同じ場所を三回通った気がする
「……ここ、さっき通ったな」
レスターが言うと、エマはすぐ航法表示を見た。
「座標は?」
『継続して変化しています。航法上、同一地点ではありません』
ナインの答えは即座だった。
右舷には、細長い柱状の構造物が浮かんでいる。表面は黒く、中央付近に三本の亀裂。正面には青白い星雲。その光の滲み方まで、数分前に見た景色とよく似ていた。
レスターは腕を組んだ。
「構造物の外形、表面傷、星雲の輝度分布、周辺微粒子を照合」
『照合中……既観測データとの差異は誤差範囲内です』
「同じってことですか?」
「同じに見える、ということだ」
「今、かなり博士っぽい言い方しましたね」
「私は博士だ」
エマは何も言わず、窓の向こうを指した。
三本の亀裂。
やはり同じ位置にある。
レスターは船外点検ドローンを一機出した。構造物の亀裂近くに小型発信器を固定する。
「目印ですか」
「仮に同じ場所へ戻るなら、これがある」
「なければ?」
「似た構造物が複数ある可能性を残す」
「夢がないですね」
「必要ない」
船はそのまま進んだ。
数分後。
右舷に、同じ柱状構造物が現れた。
エマが身を乗り出す。
「三本、あります」
発信器はなかった。
ナインも告げる。
『現在座標は前回観測地点から十分に離れています』
エマがレスターを見る。
「じゃあ、そっくりな二個目?」
「その仮説を先に捨てる理由はない」
「三個目が出たら?」
「三個ある」
「博士、こういう時だけ雑ですね」
そのとき、ブラックボックスが勝手に明滅した。
残響が船内に立ち上がる。
過去のアルゴス号。その窓の外にも、同じ柱状構造物と青白い星雲があった。
ロイが窓へ顔を寄せる。
「これ、さっきのじゃねえか?」
『座標上は別地点です』
「じゃあ別の場所だろ」
ジャックは気軽に言った。
「見た目が同じなんだよ」
「双子なんじゃない?」
『構造物に生物学的血縁関係を適用することは不適切です』
「じゃあ兄弟」
ロイが振り返る。
「悪化してるぞ」
残響のアルゴス号も進む。
そしてまた、同じ構造物が現れた。
今度はロイが船外作業用の工具を持ち出した。
「何をするつもりです?」
ジャックが聞く。
「目印」
『外部構造物への意図的損傷は推奨されません』
「自分の船じゃねえからいいだろ」
『倫理判断として不適切です』
「じゃあ軽く」
ロイは工具の先で、構造物の表面に大きな斜め傷を一本つけた。
「それ軽くか?」
「見えなきゃ意味ねえだろ」
ジャックは納得した。
「次にこれがあったら戻ってるってことだな」
数分後。
同じ構造物が現れた。
斜め傷もあった。
ロイが指を突きつける。
「ほら戻ってる!」
『座標上は前進しています』
「知らねえよ。傷は戻ってる!」
ジャックはしばらく外を見ていた。
「じゃあ曲がるのやめよう」
ロイの顔が止まった。
「最初からそんなに曲がってねえよ」
「じゃあ、もっと真っすぐ行こう」
『“もっと真っすぐ”の定義を要求します』
「気持ち」
『却下します』
「早いな」
「ナナも慣れてきたんだろ」
ロイが言った。
ジャックは外部表示を消した。
残したのは、船首正面に一本だけ走る構造物の継ぎ目だった。
「これに合わせて行けば、真っすぐだろ」
『基準としての妥当性は保証できません』
「でも一本しかない」
「理由になってねえぞ」
「迷わないじゃん」
ロイは何か言いかけて、やめた。
アルゴス号はその一本だけを基準に進んだ。
残響の景色がゆっくり変わっていく。
柱状構造物は現れなかった。
青白い星雲も消えた。
『既観測区画からの離脱を確認』
ジャックが笑う。
「ほら、真っすぐだった」
『因果関係は未確認です』
「じゃあ気持ちも半分くらい正しかったな」
『却下します』
残響が消えた。
エマがレスターを見る。
「やります?」
「何を」
「もっと真っすぐ」
「その表現を二度と使うな」
レスターは残響データを呼び戻した。
