胸を張って
大失態。
信じられないほどの大失態だ。
なぜトールと遭遇した時に、ベルシュのことに考えが及ばなかったのか。
――ど、どうしたら……他の方々は幽閉や強制労働の罰を受けてるっていうのは有名な話……クラウディオ様だけ刑罰が軽かった理由も知ってるはずだから、実子じゃないことはすぐにばれちゃう……!
それをトールが口にして、ベルシュの耳に入るのが一番まずかった。
ベルシュは、自身の出生の秘密を知らない。
大切にされず傷付いてきたものの、自分の父親がクラウディオだという点は疑っていないはず。
いずれ真実を知る時が来るかもしれないけれど、それは決して今じゃない。
幼く柔らかい心を痛めるかもしれない、今ではないのだ。
焦っているせいで考えがまとまらず、シャロンは唇を噛んだ。
あらゆる言いわけが頭の中を上滑りしていって、何一つ言語化できない。逆境を乗り切るのは得意だったはずなのに、ベルシュを守りたいあまり考えがまとまらなかった。
クラウディオも固まったまま動かない。
次に発する言葉が決定打となり、危うい均衡を壊しかねないと察知しているようだった。
「おじさん、だいじょうぶ?」
誰もが黙り込む中、真っ先に動いたのはベルシュだった。
衝撃のあまり呆然としているトールを不思議そうに見上げている。
警戒していた相手すら心配するベルシュを見て、シャロンもだんだん冷静になってきた。
……よく考えれば、誤魔化す必要はないのだ。
秘密にしなければならないのは、王族のご落胤であることだけ。
ベルシュが可愛いのも、大切な義息子であることも、シャロンにとっては揺るぎない事実だ。
ふっと肩から力が抜ける。
シャロンはベルシュの頭を一撫ですると、笑顔で胸を張った。
「トール、紹介するわ。私の――私達の自慢の息子、ベルシュよ」
堂々とした宣言に、トールは顎が外れそうなほどの驚愕を見せる。
そうして長い長い沈黙のあと、幼馴染みの大絶叫がハノーバの街に響き渡った。
「……すごい既視感のある状況」
普段は飄々としている彼が取り乱すのは、結婚報告の時以来ではないだろうか。
耳を押さえながら感慨にふけっていると、トールがシャロンの肩を力任せに掴んだ。
「あぁそうだろうな!! お前が結婚するって言い出した時だって、俺は気絶しそうになってたからな!! 恋愛経験なしの奴が貴族と結婚って、考えなしにもほどがあるって思ったよ!! しかも子連れ!?」
「そうね」
「あぁもう、何で俺に相談しなかったんだ!! 子育てってもんがどれほどたいへんなものか分かってるのか!? お前の弟妹達を世話するのとはわけが違うんだぞ!!」
「そうね」
シャロンの素っ気ない相槌に、トールは苛立たしげに舌打ちした。
ぐいっと顔を近付けられ、無理矢理正面から向き合わされる。
けれど、対峙して目を見開いたのはトールの方。
シャロンは彼に、はっきりと非難の視線を向けていた。
どう考えても子どもに聞かせる内容じゃない。気のない返答も、暗に彼の不用意さを責めていると気付いたようだ。
「悪い! 違うんだ、その……」
トールは弁解の勢いのまま、ベルシュの前に膝をついた。
「つまり、こいつに母親なんて務まらないってことを言いたかったんだよ! 昔からシャロンを知っている身としては、がさつだし無鉄砲だし猪突猛進だし、嫌なお母さんならいない方が君だって……」
誤魔化すにしても内容がひどすぎる。とりあえず今は口を挟まないでおくが。
トールの発言を受け、ベルシュはぷるぷると首を振った。
「そんなこと、ない」
幼いながら頑なな目をしているけれど、ちょっと頬を膨らませているせいで迫力は微塵もない。
思わず頬が緩んでしまいそうだ。
「かあさまは、いつもやさしい。おいしいクッキーもやいてくれる。おれは、かあさまがだいすきだ」
シャロンはぎゅんと胸を突かれた。
ついでに、トールまで両手で顔を覆っている。
「いい子だ……罪悪感がすごい……」
シャロンの自慢の息子だから当然である。
幼馴染みは苦笑を落とすと、ベルシュの頭をぽんぽんと撫でた。
「……ごめんな。完全に俺が悪かった。シャロンはいい母親なんだな」
「いいよ。おじさんだって、わるぎはなかったとおもうし」
「大人びてんなぁ。あとさっきから気になってたけど、『おじさん』じゃなくて『お兄ちゃん』な」
