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みそっかすの見る夢  作者: ほねのあるくらげ


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「そういう貴方は、母上によく似ていらっしゃる。何もかもがあの方に瓜二つで、父上から受け継いだものは何もない。……まるで、父上の実子ではないようだ。もしも私と貴方が父上の肖像画の前で並んだら、人はどちらを父上の息子だとみなすのでしょうね?」


 白い仮面を外して素顔を晒し、過去の清算を誓ったノエルに、もう恐れるものは何もない。あの日破られた禁忌を、犯された罪を暴いてみせよう。


「ノエルさん……?」


 不意に背後から裾をくいっと引かれた。不安げに揺れる黒い瞳は、煽って大丈夫なの、と訴えかけてくる。大丈夫、彼女が心配することは何もない。これは時間稼ぎで、クロードの目をノエル一人に注がせるためのもので――――フォレメロードの騎士を統率する力をクロードから奪うためのものなのだから。


「おこがましいにもほどがある。父親の血を色濃く受け継いだだけで、私生児風情が実子のように振る舞うとは。ふざけるのもたいがいにしろ」

「確かに、外見など一つの要素に過ぎません。親子だから似ていなければいけないという道理はないでしょう。……ですが、一滴もその血が流れていない者よりは、正しく父の血を引く私のほうがよほど父上の子の名に……嫡子の立場にふさわしいのではないでしょうか」

「……なんだと?」


 睨み合う二人に、騎士達も手を出しあぐねているようだった。困惑気味に発せられる彼らのざわめきを聴きながら、ノエルは笑みを深くする。


「私は、前王陛下がどこぞの売女に産ませた子供だそうですね。……ええ、ええ、確かにそれは事実なのでしょう。私の母は、結婚してもなお不貞を重ね続けた女性なのですから。では……その売女と、彼女と通じていた間男の間にお生まれになった殿下は、一体何なのでしょう?」

「この期に及んで戯れ言か。くだらないな。そんな根拠のない言葉で人を惑わせるとでも?」


 クロードが腰に佩いた剣を抜いた。彼に合わせ、騎士達も同じように剣に手をやる。月光を受けて煌めく刃にスミレがひっと息を飲む。


「……大丈夫です。まだ騎士達の包囲網を突破する隙は作れますから。どうか、私の背中から出ませんように」


 クロードから目をそらさず、スミレにだけ聴こえる声音で囁いた。伝う冷汗と焦燥は押し殺す。大丈夫、大丈夫。本音を覆い隠すのは得意だ。自分にそう言い聞かせ、ノエルは悠然と構えていた。


「おや、根拠とおっしゃいましたか。では、ご覧になりますか?」

「貴様、何を……ッ!?」


 襟ぐりを掴んで右肩をはだけさせる。右の上腕。本来なら、そこは常に包帯に覆い隠されていた。だが、何があるかわからないのだから物を無駄に使うわけにはいかないと、逃避行のさなかには包帯を巻いていない。仮にスミレに見られたとしても、王族だと知られた今なら困らなかった。


「その痣……サフィルスの絵師の仕業か! くっ、ラムグルナにも来ていたとは……!」


 赤く燃える炎の痣。誰からも祝福されて尊ばれるはずのそれは、ノエルにとっては呪いの証だった。周囲を囲う古傷は、それ(・・)を抉り取ろうとしたときの名残だ。時には他人に、時には自分で。この痣さえなければ、こんな風に日陰で生きることもなかったのに――――ラムグルナ王国が掲げる聖なる炎は、人の力で潰えることを許さなかったが。


「偽りの聖痕を王太子(ぼく)の前で晒すとは、よほど恥を知らないらしい。感謝するんだな、カーディナル。誓いの儀が控えていなければ、極刑に処していたところだぞ」


 一瞬は取り乱したクロードだったが、すぐに余裕を取り戻したようだ。しかし騎士達はそうもいかない。何故なら彼らはサフィルスの宮廷を欺いた絵師の存在を知らないし、彼ら自身がクロード個人に信頼を寄せる理由は一つもないのだから。


