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その言葉に、運転席の女性は「正義の味方かあ」と笑った。鯨も笑みを浮かべたが、そこには少し複雑そうな色もあった。
「そんな立派なモンじゃないんだけどなあ」
言った彼は、しかしすぐに「ありがとう」と大介の頭を撫でる。大介は頷いた。鯨がどう言おうが、大介にとって彼等は、姉が亜人となるのを止めてくれたヒーローなのである。改めて一度お礼を言った大介は、それから早速犬の話を始めた。
*
「そろそろ手当てをさせてくれないか」と言う鯨に、「犬に夢中ですっかり忘れてた」と答えて患部を差し出した大介は、それから暫く車に揺られていた。
高速道路に乗り上げて一時間ほど行き、途中で清算して町に出る。それから更に三十分ほど国道を飛ばせば、山道に差し掛かった。視界の悪い中、ライトを頼りに進む。窓の外は真っ暗だ。木々は不穏にざわざわと揺らめいていた。もしもここにいるのが鯨達でなかったら、いくら大介でも多少の不安を感じていただろう。
大介は、窓から視線を投じる。道沿いにはもちろんガードレールが設置されていたけれど、それでも落ちそうで少し怖い。
「来てくれるのに、こんなに長い時間かかってたっけ」
大介が呟くと、運転手が「車自体は各消防署に配備されてるんですよ」と説明した。
「ここから迎えにきたわけではないんです。……時間がかかってごめんなさい。でも、ここまで来たらもうすぐですよ。……飛ばしちゃいましょうか?」
「安全最優先で頼む」
鯨がすぐに口を挟むと、運転手は結った髪を揺らして「はあい」と笑った。安堵の息を吐いて、がっしりした上半身をシートに深くもたれさせた鯨は、ちらと後方に目をやる。
「……お姉さんも、そろそろ目を覚ましてると思うぜ」
「ほんと」
大介は後方を振り向いた。しかし、残念ながら後部とシートは壁で隔たれている。「すぐに会えるよ」と鯨が唇を笑わせた。
「あと二十分もすれば、施設につく。流れとしては、そこでお姉さんと大介君にざっと検査を受けてもらって、そのまま一泊――そして明日に詳しい説明、ってことになるだろう」
「俺も検査するの」
面倒くさい、という気持ちを隠さない大介に、鯨が肩をすくめる。
「仕方ないさ。決まり事なんだ」
大介は、若干ふて腐れてみせたものの、最終的には決まりならば仕方ないと頷いた。しかし、もうすでに大分眠いから、ちゃんと話を聞くことはできないかもしれなかった。
それから暫し、曲がりくねった山道を走る。やがて、彼等の前に巨大な施設が現れた。大学病院のような見てくれだが、大介の知るそれよりも更に広い敷地を誇っていた。何かの研究施設にも見える。広大な駐車場には、大きなトラックが数十台停められていた。――白線の内側に、滑り込んだ車が停まる。
「よし。降りていいぜ」
大介は欠伸を噛み殺して、車を降りた。運転席の女性も続く。スカートの裾を夜風に揺らめかせた彼女は、すぐに車後部の扉を開いた。大介ははっとして、そちらを追い掛けた。
「発症者の様子は?」
「問題ありません」
中にいた白衣の男性が答えた。見れば、姉は既にストレッチャー上で上半身を起こしている。「お姉ちゃん」と大介が呼べば、姉はわずかに目を見張ってこちらを見た。
「……大介」
彼女は大介を見て、すぐにほっと息を吐いた。そして、力のない笑みを浮かべる。まだ二十五で、わりと若いはずなのだが、疲れきったその表情は、少しばかり姉を老けて見せた。
「……よかった」
けれど、それは確かに、大介の無事を喜ぶ声だった。姉はゆっくりとストレッチャーからおりる。エプロンや部屋着は、すでに入院服のようなものに取り替えられていた。看護師に支えられながら大介の元まで来た姉は、大介の前にしゃがみこむ。
「……怪我はない?」
「ない。お姉ちゃんこそ、大丈夫」
「大丈夫よ。ちょっとだけ肩が痛いけど。……大介」
「ん」
「……ごめんね」
か細い声で言った姉は、細い右腕で大介を抱きしめた。何があったのか、自分がどうなったのか、彼女は知っているようだった。大介は「平気」と答え、姉の細い体を抱きしめる。姉はよく、大介に「勉強しなさい」と口うるさく言うが、それは大介を疎んだり、意地悪で言っているわけではない。姉は、大介を大切にしてくれているのだ。
大介は姉の首筋に額を押し付けた。横目で鯨を見れば、彼は柔和に笑んでいた。




