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「貴方と出逢って、貴方の笑顔に魅せられて、すべてがおかしくなってしまいました。……私は、聖女殿に近づくために貴方を利用していたつもりだったのです。貴方を利用しているのだと、自分に言い聞かせてきました。自分の気持ちに嘘をつき、貴方の弱みに付け込んで、すべてを手のひらの上で転がしている気になっていたのですよ。本当の私は、とっくに……いいえ、きっと初めから貴方に焦がれていたのに。……こんな愚かな私でもよろしければ、いくらでも貴方の力になりましょう。……それは、貴方をもてあそんだ償いにはなりませんか?」
告解の声は静かに響く。カーディナルには三つの誤算があった。一つ目は、スミレが本気でカーディナルに恋してしまったこと。二つ目は、リリは友人が恋する相手をわざわざ奪うような少女ではなかったこと。そして三つ目は、とっくにスミレを本当に愛してしまっていたこと。その間違いは、カーディナルを大きく狂わせた。
「ああ……違いますね、これは贖罪にはなりえません。むしろそれは喜びになってしまう。本当に貴方に償いたいと思うなら、今すぐ貴方の前から消えるべきなのに。私は、どこまでも勝手で……。ですが貴方がいなければ、私は……」
「……カーディナルさんが何を考えてたとか、そんなのは関係ありません。だって貴方がいてくれたおかげで、わたしは頑張れたんですから。貴方が優しかった本当の理由がどんなものであれ、それだけは変わらないんです。……わたしに悪いことをしたって思うなら、これからもずっとわたしを騙してください。わたしにだけ都合のいい、甘い夢を見させ続けてくださいよ」
「侍女殿……」
華奢な肩へおそるおそる触れる。今ここで何をしても、馬車が陰になってクロード達には見えはしない。スミレは抵抗もせず、カーディナルの胸に顔を埋めた。
「ここまで含めて全部嘘でも構いません。どちらにせよ、わたしは貴方を許しませんから。……ちゃんと、貴方が言った通りの方法で償ってください。ずっとわたしの傍にいて、これまでと同じように接してください。分不相応だってわかってるけど、貴方がくれる優しくて幸せな時間がどうしてもほしいんです」
「……私は仮面修道会から出られません。私が世俗で生きることを、人々は決して赦しませんから。貴方に己を捨てる覚悟があるのなら、私は枢機卿……次期教皇として、白き仮面をつけた修道女を歓迎いたしましょう。あるいは、どこか遠い異国の地にでも行けば、私も仮面を捨てて……貴方に普通の家庭を約束できるかもしれませんが……」
どんな言葉で言い繕っても、とっさの行動は嘘をつけない。それでもその事実から目を背けたくて、信じたくなくて、懐柔だの篭絡だのと理由をつけて禁忌の感情を正当化した。けれど本当は知っていた――――周囲を見返し、己を認めさせる手段として、聖女と侍女にこだわる必要はない。
カミーユに焚きつけられたのはただのきっかけだ。スミレに見せた優しさは、演技の枠を超えてしまっていた。それでも騙し騙しやってきて、ぼろが出るたびに残酷な仕打ちだと繰り返して。その結果がこれとはまったく笑えない。作為的な厚意と、表向きの好意。策に溺れてミイラになったできそこないの嘘つきは、どこからが塗り固めた建前だったのかもうわからなくなっていた。
「どこでもいいです。カーディナルさんがそう言ってくれるなら……わたし、どこでだって……」
スミレの頬をつぅっと涙が伝う。スミレは縋るようにカーディナルの手を取った。
「だけどわたし達は、愛し合ってるわけじゃありません。貴方はわたしに依存していて、わたしは貴方を独占したいだけなんです。……ねぇ、カーディナルさん。これなら、貴方も受け入れてくれるでしょう? 貴方が手にしたっていいでしょう? だってこれは、愛じゃないんですから」
「……ええ、そうですね。私は、人を愛してはいけません。同時に、人から愛されることも願ってはいけない。ですが、この感情が愛でないと言うのなら、誰にも咎められるいわれはないでしょう」
自分はスミレのことを愛していない。何故ならば、自分は人を愛してはいけないから。そしてスミレも、自分のことを愛しているわけではない。少なくともカーディナルにとってはそうでなければいけないし、そう言い続けなければいけなかった。
自分達の関係は、ただ互いに都合がよかったからこそ生まれたもので。まるで鏡のような相手に、自分の姿を重ね合わせただけのこと。これはきっと愛という名の幻想で、自己愛と自己憐憫がもたらす錯覚で、歪な歪なまやかしだ――――けれど、それの何が悪い?
