ご落胤
たった今、この屋敷の女主人と認めたばかりだ。権限を持つシャロンには逆らえないという判断だろう。
「……それでしたら、こちらへ」
歩き出すメイサのあとを静かについていく。
屋敷の間取りというのは、どこも大体似通っているもの。
屋敷の主人一家が住まう区画と、使用人部屋のある区画はしっかり分かれているし、客を招いた時に使用する広間や談話室はまとまって存在している。
今シャロン達が向かっているのは、明らかに家族が生活する空間ではない。
嫌な予感が当たってシャロンは眉をひそめた。
……四年前の騒動は、男爵令嬢と高位貴族の子息達が罪を償うことで決着した。
どういった罪かというと、虚偽申告罪と内乱罪だったと聞く。
令息達は、危害を加えられたという男爵令嬢の証言を丸ごと信じ、それぞれ自分達の婚約者を糾弾した。
しかも学園の生徒が集まる卒業パーティの場、国王の御前で。
いわく、断罪を仕掛けたのだという。
けれど令嬢達の方が一枚上手で、浮気に走った自身の婚約者に、既に見切りをつけていた。男爵令嬢の虚偽を証明する手段も手に入れていた。
返り討ちにあった令息達は、さらに国王からも叱責を受けた。
令嬢達はいずれも名家の出身。国を古くから支えてきた家や、国王とごく近しい家の娘ばかり。当然、背反されれば国が揺らぐ。
国家の秩序を乱したとされ、内乱罪が適用されたのだ。
だがこの断罪劇には、公にされていない大問題があった。シャロンも縁談を受け入れた後に聞かされた。
男爵令嬢は、複数名と肉体関係を持っていた。そして何と――身籠っていたのだ。
男爵令嬢は山奥の修道院で過ごすことが決定していたが、その前に安全な環境での出産を許された。
そうして生まれたのは、男児。
王族の証である――金狼族の特徴をもっていた。
修道院に行く男爵令嬢は、子育てができるような状況ではない。
第二王子も生涯幽閉が決まっており、既に外界と隔離されている。
そこで生まれた子を引き取ることになったのが、クラウディオだった。
彼だけは令息達の中で、唯一男爵令嬢との肉体関係がなかった。
その事実を加味して王都からの追放処分で済んでいた上に、当事者でもある。鉱山で強制労働の罰を受けている他の令息達を含めても、彼以上の適任はいなかった。
決定打となったのは、ウェインスター公爵家には過去に王族が降嫁しているから、金狼の子が生まれてもさほど不自然ではないという点だった。
こういった公にできない事情などが複雑に絡み合い、どこの貴族家とも縁を結べなかったクラウディオだからこそ、シャロンとの結婚が実現したのだ。
――その、秘密裏に育てている王族のご落胤を、この扱い……。
屋敷の主人の意向に逆らうことは難しいだろうが、うまく対処できていない使用人達も含めて頭が痛い。
北側に位置する、日当たりの悪い小さな部屋。
扉をノックしても反応がない。
僅かに悩んだのち、シャロンは思いきって部屋に踏み入った。
ぎょっと顔を上げたのは、愛くるしい少年だった。
明るい金髪に、まん丸になった空色の瞳。滑らかな肌と、子ども特有のふっくらとした頬。
生命力にみなぎっているシャロンの弟妹達とは違って、佇まいから上品で高貴だ。
そして何より……頭の上でぴこぴこと揺れ動く、金色の毛並みの耳。
――かっっっ、かんわいい……!! え、かわ! お耳がふわふわですが!? え、え、可愛すぎるんですが……!?
衝撃で語彙が吹っ飛ぶ。
何という愛らしい存在なのか。
けれど、よく見ると顔色が青白い。全体的に華奢だし、毛並みもごわついている。
秘匿されているから質素な格好でも仕方ないのかもしれないが、微妙にシャツもよれている。最低限のお世話しかしていないのが丸分かりだった。
「おまえは、だれだ? はじめてみる、しゅぞくだが……」
少年は、何とか虚勢を張っているという感じだった。
もこもこの耳が落ち着きなく動いているから、内心が筒抜けだ。
――話し方も、所作も学んでいないようね。まぁ、上流階級とはいえ三歳ならそんなもの……って、そういえば、三歳のわりに身長が高くない……?
