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みそっかすの見る夢  作者: ほねのあるくらげ


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* * *


 誓いの儀が始まった。クロードの隣に立つ璃々は、祭壇の前に佇む二人を固唾を飲んで見守っている。


「何をもらおう、何をもらおう?」 

「なに、あれ……?」

「……純粋な恋心、純粋な恋心! おまえの恋心は面白い、今度はおまえの恋心が欲しい!」


 異変はすぐに訪れた。祭壇からなにかが飛び出してくる。宙を舞うそれ(・・)は何かを叫びながらカーディナルの身体をすり抜けたかと思うと、璃々めがけて飛び込んできた。

 むせ返る血の臭いに顔を背ける。璃々を見下ろすそれは人の姿をしていた。それは女のようだった。黒い靄に包まれた胴体からは身体の中身が垣間見えている。つぎはぎ合わせて作りかけている人形か、製作途中の人体模型。そんな言葉が似合うようなそれにはまだ目や鼻がなかった。大きく裂けた赤い口は、まるで嗤っているように三日月形に吊り上がっていた。


「何をもらおう、何をもらおう? ……美しい瞳、美しい瞳! おまえの瞳はとてもきれいだ、今度はおまえの瞳が欲しい!」


 異形の存在に傍らのクロードは気づいてもいないようだ。クロードだけではない。振り返ってこちらを凝視しているらしいカーディナル以外、誰もこのおぞましいもののことが視えていないようだった。


「ああああああああああっ!?」


 けれどすぐにそんなことも考えられなくなる。目が、目が熱い。眼窩の奥からどろりと何かが溢れてくる。何も見えなくなって、痛みに耐え切れずに手で顔を覆ってその場に崩れ落ちた。


「なんとも……ない……?」


 しかしすべては一瞬のことだった。すぐに本能が訴える。たった今、この化け物(めがみ)は自分の目を抉ったのだと。<追治>の身代人形(タリスモン)は、無事に真価を発揮してくれたらしい。痛みはもう感じず、視力にも変化はないようだった。


「大丈夫だよ、リリ。優しい君には耐えがたい光景だったかもしれないけれど、もう終わったようだ。それに……ほら、どうやらさほどひどいことにはならなかったらしいからね」


 どうやらクロードは、璃々が叫んだ理由が緊張と恐怖だと思ったらしい。的外れな勘違いをするクロードに助け起こされ、ふらふら立ち上がる。

 不意に周囲の音が聴こえなくなった。世界から隔離されたような錯覚に惑い、不安に駆られて周りを見渡す。動いているのはカーディナルと、滞空する女神だけだった。まるで自分達以外の時が止まってしまったかのようだ。


()(かな)、善き哉。しるし持つ贄は我が魂によく馴染む。ようやく世界がよく視える、ようやく身を焦がす恋を知る! これでまた一つ完全なる形に近づいた!」


 嬉しそうに繰り返す女神には、先ほどまでなかったはずの目があった。璃々の負った怪我は身代人形(タリスモン)のおかげで治ったが、瞳を取られたという事実は変わらない。らんらんと輝くあの双眸は、きっと璃々の目だったものなのだろう。


「炎と蝶のしるしを持つ贄達よ、永き時を越えて今再び我のもとに訪れし魂よ。我に祈りを捧げた褒美、我が名において授けると誓おう。叶える願いは一つずつ。我に恋を教えた王、我に瞳を授けた聖女。おまえ達は何を望み何を乞う?」

「あ……あたし、日本に帰りたいっ! あたしを元の世界に帰して!」


 とっさにそう叫んでいた。残酷な儀式をさせるおぞましい姿の女神は、けれど璃々の声にあっさり頷いた。


「黒き蝶の娘よ、我が愛しき聖女の末裔よ。あの異郷の地こそ己が故郷とおまえは言うか。しかしおまえは帰るのではない。蝶は遥か空の彼方へ飛び立つのだ。……それでも、我はそれを赦そう。美しきその羽は、空を自由に舞うためにある。傷ついた羽が、再び血の故郷を目指して舞い降りる時。我はその時を待ち望もう」


 おまえは、と言いたげに女神はカーディナルを見やる。カーディナルは傍らに立つすみれと、それから璃々に視線をやった。


「私が願うのは、心優しく勇敢な少女達の幸福です。イチジョウスミレとフジミヤリリ。善良なる彼女達のありように、神の報いがあらんことを。どうか二人の人生が、幸多きものでありますよう」


 他にも願いようはあったはずだ。彼自身のこととか、国への復讐とか、あるいはこの悲劇の連鎖を止めることとか。

 女神がそれを聞き届けるかは別として、璃々とは違ってカーディナルにはたくさんの選択肢があっただろう。それでも彼は、璃々とすみれのために願いを使ってくれた――――彼が王と呼ばれ、願いを叶える資格を持つことに、今さら疑問を呈する気は璃々にはなかった。


