歩み寄る親子
あの日を境に、状況は劇的に変わった。
「本当に、どこまで拡張していくんだ、この畑は……」
「旦那さまとベルが効率よく土を耕してくれるおかげですね」
順調に広くなった畑のあぜ道を歩きながら、シャロンは有無を言わせぬ口調で相槌を打った。
畑を作る許可をもらった時、規模についての言及はなかった。あとからの苦情は受け付けない。
「それにしたって広がりすぎでは……」
「本当に、獣人族の方々は身体能力が高いですよね。本来もっと人数か日数をかけなければ、ここまで畑を耕すことなんてできませんから」
その点については本当に感心していた。
獣人族の能力がどれほどのものなのか、ベルシュで分かっていたつもりだったが、クラウディオは次元が違った。
貴族として育ったとはいえ、さすがに成人男性。力自慢の人族だって、おそらく彼の無尽蔵の体力には敵わないだろう。
おかげで色々な野菜を植えることができた。
大根にカブ、ほうれん草も。
「秋植えのじゃがいもも育てたいけど……」
「植えればいい。確か、種芋というのを入手するんだろう?」
独り言に近い呟きだったが、さらりと返事が戻ってくる。
シャロンは思わず、クラウディオの横顔をまじまじと見上げていた。
野菜に詳しくなっていることも驚いたが、何より簡単に許可をくれた点が信じられなかった。
「じゃがいもって、貴族の方はあまり好まれませんよね? 平民の食べものという認識で、ガレットやスープくらいでしか食されないとか……」
「だが、植えたいんだろう? それにじゃがいもは、保存もしやすいというし」
「本当にちゃんと勉強したんですね……」
こういう点を知るたび、今までのクラウディオは何だったのかという疑念に駆られる。
率先して畑を手伝うようになったし、互いの異なる部分も理解しようと努めてくれる。幼子のベルシュからの教えも素直に受けるし、平民を見下すような言動もない。麦わら帽子と作業着にも抵抗はないようだ。
最近は、一緒に食事をするようにもなった。
食堂の入り口でじっとこちらの様子を観察していることに気付いてしまえば、到底無視などできなかった。『仲間に入れて』とはっきり言えばいいのにと、本当に心から思う。
とはいえ、食事を共にすることに不満はない。
クラウディオは、畑で収穫した野菜を残さず食べる。ぎこちないけれど、しっかりおいしいと伝えてくれる。
不器用で無愛想だが、真っ直ぐな人だと感じる。
だからこそ、あの育児放棄はなぜ起こったのか。
そこに関して絶対に許す気がないから、どう接すればいいのか分からなくて態度が素っ気なくなってしまう。
――向こうもそれは分かってるのか、こっちの愛想が悪くても皮肉を言っても怒ったりしないし、むしろ気遣われてる感じが何というか……困る!
これでは、シャロンが一方的に虐めているようではないか。
育児放棄されていたベルシュ本人がクラウディオと仲よくしているから、なおさら自分の性格の悪さが強調されているような。意地になっているこちらの胸が痛むなんて理不尽ではないか。
見ないふりも他人行儀な態度もやめたのに、また別の悩みが発生している。
もやもやした気持ちに振り回されながら、シャロンはクラウディオを見つめた。
彼はベルシュと並んで、野菜に水やりしている。実に微笑ましくてこっちの心は荒む。
「おみずは、ねもとにかけてあげて。なつは、ひざしがつよいから、はっぱがひやけしちゃうんだ」
「分かった。細心の注意を払おう」
「そんなにせいかくじゃなくていいよ。なるべくだよ、ちちうえ」
「そうか、なるべくか」
「ちちうえって、けっこうきちょうめんだよね。はたけしごとって、せいかくがでるな」
「そ、そうか……?」
義息子の発言にたじろぐクラウディオに、シャロンはほくそ笑んだ。いいぞ、もっと振り回されてしまえ。
その時、作業していたベルシュが危うく転びそうになった。
素早く支えたのはクラウディオだ。
「ありがとう、ちちうえ」
「あぁ。気を付けなさい」
笑顔になる少年に、彼は控えめに微笑み返す。シャロンはやさぐれた。素敵な父親すぎて皮肉を言う隙もない。
ベルシュが水やりを再開しようとする。
それを、クラウディオの手が止めた。支えた際に掴んだ二の腕に、再びそっと触れる。
「こんな……こんなにも、細かったんだな」
ぽっかりと落とされた独白は、ひどく頼りなげに響いた。
ベルシュは不思議そうに父親を見上げている。
