当に俺でいいんですか」
榊原は真剣な顔で答えた。
「アステリア側が、あなたを代表者として正式に選んでいます」
「本人の知らないところで決まってましたけど」
「その点については、今後アステリア国内で整理してください」
日本政府にまで言われた。
署名する。
榊原も、日本政府側の文書へ署名した。
最後に。
両者の印が押される。
《地球側統治機構による承認を検出》
第七端末が顔を上げた。
《承認主体――日本国政府》
《対象――アステリア世界間接続》
《暫定登録を開始》
会議室の中央に、白い光が広がる。
日本側の人々が緊張した表情で見守る。
《アステリア側主権者承認――完了》
《地球側統治機構承認――完了》
《世界間接続を正規経路として登録》
「条件を満たしました」
第七端末が俺を見る。
「敵性接続のみを遮断できます」
「実行する」
《世界境界封鎖を開始しますか》
「開始」
会議室の大型画面へ、アステリア上空の映像が表示される。
王都を覆う防衛結界。
空を裂く巨大な黒い亀裂。
その奥から、こちらを見ている目。
四基の世界境界管理塔が、一斉に白い光を放つ。
《第一塔――正常》
《第四塔――正常》
《第五塔――正常》
《第七塔――損傷率六十一パーセント》
《世界境界封鎖を実行》
大裂界の周囲に、四本の白い線が現れる。
巨大な目が動いた。
初めて、明確に怯えたように。
黒い腕が何本も伸び、閉じようとする境界を押し返す。
《外部侵蝕体による抵抗を確認》
《封鎖出力を上昇》
第一塔。
リゼルが三百年間封じていた塔。
第四塔。
御影総司が消えるまで守り続けた塔。
第五塔。
二人のセレフィナが、三百四十七人と共に残した塔。
第七塔。
最初に俺を現実として認めた塔。
四つの光が繋がる。
黒い腕が、一本ずつ大裂界の向こうへ押し戻されていく。
《敵性外部接続を遮断》
巨大な目が、最後に俺を見た。
会議室にいるはずの俺を。
画面越しではなく。
直接見つけたように。
『ミツケタ』
声が聞こえた。
会議室にいた全員が、同時に顔を上げる。
空気を震わせる声。
地球側にも届いていた。
『ツギハ』
大裂界が細くなる。
『ソノセカイダ』
「閉じろ!」
《世界境界封鎖出力――最大》
白い光が画面を覆う。
黒い亀裂が。
巨大な目が。
伸びていた腕が。
全て、一本の細い線へ押し込まれる。
《敵性外部接続の遮断を完了》
線が消えた。
アステリアの空に。
三百年ぶりの、何もない夜空が戻る。
《大裂界――消失》
《王都防衛結界への侵蝕停止》
《世界境界安定率――九十八・七パーセント》
誰も、すぐには声を出さなかった。
終わった。
少なくとも、今の危機は。
王都を守っていた結界の残り時間も消えている。
リゼルがその場で片膝をついた。
「陛下」
声が震えている。
「アステリアを、お救いくださいました」
「俺一人じゃない」
リゼル。
セレフィナ。
ノア。
御影総司。
第七端末。
日本政府。
アステリアで動き続けた人たち。
全員がいたから間に合った。
「とにかく、これで少し休める」
本当に限界だった。
疲労回復薬で誤魔化しているだけで、体は休息を求めている。
だが。
机の上に置いたスマートフォンが、一斉に震え始めた。
俺だけではない。
会議室にいる日本政府関係者の端末も。
次々と着信や通知を受けている。
榊原が届いた報告を確認し、表情を変えた。
「如月さん」
「今度は何ですか」
「先ほどの協議について、情報が公開されています」
「公開?」
「日本政府からは、まだ発表していません」
嫌な予感がした。
俺はセレフィナを見る。
彼女は首を横へ振った。
「私からは指示しておりません」
リゼルも知らない。
ノアは目を逸らした。
「ノア?」
「通信接続の試験は解除した」
「本当に?」
「地球側からは」
「地球側からは?」
「アステリア側への送信は残ってたかもしれない」
大型画面が切り替わる。
アステリア王国の公式広報らしき映像が表示された。
王都の中央広場。
何百万人もの人々。
空に浮かぶ巨大な映像。
そこには。
先ほど日本政府と署名した俺の姿が映っていた。
「何で映像が向こうに流れてるんだ」
「国民へ、陛下の初外交を中継するため」
ノアが答えた。
「誰が許可した」
「王国広報院」
「止めなかったのか」
「危険はなかった」
「機密の話をしてるんだよ」
更に新しい通知が届く。
アステリア王国外務院名義。
《アステリア王国および日本国による、史上初の世界間接続承認が成立》
《建国王レグナ陛下、日本国政府との交渉を成功へ導く》
既に地球側の通信網へも流れている。
日本語。
英語。
他にも見覚えのない言語。
「誰が地球側へ公開した」
アルノルトから連絡が届く。
《陛下》
《御交渉成立、誠におめでとうございます》
《両世界の友好を願い、百二十七言語による公式発表を行いました》
「行う前に聞け!」
会議室の電話が次々と鳴る。
海外政府。
報道機関。
各国大使館。
日本政府の内部連絡。
世界中から問い合わせが殺到しているらしい。
榊原が額へ手を当てた。
「正式発表は、両者で時刻と内容を調整する予定でした」
「すみません」
「如月さんが謝ることなのか、判断が難しいですね」
会社の社長と同じことを言われた。
ようやく大裂界を閉じた。
アステリアを救った。
地球との門も残った。
その代わり。
異世界が実在するという事実が。
日本政府の発表より先に。
俺の元部下たちの手で、世界中へ公開されていた。




