9
「そろそろ行きましょうか」
看護師の女が、様子を見て口を挟んだ。
「医師の説明があったかと思いますが、これからあなたと弟さんには、検査を受けていただかなければならないので」
解りました、と答えた姉は、大介の隣に立つ。看護師と鯨の少し後方を、大介達はついて歩いた。
*
それから大介達は、すぐに検査を受けさせられた。検査は、大介が思うよりもはるかに面倒なものだった。とにかく体を徹底的に調べられたのである。身長体重は当然のこととして、視力、聴力、レントゲン、心電図、血液検査、はては脳波――MRIにも入れられ、全てが終わる頃にはついに午前四時になっていた。
MRIの中で思い切り眠っていた大介は、すぐに担当者に起こされ、今度は別室に連れていかれた。このあたりから、大介の記憶は完全に途切れていた。のちの彼がかろうじて思い出せるのは、なんだか凛とした声の女性に、今日の出来事を説明されたというお粗末な結果だけである。それだって、鯨の説明と似たようなものだった。この時点で、大介はほとんど夢の世界にいたのだ。
結局大介は、明け方ごろに担当者に案内され、寄宿棟なる場所へ連れていかれた。今日の検査結果は、担当の医師がすぐに結果を出し、上に報告するだのなんだのと言っていたが、眠気と戦う大介の耳には届かなかった。
大介はすぐに、柔らかいベッドの上で倒れ込むように眠ったのだった。
*
――たっぷり睡眠をとった大介は、やがて目を覚ました。上半身をのそりと起こして、瞳を擦る。
見慣れない景色だった。ふかふかの絨毯に、小型の冷蔵庫――ガラステーブルのそばには、革張のソファがある。置かれた液晶テレビは、とても大きかった。
まるでモデルルームのような光景に、大介は目をしばたたいた。そしてやっと、昨日自分の身に起きたことを思い出した。俺はこんな上等なところで一晩過ごしたのか、と大介は感心する。国の施設の寄宿棟なんて、どうせたいしたことはないと思っていたが、むしろ高級ホテルのようである。市民が知れば、税金の無駄遣いだと怒るだろう。
大介は欠伸をしながら、寝台からおりた。絨毯の柔らかな毛を足裏に感じながら、テーブルの上にあったクッキーに手を伸ばす。と、そこに、とめはねの強い字で残されたメモを見つけた。大介へのメッセージが残されていた。誰からのものかは解らないが、いわく、目を覚ましたら内線で指定の番号に電話をかけろということであった。
見ると、確かにテレビの横に、小型の電話機が設置されている。大介は受話器を持ち上げ、メモの数字を確認しながら電話をかけた。「もしもし」と言った女性の声に、「三原大介です」と告げる。
「電話しろって書いてあったので、電話しました」
電話の向こうの相手は、「解った」と答えた。女にしては少しハスキーな声で、意志の強そうなきっぱりした言い方をしていた。どこかで聞いたような覚えのする声である。また、大介は彼女の声を耳にしたとき、人の上に立つことに慣れていそうだなとも思った。
「では、迎えの者を行かせよう。今すぐに寄越しても大丈夫か?」
「ええと……まだ、寝癖とかたくさんついてます。あと、服も検査の服のままです」
「なら、全て終わったら連絡をしてくれ。……それと、疲れているところ悪いが、出来るだけ急いでくれないか。休ませてやりたいとは思うが、今は時間が惜しい」
つまり、「お前は寝過ぎだ、さっさと支度を整えろ」という意味である。大介は無表情で慌てながら「はい」と言って、洋服箪笥らしき棚に寄った。中には、黒いトレーナーとパンツ、それに新品の肌着がいくつかしまい込まれていた。
なんだか高校のジャージのような服に、大介は「もっと犬の絵がプリントされてるようなやつがよかったな」と思いつつも、さっさと着替える。ついでに、姿見を前に寝癖を手櫛で整え、電話をかけなおした。
すぐに迎えが行くという彼女の言葉どおり、それから五分も待たずに扉がノックされた。




