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にしても、と鬼は亜人に一瞥を寄越した。今の亜人は、目の中に突然大量の水が入ったことに動揺しているらしく、苛立ったような唸り声をあげながら、地団太を踏んでいる。激しい地鳴りがした。
鬼は大介を屋根の上におろしてから、嘆息する。
「ありゃ今回は無理だろうな。全然抑えられてる気配がない」
「うん、そうだね。もう駄目だよ、多分。毎回思うんだけど、こういうのって待つ意味あるのかな?」
「ま、中国と米国で何回か、無理だと思ってたけどいけましたー、ってケースがあったらしいからな。それならもう、待つしかねえよ」
「その間に色々壊れてるんだけどねえ」
桃の言葉と同時に、亜人が巨大な叫び声をあげて、翼を大きく振るった。たったそれだけで、庭木はなぎ倒され、瓦礫が宙を飛ぶ。どうやら今は、スキャニングの最中のようだ。つまり、あの亜人の元である人間が、亜人を抑え込めるかどうかをチェックしているのである。
桃はすぐに大介を抱きしめて、屋根を蹴って高くへのぼった。
轢音がして下を見ると、先程桃が蹴った屋根の瓦が壊れてしまっていた。亜人の攻撃ではない。桃の跳躍でそうなったのだ。
一方の鬼は、上半身だけのまま、「うわっ」と声をあげて風に流されていく。
「……鬼さんは、なんで体半分なんですか」
ようやく口を開く余裕が出てきたので、大介はとりあえずそれを尋ねてみた。吹き飛ばされていく鬼をおかしそうに眺めながら、「あれはね」と言った。
「アイツの亜人細胞を、ちょっと発症させた結果なの」
「……つまり、鯨さんと似たようなものってこと」
大介は、既にアスファルトにおりている鯨の、液状になっている腕に目をやった。そうね、と桃が頷く。それと同時に、鯨が声を張り上げた。
「――スキャニング不能! これより討伐に移る!」
了解、の声が続いた。全員、最初から期待していなかったようだ。
桜が動く。彼女の両腕から伸びた草木のツルが、亜人の足を締め上げる。桜は、その細見からは想像出来ぬくらいにあっさりと腕を引き、亜人を転ばせた。亜人はつんざくような悲鳴をあげて、七本もある足をばたばたと動かした。爪がアスファルトを抉っている。
桜は、右腕から生えたツルだけを一旦ほどいた。まるでロボットのアームのように正確に、ツルが亜人の腹部に向いた。大介がまばたきをしたその瞬間に、その深い緑は亜人の腹をめがけて加速した。
――そして、貫いた。ツルが小さく蠢くと同時、亜人の肉の音が嫌な音を立てた。亜人が空に向かって吠える。
――やがて、暴れていた亜人の体から、力が抜けた。見開かれた両目はそっとまぶたをおろして、咆哮は溶けるように消える。
桜が、そっとツルを抜くのと同時に、亜人の体から黒いものが噴き出した。鯨が、亜人と化した姉の肩を貫いた時と同じだ。あの時も確か、姉の腹からはどす黒いヘドロのようなものが噴出していたのだ。
桜は、酷いにおいに端正な顔を歪めつつも、もう動かない亜人に近寄る。よじ登るようにして亜人の体に乗り上げた彼女は、自らが開いた亜人の腹の穴に、もう一度ツルをさし入れた。今度は攻撃ではなく、ただ何かをしようとしているような動きだった。
暫し見守っていると、漂っていた悪臭が消えた。垂れ流されていた黒い液体は、徐々に光を帯びていく。だんだんその輝きが強くなって、大介は目を開けていられなくなる。ぎゅっと瞳を閉じても、まだ目の前は白いままだ。大介は、もう暫く目を閉じていた。
「……おい、いつまでやってんだ」
横から声をかけられて、大介は目を開いた。すると、大介の隣には鬼がいた。もう下半身はある。警察官の制服に包まれた足が、ちゃんとすらりと伸びている。
「屋根の上でいつまでも目なんか瞑ってたら、落ちるぜ」
言われた大介が返事をするよりも早く、鬼はひょいと大介の首根っこを掴んだ。また猫のような持ち方をされて、いい加減何か物申すべきかと一瞬思ったが、鬼が大介を連れたまま屋根から飛び降りたので、文句は小さな悲鳴に変わった。
「うわー」
間抜けな声をあげた大介を、鬼はくつくつと笑った。しかし、大介の体が衝撃を感じるよりも早く、鬼は減速する。否、衝撃どころか、着地した感覚すらもない。
「あれ」
不思議に思った大介が鬼の足元を見ると、また彼の下半身がなくなっていた。大介は「鬼さんの下半身が」と声をあげた。
「どっか行った」
すると鬼は心底おかしそうに喉を鳴らしてから、「これじゃ何も出来ねえな」と合わせてきた。横で聞いていた鯨が、「先輩はいっそ無い方が、落ち着いてていいんじゃないですか?」なんて冗談半分に口を挟む。「馬鹿」と軽く返して、鬼は大介から手を離した。
もう一度彼の下半身を見た大介は、あれ、と首を傾げる。なかったはずの体が、また戻ってきているのだ。
さっきから、生えたり消えたりと忙しい体である。