トールだって、あの騒動は把握している。
男爵令嬢マリーシュカの相手に、金狼族の第二王子がいたことも。
雪原のごときクラウディオの青銀髪と、目映い陽光を閉じ込めたベルシュの金髪。見比べて、思うところはあるだろう。
それでも、幼馴染みはそれ以上、何も聞かないでくれた。
「シャロンの手作りクッキー、だと……?」
「話がややこしくなるからクラウディオ様は黙っていましょうね」
トールですら空気を読んでいるというのに、なぜクラウディオはこうなのか。
シャロン達のこっそりしたやり取りに、幼馴染みがおかしそうに噴き出した。
「ふーん。貴族と結婚なんて心配だったけど、一応ちゃんと夫婦してるんだな」
「な……」
シャロンは絶句した。
どこをどう見たらその感想になるのか。
いや、これ以上恥ずかしい思いはしたくないから訊き返したりしないが。
「支店長に聞いたけど、屋敷の畑って結構な規模になってるんだろ? 大胆なことするなーって思ってたけど、こういう関係性を築いてるなら納得だわ」
含みのある言葉がくっついているものの、トールが話を変えてくれたおかげでシャロンは頬の火照りを冷ますことができた。
「ま、まぁね。屋敷内の食事なら、十分自給自足で賄えそうよ」
「余剰分が出るようなら、支店で買い取るぞ」
「何であんたが支店の取引に口を出すのよ。それに、売らないわ。分かってるでしょ」
シャロン達のやり取りに、クラウディオが首を傾げた。
「なぜ売らないんだ? 売れば利益になるのに」
「……クラウディオ様、私のこと守銭奴か何かだと思ってません?」
不思議で仕方ないと言わんばかりの目を向けられれば、己の過去の言動を顧みて居たたまれなくなるではないか。
「いざという時の備えですよ。食料は、命に直結しています。お金は大事ですけど、何かあった時に食べられません。全て抱えて逃げることだってできませんから」
クラウディオは納得して頷いた。
「確かにそうだな。では、この間種を蒔いたじゃがいもは、余った分を保存食にでもするか」
「……え? じゃがいもを、保存食に?」
「俺も詳しくないが、隣国とを隔てるリーダス山に古くから住む者達の、伝統的な保存食らしい」
彼が示したのは、王国内で最も峻厳な山だった。
ウェインスター領でも僻地にあるこの街は、リーダス山にほど近い。
「実はうちの執事が、あそこの出身なんだ。保存食にすることで数年は常温保存ができるというから、今度作り方を伝授してもらおう」
クラウディオは、愕然とするシャロンに気付いていない。
リーダス山のことを、彼らはレレクワトル山と呼んでいるだとか。レレクワトルとは、現地の言葉で『輝く蛇』の意味を持つのだとか。執事は気難しそうに見えるけれど、意外と変わっていて面白い人物だとか。そんな話を続けている。
けれどシャロンは、未だ衝撃から立ち直れない。
じゃがいもで作る保存食。しかも、常温で数年間も保存できる。
そんな画期的な食料を、ずっと探していたのだ。
「…………シャロン!?」
クラウディオが上擦った声を上げる。
あまりに焦った顔をしているから、シャロンは目を瞬かせた。
「――あ」
ほたほた。ほたほたと。
溢れる涙に気付き、頬を押さえる。
こうも止めどなく流れ続けては、クラウディオだって動揺するだろう。そんなことを冷静に頭の片隅で考える。
「どうした!? どこか痛むのか!? それとも、俺の無神経な言葉が君を傷付けてしまったか……」
「え? ちが、安心してください。これは喜びの涙ですから」
「そんなに泣いているのに安心できるか!」
「すみません……止まらなくて」
「謝らないでくれ! こちらこそ、すまない……責めているわけじゃなく、ただ心配で……」
クラウディオの手がおずおずと伸びてきて、濡れた頬に触れた。
泣いている人を慰める方法が分からないとでもいうように、覚束ない手。
けれど、優しい手。
彼を煩わせるわけにはいかない。離れるべきだと思うのに、温かな手の平にますます泣けてくる。
そのせいでさらに困り果てているクラウディオに、シャロンは小さく笑みをこぼした。
何とか涙を止めようと奮闘する優しさに、胸が温かくなっていく。
――もう、落ち着くまでこのままでいいか……。
シャロンは目を閉じて、クラウディオの温度に身を委ねた。




