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(そんな……なんでっ……!)
どれだけ口を動かしても言葉は出ない。少し前に飲みほした劇薬が、すみれから声を奪ったからだ。
「ははははははははっ! なるほど、なるほど! これは最高の喜劇だ! 女神サクレイドル、貴柱も中々粋なことをする! よりにもよってそれを欲したとは!」
王子の哄笑が神聖な場に響き渡る。彼の傍らに立つ璃々は手で顔を覆って深くうつむいたまま、何も言ってくれなかった。
(わたしが……わたし達が何をしたの……? なんで、なんでこんな目に遭わなきゃいけないの……?)
儀式を執り行っていた聖職者達はみな、憐れむような眼差しをすみれとノエルに向けている。それがひどく憎らしくて。今さら善人ぶって傍観者を気取るな。全部全部、お前達がやったことじゃないか。
「泣いているのですか、侍女殿」
ノエルはじっとすみれを見ていた。彼は一歩、一歩とぎこちなくこちらに歩み寄り、すみれの反応をうかがうような慎重さで涙をぬぐってくれようとする。
「今さらこのようなことをしても、貴方を困らせるだけでしょうか?」
彼の顔は今、仮面に覆われている。その邪魔な白い仮面のせいで、今の彼がどんな顔をしているかもわからない。けれどきっと、自嘲気味に笑っているのだろう。彼は失敗してしまったから。彼の策がどんなものだったのかは知らないけれど、儀式を台無しにすることはできなかった。もし彼が自身に施していた対策が成功したのなら、こんなことにはならなかったのに。
(一番困ってるのは、きっとノエルさんなのに。どうしてまだわたしに優しくしようとするの? そんなことをされても、余計につらくなるだけなのに……!)
震えながら彼の手を払い、その胸をぐいっと押しのける。二人の距離はあっけなく離れた。
「……申し訳ございません。やはり、出過ぎた真似でしたか。それもそうでしょうね。私にはもう、このような振る舞いをする資格はないのですから」
(違う……違うの、貴方のことが嫌なんじゃなくて……わたしは、わたしは……)
痛ましげな謝罪の声に胸が締めつけられる。ノエルは何も悪くない。彼は、かつての自分ならこうするだろうと思ったことをしているだけで。たとえ空虚なものだったとしても、それは彼なりの気遣いだ。それを拒むのは彼に対して失礼だと、頭ではわかっている。けれどどうしても受け入れられない。
「……ッ! ……ッ、……ッ――!!」
すみれは声なき声を張り上げて泣いた――――どうして、何もかもうまくいかないの?
* * * * * * * *
何事もなく、本当に何事もなく一行はフォレメロードの聖都トリロに辿り着いた。その順調さがむしろ恐ろしくて、すみれは小さく身体を震わせる。
傍らのノエルが何を思っているかはわからない。余裕そうに振る舞ってはいるが、彼も大きな不安をかかえているかもしれないし、本当に気にしていないのかもしれない。仮面の下の表情を想像することはあっても、結局それはすみれの予想だ。口にしてくれなければわからなかった。
三度目ともなれば、大教会で行われる祈りの儀も慣れたものだ。あくび混じりに女神の間に向かう璃々と、喜び勇んで彼女に付き従う男達。すっかり見慣れた光景を尻目に、すみれは貴賓室へと向かう。
いつもなら、誰かに煙たがられる前にノエルと一緒に聖都に散策しに行くところだ。けれどさすがに、今日はそんな気分にはなれない。ノエルもなんとなく察したのか、あるいは彼もまた気が乗らなかったのか、散策の誘いはこなかった。
(祈りの儀が終わったら、いよいよ女神の宮殿に行くのか……)
柔らかいベッドにぼすんと飛び込む。誓いの儀の詳細は結局わからないままだ。危なかったら土壇場で逃げ出せばいいと最初は楽観的に考えていたものの、その日が近づくにつれて焦燥に駆られる。
もしも危険な儀式ならどうしよう。自分とノエルの命を璃々のために差し出す勇気も覚悟も義理もない。確かに、こちらの世界に来てからは璃々とも多少親しくなった。しかしもともと自分達はただのクラスメイトでしかなく、ろくに話したことすらないのだ。璃々には無事に日本に帰ってほしい、帰ってほしいが――――そのために、自分とノエルの命をかけられるかと問われても首を縦には振れなかった。
