4
そこで小鳥は初めて、少し躊躇うように瞳をそらした。しかしすぐに嘆息すると、黒い髪を耳に引っ掛ける。綺麗な形をした耳たぶを少し撫でてから、真っ直ぐに大介達を見つめた。
「神経内科学というものを知っているか」
「……は?」
突拍子もない言葉に、姉は面食らった。
「神経系や脳を取り扱う分野のことだ。日本も遅れているわけではないが、現在は特に米国の発展がすさまじい」
「……それが、何なの?」
「脳神経についての叡知は、貴女の想像を超えているということだ」
そこで小鳥は寸刻間を置いたが、すぐに「率直に言おう」と切り出した。
「我々は、記憶の改ざんをすることが出来る」
その言葉があまりに荒唐無稽で、姉は絶句した。大介も、小鳥が何を言ったのか解らなかった。むしろ、小鳥の方が解っているのかも疑わしいと感じた。
――記憶の改ざん。それがどういう意味なのか、彼女は本当に理解しているのか。それぞれがそれぞれの人生で積み重ねてきた記憶を書き換え、上書きする。それは大きく言えば、その人物の過去の否定に他ならない。そんな大それたことを、国家の人間である小鳥が口にして良いのだろうか。
けれど小鳥は、口早に語る。
「元々米国には、記憶喪失の治療のために、記憶のメカニズムについて研究している施設があった。記憶の改ざんに成功したのは、その研究員の一人だ。
勿論当初からうまくいったわけじゃない。当時の成功率は、三割を切るほどだった。……しかし、米国で亜人が現れてから、その研究はあっという間に進められ、急速に発展した。恐らく、亜人細胞の研究による、二次的な影響のひとつだったのだろう。今では確実に、記憶の改ざんに成功しているようだ。
そして私達の中にも、米国でその手段を学んで帰ってきた研究者が大勢存在している。……私達はそれを使って、情報規制を完璧なものにしているんだ」
あいた口が塞がらない、とはこのことだった。無表情な大介ですら、絶句して、愕然としながら小鳥を凝視する。顔を青くした姉も、頭のおかしい人物でも見るような顔をしていた。しかし小鳥は、もう動揺した様子は見せなかった。
「確かに、記憶改ざんの方法が確立されるまでは、貴女の言う通り、亜人を隠し通すことは出来ていなかった。箝口令を敷くことは出来たが、書籍やインターネットの検閲にはそれなりに用意が必要だからな。当時は、化け物を見たなんて書き込みがあちこち出回っていたよ。
だが、それらも記憶改ざんが可能になって以来、なりを潜めている。書き込みをした者や、書籍を発行した者の中で、特に亜人に対する確信を持っている人間には、無理に記憶改ざんの手術を受けさせたんだ。
名目はいくらでも用意できる。その地域に重篤な感染症患者がいる可能性があり、全員の診察を義務化する、とかな。特に当時は、アジアで死亡率の高い感染症が流行していたから、それだけで十分すぎるほど理由になった。そうして、その結果を適当に捏造して、手術を受けさせた。今の彼らはもう、自分がそんな手術を受けさせられたことも忘れているだろう。
……ここまでしてやっと、今のところは落ち着いているんだ。もっとも、一部のオカルトマニアの間では、“化け物説”は消えていないようだが、それは仕方がない。根拠のない噂話だけは、どうしたって止められないからな」
姉は、魚のように口をはくはくと動かしていた。無意識に一歩後ずさった彼女は、小鳥に怯えを抱いているようだった。震えた唇が、「嘘」とぽつりと言葉を落としたが、小鳥は頭を左右に振る。
さすがの大介も、驚いて口がきけなくなっていた。同時に、鯨が大介に色々な情報を喋った理由も悟る。――彼はきっと、記憶改ざんについて知っていたのだ。いくら喋っても、いざとなれば記憶を消すことが出来る――それを解っていたから、口を開いてくれたのだ。




