第12話 もう一人のセレフィナ
書き直し消去予定
《第五塔管理補助者より伝言》
《お待ちしておりました、陛下》
《どうか、王都にいる私を信用なさらぬよう》
表示された文章を前に、誰もすぐには動けなかった。
王都にいるセレフィナ。
第五塔で俺たちを待つ、もう一人のセレフィナ。
どちらが本物なのか。
そもそも、本当に同じ人物なのか。
「第七端末」
「はい」
「登録情報の偽装は可能か」
白髪の少女が、第五塔から届いた信号を解析する。
「外部から管理補助者の名を書き換えることは困難です」
「困難ということは、不可能ではない?」
「正規の管理者権限を奪われている場合は可能です。ただし、第五塔の応答には、セレフィナ・アルシェリア本人の魂紋が含まれています」
「魂紋?」
「個体ごとに異なる生命情報です」
リゼルが画面を睨む。
「王都にいる宰相本人と一致しているのですか」
「九十九・九八パーセント一致しています」
「残りの差は」
「経過時間による変化と推測されます」
現在のセレフィナと、同じ魂を持つ存在。
だが、その情報は古い。
「登録されたのはいつだ」
《管理補助者登録日時――二百九十三年前》
第五塔が停止した時期と同じだった。
「王都のセレフィナが、二百九十三年前にここへ来ていた」
「その可能性が最も高いです」
なら、塔にいるのは偽物とは限らない。
三百年前の記録。
管理人格。
分離された思考。
第四塔に残っていた御影総司と似た状態なのかもしれない。
「第五塔へ行く」
リゼルが俺の前へ立つ。
「陛下。伝言の意図が分かりません」
「だから確認する」
「罠である可能性もございます」
「第二塔よりはましだ」
第二塔は、俺の名前を使って転移を受け入れようとしていた。
完全に奪われている可能性が高い。
第五塔にも侵蝕体はいる。
だが、少なくとも正規の魂紋を持つ何者かが抵抗を続けている。
「危険があれば撤退する。さっき決めただろ」
「残り一時間での撤退でございます」
「今度もそれでいく」
リゼルは納得していない。
それでも、俺が一人で向かうよりはいいと判断したのだろう。
剣の位置を確認し、転移円の中へ入った。
第七端末が第五塔へ再び認証を送る。
《転移受入条件を確認》
《受入人数――三名》
《管理補助者より追加伝言》
《陛下と初代近衛騎士団長を、最優先で受け入れます》
リゼルの肩が僅かに動いた。
「初代近衛騎士団長という呼称を知っています」
「セレフィナなら知ってるだろ」
「はい」
だからこそ、判断できない。
古い情報を利用した罠なのか。
本当にセレフィナ本人の一部なのか。
《直接転移を開始》
足元から赤い光が昇る。
「陛下」
視界が消える直前、リゼルが俺の腕を掴んだ。
「私から離れないでください」
「分かった」
次の瞬間。
熱い空気が全身へ叩きつけられた。
◇
《第五世界境界管理塔へ到着》
《塔内温度――五十八度》
《境界炉――暴走寸前》
《外部侵蝕率――四十一パーセント》
「暑すぎるだろ」
第四塔の氷点下四十三度から、一気に百度近い温度差だ。
呼吸するだけで喉が焼けるように痛む。
第七端末が俺たちの周囲へ白い膜を展開する。
「環境保護を高温対応へ変更します」
少しずつ熱が遠ざかる。
それでも汗は止まらなかった。
第五塔の内部は、赤い光に包まれている。
円形の部屋。
壁の大半が黒い根のようなものに覆われ、脈打つたびに赤い液体が内部を流れていた。
建物というより、巨大な生物の体内に見える。
床にも細い根が這い、俺たちの足元へ近づこうとしていた。
「陛下、お下がりください」
リゼルが盾を構える。
根は彼女の盾へ触れる直前で止まった。
先端が持ち上がり、こちらを観察するように揺れる。
《建国領主権限を検知》
《外部侵蝕体が活動を開始》
「到着しただけで起こしたらしい」
「接触前に排除いたします」
「斬ると増える可能性がある。まだ待て」
