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みそっかすの見る夢  作者: ほねのあるくらげ


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* * *


 カーディナルはよく眠っていた。熱は少し引いたようだが、顔色はまだ悪い。無理に起こさなくてもいいだろうが、昨夜一度目覚めた様子からしてもう正気に戻っているはずだ。元に戻った彼が、このままおとなしくすみれに看病させてくれるかはわからない。静かに眠っているうちにできることをやっておいたほうがいいだろう。

 だが、そんなすみれの心配は無駄に終わった。替えの包帯やら湯を張ったたらいやらの用意に手間取っている間に、カーディナルは目覚めてしまったからだ。

 切れ長の瞳がすみれを見上げる。潤んだ黒紫の眼差しは、数秒を置いてようやく焦点が定まったようだった。


「まだいらしたのですか、侍女殿」

「い、いますよ! カーディナルさんが治るまで居座りますからね!」

「まったく、何故私などにそこまでするのか……。侍女殿はよほど他人の世話がお好きなようですね」


 大げさなため息をつき、カーディナルはやれやれと肩をすくめる。……体調的には本調子ではなくても、言動のほうは平常運転のようだ。深夜からずっと降り止むことなく窓を叩く雨音に気づいたのか、彼は煩わしげに窓のほうをちらりと見やる。嫌そうに顔をしかめたものの、彼はすぐにすみれのほうに向き直った。


「では、包帯を替えるのを手伝っていただけますか? 清拭もお願いいたします。もちろん上半身だけで結構ですので」

「えっ?」

「……おや、私を看るためにここにいてくださっているのではなかったのですか?」

「そのつもりでしたけど、まさかカーディナルさんが自分で言ってくれるとは思わなくて……」


 すみれの言葉が嘘ではないというのは、手元にあったぐちゃぐちゃの包帯で察してくれたのだろう。カーディナルは一瞬きょとんとして、すぐにふっと微笑んで半身を起こした。


「私とて、年頃の異性を相手に好き好んで裸体を晒したいわけではありませんが……今は緊急事態なのでしょう? そもそもこれは、医療行為として必要なことですからね。してくださるというなら、それぐらいは頼みますよ。……利用できるものは、利用する性分ですので」

「そ……そうですよね! 緊急事態なので仕方ないです!」


 緊急事態、便利な言葉だ。その言葉を持ち出せばすべてが許される気がする。免罪符を掲げ、すみれは左手の使えないカーディナルとともに彼の寝巻をはだけさせた。場違いにも高鳴る心臓の音が彼に聴こえなくて本当によかった。


「あっ」


 一度すべての包帯を外していく。しかしついうっかりして、すみれが巻いたものではない、右の上腕のものまで緩めてしまった。近くに別の傷があったためか、眠たげに目を伏せたカーディナルはそれに気づいていないようだったが。


(怪我……じゃない? なんだろう、これ)


 包帯の下から赤いものが見えた。赤いものの周囲には、いくつもの古傷が他のそれとは比べ物にならないほど深く刻まれている。しかし赤いもの自体は傷跡ではなさそうだ。

 やけにくっきりと炎の形をしている。刺青だろうか。カーディナルがそういうものを自分に施しているのは意外だったが、ここは異世界だ。おしゃれ以外の意味があっても不思議ではない。

 どこかで見た図案だ。確か……そうだ、ラムグルナの国章がこんな感じだったはず。そんなものを腕に彫るとは、案外愛国家なのだろうか。そう思ったけれど、よく見るとこれは刺青ではなく痣のようだ。見てはいけないものを見てしまったような気がして、気づかれないうちにさっとそこだけ拭いて包帯を締め直す。幸い、カーディナルは何も言ってこなかった。


