ウェインスター公爵領へ
大陸南部に位置するレゼフェル王国には、獣人族と人族が共存している。
共存――といっても、支配階級はほとんどが獣人族だ。
彼らは強靭な肉体をもち、知能も高い。
人族とは比べものにならないくらい五感も優れている。上級貴族ともなれば、その優位性はさらに顕著だ。
ウェインスター公爵家の元嫡男であるクラウディオ・ウェインスターは、銀狼族という稀少種。
ちなみに王族は金狼族で、より秀でた種族なのだとか。
だが、幼馴染みやシャロンの弟妹達が結婚に反対するのは、獣人族を恐れているからではない。差別意識があるわけでもない。
クラウディオが、四年前に世間を騒がせた大醜聞の当事者だったからだ。
当時は貴族界隈のみならず、平民の間でも一大関心ごととして話題に上っていた。連日大衆紙の一面を飾ってもいた。
四年前。舞台は品行方正な貴族子女が通う、王都の学園。
そこで、ある男爵令嬢と複数名の令息の、淫らな関係が発覚したのだ。
全員成人を迎えていないし、もちろん未婚。令息達に至ってはそれぞれ婚約者がいた。
将来国を背負って立つべく学業に専念していたはずが、一人の少女を巡って愛憎劇を繰り広げ、果てには淫蕩にふけっていた。
この事実が発覚した時、社交界は阿鼻叫喚に陥り国政も止まりかけた。
男爵令嬢を奪い合っていた令息達が、上流階級においてもそうそうたる顔ぶれだったからだ。
ウェインスター公爵家嫡男、現宰相の伯爵家子息、王国騎士団の中隊をまとめる第一師団長。そして――レゼフェル王国第二王子。
平民達は、雲の上の人々が巻き起こす色恋沙汰を、酒場や食堂に集まっては面白がってはやし立てた。
獣人族が優れているのは繁殖能力だけ。そんな皮肉も、当時は飛び交っていたという。
シャロンは、馬車の窓から見える雄大な景色に目を細めた。
ウェインスター領は、肥沃で広大な土地からレゼフェル王国の食糧庫を担っている。
八年前に王国全土を襲った凶作の際、この地も影響を受けたと聞く。
だが、今目の前に広がるのは生命力みなぎる緑の絨毯。領民の努力を思えば、奇跡のような光景だった。
とはいえ、十日も馬車に乗っているので、そろそろ畑ばかりに暇を持て余しそうなところ。
ウェインスター領は王都に隣接した土地だが、断罪されたクラウディオが暮らしているのはその中でもかなりの僻地。そのため、街どころか民家すら途切れがちになってきていた。
何より、お尻も切実に痛いので、なるべく早く到着してほしい。
そんなシャロンの祈りが通じたのか、馬車がゆっくりと停まる。
たどり着いたのは、さすが公爵家とうなりたくなるほど立派な屋敷だった。
手入れの行き届いた広い庭園と、その奥に佇む白亜の屋敷。
陽光に照らされた窓が清冽な輝きを放ち、玄関扉は円柱や植物のレリーフで華やかに飾られている。
国から処罰を受け、嫡男という立場を追われた者が住むには、あまりに豪華すぎやしないか。公爵家の財力怖い。
けれど、屋敷の規模のわりに気配はひっそりとしたものだ。
もしかしたら使用人は少ないのかもしれない。
「――お待ち申し上げておりました。シャロン・ヘッセン様」
突然声をかけられ、シャロンは飛び上がりそうになった。
気配がないから完全に油断していたが、いつの間にか前方に誰かが立っている。
「主人より、ヘッセン様のお世話を申し使っております。メイサと申します」
メイサと名乗ったのは、メイド服に身を包む少女だった。
シャロンより少し歳下だろうか、つま先まで意識した身のこなしが美しい。こめかみ付近に生えた小さな角が特徴的だった。やや垂れ気味の白い耳から、羊か山羊の獣人だと分かる。
だが、態度は丁寧でもかなり露骨だ。
シャロンとクラウディオの結婚は、既に成されている。
婚約式も結婚式もすっ飛ばしているが、国王からの許可も出ているため書類上は正式な夫婦なのだ。
それなのに彼女は、シャロンを『ヘッセン』と呼んだ。
出迎えの使用人の少なさといい、歓迎されていないのは明らかだった。
――原因は何かしら。これが主人であるクラウディオ・ウェインスターの意志なのか、彼女が自発的に動いているのか……。
獣人族ということは、彼女も良家の子女に違いない。いきなり平民に仕えるなんて抵抗があってもおかしくなかった。
対処をするにも、その辺りの理由を見極めてからだ。
シャロンは何食わぬふうで笑顔を装った。
「手厚く歓迎していただき、痛み入ります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
慣れない貴族流の辞儀をしつつ、皮肉を返すことも忘れない。
メイサはあくまで微笑んでいたが、こめかみはしっかりと引きつっていた。
挨拶を済ませ、邸内に案内される。
やはりしんと静まり返っていて、使用人の少なさを感じる。
四年前の断罪で、クラウディオはウェインスター領から出ることを禁じられている。
家族と離れて住まうこの屋敷に最低限の使用人しかいないのも、刑罰の内ということだろうか。上流階級の者達は、身の回りのことをほとんど使用人任せにしていると聞くし。
――とはいえ、使用人が少ないのに掃除が行き届いてるわ。人族だけならこうはいかないだろうから、使用人はほとんどが獣人族かもしれないわね……。
周囲はほとんど獣人族、人族で平民なのはシャロンだけ。
なかなか孤立した状況で、逆に笑いが込み上げてくる。
逆境は嫌いじゃない。
普段以上の力が出せるし、その分の利が大きい。
たとえば過去に、強欲な商会が小麦の値段を吊り上げるために売り渋りをして、国内に困窮者が続出したことがあった。
そんな時もヘッセン商会は負けなかった。他国から小麦を大量に仕入れ、価格の急騰を阻止したのだ。
この出来事があったから強欲な商会は規模を縮小したし、シャロン達は新たな取引先の開拓もできた。何より、多くの信用を集めることができた。
ヘッセン商会を一流商会に押し上げるきっかけとなった騒動だった。
――訳アリの元公爵家嫡男との政略結婚。これだって、難しい商談みたいなもの! 必ず困難を乗り越えて、契約を成立させてみせる……!
シャロンは斜め上の方向に闘志を燃やしていた。
その時、カツンと硬質な足音が響く。
音が聞こえた方へ顔を向けると、エントランスに繋がる階段から降りてくる者がいた。けれど採光窓が逆光となり、その姿は窺い知れない。
シャロンは、ただ呆然と影を見つめていた。
それが重要な者であるという、確かな予感がした。
「――君が、シャロン・ヘッセンか」
鋭い声がシャロンの名を呼ぶ。
深みのある低音でありながら、事務的で素っ気ない。
階段を降りきったところで、ようやく相手の姿が明らかとなる。
陽光に輝く青みを帯びた銀髪と、深い海のような紺青の瞳。
圧倒されるほどの長身で、頭上にはすんなりと整ったかたちの耳が伸びている。切れ長の瞳と引き結ばれた薄い唇は酷薄な印象を伴っていて、まるで鋭い刀剣のようだった。
全てが平伏すような存在感。
訊かなくても、クラウディオ・ウェインスターだと分かった。