黒い根の先が二つに割れた。
内部から小さな赤い目が現れる。
塔全体に、何百もの視線が生まれた。
その時。
正面の壁が白く光った。
黒い根が左右へ引き裂かれ、細い通路が現れる。
『こちらです、陛下』
声が聞こえた。
セレフィナと同じ声。
だが、普段より少しだけ若い。
「急いでください。侵蝕体は、既に陛下の御到着を認識しています」
リゼルが俺を庇いながら、通路へ入る。
第七端末も続いた。
俺たちが通過した直後、壁が閉じる。
黒い根が押し寄せ、入口を再び覆った。
細い通路の先には、下へ続く階段があった。
壁には赤い警告が絶えず表示されている。
《第五塔防衛機能――停止》
《管理中枢への侵蝕進行中》
《生命維持区画――稼働率三十二パーセント》
「三百四十七人の生存反応は、どこにいる」
第七端末が塔内図を表示する。
「生命維持区画です。全員、休眠状態にあります」
「二百九十三年間も?」
「第五塔内部では、身体時間が停止されています」
生きている。
眠ったまま。
三百年近く。
「どうして、そんな人数が塔にいる」
「記録が封鎖されています」
「誰が封鎖した」
「管理補助者、セレフィナ・アルシェリアです」
また、その名前だった。
階段を下りる。
熱気は更に強くなっていく。
途中、壁の一部が膨らみ、黒い腕が飛び出した。
リゼルが盾で受け止める。
「走ってください!」
斬らずに押し返し、そのまま前へ進む。
俺は管理画面を呼び出した。
《第五塔内設備への操作権限なし》
第四塔では管理者権限を受け取ったあと、侵蝕された部分を切り離せた。
ここでは、まだ俺に所有権がない。
「管理補助者。聞こえるか」
『はい』
「塔の一部を俺の管理下へ移せないか」
『可能です。ですが、今の私には中枢区画の権限しか残されておりません』
「それだけでいい。通路と隔壁を操作できるようにしてくれ」
『承知いたしました』
《第五塔管理補助者より暫定権限移管》
《対象――建国領主レグナ》
《管理可能範囲――中枢接続経路》
通路全体へ白い線が走る。
壁から伸びていた黒い腕が、途中で止まった。
《侵蝕区画を隔離しますか》
「隔離」
背後の隔壁が一斉に閉じる。
黒い腕と根が、通路の外側へ押し出された。
完全には排除できない。
それでも、追跡を遅らせることはできる。
「お見事でございます」
「権限を貸してもらっただけだ」
リゼルが前方の安全を確認する。
「それを即座に使いこなせることが、既に尋常ではございません」
「ゲームの管理画面と似てるからな」
正確には、ゲーム側がこの管理機能を使いやすい形へ変換していたのだろう。
階段を下り切る。
目の前に、大きな扉があった。
《生命維持区画》
暫定権限で開く。
内部は、想像していたより遥かに広かった。
天井の高い空間。
左右へ何列も並ぶ、透明な筒。
一つ一つの中に、人が眠っている。
人間。
獣人。
エルフ。
小柄な種族。
老人もいれば、子供もいる。
服装は古い。
俺がゲームをしていた頃のアステリアに近かった。
「この人たちは」
「二百九十三年前、第五塔周辺に存在した街の住民です」
声は、すぐ近くから聞こえた。
筒の間に、一人の女性が立っている。
長い金色の髪。
細長い耳。
白い法衣。
セレフィナだった。
ただし、王都にいる彼女とは少し違う。
表情が幼い。
目元にも、長い年月を過ごした者の静かな重さがない。
俺がゲームをしていた頃のセレフィナに近かった。
彼女は俺を見ると、両膝を床についた。
「お帰りなさいませ、陛下」
声が震えていた。
「二百九十三年。この日だけを、お待ちしておりました」
リゼルは剣から手を離さない。
「名を名乗りなさい」
「セレフィナ・アルシェリア」
女性が顔を上げる。
「二百九十三年前、第五塔管理補助者として分離された管理人格でございます」
「分離された?」
「私の肉体は、王都へ帰還しました」
