ハノーバの街
屋敷からほど近いといっても、街は二十分ほど馬車で行った場所にある。
ハノーバの街に到着した。
嫁いできた時には馬車の中から眺めるだけだったけれど、街としてはそれなりに規模が大きいようだ。そのわりに人口が少ないため、ゆったりとした時間が流れている気がする。
主要な道には石畳が舗装されており、時折荷馬車が通りすぎていく。街にいるほとんどが顔見知りのようで、誰もがすれ違いざまに笑い合っていた。
「のどかな街ですね」
きょろきょろと辺りを見回しながら、シャロンは感想を口にする。
「案内するといったが、特に見どころといえるものはないんだ。だが、住民はみな穏やかな気質で、温かい」
確かに、主要街道沿いにもパン屋や生活雑貨店など、数えるほどしか店がない。
王都には出店が軒を連ねている区画もあるので、都会育ちのシャロンには新鮮に映る。
道端で子ども達が遊ぶなんていうのも、馬車が行き交う忙しない王都ではあり得なかった。
「……何だかいいですね。街全体が、一つの家族みたいです」
「あぁ、そうだな。近隣の街が遠いから、自分達の暮らしは自分達で守らなければならない。全員が家族みたいなものだ」
しばらくそうして、通りを眺めていた。
けれど隣で微笑んでいたクラウディオが、急に視線を鋭くする。街道沿いに並ぶ家屋の一角を、勢いよく振り返った。
「クラウディオ様、どうかしました?」
「いや……」
彼は曖昧に頷きながらベルシュを見下ろした。
ベルシュはこちらのやり取りなど耳に入っていないようで、通り沿いの店先で遊ぶ子ども達をそわそわしながら見つめている。
クラウディオは苦笑をこぼすと、義息子の頭をくしゃりと撫でた。
「……そうだな。そろそろ、ベルシュに剣の稽古をつけた方がいいと考えていただけだ」
「? はぁ……」
なぜ突然、剣の稽古の話になったのか。
首を傾げるシャロンに、クラウディオは苦笑を深めるばかりだった。
ますます不思議に思っていると、ぐっとドレスの裾を引かれる。
ベルシュだ。同年代の子ども達を夢中で見つめるあまり、無意識にドレスを握り締めているようだ。
シャロンはくすりと笑みをこぼした。
「ベル、行ってきていいわよ」
頬を上気させたベルシュが、戸惑いを見せる。
「で、でも……」
伺うように視線を送るのに、子ども達に近付こうとはしない。
同年代の子どもと接するのが初めてだから、興味より不安が勝ってしまうようだった。
シャロンはしゃがんでベルシュの両手をとった。
「大丈夫。まずは勇気を出して、『一緒に遊ぼう』って声をかけるのよ」
「でも、かあさま……」
「優しくて気遣いのできるベルなら、きっと誰とでも仲よくなれるわ。私達もついてるから」
店先までは手を繋いで歩き、そっと背中を押す。
ベルシュは二、三歩進んで立ち止まった。
楽しそうにしていた子ども達も、ベルシュの存在に気付く。男の子も女の子もいるが、全員人族だ。
もじもじしていたベルシュに、その中の一人が声をかける。
「……お前、獣人族か?」
少年は子ども達の代表格らしい。他の子どもより二回りほど体も大きい。
少年の無遠慮な視線に戸惑っていたベルシュだが、こくりと頷いた。
獣人族が上流階級に多いのもあって、見慣れない子も多いだろう。人族が社交界で異質なように、獣人族が平民社会で奇異の眼差しを向けられるのは珍しいことじゃない。
それでも、クラウディオが何度もここを訪れているなら、衝突はしないはず。
そう考えて送り出したシャロンまで、つい手に汗を握って見守っていた。
じっと見つめ合う両者の沈黙に耐えられない。
子ども同士のやり取りだから、大人は介入しづらいし。
やがて少年が、にっかりと笑った。
「獣人族って、運動が得意なんだろ? 一緒に遊ぼうぜ。俺と競争しよう!」
「! う、うん……!」
子ども達が遠慮なくベルシュを取り囲む。
それでも狼狽えつつこちらを振り返っているのは、『一緒に遊ぼう』を先に言われてしまったからだろうか。
シャロンは笑って手を振った。
「あんまり遠くには行かないように。私達はこのお店の中にいるから、何かあったら声をかけてね」
ベルシュは何度も頷くと、ようやく笑顔になって走り出す。
お互いに名乗り合いながら、子ども達が賑やかに駆けていく。シャロンはほっと息をついた。
振り返ると、クラウディオも眩しそうに目を細めながらベルシュの背中を眺めている。
「よかったですね。ベルにお友達ができそうで」
「……あぁ。やはりこの街の人々は、とても穏やかだな」
「子どもだから、というのもあるかもしれません」
クラウディオにとっても、獣人族と人族の交流というのは懸念材料だったのだろう。大人になれば色々なことを見聞きする。
「種族の違いも、生まれや階級も飛び越えて……ああしてみんなが手を取り合えるようになれば、いいですよね」
人族のシャロンが、獣人族のベルシュの親だと、当たり前に名乗れるように。
「――さて。私達は仕事をしますか」
子ども達が遊んでいたのが、ちょうどヘッセン商会の支店の前だった。
農耕具や野菜の種苗を用意してくれたのは、この支店だ。手紙では何度もやり取りをしていたが、まだ顔合わせは済んでいない。
シャロンは早速店に入ろうとしたが、なぜかクラウディオが動かない。
「本当に……そう、思ってくれるか?」
「え?」
彼の紺青色の瞳は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
その熱量に圧倒されて、足が縫い留められたように動かない。
「種族も、生まれや階級が違っても……政略結婚で、救いようがないほど最悪の出会い方だったとしても……手を取り合って、一緒に……」
一途な眼差しと、苦しげにひそめられた眉。燃えるように赤くなった頬。不器用に紡がれる言葉。
クラウディオの気持ちがどれほど直向きなものか伝わってきて、シャロンまで熱くなってくる。心臓の音がうるさい。
元々、商会の業務に明け暮れていたから、恋愛には疎い。色々な順序を飛ばして結婚してしまった感はある。
だから、こんなふうに見つめられたら、おかしくなりそうだった。
クラウディオが、慎重な手付きでシャロンの手に触れる。
びくりと肩が震えたけれど、拒む選択肢は浮かばなかった。触れた指先から伝わる体温ばかりが気になってしまう。
「シャロン。いつも俺やベルシュを気にかけてくれてありがとう。君が明るく笑顔でいてくれるから、俺達は本当に救われている」
「え、いや、そんな……」
「これからも、君と共に歩いていきたい。シャロン、俺は――……」
「――はいはいいつまで店先でいちゃいちゃしてるんですかねお二人さんーー!!」
甘い雰囲気をぶった切るように、突如として店の扉が開いた。
同時に割り込んできた声があまりに聞き覚えのあるもので、高まっていたシャロンの熱が一気に引いていく。
「…………トール!?」
ヘッセン商会の店舗内から現れたのは、なんと幼馴染みのトールだった。




