旦那さま襲来
難航するかと思われたクラウディオとの交渉は、結構あっさり決着した。
一度シャロンが呼び出されもしたが、これがどれほど素晴らしくベルシュのためになることかを早口でまくし立てたら、引き気味に頷いてくれたのだ。ごく薄い内容を語彙の力で最大限に膨らませただけだったので、気付かれずに済んで助かった。
この時ついでに、日当たりのいい南の土地を使う許可ももぎ取ることができた。シャロンの手腕に、成り行きを見守っていたメイサも引いていた。
とにかくこれで、畑作りがはじまった。
まずは十歩分くらいの小規模な区画から。
南の土地は芝生を敷かれていなかったけれど、最低限の整備はされていたため、小石や枝葉の除去は早く終わった。
次に土を耕していくのだが、これも思いのほか早く終わった。獣人特有の力の強さを持つベルシュが、意外なほど戦力になったのだ。
メイサは未だにぶちぶちと文句を言っているけれど、気にせず次の工程に進む。
「ベルシュ、いよいよ種を植えていくわよ!」
「おう!」
「日差しが強いから、熱中症には気を付けて! こまめな水分補給も忘れずに!」
「おう!」
「それじゃあ、今日も一日頑張るわよ!」
「えいえいおー!」
麦わら帽子に野良作業用の汚れたシャツがすっかり馴染んだ、ベルシュのかけ声が弾ける。土に触れることが楽しいようで、毎日生き生きとしていた。
それに対して、メイサは苦々しい顔だ。
「あぁもう、ベルシュ様が平民色に染まっていく……」
愚痴っぽく吐き出す彼女だって、麦わら帽子をかぶっている。
はじめの内は平民みたいで嫌だと拒否していたが、日差しの強さに屈した。上流階級は日焼けを気にするから、当然の結末だった。
だが、シャロンもメイサと似たような心配をしている。
気を許してもらえたことも仲よくなれたれたことも嬉しいのだが、若干平民の感覚に慣れすぎな気もしないでもない。言葉遣いとかマナーとか、今後大丈夫だろうか。
――まぁ、読み書きを教える時は丁寧な言葉遣いをしているし、問題ないわよね!
まだ起きていない問題は、未来の自分に丸投げだ。
シャロンはうずうずしているベルシュを振り返った。
「今回用意した種は、小松菜と水菜よ! 初夏に植えれば、なんと一、二ヶ月で収穫できちゃうの! 鍬やらの農具と併せて、うちの実家が用意してくれましたー!」
「シャロンのじっかのみなさん、ありがとうございます!」
本当にノリがいいな。
シャロンも楽しくなってきて、おかしな口調で種の蒔き方を説明する。
「小松菜も水菜も、すじ蒔きが基本である! すじ蒔きとは、土に一定間隔の溝を作って、その溝に沿って種を蒔く手法のこと! 私の手の平くらいの長さで溝を作って、ベルシュ君の人差し指の第一関節くらいの間隔で、種を蒔いていくぞ!」
「せんせい、『くらい』がおおすぎませんか!」
「こういうのは感覚なのである!」
謎に偉そうにしてしまったが、ベルシュがおかしそうに笑っているからいいか。
小松菜も水菜も小さくて丸い種だから、ここからは慎重に作業していく。
シャロンが作った溝に種を落としていくベルシュが、何とも愛らしい。一生懸命一粒ずつ摘んでいる。
種を蒔き終えたら薄く土をかぶせて、その上から軽く押さえていく。
「発芽までは乾燥させないように、たっぷり水をあげるのよ」
「みずやり! おれ、やりたい!」
「うん。ベルシュなら、じょうろも一人で持てるかもね」
水の入ったじょうろは重いから心配だが、せっかくやる気になっているのだからもったいない。シャロンが後ろからこっそり支えればいいだけだ。
「この作業が終わったら、休憩にしようか。今日もきんきんに冷えたレモネードが飲みたいわー」
「きんきん!」
「あぁもう、分かってますよ! ちゃんと用意しております! 全く、こんな日中の日差しの強い時間帯に何が楽しくて農業なんて……ひぃっ、ミミズ!」
