↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/18

怖いものがない奴には何も出ない

暗い空間の奥に、人影があった。


ほんの一瞬だった。


レスターが目を凝らした時には、もう何もない。外部表示には空間のノイズしか映っていなかった。


「博士?」


エマの声で、レスターは視線を戻した。


「今度は何です?」


「まだ分からない」


「何か見えたんですよね」


レスターは答える代わりに、ナインへ指示を出した。


「観測系統を切り分けろ。黒箱由来の反応と、今の異常を別に見る」


『実行します』


短い沈黙の後、ナインが告げた。


『ブラックボックス残響の再生反応とは一致しません。黒箱からの出力上昇、残響投影反応ともに未検出です』


エマが窓の向こうを見る。


「じゃあ、博士が見たのは?」


「まだ“見た”とも断定しない」


「そこからですか」


レスターは返さなかった。


同じ区画を三つの観測系で同時に見る。肉眼。外部カメラ。ナインのセンサー群。


映像には何も映らない。


ナインも視覚像を検出しない。


だが、空間の一部に、ごく弱い局所反応だけが残っていた。


『観測結果の相互整合性を確立できません』


「“何かがある”と決めるな。観測者側の差も含めて記録しろ」


『了解』


エマはまだ何も見えていないらしい。


レスターには、しばらくするとまた人影が見えた。


今度は少し長い。


白衣らしきものを着た人物が、遠くでこちらに背を向けて立っている。


顔は見えない。


輪郭も曖昧だ。


それでも、なぜか呼びかければ振り向く気がした。


レスターは口を開きかけて、止めた。


人影は動かなかった。


「博士」


「何だ」


「そっち、何かあります?」


「君には?」


「暗いだけです」


レスターはエマを見る。


視線が少し長くなったらしい。


エマがため息をついた。


「博士、その顔やめてください」


「どういう顔だ」


「人を測定器みたいに見る顔です」


レスターは一拍置き、視線を外した。


「……悪かった」


エマの方が少し驚いた顔をした。


「謝るんですね」


「謝るべき時には謝る」


「そこはちゃんとしてるんですね」


「私は何だと思われている」


エマは答えなかった。


それはそれで少し気になった。


船体の奥で、金属が大きく鳴った。


エマが反射的に振り向く。


その瞬間だった。


「っ!」


エマが足を止める。


レスターもそちらを見る。


何もない。


「見えたのか」


「一瞬だけ。床が抜けたみたいに」


エマは自分の足元を確認した。


床は正常だった。


『同時刻、局所反応の増大を確認』


レスターは眉を寄せる。


「記録だけ残せ」


「怖がった時だけ出るとか?」


「まだ早い」


「でも今、私びっくりした瞬間でしたよ」


「相関が一回見えたからといって、原因にするな」


エマは頷いた。


今度は茶化さなかった。


その時、船内後方で別の反応が立ち上がった。


黒箱だ。


『ブラックボックス出力上昇。残響投影反応を確認』


先ほどとは明確に別の系統だった。


空間に、過去のアルゴス号が重なる。


ロイが窓の外を見て固まっていた。


「ジャック。あそこ何かいるぞ」


「どこ?」


「正面! でかいの!」


ジャックが目を細める。


「何もいないけど」


『視覚情報に個体差を確認』


ナナの声が響く。


ロイには見えているらしい。


巨大な機械の塊。


ねじれた梁。潰れた配管。裂けた外殻。


何か巨大な船が、自分の手で壊された後のような姿だった。


ロイの顔が強張る。


「近づいてる」


「俺には何もないよ」


「お前、怖くねえのか?」


「何が?」


「見えてねえからだよ!」


ジャックは少し考えた。


「怖いものがない奴には何も出ないんじゃない?」


『因果関係は確認できません』


「じゃあ俺、得じゃん」


「そういう話か?」


ロイは見えている巨大な残骸を避けようとして、船を横へ振った。


ナナが即座に修正を入れる。


『航路逸脱。外部障害物は確認できません』


「俺にはある!」


「じゃあ目つぶって来れば?」


「見えねえ方が怖えよ!」


「じゃあ半分」


「何を半分にすんだよ」


