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みそっかすの見る夢  作者: ほねのあるくらげ


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 疲れが出たのだろう、スミレはすやすやとよく眠っていた。隣のベッドで晒されている無防備な寝顔を眺め、ノエルは小さくため息をつく。


(確かに、何もしないと言ったのは私ですが……これは信頼の証と思ってもいいのでしょうか)


 ぎこちなかったのは最初だけで、数時間ばかり過ごすとスミレの緊張は解けたらしい。いざ就寝の支度を始めると、彼女は何の気兼ねもなく寝入ってしまった。

 当然、常時気を張り詰めさせていては身が持たないし、ノエルだって別にスミレにどうこうするつもりもない。くつろぐのが悪いことだとは言わない、言わないが……なんだろう、この複雑な感情は。嬉しいような、やるせないような。今まで感じたことのない心の揺れ方だ。

 スミレを起こさないよう、音を立てずにゆっくりとベッドを抜け出す。規則的な吐息を聴きながら、彼女の手をそっと取った。よく働く、しっかり者の手だ。手の甲に軽く口づけて床に跪く。スミレはわずかに身じろぎしたが、起きる気配はないようだ。


「……大丈夫ですよ、スミレさん。何があっても、私が必ず守りますからね」


 幾度となく繰り返した誓いを口ずさむ。スミレの存在を確かめるように取った手は離さないまま、ノエルはスミレの顔にかかった髪を優しく払った。


「貴方のためなら、私は貴方が嫌だと思うことすらしてみせましょう。そうしたら……貴方は、私から離れてしまうでしょうか。私を嫌ってしまうでしょうか」


 見捨てないで、一人にしないで。もう一人の自分が叫ぶ。幼い彼を押しのけて、ノエルは小さく微笑んだ。


「ですが、それでもいいのです。貴方と共に過ごせた時間は、私にとっては十分すぎる贈り物でしたから。このひとときを味わえただけで、私の生は報われました。ですから、今度は私が貴方に返す番です。……けれど何も持たなかった私には、この身しか貴方に返せるものがない」


 だから、すべてを捧げよう。貴方が望むものも、貴方が望まないものも。貴方がいなければ自分の世界に意味はない――――けれど、自分がいなくても世界は回るのだから。 

 大丈夫、大丈夫。スミレのためなら、何もかもを敵に回せる。何もかもを捨て去れる。何より大切な少女のためならば、自分の心だって踏み躙れる。


「――なんて、言うとでも思いましたか?」


 繋いだ手をほどき、眠り続けるスミレの頬に触れた。深緑に染まった髪を一束掬って接吻(くちづけ)を落とす。自分から離れないように、彼女を絡め取るように、自分の存在を誇示するように。意図的に増やした触れ合いの意味に、彼女は果たして気づいているだろうか?


「私は、私を裏切りません。ですから私は、必ず手に入れてみせましょう。貴方のことも、貴方と歩む未来も。……ええ、決して諦めはしませんよ。たとえ貴方に嫌われることになっても、私は貴方を逃がしませんから」


 もっとだ。もっと欲しい。せっかく手に入れた大切な人を、彼女と一緒に過ごせる時間を、聞き分けのいい子のふりをして手放すわけがない。今までずっとずっと得られなかった愛を、狂おしいほど求めてしまうのは当然のことだった。

 世界はノエルがいなくても回り続ける。しかしノエルの世界は、スミレがいないともう回らない。この甘い甘い果実の味を一度知ってしまえばもう戻れない。何をおいても彼女を守る、その誓いに違いはない。けれど、何があっても彼女に傍にいてほしい。嫌われても、憎まれても、スミレが隣にいてくれればそれでいい。

 だってスミレは言ってくれたじゃないか。傍にいて、と。そうだ、その言葉さえあるのなら、いくらでも非情になれる。それにノエルは気づいてしまった。スミレに嫌われても怖くない。きっといつか、彼女は自分を許してくれるはずだから。


