乳歯、爆誕
――その時だった。別に何をしたわけでもなく、ただぜいぜいと呼吸を繰り返していただけの大介の体から、不意に痛みが消えたのである。本当に、唐突だった。一度まばたきしたら次の瞬間にはなくなっていたのだ。まるで手品のように、痛みが消失する。それにつられるようにして、遠退いていたはずの意識が、さざ波のように寄って来る。
「……あれ」
まだ呼吸は荒いながらも、大介の体は、あの激しい痛みから五分も経たずに立ち直った。首を傾げながら、大介は床に手をついて立ち上がる。こんなものなのか? という気持ちだった。
確かに非常に痛かった――この世のものではない痛みだったが、意外なほどあっさりと終わったような気がしたのもだ。案外ちょろいものだ、なんて、喉元を過ぎた熱さをあっさり忘れた大介は顔をあげる。
しかしふと見てみると、自分を取り囲む大人達は、皆一様に訝るような表情をしていた。少なくとも、化け物に打ち勝った少年を見る目ではなかった。
「……もう痛くないのか?」
鯨が探るように聞いた。大介が素直に頷くと、彼等は顔を見合わせる。どうにもおかしな事態になっているようだ、と大介は察した。鯨がマイクに喋る。
「小鳥さん、大介のパターンがいつもと違うみたいです」
「何?」
「亜人に変化している部分が見当たりません。また、こちらから見ている限りでは、“痛みに打ち勝った”というより、“痛みがいきなり消えた”という様子でした」
鯨の目が確認するようにこちらに向いたので、大介は頷いた。スピーカーから小鳥の声が響く。
「大介君、本当にもう痛みはないか?」
「ないです」
「……妙だな」
ぽつりと呟いた小鳥の声が、広い部屋に落ちる。窓の向こうで、姉がわずかに不安そうにしているのが見えた。
「……大介君」
「はい」
「痛みがあったのは、頭だな?」
「そうです」
「なら、変化している部分があるとすれば、そこしかないと思うんだが……。鯨、大介君の頭の様子を調べてみてくれ。変化している部分はないか?」
鯨が大介に歩み寄った。「ちょっとごめんな」と言って、髪に触れる。つむじをかきわけるようにして、鯨は大介の頭部を調べていた。髪がぐしゃぐしゃになってうざったいが、そんなことを言っていい状況でもなさそうなので、我慢した。
暫く大介の頭をいじっていた鯨が、不意に「あっ」と声をあげた。鬼が「何かあったか?」と首を傾げる。
「は、はい。……ええと、小鳥さん」
「何だ。何があった?」
「……大介君の頭部に、獣の耳らしきものを見つけました」
獣の耳? と大介は自身の頭を触ってみる。しかし、大介の掌には、ただ自分の丸っこい頭の輪郭が伝わるだけだ。鯨も、「見つけたのは見つけたんですが」と妙に歯切れが悪い。
「煮え切らねぇな」
鯨の様子に、蠍が苛立った表情を見せた。血のように赤い前髪が揺れる。鯨は気まずそうに顔を歪めると、「なんていうか」と言葉を濁した。
「何の耳か解らなくて……犬? だと思うんだけど……い、いや、猫かな……」
不思議そうな様子の鬼が、大介のつむじを覗き込んだ。「どこ?」「ここですよ、このちょっと出てるの」などと話す二人の声を、大介は頭の上で聞いていた。示されたところを見て「あっ」と叫んだ鬼が、けたけたと笑い出す。
「な、なんだコレ! 格好悪!」
「なんか、生えかけの乳歯みたいなんだよなあ……」
鯨の言葉を聞いた桃と桜が、どれどれと寄ってきた。揃って大介の頭を覗いた彼女らは、同時に吹き出す。
「本当だ、乳歯だ」
「何これ、面白い」
二人は笑いながら、大介の動物の耳――どちらかというと乳歯を触り始めた。大介からすれば、ただ頭を触られているような感覚しかない。蠍がちらと大介の頭部を一瞥して、鼻先で嘲笑った。




