えんえんら・鬼
「だから、その時に向けて知識は集めておかないとね。大介君、頑張って」
「はい」
大介はしっかり頷いた。だが、今のところ大介に出来ることは何もない。
対亜人兵器なんて言ったって、彼は所詮乳歯の域を出ないのだ。
役に立てるようになるには、自分で亜人細胞の発症の進行度をコントロールせねばならない。
桃が、「まあ、今の大介は、”どの亜人が怖い”とか言ってる場合じゃないわね」と喉を鳴らす。鬼が「そりゃそうだ」とあわせて笑った。
「とにかくお前は、亜人細胞を発症させるところから始めねえとな。急ごうぜ。そろそろ蠍がぶちぎれる」
「蠍さん、待ってるんですか」
「ああ。一緒に行くかっつったけど、当然断られた。ま、最初から期待しちゃいねえさ」
鬼は言って肩を竦めると、歩く速さをあげる。大介達もそれに続いた。
*
「遅ェんだよテメエら、ぶち殺すぞ」
鬼の予想通り、蠍はすぐにキレていた。この人古い輪ゴムみたいだな、と思いながら、大介はぼんやりと蠍の赤い前髪を見つめる。
鬼は「だから声掛けてやっただろうが」と面倒くさそうに返事をした。
「一緒に行きゃあ、待ちぼうけすることもなかったってのに。お前は馬鹿なのか?」
「うるせえんだよ。なんで俺がお前らと一緒に行動しなきゃなんねえんだ」
「ならガタガタ言うな」
蠍の文句をすっぱりと切り捨てた鬼は、さて、と大介に向かって笑った。
「じゃあ、まずは俺達の亜人細胞のお目見えといくか」
おお、と大介はその場に体育座りをして、本格的に鑑賞の体勢に入る。蛙も隣に座って「わー」と拍手をしていた。劇でも見るような二人に――といっても鬼にとっては一人だが――にっと白い歯を見せて笑った鬼は、すっと右手を挙げた。
――その無骨な手に、少しずつ靄がかかっていく。
だんだんと見づらくなってきて、大介は「ん?」と目を擦った。しかし、見えている者は変わらない。少しずつ靄が濃くなり、濁った灰色へと変わる。――今日の朝、亜人戦で見た時と同じだ。
「……煙?」
正解、と鬼が言ったその瞬間、彼の胸あたりまでが一息に煙と化した。
「俺は体の半分程度を、煙に変えることが出来るんだ。元となってる亜人は、多分、煙々羅じゃねえかと思ってる」
「煙々羅?」
えんえんら。なんだか上機嫌っぽい名前だと大介は思った。語感がいい。
「江戸時代にいた、鳥山石燕つう浮世絵師が描いた妖怪だ。
伝記とかは何もなかったんで、石燕の創作妖怪だと考えられてたが……煙の化け物なんざ、今のところ煙々羅くらいしかねえからな。まあ多分ソイツだろってことで、今のところ話はついてる。
この能力で出来るのは、まずは移動だな。風に乗れば、かなりの距離まで一瞬で移動できる。
難点は、あんまり風が強すぎると吹き飛ばされるってことだ。煙に変えてる体の割合が大きければ大きいほど、吹き飛ばされやすくなる。
たとえば、右腕一本程度ならかなりの強さの風でも耐えられるが、体の半分も風にしちまうと、風速100メートルは確実に耐えられない」
「100メートルって言ったら……強めの台風くらい」
鬼は「そうだな」と肯定した。
「確か、何年か前にフィリピンで発生した、大型台風の瞬間風速がそのくらいだった。
だが、このくらいの風速は、亜人と戦ってりゃ頻繁にあることだ。
たとえば、亜人の攻撃が巻き起こす風とかならいくらでも発生する。だから、体の半分以上を煙に変えたままずっと戦うわけにはいかない。
それに、俺の煙は火事で出る煙と変わらねえからな。一酸化炭素、塩化水素、アンモニア…有毒ガスが含まれてる。
あんまり大量の煙を出すと、俺やお前らにも被害が行くんだよ。
まあちょっと吸ったくらいじゃ死にゃしねえから、そこまで過敏になる必要はねえけど、何にせよ使い過ぎは避けたい。ただ、緊急回避には使える」
「緊急回避。煙になって逃げるってことですか」
「それもあるが、俺の言ってるのはそういうことじゃねえよ。……そうだな。ちょっと俺の腹殴ってみろ」
「え」
大介は目をぱちくりとさせて、自分の拳に視線を落とした。中学生男子の、未発達の手だ。しかし、殴ればそれなりに痛いだろう。