「では、王都にいる宰相が本体なのか」
「当時は、そうでございました」
今は違う。
そんな含みのある言い方だった。
「この人たちに何があった」
眠る三百四十七人を見る。
「第五塔の一部が、現実世界へ露出いたしました」
セレフィナの管理人格が、空中へ古い映像を表示する。
広い街。
石造りの建物。
市場を歩く人々。
突然、街の中央に白い塔が現れる。
直後、空が黒く裂けた。
「大裂界?」
「当時は、名もございませんでした」
黒い亀裂から降り注ぐ粒。
触れた建物が崩れる。
人々の体へ黒い筋が広がる。
兵士たちが避難を始めている。
先頭で指示を出していたのは、若いセレフィナだった。
「第五塔へ避難できた者は三百四十七名。街に残された者は、一万二千八百六名」
「残った人たちは」
「全員、死亡いたしました」
映像の街が黒く染まる。
最後には、地図から消えた。
「避難者にも侵蝕の兆候がございました。このまま外へ戻せば、アステリア全土へ広がる危険があったため、時間停止状態へ移しております」
「治療はできなかったのか」
「当時の技術では不可能でした」
「今は?」
「現在のアステリアの医療技術と、陛下の領主権限があれば、救命できる可能性がございます」
三百四十七人。
助けられる可能性がある。
「なら、どうして今まで放置された」
管理人格のセレフィナは、すぐには答えなかった。
代わりに、生命維持区画の奥へ顔を向ける。
そこには、もう一つの巨大な扉があった。
《境界炉管理中枢》
「第五塔を外部と接続すれば、休眠者を王都へ移送できます」
「接続しなかった理由は」
「本体である私が、封鎖を命じたからです」
王都のセレフィナ。
彼女自身が、この三百四十七人を塔へ残した。
「何のために」
「第五塔の接続経路を開けば、侵蝕体がアステリアの位置を正確に認識する可能性がございました」
当時のアステリアには、侵蝕を防ぐ力がなかった。
塔に閉じ込められた三百四十七人を助けるために道を開けば。
国全体が危険に晒される。
「セレフィナは国を選んだ」
「はい」
「お前をここへ残して?」
「生命維持を継続する管理者が必要でした」
若いセレフィナは、自分の記憶と人格を複製した。
塔に残る三百四十七人を守るために。
その後、肉体を持つ本体だけが王都へ帰還した。
「本体は、必ず方法を見つけると約束しました」
「戻ってこなかったのか」
「一度も」
声に怒りはなかった。
悲しみも、ほとんど残っていない。
二百九十三年間。
同じ期待を持ち続けるには、長すぎたのだろう。
「王都の記録から、第五塔とこの街の存在は消去されました」
「セレフィナが消した?」
「はい」
「だから、俺にも話さなかった」
「陛下が知れば、必ずここへ来られると理解していたのでしょう」
否定できない。
実際に、俺は来た。
危険だと分かっていても。
「それで、王都のセレフィナを信用するなと?」
「現在の彼女は、国を守るためであれば陛下へも真実を隠します」
「お前は違うのか」
若いセレフィナは、静かに首を横へ振った。
「私も同じ選択をするでしょう」
「同じ?」
「三百四十七人を残し、アステリアを守る選択を」
予想していなかった答えだった。
「では、なぜ本体を信用するなと言った」
「彼女は、その選択を陛下へ告げません」
管理人格のセレフィナが、俺を見る。
「国のために嘘をつくことと、嘘をついた事実から逃げ続けることは別です」
このセレフィナは、王都の彼女を憎んでいるわけではない。
同じ判断をする。
同じように国を選ぶ。
だからこそ。
その後、二百九十三年間一度も向き合わなかったことを許せないのだ。
「現在のセレフィナへ繋げられるか」
「陛下」
リゼルが止めるように呼ぶ。
「本人から聞く」
第七端末が指輪との通信経路を開く。
《宰相セレフィナ・アルシェリアへ接続》
すぐには応答がなかった。
