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* * *
「璃々ちゃん、ちょっといいかな?」
「どしたの? すみれちゃんから来てくれるなんて珍しいじゃん」
深夜の訪問にもかかわらず、璃々はすみれを快く客室に招き入れてくれた。
ようやくすみれが璃々と落ち着いて話せるようになったのは、聖都ヴァシュタに着いてからだった。道中の宿屋ではクロードやカミーユ、アンリが璃々にべったりで、近寄ることもろくにできなかったのだ。ラムグルナにいたときはちょくちょく二人で話す時間もあったが、サフィルスに入国してからはさっぱりだった――――ノエル以外の男達がわざとすみれと璃々の交流を阻んでいる、そんな気さえするほどに。
ヴァシュタに着いたのがその日の夜更けだったので、大教会で一晩かけて璃々が行う祈りは明日することになった。今日はもう一人ずつにあてがわれた大教会の貴賓室で眠るだけだ。すでに一度やったことのあるものの繰り返しだからか、祈りの儀を明日に控えた璃々はけれど緊張感など欠片も抱いていないようだった。
「あのね、わたし……日本には、帰らないことにしたんだ」
「……そっか。ちょっと寂しいけど、すみれちゃんがそう決めたんなら仕方ないよね。でも、サンクなんとかまでは一緒に行ってくれるんでしょ?」
「うん。わたしは何もできないけど、最後までは付き合うから」
「そう? あたしは、すみれちゃんがいてくれるだけで結構安心できるけど。なんていうか、ここにいるのはあたしだけじゃないんだーって感じ?」
どこからもらったのか、璃々は冷えたオレンジジュースを二人分のグラスに注ぐ。礼を言って受け取った。
「あたしはバカだからさ、はじめてここに来たときにすみれちゃんが止めてくれなかったら、考えなしに暴れてたと思う。多分そのときから聖女パワーは使えてたんだと思うし。そしたら、きっと取り返しのつかないことになってたよ」
「あれは……まあ、自分の保身のためでもあったから……」
「あはは。理由なんてなんでもいいじゃん? 結果的には同じなんだから。……日本の話ができるのはすみれちゃんだけなんだよ。それにすみれちゃんは、あたしのことを聖女様だなんて目で見てないっしょ。だからラクなんだよね。ガラじゃないのにさー、聖女なんて。麻未と亜由に聞かれたら爆笑されるわ」
親しかった子達の名前を挙げて璃々は苦笑する。その姿に、何か違和感を覚えた。
「確かにわたしにとっての璃々ちゃんは聖女じゃないけど……璃々ちゃんはこの世界の人にとっては本物の“聖女様”だよ。最初にここに来たときより真剣に、この世界と向き合ってるように見える」
「……やっぱわかる? なんだろ、心境の変化っていうか……心当たりができちゃった、みたいな? 思い出したって言ったほうがいいのかなぁ」
「どういうこと?」
「んーっと、あたしの蝶の痣って生まれつきなんだよね。これ、母方の遺伝みたいなやつでさ。昔、おかーさんのほうのおばーちゃんに聞いたんだけど……ひいおばーちゃんのおねーさんにもあったんだって」
璃々は言う。曾祖母の姉は、少女時代に突然行方不明になったのだと。八方手を探しても見つからず、そのまま死んだものとして扱われたらしい。曾祖母は、自分の母にこう言われたと前置きして璃々の祖母に言ったそうだ――――「姉さんは、自分が一番大切だったから戻ってこれなかった」
「えっと……どういう意味? お家で何か嫌なことがあって、家出したってこと?」
「ひいおばーちゃんの言ってることの意味はあたしもわかんないだよね。でも、違うことならわかる。女系家族とかいうの? 母方の一族……一族? まあ大げさだけど一族でいっか。わりかし古い血筋でさ、しかも結構女の人が多いんだ。だけどご先祖様の中には若いときにふらっといなくなっちゃった人がちらほらいるみたいで。失踪したがりなのか、事件に巻き込まれやすい体質なのかな? って思ってたんだけどさ……もしかしたら消えた人達は、みーんな“聖女様”だったのかもなって」
「……確かに。ここと日本は時間の流れが同じみたいだし、年単位で見ても似てるなら……百年前の聖女さんは、ちょうどひいおばあさんのお姉さんの時代の人ぐらいかも。じゃあ、璃々ちゃんがここに来るのは必然だった……?」
小さく頷き、璃々は続けた。帰らなかった人はみんなこの世界を選んだんだよ、と。この世界を選んだ理由までは知らない。けれど事実、彼女達はみな日本に帰ってこなかった。
