君を愛するつもりはないって言われても笑
しばらく声もなく見つめていたシャロンだが、我に返ると速やかに辞儀を披露した。
「お初にお目にかかります。シャロン・ヘッセンと申します」
質問を受けて名乗るのが、夫婦となった二人の初めてのやり取りとは。ちぐはぐさが少しおかしい。
小さく笑うシャロンにクラウディオは片眉を上げたが、問い質すことはなかった。
「クラウディオ・ウェインスターだ。――改めて、君には謝罪させてほしい」
クラウディオが、唐突に頭を下げる。
シャロンは動揺を隠すため、忙しなく目を瞬かせた。たぶん背後でメイサも同じようなことになっているだろう。
「……なぜ、旦那様に謝る必要が?」
やっとの思いで問い返すと、彼は顔を上げた。
「見ず知らずの相手と政略結婚なんて、抵抗があっただろう。それもこれも、俺の軽率な行動が招いた結果だ。俺の罰に君を巻き込んでしまって、本当にすまないと思っている」
なるほど。クラウディオはこの結婚を処罰の一部だと考え、受け入れたのか。
元々、ヘッセン家側はともかく、公爵家には見返りの少ない政略結婚だった。その全貌を理解して、ようやく腑に落ちた気がする。
大概失礼だなと内心でこぼしつつ、シャロンは笑顔を作った。
「ご安心ください。確かに父の命を受けての結婚ですが、私は納得しておりますので」
別に愛などなくたって、結婚生活に支障はない。
できれば円滑な関係を築きたいが、その経緯は利害の一致からでも構わないのだ。
そもそも政略結婚とはそういうものだろう。
だが、クラウディオは重々しく首を振った。
「ヘッセン商会は、それなりに大きな商会と聞く。商会の利益のために俺のような者に嫁がねばならなくなったのだから、君にとっては災難だったはずだ」
「まぁ、驚きはしましたけれど……」
無理やり結婚させられたわけではない。
シャロン自身、家の利益になるならと損得勘定で決断した。
何より、シャロンは父を信じている。
変わった人ではあるし、何を考えているのかいまいちよく分からないけれど、家族を愛していることだけは確かだった。義理人情も一応ある。きっと。
今回の縁談だって、ヘッセン商会の利益だけを追及したものではないはずだ。何か、損得以外の事情が隠されているのだろう。
だから、利益のために売られたのだと決めつけるようなクラウディオの口振りは引っかかった。
ヘッセン家の内情も親子関係も、何も知らないくせに。これではまるで、父に対する侮辱ではないか。
シャロンは怒りを落ち着かせるため静かに息を吐き、顔に笑みを張り付けた。
「とはいえ、断固として拒否する理由もございませんでした。先ほども言いましたが、私は自分の判断で……」
「俺が君を愛することは、この先もないだろう。それが何より申し訳ない」
何か微塵も興味のないことを言い出した。
シャロンはすんと表情をなくす。
こちらは納得していると言ったのに、どうも話が噛み合わない。自分の不幸に酔いしれているから、シャロンの意見などどうでもいいようだ。
こうなってくると、鋭い刀剣のようだと思った雰囲気もなまくらに思えてくる不思議。
「おそらく俺は、この先誰かを愛することはできないだろう」
「そうですか」
「貴族が愛を求めるなんて、おかしなことだと分かっている。だが、裏切られた辛さはあれど、愛したことを後悔した日はないのだ。永遠にこの傷を抱えて生きていくことになるのだろうな……」
「そうですか」
何か心からどうでもいいことを語りだした。
シャロンはすすけた目をしてひたすら相槌を打つ。
心情を語り終えて満足したのか、クラウディオはいつの間にか立ち去っていた。頭の中で家族のことやウェインスター領の特産品について考えていたから気付かなかった。
それまで黙って控えていたメイサが、こらえきれないとばかりに噴き出した。
「あっはは……いい気味! 全然相手にされていないじゃない!」
シャロンが振り返った先で、彼女はあからさまに勝ち誇った表情をしている。とうとう本性を現したか。
「そんなにおかしいですか?」
「当然よ! 普段は部屋に籠もりきりの旦那様が、なぜわざわざ出迎えにいらしたから何かと思えば、ただあなたに立場を分からせるためだったんだもの!」
あぁ、籠もりきりなのか。
