第298話 火と灰の町へ
翌朝、水月道場は静かな熱を帯びていた。
板間に響く足音と、木剣が奏でる風切り音。
朝日を弾いた汗が、床を鈍く光らせる。
吐く息は荒く、だが無駄はない。
廊下の端からその様子を眺め、俺は自然と口角が上がったのを自覚する。
道場の最後列、そこには宗次の姿も混じっていた。
動きはまだまだ粗いが、昨日までの遠慮が消えている。
教えられる側として、ここに立つ覚悟を決めた背中だ。
(悪くねぇ空気、出せるようになってんじゃねぇの)
声をかけることはせず、踵を返し昨日と同じ和室へと向かった。
畳に座り、向かいに正座する孫呂久へと白鵺丸を渡すと、改めて観察した後、丁寧に机の上へ白鵺丸を置く。
「昨日の決断に、揺るぎはありませぬか?」
短い一言だった。
無言で首を縦に振ると、最終確認かのように昨日と同じ話をもう一度繰り返す。
「燼里町は、鍛冶師が集う武京でも特別な町。二代目國光は、そこに居を構えております」
一呼吸置いて孫呂久はそのまま話を続けた。
「気難しい男です。刀を預かってもらえる保証も、会える保証すらもありません」
「あぁ、分かってる」
「……それに、時間もかかるでしょう」
孫呂久の言葉に、僅かな重みが乗る。
「修羅咲祭まで残り二カ月。鍛冶にかかる日数次第では……、万全とは言えぬ状況で挑まねばならぬ可能性もあります」
つまり、刀が長期間手元を離れ、修羅咲祭に間に合わない可能性もある。
……それでも。
「白鵺丸を諦める気はねぇ。俺の愛刀はコイツだ」
俺は即答した。
「このまま壊すつもりも、使い潰すつもりもない。なら、会いに行くしかないだろ?」
「ん。……阿吽らしい」
キヌが僅かに目を細め、禅は何も言わず、ただ俺を見ていた。
「最悪の場合、刀が戻らない可能性もあります」
続く孫呂久の言葉にも、視線を逸らさず答える。
「それでも、今向き合わなきゃ意味がねぇ。……それに俺は、実際にコイツを製作した二代目國光の腕を信頼する」
短い沈黙の後、孫呂久は小さく息を吐いた。
「……分かりました。ならば、すぐにでも向かいましょう」
孫呂久の目には穏やかな光が宿ったように感じた。
“腕を信頼する”という言葉は、鍛冶師として大きな意味を持っているようだ。
◇ ◇ ◇ ◇
支度はすぐに整った。
荷をまとめ、最後に白鵺丸を手に取る。
鞘越しに伝わる感触は、いつもと変わらない。
だが白鵺丸からは、息を潜め何かを待っているような……。そんな妙な感覚だけが、胸の奥に残った。
そうして道場の門を潜り、町へ出ようとした、その時だった。
「阿吽兄ちゃん!!」
背後から、声が飛んでくる。
振り返ると、宗次が息を切らし駆けて来ていた。
右手には木剣。
袖は乱れ、額には汗。
――稽古の、最中か。
「……おい」
思わず足を止める。
「今は稽古の時間だろ?」
「そ、そうだけど! でも……」
宗次は言い訳を飲み込み、木剣を握り直した。
「行く前に、どうしても言いたくて!」
迷いのない眼。
決意が籠った良い目だ。
「オレここで……水月道場で、精一杯剣を学びます!」
宗次の口調が、普段の子供染みたものから敬語に変わった。
それは、コイツなりの覚悟の証なのだろう。
「……そうか」
一息ついて、言葉を続ける。
「だったら、これからは何よりも剣の稽古を優先しろ」
「……はい」
「誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰れ。限界だと思っても剣を振り続けろ。最後に立つのは、一太刀でも多く振ったヤツだ」
宗次は目を見開き、力強く頷く。
「はいっ!」
「今後、絶対に稽古を抜け出すような真似はするな。剣の道を選んだ以上、途中で心を逸らすなよ」
「はい!」
宗次は顔を上げたままだった。
俺は視線を逸らし、間を置いてから、続ける。
「……ただ」
こっ恥ずかしい気もするが、これだけは伝えておきたい。
「ありがとな」
その言葉に、宗次がきょとんとする。
「宗次に会えて、嬉しかったぜ」
ぶっきらぼうに付け足すと、わずかな沈黙の後に宗次の顔がぱっと明るくなった。
「……オレの方こそ、ありがとうございました!!」
深く、深く頭を下げる。
「また会えるくらい、強くなります!」
「ああ」
短く答え、背を向ける。
“また会えるくらい”という言葉には、“修羅咲祭に出場できるほどに”という意味が隠されているのが伝わってきた。それは武京に生きる人間にとって、人生を賭ける覚悟がなければ口にできないほどに重い一言だ。
……なら、俺から最後に宗次へ伝えるべきは、別れの言葉ではない。
「次は――剣士として、な」
「はいっ!!」
肩越しに見えるのは、歳相応の笑顔。だが、出会った時とは全く別人の表情でもあった。
視線を感じ、隣のキヌをチラッと見ると、こちらを見ながら微笑んでいる。
「あの子、強くなるね」
「あぁ。どうせなら俺たちと並ぶくらいには、なってもらわねぇとな」
歩き出して少しすると、背後から再び木剣を打ち合う音が響き始めた。
――迷いのない、真っ直ぐで熱の籠った音だった。
次話は2/20(金)投稿予定です♪