「……これは、何もしないという言葉に背いていたのでしょうか?」


 黒紫の瞳に昏い熱を灯したノエルは、そんな疑問を口にしつつももう一度スミレの手を持ち上げ、その細い手首に口づけて立ち上がった。

 すべて終わって、あらゆるしがらみが断ち切れたときに、あの路地裏では触れることもできなかった唇が重なればいい。そんな歪で純粋な願いが叶う日を夢見てベッドに戻るノエルを、満ちかけた月だけが知っていた。


* * *


 逃げ出したカーディナルとスミレの行方はまだ掴めないらしい。昨日の今日だ、それも無理のないことだろう。だが、不安そうなリリを見るたびにアンリは焦燥に駆られていた。いっそ自分も探しに行くことができればいいのに、と。

 クロードに命じられたのは大教会での待機だ、それに逆らうわけにはいかない。それでも、いずれ主君の妻となる少女の美しい顔が憂いに満ちているさまを、どうしても放っておけなかった。


「リリ様、どうかお気を確かに。大丈夫、すぐに二人は見つかるから」

「……うん、そうだね」


 慰めの言葉は根拠のないものだと見破られたのだろうか、窓の外から遠くを見つめるリリの返事はどこか上の空だ。食も進まないようで、ただでさえ細い身体はいっそう儚げで危なっかしく見えた。


「まったく……あの二人も二人だな。殿下とリリ様のお役に立てる栄誉を自ら放棄するなんて……一体何を考えているんだか」


 アンリは何の気なしに呟いた。その瞬間、リリがばっと振り返る。彼女のくりくりとした大きな瞳は、いつだってきらきら輝いていた。けれど今はまるで感情が死んでしまったかのように暗く、光のないまま沈んでいる。


「……ほんと? アンリ君は、ほんとにそう思ってるの?」

「ああ。カミーユはああ言っていたが、もしもオレなら喜んで拝命していただろう。惜しむらくは、オレには資格がないことだが。……ままならないものだな。たとえ身代わりであれ、王族と異界の民でなければ誓いの儀は務まらないとは」


 それは少し前、誓いの儀についてリリが大司教に詰め寄ったときに聞いた言葉だった。その場にはアンリも居合わせていたが、うら若き聖女に責められる老いた大司教の姿にはいたたまれなくなったものだ。

 サント=ベノワ大教会の大司教は言った。本来、誓いの儀で女神に何かを差し出すのは聖痕を持つ者がよいとされていれるが、その身に流れる血と出自さえ同じなら聖痕の有無は問われないのだと。およそ七百年前からずっと、聖痕なき王族と異界からやってきた二人目の少女が贄として女神の御前に立ってきたらしい。彼らのその後について大司教は多くは語らなかった。天寿を全うしたか、その場で死んだか、絶望して自死を選んだか、あるいは殺されたか。歴代の生贄達が辿った最期については、リリも聞きたくないようだった。

 カーディナル・フォウは王の血が流れているが正確には王族ではなく、スミレにいたっては何の役にも立たない小娘だ。そんな二人が王太子と聖女を守るという大役を任され、三王国の礎になれる名誉を賜るとは。何の価値もない命に意味が与えられたことを、少しは感謝するべきだと思う。それがよりにもよって、我が身可愛さで逃げ出すとは。ラムグルナ王国と王子クロードにすべてを捧げてきた若き騎士は、内心の不満を訴えるように眉根を寄せた。


「じゃあさ、なんでそれをあたし達には言わないの? 誓いの儀って、ほんとはあたしと王子がやることなんでしょ。なのになんですみれちゃん達に役目を押しつけたあたし達に怒らないで、逃げたすみれちゃん達だけを責めるの?」