ロイは本当に片目を閉じた。


「お前、やるんだ」


「うるせえ!」


『視覚情報の部分遮断に有意な改善は確認できません』


「ナナまで言うな!」


ナナはしばらく沈黙した後、船内表示を切り替えた。


外部映像が落ちる。


残ったのは、進行方向を示す一本の基準線と、船体近傍の距離情報だけだった。


『視覚情報を最小化します。外部像の意味解釈を停止。航路維持を優先』


ロイが息を吐く。


「最初からそれやれよ」


『提案前に搭乗者が片目を閉じました』


「記録すんな!」


ジャックは笑っていた。


「ナナ、最近ちょっと性格出てきたね」


『否定します』


アルゴス号は、そのまま基準線だけを頼りに進んだ。


ロイにはまだ何か見えているようだった。


だが、進路は乱れない。


やがてナナが告げる。


『局所異常域からの離脱を確認』


ロイが座席へ沈み込む。


「二度と来ねえ」


「でも通れたじゃん」


「見えてねえ奴は黙ってろ」


「じゃあ俺、やっぱ得じゃん」


残響が消えた。


現在へ戻る。


エマがしばらく黙っていた。


「ジャック、本当に何も見えてなかったんですかね」


「分からん」


「怖いものがないから?」


「それもまだ仮説ですらない」


レスターは現在側の記録と過去残響を並べる。


ロイには強い像。


ジャックには何も出ない。


エマには一瞬だけ。


自分には継続的な人影。


ナインには像ではなく、局所反応だけ。


「少なくとも、同じ空間を見ても同じものは見ていない」


エマが表示を見る。


「観測する側で結果が違う」


「そう記録する」


「怖さは?」


「相関候補。断定はしない」


同じ頃、異界のさらに外縁では、プロメテウス重工の艦が低速で進んでいた。


艦橋に立つヴァルターの前にも、人影があった。


一人ではない。


壊れた宇宙服を着た兵士たちが、暗闇の中に並んでいる。肩の部隊章は焼け、ヘルメットのバイザーはひび割れていた。


センサー表示には何もない。


それでもヴァルターは、先頭の一人から目を離せなかった。


その兵士が、ゆっくり片腕を上げる。


敬礼だった。


ヴァルターの指がわずかに動いた。


「……消せ」


艦載AIが応じる。


『対象を検出できません』


「映像を切れ」


『外部映像を遮断します』


窓が暗転する。


それでも、兵士たちは消えなかった。


ヴァルターは何も言わず、拳を握った。


やがて視線を正面へ戻す。


「進め」


『航路上に未解析異常域があります』


「だから何だ」


声は平静だった。


ただ、その拳だけが開かなかった。


レスターは外部表示を落とした。


「ナイン。外部像の意味分類を停止。位置と距離だけ出せ」


『了解』


「エマ。視覚に頼る作業を減らす。触覚系と簡略記号へ切り替えろ」


「了解」


二人は作業へ入った。


レスターの前には、まだ白衣の人影がいた。


さっきより近い。


振り向かない。


呼べば何かが変わる気がする。


それでもレスターは見続けなかった。


進路表示へ視線を戻す。


「見えていることと、従うことは別だ」


エマが横目で見る。


何も言わない。


ナインの簡略表示だけを頼りに、船は暗い区画を進んだ。


人影は何度か現れた。


エマも一度だけ足元を見た。


それでも、二人とも進路を変えなかった。


やがて空間の揺らぎが弱まる。


『局所異常域からの離脱を確認』


エマが息を吐いた。


しばらくしてから聞く。


「博士」


「何だ」


「何が見えてたんですか」


レスターは答えるまで少し間を置いた。


「まだ説明できない」


エマはそれ以上聞かなかった。


その沈黙は、以前より気まずくなかった。


次の瞬間、船体外壁の表示が白く曇った。


「霜?」


エマが立ち上がる。


ナインの警告が重なる。


『警告。船外温度、急低下』


レスターは白く広がっていく外壁を見た。


「……次は寒さか」


ちょうどその時、黒箱が一瞬だけ明滅した。


残響の中で、ロイが全身を震わせながら屈伸している。


ジャックが首を傾げた。


「何してんの?」


「動いてりゃ死なねえ!」


ナナが即答した。


『推奨しません』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。