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まばゆく輝くその白に目がくらむ。顔を背け、目を閉じて、光が消えたころにうっすら瞼を持ち上げる。暴虐の後はまだ残っていたが、ケガレの姿はどこにもなかった。聖女の光がケガレを斃したのだ。
「これが聖女の力か……! さすがとしか言いようがないな。リリ様がいなければ、オレ達は今頃どうなっていたことやら……」
「ありがとう、リリ。君のおかげで僕らは勝つことができた。これで町にも平和が戻るだろう」
「そーだね……。うんうん、よかったよかった。みんなが無事であたしもうれしーよ」
憔悴しきった様子のリリはぺたりと座り込んだまま、それでも健気な笑みを見せた。駆け寄ってきた男達の称賛など、今の彼女にはさほど響いてはいないようだったが。
「ん? リ、リリちゃん!? 大丈夫かよ! 左手、腫れてるじゃねぇか!」
「あ、はは……。いやー、受け身取ろーって思ったんだけどさ、失敗しちゃって……」
「それは大変だ! カーディナル、今すぐ彼女に<治癒>を!」
「お待ちください。今、手持ちの身代人形が、」
「そんなものはどうでもいい! リリの身代人形は失われているんだぞ! 今さら新しいものを出したところで、すでに負った傷に身代人形は使えないだろう!」
その通りだ。<追治>だろうが<先掛>だろうが、怪我をする前に身代人形を所持していなければ、身代人形は効き目を発揮しない。先に対象を定めていなければ不発に終わる、それだけのこと。だからカーディナルが探しているのは、<治癒>の身代人形だった。
「何をしている、いいから早くリリを治したまえ!」
「王子はおおげさだなー。これぐらい自分で治せるって。困ったときの聖女パワーでしょ」
聖女が傷ついて我を忘れた様子の王子を、当のリリは若干引いたように笑いながら見上げる。全然大丈夫、あたしは平気だから、と繰り返すその姿はむしろ痛ましかった。
「……それはいけませんよ、聖女殿」
聖女の力は、人智を超えた女神の奇跡そのものだ。けれどクロードはカーディナルに業の行使を望んでいるし、いかに聖女とはいえ自分で自分の怪我を癒せるかがわからない。だから、カーディナルはリリの言葉を退けた。
クロードは、カーディナルに無限収納を探す時間すら与えてくれないらしい。あそこには身代人形の他にも薬をはじめとした治療のための道具がある。なんとしてでも見つけなければいけないが、それは今ではいけないようだ。
だからカーディナルは重い身体を引きずってリリの側に跪き、左手の指先にそっと触れる。白く細い手首は腫れあがっていた。額に浮ぶ脂汗は痛みの証だろう。もしかしたら、まだどこか怪我をしているかもしれない。
痛そうだな、と思った。こんな細い身体で背負うにはつらすぎるだろう、と。気丈に笑うその姿にスミレが重なる。もしも目の前にうずくまるのがスミレだったら、たとえ誰に何を言われなくても迷うことなくカーディナルはこの力を使っていただろう。
だから、リリにも同じことをするのは当然だ。だから、スミレが特別なわけではなくて。そして、そう、これはただ、聖女に媚を売るための一つの策略に過ぎない。
「失礼します。惑う我らに女神の導きを。癒しの水をここに――<治癒>」
「あ……うそ、全然痛くない……!?」
「……それは、よかったです」
もともと自分が負っていた傷と、たった今引き受けた聖女の傷。それらを抱え、カーディナルは立ち上がった。こわばる笑みも、噴き出す汗も、仮面のおかげで見えはしない。わかりやすく腫れた左の手首だって、ゆったりとした袖と手袋に隠れているのだから気づかれるわけがなかった。