二度目の呼び出し。
三度目。
やがて、指輪の上へ王都のセレフィナが映し出された。
『陛下。第五塔へ向かわれたのですね』
驚いていない。
最初から、分かっていたような口調だった。
「知ってたんだな」
『はい』
「三百四十七人が残されていることも」
『存じております』
「どうして言わなかった」
セレフィナは答えない。
その視線が、俺の背後へ向く。
生命維持装置の間に立つ、若い自分。
二人のセレフィナが、二百九十三年ぶりに向かい合った。
「随分と、お年を召されましたね」
塔のセレフィナが、先に口を開いた。
『あなたは、変わりませんね』
「変わる時間を与えられませんでしたので」
『申し訳ありません』
「謝罪を聞くために残ったのではありません」
『分かっています』
「戻ると約束しました」
『はい』
「方法を見つけると」
『見つけられませんでした』
「違います」
若いセレフィナの声が、初めて強くなる。
「あなたは、探すことをやめたのです」
王都のセレフィナは否定しなかった。
『百二十一年間は、探し続けました』
「その後は?」
『第五塔への再接続が、大裂界を活性化させる可能性が高いと判明しました』
「だから、存在そのものを消した」
『国を守るためです』
「陛下へも隠した」
『陛下ならば、必ず向かわれるからです』
指輪に映るセレフィナが、俺を見る。
『実際に、向かわれました』
「だからって、何も言わなくていい理由にはならない」
『はい』
言い訳をしない。
『陛下へ真実をお伝えすれば、危険を承知で救出を試みられる。そう判断し、私は情報を封じました』
「俺を操ろうとしたのか」
『結果としては、その通りでございます』
リゼルが険しい顔で通信映像を見る。
だが、口は挟まなかった。
「俺が怒ると思わなかったのか」
『思っておりました』
「それでも隠した?」
『陛下に憎まれることより、陛下とアステリアが失われることを恐れました』
セレフィナの声は静かだった。
普段と変わらない。
だからこそ、その決断の重さが伝わってくる。
『必要であれば、私は今後も陛下へ真実を隠すでしょう』
「セレフィナ」
『国と陛下を守るために必要であるならば』
忠誠を誓っている。
だから何でも話すのではない。
俺が危険へ向かうと分かっていれば、止めるために嘘もつく。
三百年前の彼女なら、俺の命令へ従った。
今のセレフィナは違う。
自分で判断し。
俺の意志に背いてでも、守ろうとする。
「陛下」
塔に残された若いセレフィナが言う。
「これが、現在の私です」
同じ魂から分かれた二人。
片方は、三百四十七人と共に時間を止めた。
もう片方は、国を守るために前へ進み続けた。
どちらもセレフィナだった。
「話はあとで全部聞く」
『陛下』
「今は、この人たちを助ける」
王都のセレフィナが目を伏せる。
『第五塔を再起動すれば、侵蝕体が管理中枢へ集中いたします』
「もう来てる」
塔全体が大きく揺れた。
生命維持装置の中で、眠る人々の体が僅かに動く。
《侵蝕体が中枢隔壁へ到達》
《隔壁耐久率――六十八パーセント》
時間は少ない。
「再起動に何が必要だ」
塔のセレフィナが、奥の扉を開く。
「境界炉へ侵入した外部核の分離が必要です」
「俺の権限でできるか」
「第五塔の正式な管理権限が必要となります」
「渡してくれ」
若いセレフィナが首を横へ振る。
「私の権限だけでは不足しております」
「王都のセレフィナにも権限がある?」
「管理人格を分離した際、権限も二つに分かれました」
半分は塔。
半分は王都。
二人のセレフィナが揃わなければ、正式な移管ができない。
「セレフィナ。こちらへ来られるか」
王都の彼女が、僅かに躊躇する。
『第五塔へ直接転移した場合、旧統治室の指揮が一時的に停止します』
「どれくらいだ」
『代理を立てれば問題ございません』
「じゃあ来てくれ」
『陛下は、私を信用なさるのですか』
