細胞兵器パレード、その1
「おい、何ぼーっとしてんだ!」
かたわらを飛んでいた蛙に怒鳴られて、我に返る。そして、その瞬間瞳に飛び込んできた景色に、立ちすくんだ。
「大介!」
もう一度強く名を呼ばれた時、大介の体は横に引っ張られた。途端、そのすぐ左隣で、轟音が響く。
――大介の頭ほどもある巨大な爪が、地面に刺さっていた。飛んだアスファルトのクズが、大介の体に勢いよくぶつかる。
「何してる! 死にてえのか!」
声を荒らげたのは、警察官の制服を着た蠍だった。大介の首根っこをひっつかんでいる。助けられたらしい、と思う間もなく、大介は突き飛ばされた。転びそうになった大介を支えたのは、桃だ。彼女もまた、婦警の格好をしていた。彼らも揃って、表向きの仕事としては、警察官にあたるのだろうか。
彼女は大介をぐっと抱き寄せてから、声を張り上げた。
「亜人細胞は、多分足よ! ――残り三十秒!」
そして直後、彼女は高く跳躍した。人間の脚力では考えられない高さまで一気に体を引き上げられた大介は、内臓を置いてけぼりにするような感覚に、胃がぎゅっとなるのを感じた。咄嗟に桃にしがみつくと、桃は「大丈夫よ」と紅を塗った唇を吊り上げた。
「私ね、逃げるのは得意なの!」
その言葉を忌々しく思うかのような目つきで、亜人は大介達を睨めあげた。金色の美しい瞳は、化け物の顔にはあまりに不釣合いで、逆に不気味だった。
激しい咆哮を轟かせた亜人が、獅子の口を大きく開く。蛇の首を長く伸ばし、こちらに顔面を突っ込んできた。ひ、と息を飲んだ大介をもう一度きちんと抱いて、彼女はスカートからすらりと伸びた足を、一度自身の腹部まで引き寄せる。
――そして、空中を蹴った。大介達の体は、プールで壁を蹴ったような動きで、自然と空へ浮上した。彼女の靴は、婦警の格好にはアンバランスな、スニーカーだった。
「コイツすげえ美脚だな!」
一人だけどうでもいいことを言いながらも、蛙は大介のそばにずっとついている。本当に戦闘では役に立っていない。「俺も美脚になろ!」と言いながら一瞬で女体に変化する蛙を、「そんな場合じゃないだろう」と叱る余裕もない。
――不意に、頭に冷たいものが落ちるのを感じた。え、と思って空を見上げれば、空中に水たまりが浮いていた。その平たい水たまりに、大介はこんな状況なのに姉のことを思い出した。――昔姉が焼いてくれたホットケーキ。フライパンに生地を流したような、そんな形に、その水たまりは似ていたのだ。
水たまりは、大介達と同じく宙に浮いた鯨の右腕から伸びていた。
すぐに、その水面が崩れた。輪郭を失った水は、水滴となって大介達に降り注いだ。
「ちょっと、私まで濡れたじゃない!」
肩を怒らせながら、また空中を蹴ってその場を飛び退く桃に、鯨が「ごめん」と慌てて返事をする。その間にも、雨のように降った水滴が、亜人の巨大な眼に飛び込んだ。亜人はばちばちと繰り返しまばたきをして、少し足元をふらつかせた。
桃は、跳躍の勢いそのままに、まだ無事である家屋の屋根の上に立つ。結構な衝撃が、大介の全身に響いた。
「下ろすわよ」
「え」
大介が事態を理解する前に、彼の体は空中にぽいと放りだされていた。えええ、と思いながら慌てて身を小さくした大介の襟首を、不意に誰かが掴む。
「よう。昨日ぶりだな」
――そう言って笑ったのは、鬼だった。目に痛いほどの桃色の髪を揺らめかせた彼は、大介の服の襟を掴んでくれていたのだ。まるで子猫が運ばれるような体勢だが、しかし大介に文句を言える余裕はない。
何故なら、警察官の制服を着た鬼の体は、上半身しかなかったからだ。
「なんだコイツ!? お化けか!?」
そばで浮いていた蛙が、顔を真っ青にして大介の後ろに隠れる。隠れたところで蛙の姿は鬼には見えないし、そもそも蛙も相当お化けに近いポジションなのだが。
「いきなり実践になるとは思わなかっただろ?」
鬼の言葉に、大介はとりあえず頷いた。しかし、視線はどうしても鬼の体に行く。
一昔前に、テレビから上半身を乗り出す女性の幽霊がいたそうだが、鬼の今の状態はそれに近い。胸から上だけが空中にあるのだ。正直なところ、恐ろしいビジュアルだった。これも亜人細胞の能力なのだろうか。目まぐるしくて、なんだかわけが解らない。
しかし、大介がそれについて聞くよりも早く、桃の方が鬼に返事をする。
「まあ、ちょっと運が悪かったかもね。もっと色んなことを知ってから実戦投入すれば、まだ冷静でいられたかもしれないけど」
「つっても、いつ亜人が出てくるかなんざ解らねえからな。運だよ、運。初日にまた出るよりマシだろ」




