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みそっかすの見る夢  作者: ほねのあるくらげ


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「まず、聖女殿は誓いの儀についてどこまでご理解なさっているのです?」

「聖女と、聖女が来た国の王太子が女神に身体の一部と感情を奪われるってことぐらいかな。あと、一応儀式の手順とか……歴史っぽいのは聞いた」


 本当は聖痕を持つ者同士が贄にならなければいけないところを、七百年ほど前から代替で済ませていることとか。身代わりを捧げるきっかけになったのは九百年前、女神に人を思いやる心を奪われたフォレメロードの王子が、即位した直後に三王国全土を巻き込む戦争を始めたことだったとか。祭壇に贄の血を捧げることで誓いの儀は始まるとか。儀式が無事に終われば、女神の祝福という名で三王国の繁栄と平和が約束されるとか。サント=ベノワ大教会で大司教に吐かせたことをつらつら述べる。


「なるほど。……どうやら誓いの儀については、私より貴方のほうがお詳しいようだ。そういった手順であるなら……そうですね、予定通り実行できるでしょう」

「何する気?」

「簡単ですよ。元より代用品で押し通せる程度の儀式なら、代替の代替(・・・・・)も通用するでしょう? ですから聖女殿、貴方にはスミレさんの替え玉になっていただきます。そして貴方の身代わりを、これ(・・)が務めるのです」


 カーディナルが差し出したのは一枚の紙切れだった。彼の言っていることがよくわからなくて、けれど答えはすぐに出た。「身代人形(タリスモン)?」自信なさげに問うと、青年は鷹揚に頷く。


「こちらには<追治>がかかっています。以前渡した<先掛>の身代人形(タリスモン)は破棄し、こちらのみを身につけてください。<先掛>が発動してしまえば、怪我をしたこと――貴方が何かを捧げたことになりませんから」


 <先掛>は所持者が怪我をするという事実さえも背負ってくれる一方、<追治>は所持者が負った怪我を即座に治すだけに過ぎない。だから、もし即死相当の怪我(いたみ)を味わうことになってしまったら、この紙は本当にただの紙切れになる。

 ごくりと生唾を飲み込んだ。これを受け取れば、きっともう後戻りはできない。けれど今さら躊躇なんてできるわけがないから、璃々は震える身体を必死に抑えた。


「……私は、聖女殿に命をかけろと言っています。ですから、その危険を冒すに足りるほどの見返りを提示させていただきましょう」


 璃々の恐怖を読み取ったのだろう、カーディナルがにやりと笑った気がした。


「軽くさかのぼれる限り、歴代の聖女はみなこの地での永住を選んでいます。何故、彼女達は帰らなかったのでしょう。……もしかすると彼女達は、帰らなかったのではなく、帰れなかったのでは?」

「え? でも、禊の旅が終われば帰れるって……」


 声は最後まで紡がれない。そう言っていたのはクロードをはじめとしたこの世界の人間達だ。彼らの言葉を今も信じられるかははなはだ疑問で、そう思うと同時に脳裏にとある言葉が蘇った――――女神には、帰還だけを願いなさい。


「九百年前に誓いの儀に臨んだフォレメロードの王の暴挙がきっかけで、三王国はさぞ乱れたのでしょう。畏れ多くも女神の贄を身代わりで済ませようと画策するほどに、人々は戦に疲弊し暴君の再来を恐れたのでしょうね。……ですが、女神の祝福によって三王国には繁栄(・・)平和(・・)が約束されているはずです。戦争など起きるはずがない。ならばその時代には、“平和”は祝福には含まれていなかったのではありませんか?」


 本来の“祝福”は、繁栄と平和のみに限定されていることではなくて。二つの贄を差し出せば、二つの願いを叶えてもらえるだけだったとしたら――――人々は平和を祈るために、何か別の願いを捨てたのだ。


「身代わりが起用されたのは、七百年前からとされています。では、八百年前の誓いの儀はどうしたのでしょう。……何も語られない八百年前にこそ、身代わりを起用するためにもっとも大切な鍵があったのかもしれません」