その無垢な眼差しが辛いのか、クラウディオは咄嗟に顔を背けた。
けれど自身を戒めるように唇を噛み締めると、ゆっくり地面に膝をつく。
ベルシュと目線を合わせるように。
「……お前は、すごい子だ」
クラウディオは、目を逸らすことなく告げた。
「こんなに小さいのに、とても賢い。野菜のこともよく知っているし、毎日の畑仕事も手を抜かない。真面目で、努力家だ。こんなにも素晴らしい子を、他に見たことがない」
ベルシュは、普段なら褒められた時は嬉しそうにする。
だが今は、とても静かな表情をしていた。
戸惑っているのでも、驚いているのでもない。
無感情な眼差しは、クラウディオの発言の意図を探ろうとしている。
もしかしたら、これまで無邪気に父親に甘えていたのは、ベルシュなりの自衛だったのかもしれない。
苦しかった時間は、なかったことにはならない。
どうして助けてくれなかった。どうして側にいてくれなかった。
責めて詰りたい気持ちはあっても、父親に愛されたいから暴言なんて言えなくて。
そうして表面上だけで接してきたから、未だにクラウディオを心から信じきれていないのだ。
いつまた手を離されるか、冷たくされるか。分からなくて怖くて、普段と違う挙動や発言を警戒してしまう。
今すぐ駆け寄って抱き締めてあげたいと思った。
けれどシャロンは踏み止まる。
クラウディオの苦しげな横顔から、何をしようとしているのか伝わってくる。
ここは、彼自身がベルシュと向き合うべき時。
クラウディオが自分の力で義息子の信頼を勝ち取ろうとするなら、シャロンは介入せず見届けなければならない。
しばらく言葉に詰まっていたクラウディオが、頭を下げる。
「――すまなかった」
ざぁ、と心地よい風が吹いた。
クラウディオの長い前髪が、彼の表情を隠す。
「お前は、こんなにも素晴らしい子に育ったのに……俺が駄目だった。俺は、お前に何もしなかった。関わろうとすることもせず、シャロンのように愛情をもって接することもせず……自分のことばかりで、無責任だった」
風がやんで、彼の顔が露わになる。
そこに浮かぶのは強い後悔。
逃げ出したくなる気持ちを押し殺して、込み上げてくるものをぐっとこらえて、ベルシュと向かい合っている。
ようやく本当の意味で息子を――ひいては過去のあやまちを、正面から受け止めようとしていた。
「許されることではないと、分かっている。いくらでも責めてくれていい。顔も見たくないと思っているだろうが……」
「――そんなわけないだろ!」
懺悔を乱暴に遮ったベルシュが、クラウディオの胸に飛び込んだ。
感動の場面。……なのだろうが、シャロンは思わず後ずさってしまった。
勢いが、あまりにものすごい。
なぜクラウディオは小揺るぎもしないのか。あの速度で抱き着かれたら、人族など吹き飛ばされてしまうのではないだろうか。もはや憎しみの籠もった攻撃と言われた方が納得いくのだが。
シャロンの内心など置き去りに、ベルシュは小さなこぶしでクラウディオの胸を叩く。
「おれ、やだった! ちちうえのこと、きらいっておもってた! なんで……いっしょにいてくれないのって……!」
「あぁ……すまなかった……」
「さびしかった……! これからは、ずっとずっといっしょにいて!」
ベルシュは泣きながら、力いっぱいクラウディオにしがみつく。
ぶつける不満には恨みも込められているけれど、根底にあるのは寂しいという気持ち。父に愛されたいという切なる思い。
少し戸惑っていた様子のクラウディオだが、やがてベルシュの背中におずおずと手を回した。
「その……すまない。顔も見たくないと思っているだろうが、これからは側で守っていくことを、許してもらえたらと……」
彼はホッとしたように表情をゆるめた。
「――約束する。もう絶対に、ベルシュから離れたりしない」
クラウディオが息子の体を、しっかりと抱き締め返す。ベルシュの泣き声がますます大きくなった。
慌てるクラウディオの表情に、シャロンは思わず笑ってしまった。
よかった。ベルシュにとっても、この和解はいい結果だろう。
また風が吹いて、シャロンは麦わら帽子が飛ばされないよう押さえた。
ふと畑を見回すと、どこまでも続く緑の絨毯がさわさわと揺れている。
青空を泳ぐ雲、力強く振り注ぐ太陽。
幸せを象徴する実り豊かな風景に溶け込む、ベルシュとクラウディオ。
……シャロンは、一つ覚悟を決めた。




