13
うっそうと茂る森は、沈む夕日に照らされて不気味に赤く染まっている。鳥の声も、木の葉が擦れる音もしない、静まり返ったそこはまるで死んでいるようだった。けれどよく耳を澄ませば、遠くから獣の咆哮が聴こえる。この森に巣食うケガレだろう。
誰からともなく森の中へと足を踏み入れる。湿った土はわずかに沈み、まるでカーディナル達をこのまま森に捕らえようとしているかのようだった。
「――ッ! 来るぞ!」
中ほどまで入っていったところで、アンリが鋭い声音で警告を飛ばす。瞬時と置かずに地響きがとどろき、こちらに向って木々がへし折れるような音が響いてきた。ケガレが人の気配に勘づいたらしい。
その殺気にいち早く反応したアンリは剣を抜き、クロードとカミーユもそれぞれの得物を構える――――けれどケガレのほうが速く、そしてそのケガレはカーディナル達の想定よりも巨大だった。
「いた――く、ない?」
前脚だか尻尾だかに薙ぎ払われた、と理解するより早く全員の身体が宙に浮く。ある者は木に、ある者は地面に。叩きつけられ、けれどみなすぐに起き上がった。
リリをはじめとしたカーディナル以外の全員が、不思議そうに土に汚れた自分の身体を見ている。一方カーディナルは、首から下げた身代人形を確認して歯噛みする――――今、全員一度死んだ。
「惑う我らに女神の導きを。守りの盾をここに――<障護>!」
使い物にならなくなった背負い鞄を下ろし、カーディナルはすぐに立ち上がって祝詞を唱えた。
伸ばした手から淡い光が放たれる。立ち塞がる壁のように伸びるそれはケガレの体当たりを受けてわずかに軋んでいるが、当分は持ちそうだ。
「不意の一撃だからこそか、それともまだ小手調べに過ぎないのかはわかりませんが……油断していい相手ではないようですよ」
忠告しつつ、新しい<先掛>の身代人形を取り出した。<先掛>の身代人形の残りは人数分しかない。今と同じ威力の攻撃を防げるのは三度までだ。
とはいえ、スミレの分も含めて考えるなら、誰か一人は四度まで延命できる。それがリリになるか、それともクロードになるかはわからないが。
<追治>を含めた他の種類の身代人形はまだ余裕があるが、それもいつまで持つかどうか。予備自体はまだあるが、それらはすべて宿屋に置いた荷物の中にある。一度の出撃ですべてを持っていく意味はないし、万が一無限収納を失う事態が起きたら笑えないからだ。
カーディナルの言葉と行動で、クロード達は理解したらしい。どこか余裕をにじませていた顔は一瞬で引き締まった。
一番近かったカミーユから順に助け起こし、身代人形を渡す。カーディナルのように祈術師であれば効果が発動しないよう持ち運べるが、祈術師でない者がきちんと効果を発揮する形で身代人形を持ち運びたいなら一枚が所持数の限界だった。だから、こうしていちいち配り直さなければいけない。
「穢れた手で僕に触るな!」
「おや、その穢れた手が生み出した物に助けられたのはどこのどなたでしょうか。いらないのであれば、こちらは余剰分として残させていただきますが」
みな素直に受け取ってくれたが、クロードだけは違ったようだ。クロードを立ち上がらせようと、差し出した手はぴしゃりとはねのけられた。
手袋越しでも伝わる、ひりつく痛みを無視して嗤う。クロードは悔しげな顔で立ち上がり、カーディナルから身代人形を奪い取った――――スミレが褒めてくれたものをクロードへの嫌味に使ったことに、少し後悔した。
「か、カーディナルさん! 壁っ! 壁、壊れそう!」
「そうですね、そろそろ壊れる頃合いでしょう。むしろ、よくもったほうではないでしょうか。……聖女殿、大丈夫ですよ。その壁がある間は、こちらも攻撃を通せません。つまり、壊れたときにようやくこちらも反撃できるのです」
青い顔のリリを庇うように、アンリとカミーユが彼女の前に立った。少し遅れてクロードもそこに駆けつける。向こうは向こうで大丈夫そうだ。
そう思うと同時に、この場にスミレがいなかったことに心から安堵した――――スミレを守ろうとするのはきっとカーディナルしかいないし、カーディナルがスミレを守ろうとすればカーディナルの手は他のところに届かなくなる。
「私にできることは、いずれも聖女殿にもできるはずです。聖女殿にも祝詞が必要かはわかりかねますが」
「あ、そういえば城のキジュツシさんは、聖女様は願うだけで女神の奇跡がなんとかって言ってた!」
「では、そのように。女神に何をしてほしいのか、それを強く願えばきっと女神は応えてくださるでしょう」