「ふ、これを偽りの聖痕だと断じますか。……私が産まれた時分には、すでに貴方がいたでしょう。当時まだ王太子夫婦に子供がいなかったサフィルスとは事情が違います。聖痕を抱く兄王子(あなた)がいるのだから、弟王子(わたし)に作り物の聖痕を刻んだところで人は騙せない。……兄の貴方のみならず、弟の私まで聖痕を(いだ)いて生まれた。ならばどちらが偽物か……人の手によって刻まれたものなのか、少し考えればわかることではありませんか?」

「は……?」


 三王国の正統なる王位継承者は、生まれつき身体のどこかに国章を宿している。国章を持つのは王の第一子でしかありえない。もし仮に当代の王が国章を持たざる者でも、王族である限りはその子供に国章が受け継がれる。

 ノエルは母親の不貞の証拠だ。ノエルの存在は、母親が他の男と通じていた証明になる――――だって弟のはずのノエルは、本来の夫婦(・・・・・)第一子(・・・)が受け継ぐべき聖痕(あかし)を持って生まれてしまったのだから。

 だからノエルは生を赦されなかった。だから母は流産したことになって、ノエルは仮面修道会に預けられた。母にとってノエルは邪魔者だった。正統なる王位継承者、現王の唯一の実子(ノエル)がいたら、自分の不貞が明るみになって恋人との子供(クロード)の出自も追及されて、彼を王位に据えられなくなって――――クロードを用いた王位の簒奪も、なしえなくなる。

 王が第二子(・・・)をもうけないまま没し、王妃が代理の女王となった今、クロードが王となればラムグルナの王族の血筋は王冠から離れてしまう。聖なる炎を戴く国の王の座に、それを宿す者が座ることは二度とない。

 女神が授けし炎を奪うのは大罪だ。だが、女王は踊る炎を人の手で造り出す方法を知っている。王たる証はやがては人の灯す炎となり、聖痕の持つ意味すら捻じ曲げられていくのだろう。

 ノエルも、仮面修道会も、そして佞臣達も、女王には逆らわない。逆らえない。その罪を知りながら、暴くだけの力がない。佞臣に至っては暴く気がない。女王オルガがもくろんでいたのは、ラムグルナという国の根幹を揺るがす、女神に叛く罪だ。けれど女神に祈りを捧げない名ばかりの聖職者達は、背徳の罪を見て見ぬふりをすることに何も思わない。


「殿下、貴方は私を異母(・・)弟だと思っていらっしゃるご様子でした。ですが、それは違います。貴方はきっと、父の裏切りに憤って私生児(わたし)を蔑んでいたのでしょう。その間、私も母の裏切りを呪って私生児(あなた)を妬んでおりました――本来の立場は逆なのに、とね」

「黙れッ!」

「くッ……!」 

「ノエルさんッ!」


 激昂し、我を忘れた様子で詰め寄ってくるクロードがかざした刃がノエルを斬り裂く。ふらりとよろめき、滴る赤をとっさに押さえた。肩から腹にかけて奔る傷は、見た目こそ派手だが命にかかわるほどのものではない。……大丈夫、大丈夫。痛いことは嫌だが、慣れている。この程度なら耐えられる。まだ死にはしない。

 肩で息をするノエルを、すかさずスミレが支える。スミレはクロードをキッと睨みつけた。だが、もはやクロードの眼中にスミレの姿はなかったらしい。


「は、はは……そうか、それが貴様の名か! だがどうでもいい、そんなことはどうでもいい! どうせ貴様らは歴史の闇に葬られる運命なんだ、名前なんてあってもなくても同じだろう!?」


 真実(こたえ)に辿り着いた虚飾の王子は、信じていたものがすべて覆される絶望に侵されているようだ。普段の余裕などもはやどこにもない。冷静さをかなぐり捨てたクロードは、衝動に突き動かされるままに大きな声で叫んだ。


「そうだ……こんなことがあるわけがない、あっていいはずがない! 顔も名前もなかったはずの貴様の話なんて信じられるか! 僕の聖痕こそが本物だ、正統なるラムグルナの王位継承者はこの僕だ! ……騎士達よ、何をしている!? 早くこの詐欺師を……簒奪者を捕らえろ!」