「今は信用するかどうかを決めてる場合じゃない」
正直な答えだった。
「隠していたことは許してない。でも、お前が国を守ろうとしたことまで疑ってない」
セレフィナはしばらく俺を見つめた。
『承知いたしました』
通信が切れる。
数秒後。
生命維持区画の中央に、青い転移陣が現れた。
光の中から、現在のセレフィナが姿を現す。
長い金髪。
深い緑の瞳。
同じ顔を持つ二人が、初めて同じ場所へ立った。
塔のセレフィナが、僅かに笑う。
「ようやく戻りましたね」
「遅くなりました」
「二百九十三年です」
「はい」
「待ちくたびれました」
「申し訳ありません」
二人はそれ以上、何も言わなかった。
現在のセレフィナが、俺の前で片膝をつく。
「第五塔管理権限の半分を、陛下へ移管いたします」
若いセレフィナも同じように膝をついた。
「残る半分を、移管いたします」
《第五塔管理権限の統合を確認》
《移管先――建国領主レグナ》
《正式管理権限を付与》
塔全体の情報が、一気に頭の中へ流れ込んでくる。
熱。
侵蝕。
生命維持装置。
境界炉。
中心部へ食い込んだ、巨大な黒い核。
建物の半分近くが、既に侵蝕体の一部へ変わっている。
「侵蝕された区画を全部切り離したら、塔が崩れる」
第七端末が頷く。
「境界炉周辺のみを分離し、正常区画を再接続する必要があります」
「細かく指定できるか」
「陛下の管理精度であれば可能です」
褒められている場合ではない。
俺は管理画面を最大まで広げた。
塔の断面図。
赤い部分が侵蝕。
白い部分が正常。
複雑に絡み合っている。
ゲームなら、壊れた施設を停止させて建て直せばよかった。
今は、中に三百四十七人が眠っている。
一つ間違えれば、生命維持が止まる。
「リゼル。侵蝕体が入ってきたら止めてくれ。斬らずに」
「御意」
「二人のセレフィナは、生命維持を維持」
「承知いたしました」
二人が同時に答える。
「第七端末は、正常区画の接続を補助」
「開始します」
俺は境界炉を選択した。
《侵蝕部分を分離しますか》
「範囲を手動指定」
黒い核の周囲へ線を引く。
太すぎれば、炉そのものが壊れる。
細すぎれば、侵蝕が残る。
塔が揺れる。
隔壁の向こうから、何本もの黒い腕が突き破ってきた。
リゼルが盾で受け止める。
「陛下は操作を!」
黒い腕が盾へ絡みつく。
リゼルは斬らず、体ごと押し返す。
二人のセレフィナが杖を掲げる。
生命維持装置へ、緑色の光が流れた。
《生命維持出力――三十二パーセント》
《四十一パーセント》
《五十八パーセント》
俺は線を閉じた。
「分離する」
《実行》
塔全体が跳ね上がった。
境界炉から、黒い核が剥がれ落ちる。
切断された根が暴れ、壁や床を叩く。
黒い核が人のような形へ変わった。
巨大な上半身。
何十本もの腕。
顔の代わりに、赤い目だけが開く。
「まだ動くのか」
「塔から分離され、外部侵蝕体として実体化しました」
第七端末が警告を出す。
《外部侵蝕体による領主権限への接触を確認》
巨大な腕が、俺へ向かって伸びる。
リゼルが間へ入った。
盾が押し込まれ、床を滑る。
「リゼル!」
「問題ございません!」
問題しかない。
だが、核を攻撃すれば増殖する可能性がある。
「塔の外へ排出できないか」
第五塔の管理画面を開く。
《廃棄経路――使用可能》
「核を廃棄対象に指定」
《対象は生体反応を保有しています》
「塔の所属じゃない。外部物として指定」
《指定を承認》
黒い核の足元に、白い穴が開く。
巨大な体が沈み始める。
腕が床や壁へしがみつく。
リゼルが盾で指を一つずつ外していく。
二人のセレフィナが風を起こし、核を穴へ押し込む。
「排出!」
白い穴が閉じた。
黒い核が消える。
《外部侵蝕核を境界外へ排出》
《第五塔内侵蝕率――四十一パーセント》
《十九パーセント》
《三パーセント》
《一パーセント未満》
