第7話 訛り懐かしふるさとの。
「姫さま、今日はどのようにお過ごしになられますか⁉」
いつものように、髪を梳きながら、ラウラが問うた。
「今日は、…そうね。図書室にでも行くわ」
たまには静かに勉強したい。
このところ、ディオンが帰ってきたのと、戴冠式の準備とかで、勉強がおろそかになっている。生真面目なレオナルトを支えられる妻になるためにも、まだまだたくさん学ばなければ。
それに、ちょっと…。
ちょっとだけ、いろんなことを忘れて、別のことをしていたい。
「承知いたしました」
ドレスを選んでいたマルガが、それに似合ったものを選び出す。図書室に向かうなら、豪華なドレスにする必要はない。
本を読んだり書き物をするのに邪魔にならないよう、袖の飾りの少ないものを選んでくれる。長時間座ってもラクなように、コルセットもわずかながら緩めにしてくれた。
モスグリーンの飾り気の少ないドレスは、地味だけど動きやすい。
髪も装飾を減らし、ゆったりと結い上げられる。調べものに夢中になってるとき、本を読み続けたとき、頭にゴチャゴチャついてるのは、なんとなく苦手だった。
二人は、そういった私の好みを熟知してくれている。
こういうTPOに合わせたチョイスをしてくれる二人の存在は、本当にありがたい。
「オルランド、いる!?」
慣れ親しんだ図書室で、司書長を呼ぶ。
「おお、おや、エセルさま、お久しぶりです」
積み上げられた本の中から、初老の男性が顔を出す。
本の虫って言葉があるけど、この司書長、オルランドはまさしくそれ。一日中、図書室で本に埋もれて暮らすことに幸せを感じているタイプ。
「今日はなにかお探しですかな」
ズレかけた眼鏡を直しながら問いかけられる。
こういう、俗世の、公宮のドロドロした人間関係から離れたところにいる人物と接するのは、正直落ち着く。多分、オルランドはあの舞踏会のこととか、知らないんだろうな。
「ベルフォスカ語の本、ないかしら。できれば歴史書がありがたいんだけど」
自分で探してもいいのだけれど、オルランドに訊いたほうが素早く、最適なものが見つかる。彼、この図書室の本なら、すべての内容を把握してるんじゃないかってぐらいに博識だし、私が読めるレベルがどれなのかも熟知している。
「これなど、いかがでしょうか。ここ三十年ほど前のことまでを大まかではありますが、書き記しております」
梯子に登ってオルランドが目当ての本を取り出す。提示された本と、当たり前のように、ベルフォスカ語の翻訳辞書もついてきた。
レファレンスサービス、完ぺき。
「ああ、それと、最新の医療情報の本が届いたって聞いたけど、それもあるのかしら」
語学ばかり勉強すると飽きる。時折でいいから、別ジャンルの本も読みたい。
「ええ、ございますよ。ただ…」
オルランドが言葉を濁す。彼の視線が少し彷徨う。
「先にそれを読まれている方がいらっしゃいますので、姫さまが読まれるのは、その後になるかと」
オルランドにつられるように、視線をむける。宮殿の北側に面した図書室は、やさしい光にあふれている。その一画で本を読んでいる、黒髪の男性。
「レオナルト…⁉」
「ん⁉ ああ、エセル」
レオナルトが本から顔を上げた。
物静かだから、オルランドに言われるまで、存在に気がつかなかった。
彼がここにいるのは、珍しいことではない。ディオンが帰ってくる前、彼はよくここで本を読んでいた。ディオンのように外遊に出ることのない彼は、こうして知識を研鑽しているらしい。
「きみも本を!?」
「ええ。ちょっと知りたいことがあって」
抱きかかえたままの本に視線を落とす。
彼に会うってわかっていたなら、もっとおしゃれしてこればよかった。以前は気にならなかった服装が、今は少しだけ後悔の対象になる。
「それは、ベルフォスカの!?」
「ええ。言葉を学びたかったから…」
ベルフォスカの言葉は、この国に来てから学んだ。フィリツィエの交易国ではあったけれど、そこまで重要な国ではなかったので、やや後回しになっていた。
今のところ、簡単な会話なら聞き取り理解することは出来るが、こちらから話しかけたりするのが難しい。
それに、歴史も。
私の故国ルティアナはベルフォスカと直接の縁がない。伝聞的に聞いてはいるけれど、リリアーナというベルフォスカ人と接することが増える以上、そのレベルの知識では足りないと思う。
「リリアーナのため!?」
「いえ、わたくしのためです。わたくしが、ベルフォスカのことを知りたくて…」
そこまで言って、言葉を切った。
なんか、私、意固地になってない!?
この反応、ちょっとかわいくなさすぎ。
「ええ、まあ、彼女のためでもありますが」
少しだけ訂正しておく。
「彼女、不自由なくフィリツィエ語を話せるみたいですけど、それでも、故郷の言葉は懐かしいでしょうから。私も、ルティアナの言葉を、聞きたいと思うことがありますから」
半分言い訳、半分本音。
この国に来てルティアナ語は、ラウラたちと話すときぐらいにしか使っていない。生活に不自由しないぐらいフィリツィエ語はマスターしたし、細かいニュアンスも理解できるつもりだ。けど、時折、恋しくなるのよね。
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人混みの中に そを聴きにいく」
石川啄木だったかな。『一握の砂』。
その気持ち、今ならすごくわかる。
(そういえば…)
私がこの国に来たとき、唯一、ルティアナ語で話しかけてくれたの、レオナルトだったっけ。
16歳で、まだなんにも知らなかった私に、ルティアナ語で会話してくれたレオナルト。でも、フィリツィエ語はすでにマスターしてたし、もっと理解を深めたかったから、「ルティアナ語を使わないでください」的なことを言ってしまったような。
あのとき、レオナルトは、私のことを思って母国の言葉で話しかけてくれていたのかな。故郷を離れた私がさみしくないように。
もしそうだとすると。
(うわ、私、かわいげなさすぎ)
レオナルトが見せてくれたやさしさを突っぱねたんだよね、あのとき。
今更ながらに気づいてしまい、なんとなく上目使いに彼を見る。
(あれ…⁉)
一瞬、レオナルトの表情がゆるんだ。生真面目で、硬い表情の彼がみせた優しい顔。
(えくぼ…、出来るんだ…)
知らなかったその表情に、なぜか心臓が跳ねた。