「それとね、変な家訓もあるんだよ。“我が身可愛さで使命から逃げてはいけません”、“神には帰還だけを願いなさい”って。ひいおばーちゃんの時代より前から受け継いでるらしいけど、今ウチ宗教とか全然やってないのにさー。意味わかんなくない? ……だけどこっちに来てから、ああサクなんとかって女神様のことなんだ、ってわかって。きっと“聖女様”になっちゃった子に対しての言い伝えだったんだよ、これ」
気づいてからはもうヤケだった。誰にも文句を言わせないようきっちり聖女様をやって、さっさと旅を終わらせて、女神に会って日本に帰る。ご先祖のように、ここにとどまることはしない。もちろん先祖の中には帰還を選んだ者もいただろう。だからこそそんな家訓が残っているはずだ。しかし少なくとも璃々が辿れる“聖女”はみな、こちらの世界に骨を埋めた。そして璃々は、彼女達のようにはならない。
「あたしは一人っ子だし、あたしが帰らなかったらおとーさんとおかーさんを悲しませちゃうじゃん。あたし、まだまだやりたいことたくさんあるし。家族とか、ゆーま君とか、麻未達とかとずっと会えないのも嫌。だからあたしは、絶対に日本に帰るんだ。王子達は残ってほしいみたいだけど、そこまで尽くす義理とかないし。ぶっちゃけ、こっちの世界の人より日本にいる人達のほうが大切だっつーの。……あっ、すみれちゃんがこっちに残ってもあたし達友達だからね!」
「……うん。お互いさ、旅が終わったらきっともう会えなくなるけど……それぞれ、後悔しないように生きていこうね」
璃々の選択は、すみれには決してできないものだ。同時にすみれの決断も、璃々には理解できないものだろう。それでも二人は、互いの道を否定しない。璃々には璃々の、すみれにはすみれの人生がある。それは最初からまったくの別物で、それぞれ自分の人生を精いっぱい生きていくだけだ。二人の少女は笑い合い、互いの前途の幸せを祈った。
* * *
スミレとリリが話していたころ、ノエルはサント=マティユ大教会の地下にある納骨堂を訪れていた。とはいえ、肝試しがしたいわけでも墓荒らしがしたいわけでもない。廊下で不審な動きをする人影を見かけ、訝しく思って追ってみたらここに来てしまったのだ。
壁のカンテラの明かりを頼りに棺の並べられた安置所を通り抜けて納骨室の扉をそっと開ける。物陰に隠れて中の様子をうかがった。薄暗いおかげでこちらに気づかれる心配はなさそうだ。
「この僕をこんな場所に呼び出すとは、サント=マティユの大司教猊下はずいぶん趣味がいいようだね」
「申し訳ございません、クロード王子。内々にお耳に入れたいことがございまして。……上では少々、人目につきすぎますゆえ」
骸骨が積み重ねられたその部屋の中に、ノエルが追っていた者はいた。人目を忍ぶローブのフードを取った下の顔は、母女王によく似た優しげな風貌の王子だった。
何故ここにクロードが。戸惑う間もなく、彼の前に立っていた別の人物に目を奪われる。赤紫の祭服をまとう白髭の老爺は、サント=マティユ大教会を預かる大司教だ。ここが教会の地下だということを差し引いても、教会の主と他国の王子が夜中に来るような場所ではない。ましてや会談の場としては不適格どころの話ではないだろう。
「女神の宮殿での誓いの儀を行う者についてですが、あの黒髪の少女ともう一人……どなたが行うのでしょうか? まさか貴方様ではありますまい」
「カーディナル・フォウだ。あの仮面の男だよ」
(スミレさんと私が? 一体何の話を……)
背を壁に預け、目と耳に神経を集中する。不審者の正体がクロードなら帰ってもいいかと思ったが、自分とスミレにかかわることなのであれば聞かなかったことにするわけにはいかない。
誓いの儀。聞いたこともない名前だ。そもそも女神の宮殿で何か為すなど初耳だった。三王国の大教会を周り、女神の宮殿に辿り着いた時点で禊の旅は終わりを迎えるのではなかったのだろうか。
「ほう。やはり仮面修道会の者でしたか。ということは……どうやら仮面修道会は、七百年の歴史の中で再びあるべき形に戻ったようですね」
「そんな不吉なことを言うのはやめてくれ。七百年前と同じ悲劇が起きるわけがない」
大司教は蓄えた白髭を撫でてにやりと笑う。一方のクロードは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