四年も経ったとはいえ、立ち直れない者だっているだろう。そこは仕方がない。
――けど、引き籠もってる場合じゃない事情があるのに……。
もどかしい気持ちになるシャロンに、メイサは自信満々で胸を張った。
「これなら私にも機会がめぐってくるかもしれないわ!」
「機会?」
「旦那様に愛される機会よ! 銀狼族の素晴らしさが分からないただの人族に、旦那様はもったいないもの!」
そうか、出会い頭から嫌われていた理由はこれか。
人族に仕える不満というより、クラウディオの妻の座を奪われた嫉妬の方が強そうだ。
シャロンは気になることを口にした。
「メイサさんは、旦那様を慕っているの?」
メイサは気が強そうだが、外見はおっとりとした愛らしい少女。クラウディオだって惹かれる可能性はあるだろう。
そうなった時に身の振り方を考えておくためにも、詳細を知りたい。
すると彼女は、ぽってりとした唇に小悪魔めいた笑みを浮かべた。
「慕っているかといわれれば、慕っているわね。玉の輿だし、銀狼族だし」
シャロンは首を傾げた。詳しく聞いたのに、むしろよく分からなくなった。
メイサは嘲るように笑みを深めた。
「人族のあなたには不思議でしょうね。獣人族には太古から受け継がれてきた獣性が残っていて、雌はより強い雄を本能的に求めるのよ」
公爵という高い爵位から、銀狼族が強い種族ということはシャロンにも理解できる。
種族の強さは、獣人族にとって爵位や財産よりも重要な価値ということらしい。
「ふーむ。つまり、銀狼族なら誰でもいいと」
「そうやって言葉にすると人聞きが悪いからやめてちょうだい」
シャロンは、あごに指を添えて考える。
メイサは『クラウディオ』という個ではなく、『銀狼族』を求めているようだ。それはシャロンが知る愛とは、少しかたちが違っている。
これなら交渉の余地は十分にありそうだった。
「――残念ながら、現状では離縁することはできません」
きっぱり言い切ると、楽しそうなメイサの鼻歌が止まった。
「父に命じられたからにはクラウディオ様の妻として努力すべきだと思っておりますし、そもそもヘッセン家から婚約破棄を申し立てるなんて、できるわけがありませんから」
彼女はシャロンの言葉を牽制と受け取ったのか、瞬時に剣呑な表情を帯びる。
「そうね。だからあなたから奪い取ってやるって――……」
「ですが、今ご覧になった通り、私達の間に恋愛感情は一切ありません」
挑発的に上がっていたメイサの口角が引きつった。
「……はいぃ?」
「たとえばクラウディオ様が愛人を囲ったとしても、私には口出しをする理由がないんですよ。興味がないので、どうぞご自由にという感想しか。なので、もしこの先、そのようなことが起これば――……」
シャロンはメイサとの距離を詰め、そっと耳元に囁いた。
「お相手の方とは、ぜひ末永く仲よくしていきたいものですよね」
愛人なら許可するから、穏やかな関係を築いていこう。
明言するのは避けたけれど、シャロンが言ったのはつまりそういうこと。
相手が動揺している内に話を進め、利益を提示する。それこそがシャロンの得意とする交渉術。
誰しも、険しい道より整備された安全な道を選びたがるもの。
こうなってくると判断力が鈍り、用意された罠だと分かっていても、目を逸らせなくなってしまうのだ。
メイサもシャロンを憎らしく思っていたようだが、この誘惑には勝てなかった。
しばらくは唇をきつく噛んでいたけれど、やがて力を抜くように息を吐き出した。
「……奥様。お部屋までご案内いたします」
勝った。シャロンはにっこりと微笑む。
「ありがとう、メイサ」
今はとりあえずこれで十分。
冷遇する気満々だった使用人を懐柔できたのだから、成果は上々だ。この後の駆け引きによっては、より良好な関係に持ち込むことだってできるだろう。
一先ず落ち着いたところで、シャロンは優先的に訊きたいことを口にした。
「――それで、例の子は?」
メイサの表情が一瞬で強ばった。
クラウディオは部屋に籠もりきりだということだし、嫌な予感が膨れ上がる。
シャロンはすぐに方針を変えた。
「答えられないならいいわ。その代わり、到着したばかりで悪いけれど、案内して」
彼女は迷う素振りを見せたが、やがて頷いた。