「それじゃあ、何か食べるものを持ってきますね。カーディナルさんもお腹が空いたでしょう?」

「ええ、お願いいたします。……侍女殿も何か召し上がってくださいね」


 すみれができる範囲での清拭と包帯の巻き替えは終わった。たとえ片手しか使えないとはいえ、あとはカーディナルが自分でやったほうがいいだろう。

 そそくさと部屋を出て食堂へと向かう。病人のための食事がほしいと言えば、パスタと野菜スープが出てきた。どうせなら一緒に食べようと、二人分もらってカーディナルの部屋に戻る。添えられたチーズやら塩こしょうやらはすみれが独占させてもらった。恨みがましそうな目で見られたが、もともと一人分しかなかったので仕方ない。味の薄いままのそれを、カーディナルは何とも言えない顔でもにょもにょと食べていた。

 食事を終え、ほどなくしてカーディナルはまた眠り出した。寝息は安定していて、寝顔からも険が取れている。順調に快方に向かっているようでほっとした。

 空いた食器を片付け、すっかり定位置となったベッド脇の椅子に腰かける。カーディナルの安らかな寝息につられてしばらくうつらうつらしていたすみれだったが、ノックの音で目が覚めた。時計を見る。十時だ。どうやら二時間ばかりうたた寝をしてしまっていたらしい。


「おはよー、すみれちゃん。カーディナルさん、どんな感じ?」

「あ、璃々ちゃん。おはよう。えっと……ちょっと落ち着いてきた、かな。明日には元気になってると思う」

「マジ? よかったー!」


 部屋の入口に立つ璃々は、果物が盛られた籠を手にして明朗に笑った。「一応お見舞い持ってきた!」なんて渡されたそれを受け取る自分の顔は、こわばってはいないだろうか。


「なんか、みんなが元気になったら出発するらしいよ。雨降ってるし、運転してくれるカーディナルさんが寝込んでるし、どのみち今日は行けないんだって。ほんとはあたしがみんなの怪我を聖女パワーで治せればいいんだけどさ、王子がすっごい顔して“やらなくていい”って言うの。聖女の力は私利私欲で使うためのものじゃないからーとかなんとか言ってたけど」


 璃々の話も、今は半分も耳に入ってこなかった。カーディナルは仮面を外している。璃々の角度からではベッドの上の彼の顔なんて見えないはずだが、もし一歩でも動かれたらわからない。

 カーディナルの素顔は璃々に知られたくない、と思った。カーディナルが人目を嫌うから、というのももちろんある。けれど一番の理由は違った。カーディナルの素顔を知るのがすみれだけでなくなるのが嫌で、仮面に隠された美しい顔を一目見た璃々がカーディナルに惹かれるのが怖かったからだ――――だって明るくて可愛い璃々がカーディナルを好きになってしまったら、カーディナルはきっともうすみれのことなんて見てくれなくなる。


「あ……ごめんね、璃々ちゃん。カーディナルさん、今は寝てるから……起こしたら悪いし」

「そうなの? ごめん! あたしうるさかったよね。じゃ、お大事にって言っといて!」


 ぎこちなく笑っても、璃々は怪しむ素振りも見せずに帰っていった。自分とはまったく違う、素直で純粋な彼女のことがただまぶしくて。


(わたし……やっぱり、この人が好きなんだ……)


 眠り続けるカーディナルを見下ろし、じわりと痛む胸を押さえる。我ながらひどく利己的な、醜い醜い独占欲と嫉妬心。好意と言うにはあまりにも暗く、淀んだそれ。その浅はかさに呆れて、馬鹿らしいと思って、けれどそれに蝕まれる自分に唇を噛む。璃々の気持ちもカーディナルの気持ちも考慮していない、自分勝手な自分につくづく嫌気がさした。


* * *


 まだ肋骨に多少の違和感は残るものの、耐え切れないほどではない。カーディナル以外はすっかり快復した一行を乗せ、馬車は聖都ヴァシュタへの道を走っていた。何度かケガレにも遭遇したものの、どれも小型で弱い個体だ。リリが戦い方のこつを掴んだ今、その程度のケガレは障害にすらならなかった。