「いいだろう、いいだろう。おまえ達のその願い、我が確かに叶えよう。炎は常に周囲を照らす。はじまりの蝶が飛び去った異郷の地、そこに至る道は今宵満月の明かりのもとで開かれる。次に会いまみえるときもまた正しきあかしを捧げれば、我は新たに願いを叶えるだろう」


 そんな言葉を残して女神は消える。ほどなくして時間が動き出したようだった。

 目論見が成功したことによる喜びがこらえきれず、また手で顔を隠すようにして深くうつむく。横でクロードがなだめるような猫なで声で話しかけてくるが、璃々はほとんど聞いていなかった。


(これで帰れる、やっと帰れるんだ……! 誰が何と言おうと、あたしは絶対このまま日本に戻ってやるんだから!)


 飛び回りたい衝動を必死で押し殺し、この儀式から解放されるのを今か今かと待つ。女神の言葉通りなら、夜になれば戻れるはずだ。早く、早く時間が過ぎていけばいい。


(そういえば……カーディナルさんは、結局何を取られたんだろ?)


 ふとよぎったそんな疑問の答えはすぐに出る。璃々が顔を上げられない理由は、先ほどとはまったく違うものになってしまった。


* * *


「ははははははははっ! なるほど、なるほど! これは最高の喜劇だ! 女神サクレイドル、貴柱(あなた)も中々粋なことをする! よりにもよってそれ(・・)を欲したとは!」

「泣いているのですか、侍女殿」


 ああ、うるさい。響き渡るクロードの笑い声に、ノエルはわずかに顔をしかめた。耳障りな嘲笑を振り切るように、スミレのもとへと歩み寄る。


「今さらこのようなことをしても、貴方を困らせるだけでしょうか?」


 理由のわからない喪失感にさいなまれながらも伸ばした手は、スミレの涙をぬぐえない。他ならない彼女がノエルの手を払いのけ、嫌がるように遠くへ押しやったからだ。距離はあっけなく離れた。まるで、今の自分達の心の距離を表しているかのように。


(ああ……。スミレさん、貴方は……もう、私に愛を与えてくださらないのですね。……いいえ、それを責めるのは筋違いでしょう。貴方を愛さなくなった私には、貴方の愛は過ぎたものでした。それでも、私は……)


 その事実に痛みすら感じない。寂しさはある、哀しみはある。けれどそれは、本来抱くはずのものとはまったく別種のものだった。

 いわば、それなりに親しかった友人と疎遠になった感覚だ。しかし友人はあくまでも友人で、何人かいる中の一人に過ぎない。それは愛する恋人に対するものではなく、たった一人のかけがえのない大切な人を失うつらさとするにはあまりにも軽すぎた。


「……申し訳ございません。やはり、出過ぎた真似でしたか。それもそうでしょうね。私にはもう、このような振る舞いをする資格はないのですから」


 心にぽっかり空いた大きな穴。先ほどまでそこを占めていたはずの感情は、女神に跡形もなく奪われた。それでも、まだ諦めるわけにはいかない。たった今失った感情の名を、ノエルは知っていたからだ。

 やはり自分は、彼女を愛していたのだろう。想いそのものは欠けてしまったが、自分にとってスミレが大切な存在だったということはわかる。記憶まで失ったわけではない。女神は律義にスミレへの恋心だけ(・・)を奪っていったのだ。少し前の自分と、今の自分。何が変わったのかを照らし合わせて考えれば、すべきことはおのずと見えてきた。


(大丈夫ですよ、ノエル。何があろうと、私だけは貴方の味方ですから。……ええ、決して貴方を一人にはしませんとも。貴方(わたし)の望みは、私が必ず叶えます)


 再び孤独の痛みにあえぎだした幼い少年に言い聞かせる。たとえスミレが嫌がっても、もう今の自分がそれをよくわかっていなくても。少し前の自分達は、確かに同じ夢を見ていたはずだから。

 大丈夫、大丈夫。失った心を取り戻すのはたやすいことだ。何度だって彼女を愛してみせよう。いつか想い描いた夢を現実のものにしよう。たとえ彼女がもうノエルのことを諦めていても、もしも女神が感情を奪うという言葉の意味が、二度と同じ気持ちを抱けなくなるということだったとしても。

 これは終わりではない。自分が失ったものがスミレへの愛だと即座に気づいたノエルは、すぐに考え方を切り替えていた。逆境を跳ね返すために発想をひっくり返した。そう、この状況はむしろ都合がいいのだ。スミレは本当に絶望している。誰の目にもわかるほどのその落胆は、たとえ相手が顔の見えない仮面の男であっても“悲劇の恋人達”を観衆に見せつけるのにちょうどいい。


