そこまで許した覚えはない
クラウディオは表情を改めると、勢いよく頭を下げた。
「本当に、申し訳なかった。君にそこまで不満を抱かせて、俺自身取り返しのつかないことをしてしまったと……」
「だから、謝らないでくださいって。色々文句を言いましたけど、腹を割って話そうと思ったのは、あなたの豹変ぶりについて問い質すためでもあるんですから」
「……ん?」
不思議そうに首を傾げるクラウディオに、シャロンは嘆息した。
「完全に無自覚なんですね。出会ったばかりのあなたと、今のあなたとでは別人のようなのに。あまりに変化が激しいので、あなた自身から話を聞きたかったんです」
彼は何を言われているのか、まだ理解しきれていない様子だ。
しきりに瞬きをしては首をひねっている。
「では、質問します。これは責任の追及ではないので、正直に答えてください。まずは私がこの屋敷に来た日――クラウディオ様が夢のような妄言を繰り広げた日のことです」
「ぐぅっ」
「あの日のクラウディオ様は、何を考えてましたか?」
クラウディオは赤くなったり青くなったり忙しそうだったが、シャロンは静かに返答を待った。
すると動揺していた彼も、次第に落ち着きを取り戻していく。
クラウディオは睫毛を伏せ、物思うように顎を撫でた。
「正直に……か。そうだな。あの時は確か……マリーシュカのことばかり考えていた」
彼の口から、初めてその名を聞いた気がする。
マリーシュカ。
学生時代のクラウディオが惹かれた男爵令嬢であり、ベルシュの実母だ。
シャロンも名前だけは事前に聞いていたので、頷いて続きを促す。
「結婚相手である私が訪ねてくる日だと、理解してましたか?」
「……正直に言うと、ない。あの日は執事に急かされて、あなたを迎えに行った。久しぶりに寝食以外で動いたから、億劫で仕方がないと思っていた気がする」
言い辛そうにこちらの反応を窺いながらも、クラウディオは飾ることなく答えてくれる。
「では、ベルシュを放っておいた頃のことは?」
彼は、喉を締め付けられたような唸り声を発した。過去の非情を思い返して、言葉が詰まっているのかもしれない。
それでも、強く目をつむって口を開いた。
「……ベルシュが屋敷にいるということすら、忘れていた。毎日ひたすら、マリーシュカの笑顔や声、優しい言葉を思い出して――気付けば一日が終わっていた」
「なるほど……では、今は? なぜ、ベルシュや私に歩み寄ろうと思ったんですか?」
思い出を語るクラウディオは苦々しい表情をしていた。
けれどそれ以上に印象的だったのは、瞳だ。
普段の彼の瞳は澄んだ紺青色をしている。それが記憶を探ろうとぼんやり彷徨っている間、ひどく淀んで見えた。
そんな瞳に、光が差す。
曇った空が一気に晴れ渡るように、それは劇的な変化だった。
「答えになるほどのきっかけは……なかったと思う。ただ、毎日窓から楽しそうな声が聞こえていたんだ」
「声、ですか」
確かに、明確なきっかけはないようだ。
それでもクラウディオの表情は、打って変わって穏やかだった。
「君達の笑い声を聞いている内に、何をしているのか、どんなふうに遊んでいるのか、畑はどんな様子なのか、色々と考えるようになった。それから、ずっと放り出していた執務にも手がつくようになったな」
シャロンは最後の質問をした。
「今も、男爵令嬢のことは思い出しますか?」
クラウディオが、意表を突かれたとばかりに目を見開く。
「いわれてみれば……頭の中を占めていたマリーシュカの像が、おぼろげになっている……?」
愕然と呟く彼を、シャロンはつぶさに観察した。
「いや、容姿が曖昧になったわけではない。赤みを帯びた金色の巻き毛も、空色の瞳や笑顔や仕草も、よく覚えている。ただそこに……あの焦がれるほどの感情が、ない」
シャロンと同じ違和感に、ようやく気付いたのだろう。
今のクラウディオの変化は、極めて唐突なのだ。
不器用で無愛想だが、真っ直ぐな人。誠実な人。
それが最近の彼の印象だ。正直、誰かと人格が入れ替わっていたとしても、信じられるくらい。
その変化の理由を知るために、内面を探ろうとしたのだが……これはもしや、気付かないままでいた方がよかったのかもしれない。
ある一つのことしか考えられず、何も手につかない。
初々しい恋の話ならば微笑ましく聞き流すこともできるが、王家のご落胤の存在を忘れるほどというのは常軌を逸している。
その根本を断つことで少しずつ意識が回復してきたという点も含めて――まるで、中毒症状のようではないか。
そうすると、僻地に閉じ込められているクラウディオの罰というのも、違ったかたちに見えてくる。
逆なのではないか。
これは、クラウディオを守るための隔離措置なのではないか。
遠ざけたのは、もちろんマリーシュカだ。シャロンが聞いた限りでも相当きな臭い。
ただ実家の利益になるならと結婚しただけなのに、何か不穏な事件に巻き込まれてしまいそうな予感がした。
自身の現状に気付いて混乱していたクラウディオが、顔を上げる。
真っ直ぐにシャロンを見つめる瞳には――どこか熱っぽさがあるような。
「つまり、君と出会ったからか」
「…………はい?」
「新しい恋を知り、手酷い失恋が過去のものになったということだろう。シャロン、君のおかげで目が覚めたんだ」
シャロンは頬を引きつらせて絶句した。
何を言っているのだ、この夫は。
何かしらの洗脳状態から回復したのであって、新しい恋などというものこそ幻だ。かつて愛した人を疑いたくないから、理解できないのか。
シャロンはクラウディオを許した。
許したとはいえ、その途端に愛だの恋だのを押し付けようなんて、どうかしている。
「シャロン、俺は真実の愛に目覚めたらしい。既に夫婦だが、改めて愛を誓わせてくれ――……」
「馬鹿じゃないですか。寝ます。おやすみなさい」
「流れるように暴言!」
何やら叫んでいるクラウディオを残し、シャロンは居室を出た。
相手にする気にもなれない。
明日のためにもさっさと寝よう。