「リ、リリ様?」

「アンリ君的にはさ、すっごいメイヨなことなんだよね。これって。なら、あたしと王子がやったほうがよくない? メイヨなんだから」

「だが、リリ様は聖女で殿下はラムグルナの王位を戴く方だ。二人の身に何かあっては、」

「あたしと王子はだめで、すみれちゃんとカーディナルさんはいいの? おかしいよ。命の重さってさ、みんなビョードーじゃね? 生まれつきの身分とか、どうにもできねぇじゃん。それであいつはギセーになってもいいとか、でもあいつはギセーにならなくていいとか、言ってることムジュンしてない? つか、あたしだって聖女の一族? そんな実感なかったし、おかーさんもおとーさんもフツーの人だし。あたし、痛いのはヤだよ。でも、あたしがそうってことは、すみれちゃんも絶対嫌じゃん……」


 アンリを遮り、リリはとりとめなく喋る。怒り、恐怖、不安、後悔。それらがないまぜになったような声音を前に、アンリは何も言えなかった。だってアンリは、リリが何に迷っているのかわからなかったからだ。


「わかんない……もうわかんないよぉ……。あたし、どうすればいいの……?」


 透明な雫がリリの頬を伝う。嘆き続けるリリを慰めることができる者や、彼女を導いてくれる者――――彼女の心を理解してくれる者はここにはいなかった。


* * *


 いくつもの村を越え、やっとのことで辿り着いた港街。夜の帳が下りるイルバを包むのは、緩やかな波の音と――――武装した騎士達が奏でる金属音だ。


「この街は逃走経路の一つとして目星をつけていたんだけど、どうやら僕は見事に女神に微笑んでいただけたらしい。……君達ごときの考えることはお見通しだよ、とでも言っておいたほうがいいのかな?」

「殿下……」


 フォレメロードの騎士達を従えて、ラムグルナの王子が嗤う。いくら三王国が強く結びついているとはいえ、普通なら他国の王族に自国の騎士の指揮権は渡さない。それだけ三王国にとってノエルとスミレの逃亡は痛手なのだろう。


「まさかここまで逃げるとはね。よくも手間をかけさせてくれた」


 通行人のいない港を異様な緊張感が包んでいる。クロードと騎士達はノエルとスミレの行く手を阻むように立っていた。

 とっさにスミレを背に庇う。だが、合流した騎士達によってすでに周囲を取り囲まれてしまっていた。スミレは怯えたように縮こまっている。服の裾をきゅっと握るその手から、彼女の恐怖が伝わってきた。


「……とある代で、聖女代理の境遇を憐れんだ従者達が、彼女を逃がそうとしたことがあったんだ。結局逃亡は失敗に終わったらしいけど、捕獲(・・)にはずいぶん手こずったらしくてね。それ以来、聖女とかかわる国の人には聖女代理のことを冷遇させて、間違っても情なんて抱かないよう徹底させているんだよ。下手に情が移ったりしたら、別れがつらくなるだけだしね。どうせ君も贄側の人間だからと目をつむったけど……やっぱり、君にも強制しておくべきだったかな」


 すべての人が聖女代理(スミレ)に手なんて差し伸べない状況を作り上げ、さらに聖女代理(スミレ)が周囲に救いを求められないようにする。それが、スミレが虐げられてきた理由か。スミレのためでもスミレのせいでもなく、あくまでこちらの世界の住人の都合によって強制されたそれ。ようやくわかったクロードの勅命の真意は、案の定ろくなものではなかった。

 やれやれと肩をすくめ、クロードは初めてノエルの顔をまともに見る。騎士達が掲げたいくつものランタンが、夜の闇を消し去るぐらい周囲を明るく照らしていた。そう距離が開いているわけでもないし、ノエルの顔を判別するのに支障はないだろう。


「ふん。本当に、顔だけは父上そっくりだ。売女の息子の分際で、よくも堂々とその顔を晒して歩けたものだね。おとなしく飼い殺されて、一生仮面修道会で過ごしていればよかったものを」


 蔑んだその眼差しには覚えがあった。あの女(・・・)と同じ赤紫の瞳。それをまっすぐ見据え、ノエルも嗤う――――最後の仮面(・・)を外し、すべてを白日のもとに晒す時が来た。

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