忌まわしき者らが集う仮面修道会。その起源に追及されるということは――――大司教は、ノエルの素性を知っている? いいや、勘付いたと言うほうが正しいのだろうか。だって、いくら大教会の聖職者とはいえ他国の大司教が知っているわけがない。これは、ラムグルナの恥なのだから。
「第一、誰がそうかなんてどうでもいいだろう。そんな話をするためにわざわざ僕を呼んだのかい?」
「……申し訳ございません。少々話がそれましたかな。いえ、実はかつて、サフィルスの宮廷で背徳の罪を犯した者がおりまして。これは二十年前、ルイ陛下がまだ王太子だったころの話なのですが……さる貴族の夫人が、素性の知れぬ赤子をルイ陛下の子だと偽って披露したのです」
「それがどうしたんだい?」
「ルイ陛下は生真面目なお方。陛下ご本人が否定したこともあり、みなはじめは夫人の言葉を嘘だと思っておりましたが……奇妙な点が一つだけ。彼女が連れてきた赤子は、輝く雫をその身に宿していたのです」
輝く雫とは、蒼白の泉のサフィルス王国の国章のことだ。ラムグルナの踊る炎、サフィルスの輝く雫、フォレメロードの萌え出る蕾、そして聖女の天を目指す蝶。これらこそが聖痕と呼ばれ、いずれも女神に見い出された者の証として尊ばれるものだった。
聖痕は、人の力では決して損なわれないものだとされている――――そして実際に、本物の聖痕はいかなる方法をもってしても傷一つつかない。ノエルはそれを知っていた。試されたことも、試したこともあったからだ。
「当時、王太子ご夫妻に子はおりませんでした。王太子妃が不妊に悩んでおいでだったのです。つまり、その夫人の連れてきた子がルイ陛下の第一子ということになりますな」
「サフィルスの醜聞なんて僕にはどうでもいい。僕は疲れているんだ。無駄話に付き合っている暇はないよ」
値踏みするような目をした大司教の視線をわずらわしげに振り払い、クロードはざっと踵を返した。慌ててノエルはその場から飛びのく。しかしクロードは立ち去らない。大司教の次の言葉が、彼を引き留めるに足りるものだったからだ。
「女神に選ばれし聖痕を持つ赤子を連れているのなら、夫人を信じるのが道理というものでしょう。ルイ陛下の言葉を信じる者はいなくなり、夫人はのちの国母の位を約束されました。しかし翌年、王太子妃殿下がお産みになった王女殿下にも輝く雫が刻まれていたのです。……基本的に聖痕とは、正統なる王位継承者の第一子にしか受け継がれぬもの。正しき王太子の御子の中でも長子にしか現れぬ証なれば、どちらが正しいものなのでしょう?」
「……何が言いたい」
「ルイ陛下はたちまち二つの聖痕の真贋を調べさせました。すると、昨年夫人が孤児院から赤子を引き取ったことと……そして、とある魔具を持つ流浪の絵師と秘密裏に交流していたことが明らかになったのです。その絵師は、自作の魔具によって人の身体に絵を刻むことができました。……そう、恐れ多くも聖痕を再現することが、その者ならばできたのです」
「何が言いたい、と訊いている!」
激昂するクロードの大声が納骨室を揺らした。それにも構わず大司教はのんびりと続ける。
「近い将来における王位の簒奪をもくろんだ者として夫人は極刑に処され、哀れな赤子は己が抱く偽りの国章を抉り取られることで手打ちとなりました。その後ルイ陛下は、赤子を信頼できる臣下の養子としたのです。しかし絵師はとうにサフィルスを発っておりまして、その行方はようとしてしれませぬ。陛下はこれをサフィルス始まって以来の醜態として、背徳の絵師の存在をいずれの王家にも隠しておりましたが……」
自国の、そして自分の名誉を守るためのそれが、仇になったのかもしれない。もしその絵師の存在を、秘密裏にでも残る二ヵ国に周知していれば――――サフィルスの王はそう後悔しているのだと、大司教は意味ありげな視線をクロードに投げた。
「ルイ陛下は、此度の禊に選ばれしラムグルナの王族が、クロード王子お一人しかいらっしゃらないことを案じていらっしゃるのです。誓いの儀を王太子ご本人が行うのはあまりにも酷だろう、と。王妃時代のオルガ女王が第二子を流産なさって以来、ジェラール前王の御子は貴方様しかおりません。そこに来て、得体の知れぬ怪しげな者が禊の旅に同行しているわけですから、」
「なるほど。つまりルイ国王は、僕とカーディナルの血筋を疑っておいでなのか。こともあろうに、僕の正統性を貶める形で。己の時代の失態を持ち出して、次代を担う者に傷をつけようとするとは……サフィルスの国主はさぞ聡明でいらっしゃるようだ。こんな回りくどい話しぶりしかできない貴様もな」
(な……ッ!)