クロード達が戻ってくる前に二人は距離をもとに戻す。スミレは涙をぬぐって顔を洗った。何事もなかったように昼食を摂り、四人の帰りを待った。相変わらずリリ以外の三人はカーディナル達のことなど目に入っていないようだ。もしスミレが泣き顔のままでいても、きっと何の追及もされないだろう。けれどそれでも構わない。この世界のすべてがスミレを冷遇するなら、そのぶんカーディナルが彼女を大切にすればいいだけの話なのだから。
*
「よく見ると、結構いろんなところに菫の花が咲いてますね。……気候的にもそうですし、今は春って認識でいいんですよね?」
風除けから身を乗り出し、スミレは流れる景色を見ている。危ないですよ、と声をかけると彼女はすぐに居住まいを正したが、外への興味は失っていないようだ。
「ええ、春ノ三月ですよ。小さい花ですし、馬車で移動しているということもあって見つけづらくはありますが……ちょうど今が見ごろかもしれません。……侍女殿と同じ名前の花ですが、もしや侍女殿はこの季節にお生まれに?」
「はい。ちょうど菫が満開だったらしくて。時間の流れは同じ感じだけど、暦の見方は違うのかな……? えっと、とにかくこの時期でした。カーディナルさんの誕生日はいつごろなんですか?」
「冬ノ二月らしいです。朝から雪がひどく降っていたようですよ。奇しくもその日は祝いの日……聖女ミヨの生誕日だったのだと聞いています」
二百年前にフォレメロードに降臨し、かの国の王太子と結婚した聖女ミヨ。三王国全体が祝いの雰囲気に包まれる聖女の生誕日に生まれ落ちたのが自分とは、まったくよくできた皮肉だ。自嘲気味に笑う。
「あの、ちなみになんですけど……カーディナルさんって、おいくつなんですか?」
「私ですか? 今年で十九になりますが、それが何か?」
「あー、やっぱり実際はそれぐらいだったんですね。仮面のせいで年齢不詳すぎましたし、物腰が落ち着いてるのもあって最初はもっと年上だと思ってたんですけど……」
一度はカーディナルのほうに向き直ったスミレだが、また身を乗り出すようにして景色を眺め出す。風に乗った「二つ下なだけなら全然恋愛対象として見てくれるよね……!」なんて独り言は聞かなかったことにした。カーディナルより二つ年下ということは、彼女は十七歳なのだろう。リリともども年下だろうとは思っていたが、少なくともスミレに関してはその通りだったようだ。
成人するまであと一年の、けれどまだ世界を知らない娘。彼女に寄る辺がないのをいいことに、広がる未来を奪い自分に縛りつけようとしている。我ながら卑怯な大人だと、自嘲気味に含み笑った。
「あっ、そうだ。カーディナルさんの本名とかって、聞いちゃっても大丈夫ですかね?」
「本名、ですか。……申し訳ありませんが、私は人の名を持たないのです。比喩でも何でもなく、本当に名付けられていませんから。ですから私は、カーディナル・フォウとしか名乗れないのです」
「……え?」
「もし不都合があるようであれば、侍女殿のお好きなように呼んでくださって構いませんよ?」
「そ……そんな大役をわたしが……!?」
スミレは何か言いかけたようだったが、それは胸の内に飲み込まれたようだ。軽い気持ちで提案すると、スミレはわななきながらも真面目に考えてくれる。
「えーっと……ノエル、とか? わたしの国の言葉じゃないんですけど、クリスマス……あー……わたしのいた世界の聖人? 神の子? の誕生日が冬にあって、その季節に歌う歌の種類、みたいな。カーディナルさんは冬生まれだし、聖女様の誕生日と同じ日に生まれたから……安直かなぁ」
「いえ、私などには過ぎた名かと。ノエル……ふふ、よい響きですね」
「気に入ってもらえたならいいんですけど。いつか弾いて聴かせますね。昔、クリスマスの発表会のために練習してた曲があるので。久しぶりだしあんまりうまくはないですけど、聴いてもらいたいんです」
「ええ、ぜひお願いいたします。私も、侍女殿の演奏には興味がありますから」
その小さな手は、一体どんな音を紡ぐのだろう。その落ち着いた声音で、どんな風に異世界の歌を編むのだろう。すべてが知りたかった。
「……ノエルっていうのは、神の子が生まれたことをお祝いするための歌なんですよ。たとえ誰が何を言っても、わたしは……貴方が生まれてきてくれてよかったって、思います」
「侍女殿……。私がどれだけ求めても与えられなかった言葉を、貴方はいともたやすく口にするのですね」
その生を呪われ、憎まれ、悔やまれるばかりで。形だけのものならともかく、心から喜んでくれる人などいなかった。それなのにスミレは、祝ってくれるという。
スミレだけは、自分のすべてを受け入れてくれる。スミレといると、己の罪を忘れそうになる。母親の不貞の証明を持って生まれ、父親に存在を知られないまま彼そっくりに成長したこと。それが生まれながらに背負った罪だ。人を愛し愛されて、幸せになろうと思うのは、罪を重ねる行為に等しい。新しい家庭を築くなど禁忌の中の禁忌だ。そうして自戒して生きることこそ、あの日母から課せられた罰だった。
それなのに、スミレに心を許してしまった。この仮面を外して彼女に名を呼ばれる日まで夢想してしまう。仮面修道会に属する以上、仮面と役職と数字だけがカーディナルの掲げられるものなのに。
聖職者は清廉潔白であることが求められるが、だからといって家庭を持つことを禁じられているわけではない。それは仮面修道会でも同様だ。自分の血を次代に残すことを恐れる者が大多数のために生涯を未婚で過ごす者のほうが多いが、仮面をつけた者同士で結婚する例もまれにあった。そして生まれた子もまた仮面をつけて生きることになる。スミレさえ許してくれるのなら、カーディナルにもそういった選択ができただろう――――けれど、それでは何も変わらない。
「……いつか必ず、私は過去と決別いたしましょう。それまでその名は、貴方だけが知っていればよろしいかと。……ねえ、スミレさん?」
「は……はいっ、ノエル、さん!」
カーディナル――――否、ノエルは手綱を片手でたぐり、空いた手をスミレに伸ばした。スミレは嬉しそうに握り返してくる。伝わる熱は、彼女が確かに生きている証だ。
求めたのはただ安穏とした生活と、自分は生きるに値すると胸を張って証明できるものだった。それが地位や名誉、あるいは権力とは離れたところにあるならそれらを欲する必要はない。
痛みに震え、絶望に泣きじゃくっていた孤独な自分。あの日の彼が何より得たがっていた自己の存在証明が、他者による承認が、隣ではにかむ少女の形をしているのなら、この手は決して離さない。