 代用品はあくまで代用品だ。その血と故郷ゆえに妥協はされたとしても、女神が本当に贄として求めているのは聖痕を持つ者だろう。贄として(・・・・)女神に見い出された証を持つ者が儀式に臨むことで女神から祝福を賜われるというのなら、聖痕なき者が賜るものはそれと同一ではありえないはずだ。もしも同じならば、選ばれし者に聖痕を刻む意味がないのだから。

 誰が何を祈り、誰が何を誓い、そして誰が何を禊ぐのか。誰かの代わりだとして捧げられた者は、果たして祖国の繁栄と平和など祈るだろうか。縁もゆかりもない地で生きる民のために、尊き犠牲になれると誓えるだろうか。実の伴わない祈りの声に女神が応え、平和と繁栄の成就を誓ってくれるだろうか。これだけ嘘と業にまみれた旅路が、禊と呼べるだろうか。

 答えはすべて否。少なくとも自分達は、そんな殊勝な心は持っていない。そう吐き捨ててカーディナルは続けた。


「これはあくまで推測に過ぎませんが、私はこう思うのです。八百年前、聖痕を持つ者同士が贄となり、“三王国の繁栄”と“三王国の平和”を願ったことで女神はそれを聞き届けました。しかしその次の代では、贄となるには不足のある者が捧げられたのです。よって女神は彼女達の願いは聞き届けず……けれど、曲がりなりにも贄を差し出した見返りとして、()()()()()を叶えることにしたのではないか、と」


 それこそ人々の狙いだ。願いを口にする資格を持たない代替の贄を差し出し続けることで、繁栄と平和だけが約束されていく。聖痕を持たない者ばかりが誓いの儀に臨むために女神に何かを願えばそれが叶うという事実はいつしか風化していき、女神の祝福は“繁栄”と“平和”に固定されてしまった。

 感情に欠落のある者が君主になるわけにはいかないとクロードは言っていた。それは、“繁栄”と“平和”では防ぎきれないような不幸を生まないための措置なのだろう。だが、女神の名においてこの二つが約束されているのなら、どんな暴君が君臨しようと三王国が揺らぐことはそうそうないはずだ。なら、本当の理由は別にある。たとえばそう、願いを叶える権利を持つ者が、“繁栄”と“平和”以外のことを女神に願わないようにするために、とか。

 九百年前、人々は過ちから学んだ。八百年前、人々は新たな試みを始めた。七百年前、それは正しかったと証明された。人々は今もそれを続け、三つの王国は受け継いだ繁栄と平和の夢に酔い、百年後にもそれを継がせようとする――――王位を継がない王族から感情を、巻き込まれた聖女代理から身体を、何も知らない聖女から故郷を奪ったうえで。


「“我が身可愛さで使命から逃げてはいけません”、“女神には帰還だけを願いなさい”。……これ、うちの家訓。行方不明になったひいおばーちゃんのおねーさんは、自分が大切だから戻ってこれなかったんだって。多分、おねーさんも聖女だったんだよ。あたしの家は、そういう家なんだと思う」


 カーディナルの言葉はただの憶測だ。だが、彼の言葉を裏付ける根拠を璃々は持っていた。


「きっとおねーさんは、自分を守るために聖女代理の子を身代わりにしたんだ。だからおねーさんは、女神に帰りたいって願えなかった……」

「……ふむ。聖女の家系、ですか。聖女となった方がずっと帰れないならば、言い伝えが残っているのは不思議ですが……。私達の知らない帰還の方法……いえ、歴代の聖女はみないずれかの大教会に埋葬されているはずです。当人ではなく、彼女の子らか……あるいは、始祖……?」


 カーディナルの呟きに耳を傾けながら、璃々はほどよく冷めた紅茶で乾いた唇を湿らせた。染み渡る優しい味に緊張の糸がほどけ、けれど意識が徐々に明瞭になる。


「もしかしたら、貴方の家系の始祖と呼ぶべき方は、女神に祈って異界に旅立ったのかもしれません。そここそを己の血筋の故郷と定めた彼女は、いつか女神に子孫が連れ戻されてもいいように言い伝えを残していったのでしょう」

