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「……なんだったの……」
――大介は、掌にアスファルトの感覚を感じながら、唖然としていた。相変わらず体は痛いし、自分が長年住んでいた家が壊れているのも視界に映るのに、それでも狐に化かされたような気がしている。大介は、焦点の定まらぬまま宙を見つめる他ない。
しかし、ふと視界の中に姉の姿を見つけて、大介は声をあげた。
「お――お姉ちゃん!」
――先程まで怪物がいた場所に、姉が横たわっていた。エプロン姿のままで、瞳を閉じている。アスファルトの砂利に汚れた彼女の服は、左肩部分だけが破れており、覗いた皮膚は真っ黒に染まっていた。
大介はふらつく足で立ち上がり、姉の元へ駆け寄る。姉の体に手をやり、揺さぶった。お姉ちゃん、お姉ちゃん、と何度も呼ぶ。しかし彼女は、目をあけるどころかまぶたをぴくりともさせない。真っ青な顔は、死人のようだった。起こそうとしたその体が思いの外軽くて、ぞくりとした。
「鯨さん、お姉ちゃんが――」
焦る大介の手を、鯨がとった。手が濡れている。彼の全身は濡れねずみだった。
「大丈夫だ。すぐに迎えが来るはずだから――」
その言葉に呼び出されたかのようなタイミングで、突然クラクションが鳴った。大介が顔をあげたその先には、巨大な車があった。トラックよりも大きい車体で、一見護送車のようでもあった。その車は、大介達をライトで照らしながら、住宅街のアスファルトに滑り込む。
すぐそばで停車したその運転席から、一人の女性がおりてきた。優しげな顔立ちをした二十代後半らしき女性だ。ポニーテールがぴょこんと揺れる。柔らかな輪郭と、少し低い鼻は、彼女の顔立ちをあどけないものにしていた。
薄い桃色の、どこかの病院の看護師のような服を身に纏う彼女は、両腕に抱えていた大きなタオルを鯨に押し付けると、瞳を大介達に向けた。
「その方ですね?」
女性は、見た目を裏切る鋭い声で問うた。鯨が自身の体を拭きながら立ち上がって、「ストレッチャー出してくれ」と指示する。
「かなり早く終わったから軽度で済んでるはずだが、急ぐにこしたことはない」
「解りました」
女は力強く頷く。鯨が大介を見た。
「……あと、この子は発症者の弟だ」
「この子が?」
女性は、アーモンドのような綺麗な形をした瞳をわずかに見開いて大介を見たが、すぐに首肯した。
「……了解しました。まずは処置を急ぎます」
「ああ、頼む」
彼女はすぐに、車の後方にある扉へ駆けた。重々しい鉄の扉を、細い腕であっさりと開く。中にいるらしい人間に、指示を出し始めた。物々しい、まるで爆弾処理班のような服を着た男達が、担架を手におりてくる。
大介はたまらなくなって、鯨に詰め寄った。
「鯨さん、お姉ちゃん何があったの。あの化け物に何されたの」
鯨は大介の背中を撫でて、「話は車の中でしよう」と言った。
「お姉さんは今から車の中で治療する。大介も、簡単だけど応急処置をするから、一緒に来てくれ」
大介はこくこくと頷いた。今の姉から離れる気など、毛頭なかった。鯨の導くまま、大介は車の後部車両に乗り込んだ。すぐに戻ってきた女性が運転席に座って、発進を告げる。獣のように吠えた車は、サイレンを鳴らしながら、住宅街を走り抜けた。
*
固いシートに腰をおろした大介は、すぐに「お姉ちゃんはどうなったの」と聞いた。
「あの化け物は何。鯨さんの腕もなんかびちゃびちゃしてたけど、大丈夫なの。俺の家も壊れたけど、なおるの。あ、俺、家に買ってもらったばかりの参考書があったんだけど――」
「大介、難しいと思うけどまずは落ち着いてくれ」
鯨は苦笑いしたが、すぐに真面目な表情になった。
「……とにかく、順を追って話していこう。最初は、大介のお姉さんについてだ。
結論から言うと、大介のお姉さんは無事だ。今後の治療でも、命にかかわるようなことには、おそらくならないだろう」




