ちゅーにょ!
ベルシュの件で説教をかましてしまったので、シャロンと執事のフアンには、絶妙に距離があった。
というか、それ以来一度も顔を合わせていない。
距離があるという表現では生易しい。関係性が断絶した、という方が正しいかもしれなかった。
クラウディオと連れ立ってじゃがいもの保存方法を聞きに行ったシャロンに、フアンは何の感情も示さなかった。
そして何の抵抗もなく、保存方法の伝授も引き受けてくれた。
……こちらのことをどう思っているのか、さっぱり読めない。
シャロンの中ではさらに親しみにくい度合いが増したけれど、感謝だけは丁寧に伝えておいた。
そうして保存食作りを教わった、数日後の厨房。
シャロンとクラウディオ、商会の代表としてトール、そしてベルシュが集まっていた。
ベルシュは街に出かけた日以来、暇さえあればシャロンの側に張り付いている。あの時、トールがシャロンを連れ去ってしまうのではと不安になったらしい。
不安にさせてしまったことはたいへん不甲斐ないけれど、あんな僅かなやり取りでそこまで思考が及ぶベルシュ賢い。そうして一生懸命シャロンにしがみつくの可愛い。
ちなみにクラウディオは、シャロンと離れ離れになりそうなのにただ突っ立っていた駄目な父親認定を受けている。可哀想。
「さてさて! このじゃがいもの保存食は、チューニョと呼ばれているそうです!」
「ちゅーにょ!」
ベルシュの可愛らしい合いの手は、発音しづらいのか若干舌足らずだった。和む。
「チューニョは、じゃがいもの凍結と解凍、踏みつけ、そして天日干し――この工程を繰り返して作られるらしいわ。最終的には石のように硬く、その上軽くなるらしいんだけど、ちょっと時間がかかるみたいね。しかも現地では氷点下になる真冬に作るらしいの」
高地ならではの、昼夜の寒暖差を利用するのだ。
夜間に氷点下で凍らせ、日中に解凍させる。これを数日繰り返すことで、じゃがいもの細胞を壊して柔らかくする。
柔らかくなったじゃがいもを足で踏みつけ、さらに水分とアクを絞り出す。
その後は数日間、外気にさらして完全に乾燥させる。小さく軽くなったら完成だ。
「というわけでチューニョ作りはまた今度! 今日はフアンに分けてもらって、あらかじめチューニョを用意してありまーす!」
「って、完成品が出てくるのかよ!」
トールが絶叫系ツッコミを炸裂させる。
反射的に叫んだことを恥じて咳払いする幼馴染みを眺め、シャロンは安堵に胸を撫で下ろした。
分かる。先に色々仕込んでおかねばならない事情があったとはいえ、自分でもツッコミどころ満載の展開だと思っていた。
いつもは真面目な助手のような立ち位置でいてくれるベルシュも、今だけは引っ付き虫になっているせいでノリが悪い。この空気感を共有してくれる人がいて本当によかった。貴重な人材だ。
「まぁまぁ、とりあえず実物を知っておくのはいいことじゃない。何だかじゃがいもっていうのが信じられないでしょ?」
シャロンはチューニョを指で摘んだ。思っていたよりとても軽くて小さい。
その一つをクラウディオが手に取って、鼻に近付けた。
「独特の香りだな。土や木くずのような……」
「分かります。おいしく食べるためには、この独特の臭いを和らげる必要がありますね」
ちなみに、十分な加熱調理も必須だ。
「調理をする前の下ごしらえとして、まずチューニョを水で戻さなければいけないの。表面の汚れや灰汁を軽く洗い流してから、たっぷりの水に浸す。一日しっかり浸けることで、芯までしっかり戻る……んだけど、その工程も時間がかかるから、あらかじめ水で戻しておきましたー!」
「って、それも済んでるのかよ!」
トールの絶叫系ツッコミに、シャロンは深く頷いて返した。
「その際に水を数回替えることで臭いが和らぐということなので、やっておきました」
「手間暇かけてくれてどうもありがとうな! つーかそれなら、俺が今日ここに呼ばれた理由がますます分からないんだが!?」
シャロンは華麗にエプロンを装着し、得意満面の笑みを浮かべた。
「それはもちろん、これからチューニョを調理するからよ。調理方法やどんな味かも、商会に情報を持ち帰るなら知っておいた方がいいでしょ?」
調理方法はフアンから教わっているし、チューニョの製法を広める許可も得ている。ヘッセン商会を挙げて販売する準備は整っていた。
商会長である父が頷けば、久々の大きな仕事になるだろう。
今のシャロンは商会の仕事に携わっていないから、それらをトールに任せるつもりだった。だから、幼馴染みにはチューニョの全てを知っておいてほしかったのだ。
「柔らかくなったチューニョの水気は切っておいたわ。旨みをよく吸い込むらしいから、スープや煮込み料理が合うんだって。というわけで、今回はじゃがいものポトフを作ってみようと思います!」