 これはただごとではないと、フォレメロードの騎士達もにわかに騒ぎ出す。戸惑いながらもクロードに従おうとする者、事実を見極めようとあえて動かない者、そもそも状況が飲み込めていない者。ばらばらになった騎士の陣はもはや包囲網の体をなしていない。


「……こっちですッ!」


 ノエルの手を取り、スミレは勢いよく駆け出した。スミレに手を引かれたまま、もっとも手薄な場所を突破する。一瞬だけ振り返ると、母女王(きさき)そっくりの優しい顔立ちを憤怒に歪めた異父兄(クロード)が見えた。


「許さない……許さないぞカーディナル! 逃がすな、追えェ!」

「……ぅ……」

 

 先ほど負った傷が逃走の邪魔をする。スミレは決して足が速いほうではないようだったが、今はノエルがその速度にもついていけない。息せき切らしながら懸命に走るスミレの背中は、きっと手を引かれていなければあっという間に遠ざかっていただろう。


(仮に逃げきれても、私の血を辿られては……。なら、私がすべきなのは……)


 足がもつれる。視界がかすむ。このままでは、スミレの枷になってしまう。クロードを激怒させたのは自分だ。その責任ぐらいは取ろう。それはきっと、スミレの嫌がることだけど。


「えっ……!?」

「振り返らないで! そのまま逃げてください!」


 ノエルは小さく笑い、スミレの手を振りほどいた。言い終わるより早く、後ろから伸びた騎士の手がノエルを捕らえる。抵抗もろくにできないままうつぶせに転がされてのしかかられた。騎士の重みに骨が悲鳴を上げる。それでもノエルはかすれた声で言い募った。


「……誓いの儀が終わらない限り、私達が殺されることはありません。いかに今のクロード殿下が何を言っても、必ず周りが止めるでしょう。ですから、ご心配なく」

「なにバカなこと言ってるんですかっ!? 何回も言わせないでくださいよ、二人で一緒に逃げるって言ったでしょ!?」

「何事にも限度がある! 理想はあくまで理想です、夢は現実に敵わない!」


 だから、今はとにかく自分のことだけ考えて逃げればいい。ノエルの張り上げた大声に、引き返そうとしたスミレの足がぴたりと止まった。このままノエルの指示通り逃げるか、あるいはノエルに逆らって助けに戻るか。長いとは言えない逡巡は、クロードの笑い声に打ち消された。


「は、はははははっ! そうだな、カーディナル。君のその読みは正しいよ。確かに、殺しはしない。……でも、また逃げられたら面倒だからね。死なない程度の処置は取らせてもらうよ。女神が欲しているのは君の感情(こころ)だ、身体のほうに多少欠損があっても文句は言われないさ」 


 それは見え透いた罠だ。クロードはスミレを捕まえるために、ノエルをだしにしているだけに過ぎない。やると言ったら彼はやるだろう。だが、わざわざ声に出してそんなことを言うのは、スミレに聞かせるためだ。 

 多少は冷静さを取り戻したようだが、やはりまだ大勢の前で真実を暴露して自分と母を貶めたノエルに対する怒りは解けていないのだろう。スミレを怯えさせる大仰な言葉の端々には、クロードの本心が透けていた。しかし、だからこそ隙がある。今のクロードは実質ノエルのことしか見ていない。今なら、スミレだけなら逃げ切れる。


「まずは両足の腱を切ろう。それから、もう二度とその偽りの聖痕で人を惑わすことがないように、その腕も落とそうか。……これは人を欺いたことへの制裁だ、王太子を侮辱して王位を簒奪しようとした者への当然の裁きだ。大丈夫、止血の用意ぐらいはしてやるさ」

「……ッ」


 頭上から降る言葉と同時に、足にひやりとした何かがあてがわれる。きっとクロードの剣だ。彼は自らノエルに手を下そうとしているに違いない。


「やめてっ……!」

「何をしているんですか、スミレさん……! 早く、早く行ってください……!」


 ここで何をされても死にはしない。ノエルが死ねば、クロードが誓いの儀に臨まなければいけなくなる――――王太子を名乗りながらも王族ですらないクロードは、贄になるわけにはいかない。