圧倒的愛らしさに気を取られ、違和感に気付くのが遅れた。
少年は細身だが、人族でいうと五歳児くらいの平均身長はある。
全身の毛を逆立てるような警戒心も、彼の賢さの現れだ。獣人族とは、人族より心身の成長が早いのだろうか。
だとしたら、なおさらこの環境はよくない。
少年の健やかな発達のためにも、おいしくて栄養のあるごはんと、ふかふかのベッドでたっぷりの休息が必要だ。
無駄に元気な弟妹を知っているため、なおさら弱った幼子を放っておけなかった。
すぐさま色々世話を焼きたい衝動をこらえて、まずはそっと距離を縮めてみる。
それだけで、少年は肩を揺らした。眼差しにも怯えが混じる。
「はじめまして、ベルシュ様。私は人族の、シャロンと申します」
彼の名はあらかじめ聞いていた。
ベルシュ・ウェインスター。三歳。
情報はそれだけで、性格や好きな食べもの、得意なものや苦手なものは一切知らされなかった。……誰も知ろうとしなかったのかもしれない。
シャロンは、ベルシュを安心させるように微笑んだ。
「あなたのお父様と、結婚することになりました。……内緒なんですが、私はあなたのお父様より、あなたと仲よくなりたいと思っているんです」
秘密を打ち明けるようにそっと囁くと、少年のあどけない瞳が丸くなる。
シャロンは笑みを深め、ベルシュと視線を合わせるために膝をついた。
「ベルシュ様と仲よしになりたいんです。一緒にごはんを食べたり、庭で遊んだり。私をベルシュ様の、お友達にしてくれませんか?」
問いかけると、彼はおずおずと口を開いた。
「……おともだち? おれのちちうえと、けっこんするのに?」
「はい。母親であり、お友達です。ベルシュ様と一緒にいたいだけなので、肩書きは何でもいいんです」
突然現れた母親に混乱するのは当然だ。
だから、はじめの内は母親として認識されなくてもいい。
それでもいいから、シャロンはベルシュの母親になりたい。
こんなに広い屋敷で、こんなにも独りぼっちで。
虚勢を張らなければ生きてこられなかった子どもを、心から守りたいと思った。温かなものをたくさん与えて、愛情を注ぎたいと。
シャロンは手を差し出し、じっと反応を待った。
ベルシュはしばらく黙り込んでいた。
ただ瞳だけをきょろきょろと、忙しなく動かしている。
シャロンの顔色を伺って、差し出された手を見下ろして、背後に控えるメイサを確認して。状況から、様々なことを判断しようとしているようだ。
ベルシュが、恐るおそる手を伸ばす。
どんなにゆっくりとした動作でも、途中で迷うように手が止まっても、シャロンの方からは決して急かさない。
やがて……少年の小さな手が、シャロンの手に触れる。
温かく、確かな重みがあり――少し震えた手。
傷付けないよう、両手で慎重に包み込む。
「ベルシュ様……いいえ、ベルシュ。これから、よろしくね」
「……うん」
無防備な相槌をしたベルシュが、シャロンにもたれかかる。
抱き締めると、彼はようやく全身の強ばりを解いた。
肩を揺らして泣き声をこらえる子どもの背中を、シャロンは長い時間撫で続けた。
ベルシュが泣き疲れて眠ってしまったので、シャロンは案内された自室で荷物の整理をしていた。
大半は侍女に任せるけれど、新商品の着想が書かれた手帳などは触らせたくない。
貴重品をしまい終えると、化粧台の鏡に視線が吸い寄せられた。
冴えない顔をした自分に向け、一つ息をつく。
貴族との政略結婚に、シャロンだって思うところがないわけじゃない。
結婚は一生を左右する決断だ。これから、何が待ち受けているのだろう。
なぜ、クラウディオと結婚する必要があったのか。
永遠に男爵令嬢を思って生きていくくようだし、今のところシャロンには彼の価値を見出せない。ベルシュへの育児放棄も合わさって、むしろ印象は最悪だ。
分からないことばかり、不安ばかり。父を信じているけれど、怖い。
シャロンは最後の最後まで息を絞りきると、気持ちを切り替えてから顔を上げる。
ここからはもう弱音は吐かない。
ベルシュと接する時に笑顔でいるために、負の感情は全部体の奥に押し込もう。
「――よし」
頬を叩いて気合いを入れる。
鏡の中のシャロンは、いつもの自信に満ちた笑顔を取り戻していた。
そうして、すぐに自室をあとにする。
早くベルシュの側に行かなくては。
目覚めた時に姿が消えていれば、きっと不安がるだろうから。