庶民の家庭では家事をするのが当たり前なので、クッキーなどの甘いもの以外にも料理はできる。
幼馴染みはそれを理解しているので特に反応しなかったが、クラウディオ達は違った。
「シャロンの手作りポトフ……?」
「かあさまの、ポトフ……?」
そわりと動く耳に、彼らの期待が表れていた。ベルシュなど瞳を輝かせて前のめりだ。
「……似た者親子かよ」
トールは毒気が抜かれたように呟く。
パタパタと揺れる尻尾を見ていたら、熱くなってツッコミ続けるのが馬鹿らしくなったらしい。シャロンもつい、ほのぼのしそうになった。
これは、頑張って彼らの期待に応える必要がありそうだ。
「チューニョもだけど、ポトフに入れる牛肉にも下ごしらえが必要だから時間がかかったのよね」
どんな肉を使ってもポトフはおいしいけれど、今回はクラウディオの財力に頼って牛すね肉の塊を用意した。
シャロンには、彼の妻として自由にしていい費用が割り当てられている。
だが、今まで種苗代など畑に関すること以外では一切使っていなかった。働いていないのに贅沢をするつもりはないからだ。
今回の材料費は、贅沢をしても構わないだろうと判断した。何しろ、クラウディオとベルシュが食べるのだから。
「牛すね肉に塩と胡椒をすり込んで、冷暗所で何日かねかせたの。こうすることで肉の味が濃厚になって、長時間煮込んでも味が抜けにくいのよ」
「かあさま、すごい! りょうりにんみたいだ!」
「これが家庭的な女性というものか……」
ものすごく分かりやすく上流階級の反応。
可愛らしく純粋なベルシュに罪はないけれど、その隣で頬を赤くして何やら感銘を受けている大人の反応は、意識的に聞き流すことにした。
「まずは牛肉と、香味野菜だけで煮込んでいくわ。じゃがいもやキャベツが煮崩れしちゃうからね」
「実家では全部一気に鍋にぶち込んで……」
「うるさいトール」
幼馴染みの密告を素早く封じる。
シャロンは、煮崩れたほろほろ野菜も個人的に好きだ。
けれど今回は上流階級に配慮して、溶けた野菜で濁っていないスープを提供しようと思ったのだ。決して見栄ではなく。
説明しながらも、シャロンは調理を進めた。
煮崩れないよう綿糸で縛った牛すね肉、皮を剥いた玉ねぎ、セロリの葉とローリエを鍋に投入する。
そこにたっぷりの水を注ぎ、火にかけた。
水が沸騰するまでの間に、野菜を切っていく。
キャベツはくし切りに。にんじんとかぶと長ねぎ、セロリの茎部分、いんげん、そしてチューニョを、食べやすい大きさにしていった。
沸騰したら、牛肉から出てくるアクを丁寧に取り除いていく作業だ。
煮込む時間が長くなってくると、退屈になったのかベルシュから質問が飛んできた。
「かあさまは、いつもりょうり、してたのか?」
「えぇ。私には、弟が三人と妹が一人いるの。全員食べ盛りで、とにかく量をたくさん作ってたわね」
「かあさまの、きょうだい……」
「ベルにとっては伯父と伯母になるわね。でもそんなに堅苦しいものじゃないわ。末は双子で、十歳だから年も近いし」
「ふたご……じゅっさいか……」
ベルシュの尻尾が控えめに揺れている。調理中だから気を遣っているのだろうと思えば、愛らしさに笑みがこぼれた。
「そんなに嬉しそうにして。会ってみたいの?」
「うん! あ、しっぽ! これは、ちがくて」
そわそわ動く尻尾に気付いたベルシュが、慌てて押さえつける。
そのまま毛先をいじりながら、恥ずかしそうに赤い頬を隠した。
「うれしいのは、そこじゃなくて……かあさまのことを、しれたからだ」
ぎゅんを超えてぎゅぎゅんっっ。
……という音が、胸からほとばしった。
危ない。ときめきすぎて鍋をひっくり返してしまうところだった。好きだ。
トールも被弾したようで、俯いて肩を震わせている。
クラウディオはと様子を窺ってみれば、しっかり目が合った。なぜあんなにも可愛い我が子を前にして平静でいられるのか理解できず、シャロンもすんと真顔になる。
「……何ですか? その、もの言いたげな顔は」
「いや……シャロンの母君は、八年前に亡くなったと聞く。大層苦労したのだろう。料理ができるのもそのためなのだと思うと……」
そういえば、結婚の際に互いの釣書は送り合っていたのだったか。
シャロンはもちろん礼儀として目を通していたが、あの当時のクラウディオが気に留めていたかは疑わしい。
「最近釣書を読んだかのような、新鮮な反応……」
ぼそりと呟くと、クラウディオは大げさに肩を強ばらせた。図星だったらしい。
あたふたと言いわけしている書類上の夫の存在を脳から締め出し、シャロンは煮込む間に蒸発した分の水を淡々と足していく。