航路、進入角、速度、船体姿勢。ジャックが残した一本の継ぎ目。観測機器の向き。
使える条件だけを抜き出す。
「ナイン。過去航路との主要条件を照合」
『実行します』
エマが操作席へ座る。
「ここまで揃えたら、さすがに同じになります?」
「“なる”ではない。差が出るか確認する」
「はいはい、博士」
「返事が軽い」
現在の船も、一本の継ぎ目だけを基準にした。
不要な外部表示を切る。姿勢を合わせ、速度を落とし、進入角を過去記録へ近づける。
しばらく進むと、景色が変わった。
柱状構造物が消え、青白い星雲も視界から外れる。
エマが小声で言う。
「抜けた?」
「まだ判断するな」
その直後だった。
右舷に三本の亀裂が現れた。
エマの顔から期待が消える。
構造物の表面には、彼らが最初に置いた発信器まであった。
ナインが静かに告げる。
『初回観測時に設置した識別信号を確認』
「……同じようにやりましたよね」
「そう見える」
「条件も?」
「確認する」
『記録上、主要条件に説明可能な差異を検出できません』
船内が静かになった。
レスターは画面を睨んだ。
再現できる条件を選び、過去より丁寧に揃えた。
それでも結果は違った。
「再現しなかったなら、条件が同じではなかった。それだけだ」
エマが少し考える。
「見つかってない条件がある?」
「ある。なければ結果が違う理由がない」
ナインの返答には、わずかな間があった。
『……未観測変数の存在を仮定すれば説明可能です』
レスターは天井を見た。
第9話までなら、もっと早く肯定したはずだ。
だが今は、その遅れを追及する時ではない。
レスターは過去ログを閉じた。
「もうなぞるな」
エマが振り向く。
「過去航路を?」
「全部だ。あれを正解として扱う限り、こちらが何を間違えているか分からない」
「でも抜けてましたよ」
「彼らはな」
レスターは船外機材の一覧を出す。
「こちらは、こちらの現象を測る」
小型目印を三つ用意した。
一つを前方へ。
一つを右へ。
一つを左へ。
それぞれに独立した発信器をつける。
「距離を見るんですか?」
「戻ってくるなら、どこから戻るかを見る」
最初の目印が前方へ消えた。
少しして、左舷から信号が入る。
エマが目を見開く。
「前に出したのが、左から?」
次に、右へ出した目印が正面に現れた。
左へ出したものだけは、戻ってこない。
ナインが三本の軌跡を表示した。
直線として描けば破綻している。
だが、入口と出口の対応として見れば規則があった。
エマが表示を指す。
「距離じゃなくて、出口と入口が繋がってる?」
「少なくとも通常の座標系ではない」
『接続関係として記録します』
「座標を捨てろ。今は“どこから入れば、どこへ出るか”だけでいい」
エマが表示を見たまま、少しだけ笑った。
「博士が座標捨てろって言う日、来るんですね」
レスターは接続図を拡大した。
「捨てたんじゃない。使えないものを脇へ置いただけだ」
「その言い方、気に入りました」
「私は気に入っていない」
エマは返事をせず、次の目印の追跡に戻った。
ナインが新しい接続図を作る。
その途中、また右舷に三本の亀裂が現れた。
エマが数えた。
「博士。これで三回目です」
「正確には同一地点と証明されていない」
「同じ場所を三回通った気がする、でいいですか?」
レスターはしばらく黙った。
「……今だけは、それでいい」
エマが満足そうに頷いた。
接続図で、唯一戻ってこなかった左側の出口が残っている。
レスターはそこへ進路を取った。
船が暗い裂け目のような空間へ滑り込む。
さっきまでの柱も星雲も消えた。
代わりに、センサー表示が不安定に揺れ始める。
『警告』
ナインの声が硬くなった。
『観測結果が観測者ごとに一致しません』
エマが周囲を見る。
「今度は何です?」
レスターは答えなかった。
彼には一瞬だけ、何もないはずの暗闇に、人影のようなものが見えた。