ノエルは何も言わずここまで残ってくれたが、もしかしたら彼もだいぶやきもきしているのかもしれない。ノエルに至っては、璃々の事情を考慮する必要などないのだから。煮え切れないすみれを切り捨てて一人で逃げることだってできる。いつノエルがいなくなるか、気が気でなかった。
(もしも立場が逆だったら……璃々ちゃんは、どうするのかな)
一瞬そんな考えが頭をよぎる。前提からして何もかもが違うため、まったく参考にならないが。誓いの儀が全然大したものじゃないことを祈るほうがよほど心が軽くなる。そうだ、だって、璃々はあんなに軽々と祈りの儀をこなしている。聖女ですらない自分が臨む誓いの儀なんて、もっと簡単なものに違いない。
だから大丈夫。だから心配することなんてない。誓いの儀は拍子抜けするぐらいあっさり終わって、璃々は日本に帰って、すみれはノエルと一緒に海を越えた遠い国に行く。それでいい。そうでなければいけない。そうあるべきだ。何度も何度も心の中で繰り返し、すみれはぎゅっと縮こまった。
*
いつの間にか夜になっていた。旅の疲れのせいか、そのまま眠ってしまっていたらしい。時計は午前三時を示している。夕飯も食べ損ねてしまったようだ。誰か起こしに来てくれてもいいのに……と思ったが、そういうことをしてくれるのはノエルか、大教会の人ぐらいだろう。ノエルならともかく、大教会の人々がすみれにまで気を使ってくれるとは思えない。禊の旅の同行者の一人ということでそれなりの待遇は受けているが、結局彼らにとってもすみれは余計なおまけなのだから。
(でも……お腹、すいたな……)
あいにく、食べ物の類は持っていない。明かりをつけて貴賓室をあちこち探してみても、備え付けのようなお茶やお菓子があることはなかった。もっとも、あったところでその程度では食欲は満たされないだろうが。
もういっそ我慢して寝てしまおうと思って明かりを消したが、一度目覚めたせいか中々寝つけない。何かちゃんとしたものを食べるまで空腹は収まらず、眠気が戻ってくることもなさそうだった。
(ちょっとだけなら、出歩いても大丈夫だよね?)
そろそろとベッドから降りた。ノエルはとっくに眠っているだろう。深夜のお茶会といえば聞こえはいいが、彼からすればただの迷惑行為だ。食堂のような場所を探し当てて、こっそりつまみぐいをしてしまおうか。大丈夫、この時間帯ならきっとみんな眠っている。見咎められることはない。
薄暗い廊下をひたひた歩く。曲がり角を曲がり、階段を降り、あるいは昇り。しかし探せども探せども食堂らしき場所は見つからない。そろそろ諦めて部屋に戻ろう、そう思った直後のことだった。
「はぁ!? なにそれ、ふざけんな! 意味わかんないんですけど!!」
甲高い少女の怒鳴り声が響く。それを慌ててなだめるような声が続き、けれど「離せっ! あたし帰るから!」ドアが勢いよく開け放たれた音がした。
(この声……璃々ちゃん!?)
「り――」
「どうかしたのかい、リリ」
ひゅっと声が喉に絡みつく。すみれより早く璃々に声をかけたのはクロードだった。きっとこの先には女神の間があって、クロードも近くの部屋にいたのだろう。
クロードだけではない。アンリとカミーユの声も聞こえてくる。いると思っていなかった青年達の存在に、自然と身体がこわばった。そのせいで出ていくタイミングを失ってしまう。璃々へ声がかけられない。しかしそれでもすみれは、なんとか璃々のもとに行こうとした。
「王子! あんた知ってたの、サンクなんとかで何をするのか!」
「女神の宮殿のことかな?」
璃々は最近あまり見せなかった苛烈さで王子に詰め寄る。そんな彼女の様子にクロードはやや面食らったらしいが、すぐ気を取り直したように微苦笑を浮かべた。
「ふむ……誓いの儀についてはまだ君の耳に入れる気はなかったのだが、どうやらお喋りな者がいたらしいね」
「誓いの儀ぃ? ああ、カーディナルとスミレがやるっていうヤツか」
「リリ様がそのように取り乱すことはない。不安に思うのもわかるが、いかなる儀式であれあちらの聖職者が介添えしてくれるだろう。きっと大丈夫だ。さあ、女神の間に戻ってくれ」
「あんなこと聞いて戻れるわけないじゃん! 王位継承者の心と聖女の身体を女神に捧げる儀式ってどういうこと!?」
――――世界のすべてが、止まった気がした。