足元がおぼつかない。世界が揺らぐ。ふらり、傾きかけた身体を気力だけで支え、土埃が晴れた視界から無限収納を探す。痛みのおかげで逆に感覚が研ぎ澄まされ、今度はあっさり見つかった。けれどもう意味はない。だって祈術師は、<治癒>の身代人形を自分には使えないのだから。
(聖女殿は……とても強い、女性の……よう、ですね……)
ああ、やっぱり痛かった。左手は捻挫で済んだようだが、肋骨にひびぐらいは入っているかもしれない。
全身に負った打撲やら切り傷やらのせいか、あちこちがじくじくと熱を帯びている。強く存在を訴えかけてくるそれは、カーディナルがまだ生きていることの証明だ。それとおそらく、ケガレの毒も浴びたのだろう。幸い微量のようで、命が失われるほどのものではないとぼんやりわかる。
ケガレ用にと特別に調合した解毒薬を飲めば、多少はましになるだろう。あとはゆっくり寝ていれば、そのうち毒は消えてくれるはずだ。怪我だって、普通の薬のほうを使えばいい。ゆっくり休んで、栄養を摂れば、そのうち治ってくれる。
それでも、苦しいものは苦しかった。これを抱えてなお大丈夫だと笑える聖女の強さは、素直に称賛すべきものだろう。
――――<治癒>。それは女神が人に与えたもうた最大の御業で、すべての奇跡の原点で、そして人の身には過ぎた呪いだ。
祈術師の施す<治癒>は、他人の痛みを自分が引き受けるというものだった。ゆえに祈術師は聖職者であり、聖職者は祈術師となる――――祈術師の業は、人と女神にすべてを捧げるぐらいの覚悟がある者の献身と自己犠牲によってのみ成り立つのだから。
だから身代人形なんてものがある。祈術師が引き受けるべき傷を、代わりに身代人形に背負わせる。<治癒>の身代人形はそのためのものだ。けれどその逃げ道がふさがれているなら、正当な方法に則り祈術師本人が痛みを背負うしかない。
<先掛>の身代人形であれば、祈術師であっても使うことはできる。<先掛>は、所有者にダメージ受けるより早く自動で発動するからだ。<先掛>の身代人形を持つ限り、祈術師は怪我をしたことにはならない。
しかし基本的に身代人形とは、祈術師が肩代わりすべき痛みを別のものに移すための依代だ。“祈術師が怪我を引き受ける”という、癒しの業における最大の目的が達成された今、女神の御業は再度の奇跡が行使される必要性を認識しない。
だから<治癒>の身代人形は祈術師には必需品で、しかしそもそも自分で怪我の転移が行えない一般人には無用の長物だった。
クロードも、アンリも、カミーユも、祈術師が身代人形を使わず行う治療行為がどのようなものかは理解しているだろう。しかし彼らはカーディナルには目もくれないし、カーディナルとて彼らから感謝やら激励やらがほしいわけでもなかった。
何も知らない様子のリリだけは無邪気に礼を言ってきたが、だからこそ引き受けた怪我のことは悟られたくない。取り急ぎ解毒薬だけ飲み干したカーディナルは、そっけない態度を取って突き放すように彼女から目をそらした。
* * *
すみれは宿の部屋で璃々達の帰りを待っていた。森へ向かう彼女達についていきたかったわけではない。だが、璃々と、それからカーディナルが危険なところに行くのに、自分一人だけ留守番するのは嫌だった。だから、クロードから用事を言いつけられたときは少しほっとしたりもした。「目の届かないところに行かれて、逃げられると困る」……ぼそりと呟かれたクロードの言葉の意味はわからなかったけれど。
すみれ自身は、森への随行には乗り気だったのだ。結局は、他ならない璃々とカーディナルによって留守番することになったわけだが。
危ないんだし、無理に連れてかなくてもいいじゃんね――――そう言った璃々に悪気があったわけではない。彼女の言葉がしこりになって胸の奥にどろりと落ちたのは、すみれが穿ちすぎているだけだ。璃々は純粋に、すみれのことを慮っていただけなのだから。