「わっ、わかった!」
守りの盾がひび割れていき、再度ケガレの攻撃を受ける前に、短くリリに助言をする。どう立ち振る舞えばいいのか、何をすればいいのか。それだけでカーディナルの意図は伝わったようだ。まだ震えているようではあったが、リリは割れた壁からこちらを睥睨するケガレをひるむことなくまっすぐ見据えている。
それは大きな黒い獣だ。狼とも獅子ともつかない、四足歩行の黒いけだもの。ぱっくり裂けた、白い牙の並ぶ赤い口だけがけだものに色を添えている。
目も鼻もないように見えるそれは、しかし確かにカーディナル達を認識していた。それだけ聴覚が発達しているのか、あるいはほかに感覚器官が備わっているのだろう。
ケガレに種類などない。ケガレはケガレだ。生前の姿がどうであれ、ケガレとなればみな同じ姿形に成り果てる。カーディナル達の前にそびえたつケガレも、他のケガレとなんら変わりはなかった――――一般的に出没するそれより、だいぶ巨大ではあったが。
「灼熱の中で踊れ――<炎舞>!」
「惑う我らに女神の導きを。荒ぶ風と猛る熱、砕けぬ石をここに――<疾旋>、<激燃>、<硬強>!」
ケガレが吼えた。それと同時に壁が完全に壊され、すべてが動き始める。
カミーユの放った炎に包まれ、ケガレはその動きを止めた。ケガレを囲むように燃え上がる炎は、けれどその黒い毛皮を焼けない。そんなことは彼もわかっていて、そのうえで彼は炎の中でも最上位に位置する魔術を足止めに利用した。
「人に仇なすけだものめが……!」
「今、ここで僕らが貴様を討伐してやる!」
炎の中へと突き進むのは、カーディナルの祈術によって一時的に身体能力が向上したアンリとクロードだ。彼らをうっすら包む膜は、味方が放った炎の熱を遮った。
難なくケガレの元まで辿り着いた二人の剣がケガレを貫く。噴き出す血は赤黒く、それをたっぷり浴びたアンリは数分の後に悲鳴を上げる――――また身代人形が壊れた、と。
「ええ!? な、なんで!? 毒って言っても効くの早すぎない!?」
「どうやら、あの個体の毒性はかなり強いもののようですね。惑う我らに女神の導きを。救いの風をここに――<索血>」
同様の異変はクロードにも起こったようだ。祝詞を唱えながら<消清>と<先掛>の身代人形をそれぞれ取り出す。カーディナルの手から離れた四枚の紙は、ひとりでにアンリとクロードのもとへと飛んでいった。
「王子、アンリ君、下がってて! 遠くから狙ったほうがいいっしょ!」
叫び、リリは右手を前へ突き出す。親指をぴんと立て、人差し指を伸ばしているが、その形の意味は分からない。あるいはそれが彼女の考える遠距離攻撃の形なのかもしれないが。
「ばん!」掛け声と同時にリリは跳ねるように右手を上げた。跳ね上げる寸前、彼女の人差し指から細長い光の玉のような何かが放たれる。それは吸い込まれるようにケガレに命中し、そのとき初めてケガレは苦悶の声を上げた。
「うっわ、マジで手からなんか出た」
「さっすが聖女ちゃん! その調子で頼むぜ!」
呆然とするリリを、喜色を浮かべたカミーユが褒め称える。しかしその一撃はケガレを斃す決定打とはならず、むしろケガレを興奮させてしまったようだ。ケガレは炎の熱にも構わず縦横無尽に暴れ出す。カーディナル達はみなそれに巻き込まれた。
弾き飛ばされ、無様に転がる。周囲の木々はへし折れ、大地は割れ、毒の血が撒き散らされた。ケガレの蹂躙のせいでカーディナルの身代人形は再び壊れてしまった。恐らく他の四人の身代人形もそうだろう。
急いで腰の無限収納に手を伸ばしたが、そこには何もなかった。どうやらどこかに引っ掛けるか何かして帯が切れてしまったらしい。
「くッ……!」
痛む身体に耐えながら周囲を見渡す。立ち込める土煙や倒木が邪魔で無限収納は見つからない。陰からひょっこり四人が顔を出しているので、どうやら全員無事のようだったが。
しかしやはり身代人形は壊れてしまったのだろう。カーディナル以外の四人も大なり小なり傷を抱え、土と血で汚れている。どれも身代人形が破壊されてから受けた傷に違いなかった。
「いい加減にしろ! 痛いっつーの!」
我慢の限界が訪れたのだろう。不意にリリが苛立たしげに声を張り上げ、巨大な敵を睨めつけた。聖女の怒りはケガレの気を引いたようだ。怒鳴る少女を探そうと、ケガレがゆらりと動く――――けれどその大きな影は、上から降り注いだ巨大な光の塊に押し潰された。