「……ッ! ……ッ、……ッ――!!」


 これは演技だ、すべて計算だ――――それでも、悲しみに染まるスミレのことを直視できない。

 スミレに対してもう何も思えなくなったとか、最初から愛さなければよかったとか、見せつけるように大げさな言葉を吐いたものの、それは事実とは言えなかった。女神に捧げられたのは、スミレに対する恋心だけだ。彼女とともに旅した記憶は、間近で見た数々の表情は、今もまだこの胸に刻まれている。

 そもそもスミレが喋れなくなったのは、ノエルがそう仕組んだからだ。たとえスミレへの愛を奪われていなくても、そういった類の感情を抱くということ自体が演技(うそ)になる。声を失くした彼女を哀れめないのも、彼女から声を奪った女神を憎めないのも、彼女を贄として差し出した者を恨めないのも、人々を騙すためだけの台詞に過ぎない。そこに意味など何もなかった。ただ一つ、素直になれなかったことを悔いる言葉を除いては。


(大切なものは失ってはじめて気づく、とはよく言ったものです。失くしたからこそようやく口にできたとは、我ながらまったく情けない。……何もかもが遅すぎた。心を通わせられないというのは、これほどまでに苦しいことだったのですね)


 スミレはきっと、もっと苦しい。スミレはノエルのことを愛してくれていた。突然恋人の想いが冷めて、これまでの恋人とは別人のように……出逢う前の関係に戻ってしまうのは、何より受け入れがたいことに違いない。ノエルが言葉に少しの虚飾を混ぜたためにスミレがそう勘違いしてしまっているだけだとしても、彼女の中ではそれが事実としてあるのだろう。

 何を奪われても乗り切れると強気でいた浅はかな自分を呪った。その自信はいまだ揺るいでいない、揺るいでいないが――――どうしようもなくもどかしい。


「……ッ、……ッ……」

「侍女殿……いいえ、スミレさん」


 嘆き続けるスミレの声なき声に、ついに耐え切れなくなった。跪いてスミレの手を取る。今度は振り払われなかったが、それは単純にそうするだけの気力が彼女に残されていないからのようだった。

 ノエルが人を愛し愛されることを許されなかったのは、正しい王の血を次代に継がせないためだ。生まれながらにしてその座を追われた王子(ノエル)の子は、偽りの王(クロード)の治世をおびやかすかもしれないから。

 だからラムグルナの正統なる王家の血筋は、ノエルの代で途絶えるはずだった。ノエル自身が生かされていたのは、女神の祝福の賜り方を知らなかった仮の女王がノエルをクロードの身代わりに仕立て上げようとしたというだけのことだ。いや、知っていても彼女はノエルを生かしていただろう。前王亡き今、女神が求める贄としてラムグルナでふさわしいのはノエルしかいなかった。

 ノエルが祖国を出奔する決意を固めた以上、どのみちラムグルナに正しい血統の王が立つことは二度とない。遠い異国の地でノエルが子をなそうと、それを咎める者はもういなかった。それなら、愛した人と幸せな家庭を築いたっていいじゃないか。

 隣で微笑んでくれるのはスミレがいい。彼女が相手だからこそ、まだそんな夢を見ていられる。そう、そうだ。あの暖かな思い出の数々も、恋心を除いた彼女に対する想いも、まだこの心には残っている。この気持ちがある限り、彼女を悲しませるわけにはいかない。失ったからこそ伝えられた愛を、もう一度育んできちんと彼女に伝えたい。

 

「卑怯な私を恨んでください。愚かな私を憎んでください。何もかもが終わった暁には、いかなる謗りも受け入れましょう。……それでも私には、貴方が必要なんです。たとえ貴方への恋心を失ったとしても、私は……」


 最終手段を取ることに対して観衆に違和感を抱かせない程度の言葉。抽象的なそれは果たしてスミレの心に届いたのだろうか。うつろな目をして震えるスミレが、何もかもを諦めたように力なく笑ったのが答えだろう。

 ことを急き、彼女の演技力を不安視したために計画の最後の一手について伝えなかったことを悔いる。利用できるものはなんでも利用したがる性分だとはいえ、スミレだけはいいように扱えないことなんて自分が一番よくわかっていたくせに。


(私は、スミレさんの心を踏み躙ってばかりですね。……いつか、許していただける日が来るのでしょうか)


 それはきっと自分が決めることではないのだろう。聖職者達に引き離され、部屋の外に連れていかれる。ノエルとスミレはそれぞれ反対の方向へと引き裂かれた。

 人の壁に阻まれながら、スミレは一瞬だけ振り返った。今すぐあの去りゆく背中に駆け寄って、ここから彼女を連れ出したい。そんな衝動を必死に抑える――――今はまだ、そのときではないのだから。

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