すみれが役立たずなのは事実で、下手についていったら邪魔になる。璃々の言葉は正しいし、すみれ自身荷物運び以上のことができるとは思っていなかった。ついていきたいと思うのはわがままで、二人の優しさを無碍にしてまでクロードに従う意味はないのだ。だからすみれは一人で宿に戻った。
時計や窓の外を何度見たかもわからない。たった数時間がやけに長く感じられる。外がにわかに騒がしくなったのは日がとっぷり暮れてからで、星が宵の闇を照らしだしたときだった。
旅人がケガレを討伐したという町民の歓喜の声は、三階の窓から外を眺めていたすみれの耳にも届いて。弾け飛ぶように外に出て、階段を駆け下りて宿屋の外へと飛び出した。
「璃々ちゃん……!」
「あっ、すみれちゃーん! ただいまー!」
顔の見えないカーディナル以外はみな達成感に満ち溢れた顔をしている。森の中ではどれほど激しい戦いが繰り広げられていたのだろう。無傷に見えるのは璃々とカーディナルだけで、他の三人は多少なりとも怪我をしているようだった。しかしそこまでの深手を負った者はいないらしい。
「……え?」
クロード達はすみれの横を素通りして宿屋に入っていった。それは予想できたことだ。彼らがいちいちすみれに何か言葉をかけるとは思えなかったし、何か言われたとしても定型句ぐらいしか返せない。だからそれについては気にしていなかった――――すみれが絶句したのは、その中にカーディナルもいたからだ。
「みんな結構怪我してるみたいだからさ、ちょっとこの町で休んでこーってことになって。大変だったんだよー。ケガレを斃したって言ったら、町の偉い人がなかなか帰してくれなかったの。今日は疲れてるからってゴリ押しして戻ってきたんだけどね」
「あ……そっか、そうだよね。みんな、怪我してたし。でも病院とか、寄っていってもよかったのに……」
疲れているから、カーディナルもいちいちすみれに構う余裕なんてなかったのだろう。いつでも気にされて当然だと思うことのほうがおかしい。そう自分に言い聞かせ、すみれは自分本位の考えを恥じた。
「あたし達の帰りが遅かったら、すみれちゃん心配させちゃうじゃん? ケータイあったらよかったんだけどさー。でもだいじょーぶ! 偉い人がお医者さん呼んでくれるんだって。そのうち来るんじゃないかな? ほら、あたし達も入ろ入ろ! おなかすいたー!」
璃々に手を引かれて中に戻る。一階の大食堂からはおいしそうな匂いが漂っていて、璃々はまっすぐそちらに向かって行った。クロード、アンリ、カミーユもほどなくしてやってくる。だが、いつまで待ってもカーディナルは降りてこなかった。
「カーディナルさん、どうしたんだろ?」
「ほっとけよ。いちいち待ってたらせっかくの料理が冷めちまう。ほらリリちゃん、食わねぇなら俺がもらってやるぜ?」
「ちょっ、やめてよー! あたしまだ育ち盛りなんですけど!?」
「陰気な仮面がいなくてちょうどいいと思うが。……ですよね、殿下」
「そうだね。彼がいようがいまいが、僕にはどうでもいいことだけど」
好き勝手な言い分を掻き消すように立ち上がる。ばん、とテーブルについた手のひらが立てた音はすみれが思っているより大きく響いた。
「わたし、ちょっと見てくる。璃々ちゃんは先に食べてて」
「あっ……うん、わかった。いってらっしゃい」
カーディナルの客室は一応知っている。最初に帳場で鍵を渡されたとき、どの部屋のものだったか見ていたからだ。二階の、いちばん階段に近い部屋。半ば走るようにしてそこへ向かった。
疲れて眠っているとか、食欲がないとか、それだけならいい。けれど、とにかく心配で。カーディナルが着ている丈の長い黒い祭服は、にじむ血の赤すら飲み込んでしまう。彼の顔を覆う白い仮面は、苦痛に歪む表情までも隠してしまう。もしも見えないところで大きな怪我をしていたら。もしもそれを誰にも気づかれていなかったら。そう思うだけで気が気でなかった。