「今だ。再起動する」
《第五世界境界管理塔を再起動しますか》
「実行」
境界炉に白い火が灯る。
赤く染まっていた壁が、少しずつ元の白色へ戻っていく。
黒い根が乾き、崩れ、塵となって消える。
《境界炉――正常》
《管理中枢――正常》
《生命維持機能――回復》
《第五世界境界管理塔、再起動》
世界地図に、三つ目の光が灯った。
《稼働中管理塔――三基》
《世界境界封鎖機能の最低稼働数まで、残り一基》
あと一つ。
生命維持装置の表示も変わる。
《休眠対象――三百四十七名》
《侵蝕除去処理を開始》
《覚醒可能時間――二十六時間後》
「助かるのか」
「全員ではございません」
二人のセレフィナが、同時に答えた。
現在のセレフィナが生命情報を確認する。
「長期間の休眠により、肉体が耐えられない方もおられます」
「何人くらいだ」
「現時点では分かりません」
「できる限り助ける」
若いセレフィナが、初めて穏やかに笑った。
「その御言葉を、お待ちしておりました」
「お前はどうなる」
「第五塔の管理人格として残ります」
「現在のセレフィナと統合は?」
二人が互いを見る。
「可能です」
第七端末が答える。
「ただし、二百九十三年間の記憶と人格差により、統合後の精神状態は予測できません」
若いセレフィナが首を横へ振った。
「私は、ここへ残ります」
現在のセレフィナも反対しなかった。
「もう私は、あの方と同じではございません」
塔に残った彼女が、生命維持装置へ触れる。
「この方々が目覚めるまで、私が見守ります」
「目覚めた後は?」
「その時に考えます」
三百年前のセレフィナなら、そんな答えはしなかった。
管理人格として残された彼女もまた。
二百九十三年の間に、自分で考える存在へ変わっていた。
「分かった」
俺は現在のセレフィナを見る。
「戻ったら、隠していることを全部話してもらう」
「はい」
「全部だぞ」
「陛下が御命じになるのであれば」
「命令する」
セレフィナは深く頭を下げた。
「御意」
これで、問題が解決したわけではない。
彼女が再び嘘をつかない保証もない。
俺も、すぐに信用できるか分からない。
それでも。
三百年間、自分で考え続けてきた彼女を、昔と同じNPCのように扱うことだけはできなかった。
「残る塔は一つ」
俺は世界地図を開く。
第二塔は回収者に奪われている。
残る停止塔も遠く、状態が分からない。
どこを選ぶべきか確認しようとした時。
第五塔の管理画面に、新しい項目が表示された。
《稼働中管理塔――三基》
《代替境界端末――一基》
「代替端末?」
第七端末が情報を開く。
《地球側人工境界端末》
《名称――エルグランド・サーガ最終サーバー》
《管理者――天城久遠》
《管理塔三基と代替端末一基による、世界境界封鎖が可能です》
「あと一つ、塔を起動しなくてもいい?」
「地球側端末が接続を受け入れれば可能です」
天城久遠。
三日後にアステリアとの接続を焼き切ると宣言した男。
世界を救うために必要な最後の一基を。
既に、あの男が持っていた。
「接続要求を送ってくれ」
第七端末が地球側の最終サーバーへ信号を送る。
《世界境界封鎖への参加を要求》
《応答待機》
数秒後。
返答が届いた。
《地球側人工境界端末より応答》
《接続要求を拒否》
「拒否?」
続けて、天城久遠から短い文章が表示される。
《三基を起動できたことは評価する》
《だが、まだ君に世界境界を任せることはできない》
《地球側端末を使用したければ、私のもとへ来い》
文章の下に、地球側の座標が表示された。
日本国内。
俺の住む場所から、それほど遠くない。
《所在地――株式会社グランドリンク旧本社地下施設》
七年前に閉鎖された、ゲーム運営会社の旧本社。
そこに。
死亡したはずの創業者と。
今も動き続ける《エルグランド・サーガ》最後のサーバーが待っていた。




