亜人発生
桜は苦笑いした。大介は別に気分を害したりはしなかったが、ただ素直に不思議に思った。周りに人がいるので、変なことを言ってしまわないように気を付けて、「どうしてですか」とだけ聞く。桜は答えた。
「エリートはね、海外支部に連れていかれることがあるらしいから」
「……そうなんですか」
興味を示した蛙が、「何?」と寄ってくる。
「うちではまだ実際にはないし、小鳥さんから話で聞いただけなんだけど。今、この世界はどこも人材不足でしょ? だから、優秀な人は引き抜かれるかもしれないんだって。大体はアメリカみたいだけど。あそこ、ここ最近で”仕事”の発生が結構多いの」
「でも、うちだって人材不足です」
「そうだけどね」
桜が溜息を吐いた。
「国同士の力関係って、やっぱりあるから」
その言葉に、大介は以前受けた鬼と桃の講義を思い出した。――この世界に亜人が来た発端。亜人の方が襲撃を仕掛けてきたという地球侵略説と、米国が未知の資源を狙って亜界を襲ったという亜界侵略説。考え方は二通りあるが、今の日本が後者を主張することは許されていない。力関係、という桜の言葉が重く響く。
「まあ、もし本当にそんなことになるくらいだったら、私の心配なんて要らないような次元にいっちゃってるんだろうけど……でも、大介君はまだ子供だからね。出来れば、私達の目の届かないところには行って欲しくないし……本当はこういうことになっちゃったことそのものが、私にとっては複雑なの。今までは大人ばっかりだったのは、実は運が良かったんだなあって今更思い知った。……鬼先輩とか鯨君に言わせれば、私が入ってきた時点で、”ああついに女が来たか”って感じだったみたいだけどね」
彼女は細い肩を揺らす。確かに彼らが言いそうなことだ。特に鬼は色んな意味で女性が好きだから、その思いは強いだろう。
「正直ね、大介君がまだ”出来ない”ことに安心してる人は、結構いると思うんだ。だから、本当にあんまり気にしないで……」
そこで桜は不意に、「ああ」とその艶のある黒髪に手をやって項垂れた。
「ていうか、こんなこと言ったらますます出来なくなるよね? あああ、絶対これ言ったのバレたら小鳥さんにすごい怒られる……蠍君もキレる……」
「俺、言わないです」
大介はすぐに桜を宥めた。桜は「ありがとう」と言ったが、その顔は苦虫をかみつぶした顔だった。本当に、口が滑ったことを悔いているようだ。恐らく、大介がここ最近ずっと発症出来ない自分を憂いていたから、言わずにいられなかったのだろう。礼を言うのはこちらの方だ、と大介は口を開こうとした。
――その時、窓際の席が大きなざわめきに包まれた。座っていた女性客が腰をあげ、「何、あれ!?」と叫ぶ。桜と大介は、自然にそちらを見た。瞬間、ガラスが甲高い音をあげて割れた。目が眩むほど眩しい鋭い槍が、窓を貫いたのだ。
その鋭い先端は、全てを吹き飛ばすような強烈な勢いで、そのまま女性客の顔面に深く刺さった。女の後頭部から突き出したそこには、真っ赤な血が滴っていた。――脳漿が、温かな橙色の床に落ちた。
つんざくような悲鳴があがった。客は逃げ惑った。店員も恐怖に顔を大きく歪めて、足をもつれさせてその場から遁走する。
大介の足は、縫い付けられたように動けなかった。ただ、一気に充満した血の香りに、めまいを起こしそうだった。呆然とする大介の耳に、金切り声が飛び込んでくる。
「ば、化け物――!」
女の頭を貫いたのが槍ではないことに、大介はようやく気付いた。
大介の前にいたのは、角の生えた真っ白な馬だ。しかしそれは、ごく普通の白馬というにはあまりにも眩しく、ぎらついた光を放っていた。目が痛いくらいに激しい閃光が、毛並みがそよぐたび放たれる。額から伸びる角だけが赤く、血液を滴らせていた。
――馬が高くいななく。鳴らした蹄の底は、飛び散った脳漿を踏みつけている。
「全員、避難してください!」
桜が声を張り上げた。彼女の声はよく通り、混乱して逃げ回っていた人々の耳にも届いた。
「丸ビルの方面へ! すぐに自衛隊が来ます! 全員急いで避難してください!」
民衆は顔を真っ青にしながらも、なんとか聞き取ったその言葉に従い、がむしゃらに駆け出した。互いが互いを押しのけあって、場は混乱を極める。彼女は懐から連絡器を取り出すと、叫んだ。
「日野町五番地にて亜人発生! 指令都市です! すぐ討伐に移ります!」
言うが早いか、桜は両腕をツルへと変化させた。伸びた緑の植物に、見ていた人間が腰を抜かして、ほうぼうの体で逃げ出した。桜は構わず、ツルの先端で白馬を縛り上げようとする。しかし馬は、一瞬のうちにその場を飛び退いた。目で追うことすら困難な速度だった。馬の蹄が通行人を蹴飛ばす。ぬいぐるみのように飛んで行った体は、歩道に叩きつけられた。




