クラウディオの変化
風のような速さで現れたクラウディオに、シャロンはぽかんとする。
なぜ彼がやって来たのかといえば、自分の悲鳴が原因だろう。確かに大げさだし人騒がせだったと反省する。
けれど、本質的な疑問はそこじゃない。
問題は、シャロン達を気にも留めていなかったクラウディオが、なぜ悲鳴に駆けつけたのか――という点だ。
興味のない相手が窮地にいようと、放っておけばいいだけ。ベルシュのことだってそうして目を逸らしてきたからこそ、育児放棄に繋がったのだろう。
クラウディオはそういう人。
そう見限っていたから……これほど慌てた様子で現れたのは、予想外だった。
シャロンの手の中にあるのはきゅうり。
小松菜や水菜のあとに育てはじめたのだが、食べ頃に大きくなったものを採ったらすごいかたちだったのだ。
上部に二つの膨らみが並び、そこからにょっきりと長い棒が。上下を逆さまにしても何か嫌だ。
しょうもないことに過剰反応してしまったが、シャロンだって年頃の娘なのだ。
そうして、いかがわしいきゅうりを手に、つい悲鳴を上げていた。
これをベルシュに見せたくないし、悲鳴の理由をクラウディオに知られたくない。
シャロンはさっときゅうりを隠し、華麗に微笑んだ。
「お騒がせしてしまい、たいへん申し訳ございませんでした。特殊なかたちの野菜が採れて少々驚いてしまい、はしたない声を出しました」
既に泥だらけだが、せめて精いっぱい綺麗な辞儀をする。ベルシュも以前話した通りにごっこ遊びの一環として、胸元に手を当て紳士を気取っている。
そうしてゆっくり顔を上げると、なぜかクラウディオの表情がほんの少し曇っていた。
駆けつけた時は感情を露わにしていたのに、静かに表情が消えていく。
「……そうか。何ごともなかったなら、よかった」
感情の乗らない、平坦な声。
それなのにシャロンには、まるで子どものように聞こえた。
寂しいのに、寂しいと言えないまま我慢してしまう子ども。輪の中に入れず、身の置きどころがなくて、泣き出しそうな。
「それじゃあ、俺はこれで……」
「――あの、旦那さま」
踵を返したクラウディオを、シャロンは咄嗟に引き留めていた。
――あぁ、無責任な最低自己陶酔男なんか、まだまだ絶対許さないと思ってたのに……。
こういう時、自分のお人好しぶりが憎らしくなる。
けれどもう、胸の内にわだかまる罪悪感に振り回されるのも疲れていた。
シャロンはついに、貼り付けた微笑みをかなぐり捨てた。
苦虫を噛み潰した顔で、ぶっきらぼうに続ける。
「せっかくだし畑仕事、手伝ってくださいよ」
「……は?」
「どうせやることもなくて暇ですよね? 今日は忙しいから、人手がいるんですよ」
屋敷の主に対する、あるまじき暴言。
いつもなら日陰に控えるメイサから怒声が飛んでくるところだが、今回ばかりは彼女も怒るより怯えていた。
立場的にも種族的にも逆らえる相手ではない。本能的な恐怖に支配されているようだ。
自分は人族でよかったと、シャロンは他人事のように思った。
だがもう、態度を改めるつもりはない。
意図は分からないけれど、クラウディオはこちらに関わろうとしている。
それならばシャロンも、もう取り繕ったりしない。
建前を取り払わなければ、シャロン達を案じて駆けつけてくれたクラウディオにも、失礼だと思ったから。
ベルシュを振り返ると、彼は期待に満ちた眼差しで父親を見つめていた。
「ベルシュ、ごっこ遊びはいったん終わりにしましょ。旦那さまに、今日やることを教えてあげて」
すると、これに首を振ったのはクラウディオだ。
「あぁ、その……知っている。今日はブロッコリーとにんじんの種を蒔いて、トマトの支柱を立てるんだろう?」
「うわ。盗み聞きしてたんですか。こわ」
「あれだけ大声で会話をしておいて、盗み聞きと言われるのは非常に不本意なんだが……」
まだどこか所在なさげなクラウディオの言い分を無視し、ベルシュにさらにお願いをする。
「ベル。種の蒔き方とか、色々教えてあげてくれる? 旦那さまは畑のことを全然知らないから、あなたが先輩よ」
「せんぱい……おれが……!」
もじもじするばかりでクラウディオに近付けずにいたベルシュだが、『先輩』という単語に惹かれたらしい。
すぐにお兄さんぶってクラウディオの手を引きはじめる。
「ちちうえ、こっち! まずはたねのまきかたから、おしえてあげる!」
「あ、あぁ……よろしく頼む」
「まかせて! おれはせんぱいだからな!」
ベルシュの緊張は解れたようだ。
まだぎこちないけれど、クラウディオも大人しく義息子の指示に従っている。
青ざめて震えていたメイサも、特にお咎めがなさそうでこっそりと息をついていた。
シャロンの本心ではまだクラウディオを警戒しているし、許せていない。いつまた冷たく突き放すか分からないから信用もしない。
だが、父親の愛情を求めているベルシュから、クラウディオを取り上げるつもりもなかった。
「ちちうえ、ちがう! たねさんを、そんなざつにあつかわないで!」
「す、すまない。小さいから、一粒ずつ摘むのが難しくて……」
「あっ! もう、また! いってるそばから!」
「申し訳ない……」
シャロンは太陽を見上げて小さな笑みをこぼした。
この親子が、少しずつでも歩み寄れることを願うばかりだ。