 それは、クロードにとっては絶対に避けなければいけない展開だ。本当に自分が王の子なら、感情に欠落があるまま国主として即位しなければいけなくなる。それでいいというのなら、誓いの儀における身代わりなど存在していない。

 もしも自分が不義の子だったなら、女神は供物として受け取らないかもしれない。挙句の果てに、偽の王太子だということを女神の宮殿(サンクチュエール)の聖職者達に知られてしまう。本当の王子からその座を奪い、死に至らしめた背徳者。その大罪は、命をもって贖うことになるだろう。

 結局、クロードがノエルの言葉を信じていようが与太話だと切り捨てていようが、彼のとれる行動は一つしかないのだ。ノエルの母親が誰であれ、父親が揺るがない以上は贄にふさわしいのはノエルしかいないのだから。過程に差異はあれど、ノエルが殺されないという結果だけは変わらない。そして死なない限り、再びの逃走の機は必ず訪れる。

 だから、だから。クロードの声に耳を貸さないでくれ。今すぐ踵を返して遠くに逃げてくれ。懇願を繰り返し、ノエルはスミレを見上げた――――けれどスミレは、もうノエルのことなど目に入っていないようだった。


「その人に傷一つつけてみてください。わたしは今すぐここで死にます」

「なっ……何を、言っているのですか……!?」


 どこから取り出したのか、彼女の手には鮮やかに輝くナイフがある。冷たい光を放つそれは、スミレの喉元にあてがわれていた。


「女神様が欲しいのが、璃々ちゃんの心臓だったらどうするんですか? 別に心臓だけじゃない。生きるのに必要な器官を取られたら? 貴方達は璃々ちゃんを見殺しにできるんですか? できるわけないですよね。だってそれができるなら、聖女の身代わり(わたし)なんていらないんだから」


 スミレの手は震えていた。ナイフに触れた肌からはじわりと血がにじんでいる。それでも彼女は言葉を続けた――――わたし達に誓いの儀をさせたいなら、これ以上その人を傷つけないで。


「ふっ……。いいだろう。これ以上無駄な抵抗をしないなら、君の提案に乗ってあげないこともない」


 無意味なおどしに、クロードは嘲りをにじませた声で応じた。リリとクロードの命は対等だ。スミレの命を持ち出せばリリを盾におどせるが、ノエルの役目をクロードに背負わせることはできない。クロードはノエルを餌にしてスミレの投降を促し、スミレは自身を盾にしてノエルの処遇の改善を迫っただけだ。これでは何も変わらない。

 そんなことをしなければ、スミレだけでも逃げられたかもしれないのに。結局二人して捕まっただけだ。逃避行には何の意味もなかった。打ちひしがれる間も与えられないままに無理やり立たされ、あらかじめ用意されていたらしい手枷を嵌められる。引き立てられたのは、今まで乗っていたものとはまた別の銀鎧馬形(シュヴァル)が引く馬車だった。


「……ごめんなさい、ノエルさん」


 中に押し込められる直前、スミレは悲しく微笑んだ。


「……謝ることはありません。ですが、何故貴方はあのようなことを? 私一人ならば逃げ出す機会などいくらでも作れますし、たとえどこであろうと貴方が無事であればそれでよかったというのに……。これではただの共倒れではありませんか」

「でも、逃げられる保証はないですよね。それに、貴方がいない現実なんて何の意味もないから。……夢は醒めるから夢だけど、夢を見たまま眠り続ければ……夢のほうこそ現実になるって思いませんか? だったら、最期の一瞬まで貴方の傍にいたかった」

「……」


 二人でともに逃げるのは、実現できない夢物語。叶えられない理想を抱いたまま、傷つく貴方を見るぐらいなら。せめて、せめてどこまでも一緒に。

 紡がれるのは悲痛な願いだった。それは諦めだ。ただの逃避だ。けれど否定する声を、ノエルは持っていなかった。

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