文句を漏らしていたメイサが、足元にいるミミズに気付いて飛び上がる。
動揺する姿を面白がっていたいシャロンと違って、ベルシュは心優しい。恐れもなくミミズを両手ですくい上げ、畑の土の上に返した。
「ミミズがいるのは、いいはたけのしょうこ!」
土を耕す際に教えたことを、ベルシュは覚えていたらしい。
元気いっぱいに笑う義息子に、シャロンも笑い返した。
◇ ◆ ◇
三日後。
今日も自分が水をあげるんだと張り切っていたベルシュは、畑に到着するとじょうろを落とした。
作った溝から、ポコポコと小さな芽が出ている。
ベルシュはゆっくりと歩み寄って、しゃがみ込んだ。普段の彼とは違う、慎重な動作だった。
シャロンも静かに腰を下ろし、ベルシュの背中に手を添える。
「めが……」
大げさな反応をしなくても、感動が全身から伝わってくる。
触れることすら躊躇うように、彼はただじっと見つめ続けていた。
「植物の命が芽吹いたのよ」
「いのち……」
植物だからといって、仰々しい表現とは思わない。
発芽するためには、爆発的な生命力が必要だという。
植物達は、そこに全力を注ぎ込む。それは、生きるための努力だ。
「とても尊いでしょう? あなたが、あなたの手で、育てたのよ」
「おれが……」
小松菜も水菜も比較的手がかからないとはいえ、本葉が数枚出るまでに間引きをして、株間を広げていく必要がある。害虫対策も必須だ。
だが今は、この感動に浸らせてあげたい。
自分が手をかけて育てるというのは、他のことではなかなか味わえない経験だから。
シャロンはベルシュの頬を撫でた。
「ベル。ここまでよく頑張ったわね」
愛称で呼んでみると、少年の大きな瞳がこちらを向いた。
戸惑うような、くすぐったいような表情が可愛くて、シャロンは目を細めた。
「収穫したら、シェフに調理してもらいましょうね。新鮮な野菜って本当においしいの。きっとびっくりするわよ」
自分で育てたものを収穫して食べるのも、野菜を作る醍醐味の一つだ。
きっといつものように耳をぴこぴこ動かして喜ぶだろうと思ったのに、ベルシュの表情はむしろ沈んだ。
シャロンには、その理由が分かる気がした。
「旦那さまにも……食べてもらいたい?」
横顔を僅かに強ばらせたあと、ベルシュは弱々しく頷いた。
「うん……おいしいって、わらってほしい」
初めて作り上げたのものを、親に見せたい。頑張りを褒めてもらいたい。
子どもとしてごく自然な感情だ。
ベルシュは生まれたばかりの時に実母から引き離されているから、クラウディオを本当の父親だと認識している可能性が高い。こんな小さな子に、残酷な真実を語れる者はいないだろう。まして、あの環境では。
――返す返すも腹立たしい……。
こんなにも父親思いのいい子を放置して、傷心した自分に酔いしれているなんて愚かの極み。
親として果たすべき役割を放棄している男に、すがる必要などない。シャロンはそう切り捨ててしまえるけれど、ベルシュにとってはたった一人の父親だった。
腹の底ではクラウディオへの不平不満が渦巻いているけれど、何とか笑顔を取り繕って頷いた。
「そうね。旦那さまも、きっと食べてくれるわ」
「……そうか? だったら、うれしいな」
ベルシュが、ようやく心からの笑みを見せる。
気持ちの籠もらない慰めではあったが、よかった。
一応シャロンは、クラウディオ・ウェインスターの妻としてここにいる身。ベルシュも、両親が対立しているところなんて見たくないだろう。
脳内でひたすら踏みつける妄想をしていたシャロンは、誰かが接近する気配に気付くのが遅れた。
いや、獣人族だからこそ、人族より巧みに気配を消すことができたのだろう。
「ちちうえ……」
ベルシュの視線をたどった先に立っていたのは、クラウディオだった。