 数日の遅れを取り戻そうと急いでいても、多少の休息は必要だ。リリの強い希望もあり、湖のほとりで馬車を停めて昼食を摂ることにした。リリと彼女を囲う男達がわいわい馬車から降りていく中、スミレとカーディナルは御者台に座ったまま軽食を広げる。


「……おや」

「どうかしたんですか?」


 クロワッサンを手にし、カーディナルは何気なく湖のほうを見やった。すると、反対側の岸辺に紫色の花が群生していることに気づく。菫の花のようだ。


「ごらんください。あちらに菫が咲いているようですよ」

「菫? ……あ、あれですか? ここからだとちょっとよく見づらいけど……菫なんですか?」

「ええ。見づらいようであれば、こちらの点眼薬を使ってみますか?」


 身を乗り出して目を凝らすスミレに小さな点眼薬を差し出す。スミレは不思議そうにしていた。


「低下した視力を一時的に回復させる薬ですよ。本当に視力を保たせたいなら、継続して使い続けなければいけませんが」

「へぇ。ありがとうございます、使ってみますね。……ほんとだ、すごいよく見える」

「お気に召したのであれば、これからも用意いたしましょう。……目の色を変える効果がついているものもございますが、どちらになさいますか?」

「そんなのもあるんだ……。普通ので全然大丈夫なんですけど、本当にもらっちゃっていいんですか?」

「ええ。いつぞやの看病のお礼とでも思ってくだされば結構です。毎朝、忘れずに点眼してくださいね。三ヵ月も経つころには眼鏡は不要になるかと」

「三ヵ月……」


 スミレの表情がにわかに曇った。そうだった。三ヵ月後には、この旅はとっくに終わっている。つい、この時間が永遠に続くような気がしていた。どんなことであれ、いつかは必ず終わるときが来るものなのに。


「今はさすがに持ち合わせがないので……残りの日数分については、女神の宮殿(サンクチュエール)につくころにまとめてお渡ししましょうか?」

「……三ヶ月後も貴方の手からそれを受け取りたいって言ったら、迷惑ですか?」

「ッ!」


 絞り出すような声で問う少女に、思わず息が詰まった。いつかのような、冗談の延長とも取れる言葉とは違う。その真剣な顔から目がそらせない。


「貴方は……本当に、こちらに残るおつもりなのですね」

「どうせ日本に戻ったところで、わたしに待ってる人なんていませんから。わたしは璃々ちゃんとは違うんです。帰りたい理由も、帰らなきゃいけないところも、わたしには……」


 幼いころに両親と死別したこと。引き取られた先の親戚一家とは折り合いが悪いこと。親しい友人も恋人もいないこと。胸を張れる特技も、人に惜しまれる才能もないこと。将来に希望は持てず、夢も未来も何もないこと。スミレは訥々と語り、カーディナルはすべてを黙って耳を傾ける。


「どうしたいのか、決めるのは侍女殿ですよ。貴方の選択がなんであれ、私はそれを受け入れましょう。……それは、私がそうしたいからです。迷惑だなどと思うはずがないでしょう」

 

 スミレがすべてを語り終えるが早いか、カーディナルは無意識のうちに手を伸ばしていた。スミレの頭を優しく撫でる。気づいたときには言っていた――――私が居場所になりましょう、と。


「カーディナル……さん……?」

「侍女殿。貴方という存在は、私を強く苦しめる。何故……何故、私は貴方を大切に思ってしまうのでしょう。何故、貴方と離れたくないと思ってしまうのでしょう。こんなはずでは、なかったのに」


 ――――ああ、もうだめだ。止まらない、止められない、彼女から離れられない。同じ孤独(いたみ)を抱えた少女を、同じ渇望(くるしみ)にあえぐ少女を、どうして素知らぬふりで突き放せるだろう。

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