「まあ、その辺の難しいことはいいや。今のあたしらには関係ないし。……すみれちゃんじゃなくて、あたしが誓いの儀をやらないと、あたしは日本に帰れないんだよね?」

「おそらくは。……どうでしょう、聖女殿。これで貴方が命をかけるに足りる、明確な理由ができたと思いますが?」


 身を乗り出し、カーディナルがひらりと見せつけている身代人形(タリスモン)をぴっと奪い取る。言葉はいらない。もう覚悟はできた。日本に帰れないのは嫌だ。だって自分には夢がある。未来がある。自分のいるべき場所はラムグルナではなく日本なのだ。誘拐された先の国で一生を終えなきゃいけないなんておかしいじゃないか。


「殿下は予定通り、私とスミレさんを贄にするでしょう。……もし仮に王太子の身代わりを立てる本当の理由が推測した通りならば、私を降ろせば自分が偽物だと認めているようなものですからね。たとえ殿下がこれを知っていようと知っていまいと……これが合っていようといなかろうと、私が贄にされるのは変わりません」


 嗤うカーディナルの言葉の意味はわからない。けれど多分、璃々には関係ないことだ。それを証明するように、カーディナルは詳しいことは言わないまま話題を変えた。


「私と貴方で誓いの儀に臨みましょう。聖女殿がご自分から贄となってくださるのなら、スミレさんと入れ替わることはそう難しいことではないはずです。スミレさんの血ではなく、貴方の血を祭壇に垂らせばいいだけなのですから。貴方が女神に何かを捧げた途端、<追治>が発動して奪われたものは取り返せますのでご安心を。結果として貴方は何も失わないまま、贄を差し出した事実のみが残るはずです」

「待って。じゃあ、カーディナルさんは? カーディナルさんはどうなるわけ?」

「お気になさらず。私が失うのはただの感情に過ぎません。確かに防ぐ手立てはありませんが……命の危険があるわけでも、生活に支障が出るわけでもありませんから。もしも失い難い感情を奪われたとしても、また一から同じものを育めばよいだけでしょう?」


 カーディナルはあっけらかんと言い放った。璃々は一瞬ぽかんとしたものの、すぐにぷっと噴き出した。そんな彼女の様子がよくわからないのか、カーディナルは不思議そうにしながらすみれに渡す紅茶の缶を開ける。取り出した紙切れは、すみれが使うはずだった<追治>の身代人形(タリスモン)だろう。


「この件は、スミレさんにはご内密に。彼女は案外、思っていることが顔に出ますから」

「そうかな? すみれちゃん、結構クール系だと思うんだけど。……ま、カーディナルさんが言うならそうなのかも」

「ええ。彼女の表情はよく動きます。ですから、彼女ごと騙してしまいましょう。聖職者達や殿下達の目を欺くために、ね。……ああ、そうだ、スミレさんに伝言をお願いしてもよろしいですか?」


 手枷と鎖に邪魔されながらも、カーディナルは紙ナプキンにさらさらと何かを書いていく。彼を見ながら、璃々は唇を尖らせた。


「あたしは別にいいけどさ。あんまり勝手なことばっかすると嫌われちゃうかもよ? 自分だけ蚊帳の外とか、普通ヤでしょ」

「……嫌われる? 私が? スミレさんに?」


 その瞬間、カーディナルは手を止めて顔を上げる。二人はそんな関係ではなかったのか、それとも何か地雷を踏んだのか。異様な空気に当てられた璃々は、慌てて発言を取り下げようとする――――だが。

 

「構いませんよ。それでもきっとスミレさんは、私に償う機会を与えてくださるでしょうから」


 紡がれる声音はとても穏やかで。いっそ身勝手なまでにすみれを信じて開き直るその姿に、璃々は思わず目を丸くした。


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