怒りに震えるクロードの言葉を聞き、ノエルは絶句した。クロードが自分とノエルを同列に扱ったから、ではない。彼がそれを知っていることが信じられなかったからだ。
「ルイ国王に伝えておけ。僕はクロード・ジュリアン・ド・ラムグルナ。紅蓮の炎のラムグルナが前王、ジェラール・ガストン・ド・ラムグルナと現女王オルガ・ルイゾンの第一子であり――カーディナル・フォウは父上がどこぞの売女に産ませた、僕の異母弟だ」
胸元をはだけさせてその首筋に宿った踊る炎を大司教に見せつけ、クロードはきっぱりと言い切った。女王オルガか、あるいは事情を知る重臣から言い聞かされていたのだろうか。道理で当初から自分に対する風当たりが強かったわけだ。すでにクロードは、ノエルのことを半分だけ血の繋がっている弟だと認識していたのだから。
「ふむ、やはりそうでしたか。では、ルイ陛下の憂いは無意味なものだったようですね。陛下には私の口から伝えておきましょう。いやはや、なにぶん素性のわからぬ者だったので……」
「素性がわからない? 当然だ、妾腹を末席とはいえ王族の椅子に座らせるわけがないだろう! だからあれは、生まれてすぐに仮面修道会に預けられたんだ。ラムグルナが聖女の降臨先に選ばれた際の保険として今まで生かしていたのだと、母上はおっしゃっていた。確かに、奴の母は卑しい女とはいえ、もう半分は王家の血だ。サフィルスの孤児風情とは違って利用価値はある」
「……なるほど」
納骨室の中の二人に聞こえないよう、ノエルはぽつりと呟く。なるほど、なるほど。そういうことか。確かに自分の身に流れるのは、半分は王の血で、もう半分は卑しい女の血なのだろう。クロードの言葉を借りるなら、だが。
「これで満足か? なら、僕は戻らせてもらうぞ」
「ええ。お手間を取らせて大変申し訳ございませんでした。禊の旅の成功を、心よりお祈り申し上げております」
クロードが納骨室を出る前に、ノエルは足早にその場を立ち去った。
ノエルは孤児だ。母に捨てられ、父には存在すらも知られていない。けれど両親の素性と自分の出自については、比較的早い段階から知っていた。ノエルを憐れんだポープが、時折思い出したように漏らしていたからだ。いっそ何も知らないほうが、きっと救いがあったのだろうが。
(禊の旅には、私の知らない何かがあるのでしょうか。王位継承者の他にもう一人、王家の血を引く者が同行しなければいけない理由とは……)
ノエルが禊の旅の随行者に選ばれた理由はこれでわかった。クロードの言うところの保険だ。しかし、何に対する保険なのかがわからない。影武者のように使いたいなら、クロード本人までもが来る必要はないだろうに。
ラムグルナの王子は、公にはクロード一人ということになっている。だから保険がいるにもかかわらず、クロードまでも旅立ちを余儀なくされたのだろうか。あるいは、王位継承者本人と保険のための王族は、それぞれ別で存在していなければいけなかったのかもしれない。ならば、一体何のために王家の血が必要なのか。
一つ謎が解けても、また新しい謎が現れる。スミレの名が挙がっていたのも不可解だ。女神の宮殿で行われるという誓いの儀とは、果たしてなんのことなのだろう。




