ジークムント(1)
その男は黒い巨馬に乗って西から現れた。収穫が終わり裸を露わにした小麦畑を抜け、城門に辿り着いた。門番の兵士は普通の馬より遥かに大きい黒馬に怯み、その馬が並の馬に見えるほど大きい乗り主を見た時は目を丸くした。その視線はまずこの国では珍しい黒い髪に移り、赤い瞳に訝った。そして背負っている大剣を見て、遅まきながら警戒心を表すという本分を全うした。
「名前と用件を」
「ラントヴァルクのジークムントだ。男爵に呼ばれて来た」
ジークムントに声をかけた若い兵士は意味が分からないという顔で、記帳を手にした年嵩の兵士を見た。年嵩の兵士が「家名は」と聞いたがジークムントはないと答えた。年嵩の兵士は空欄に何を書くか悩む役人の顔でしばらく記帳を睨んでいた。やがて何かを書き込んでから頷いた。
「領主様の館は北の一番高いところにある。城壁に沿ってずっと行けば出るから迷うこともないと思うが、案内をつけたほうがいいか?」
年嵩の兵士の視線が若い兵士に向くと、若い兵士は顔を青くして唇を結んだ。ジークムントは首を横に振り、城門を通過して言われた通り城壁に沿って進んだ。しばらくすると城壁の上で狼煙が上がるのが見えた、ラントヴァルクが来たことを知らせているのだろう。
公国の東国境にあるネーベルタール男爵領の領都・ネバルハイムは、先史時代の城跡を使う辺境の典型だった。低い丘に渦を巻くように建てられた城壁をそのまま利用し、奥には領主の館、倉、厩が、外側に行くほど領民の家々や店が並ぶ。城壁の外には畑や牧草地と農民の家々が混在している。それは城下町というより、領主の館を中心に円状で広がった大きな集落に近い。
街の人々の好奇の視線に晒されながらしばらく進むと、低い石垣で囲われた館が見えてきた。石垣の門の左右に門番の兵士が佇んでいることは城門と同じだが、その真ん中に身なりの綺麗な初老の男が立っていることが違いだった。ジークムントは馬から降りると手綱を引いて門まで歩いた。
「アルトマク男爵家の家令、クレメンスと申します。お待ちしておりました、ジークムント殿」
馬から降りてなお自分より頭二つ分を優に超える大男を前にして、男爵家の家令は平然と挨拶を渡した。ジークムントは「殿はいらない」と言ったが、それには特に反応も見せず館の方を手のひらで指した。
「ではこちらへ。馬はこちらの厩で預かります」
門番をしていた兵士の一人がジークムントの馬に近づいだ。黒馬が不機嫌そうに鼻を鳴らすと、その兵士は目だけで「噛まないのか」とジークムントに訴えてきた。ジークムントは馬のたてがみを軽く撫で、手綱を兵士に渡しながらすぐに飯と水をあげるように忠告した。
中庭に入ったところでクレメンスが前を向いたまま話しかけてきた。
「思っていたより随分お早いご到着でした。男爵様もやや驚いておられます」
「ちょうど公都に寄っていたところへ知らせを受けた。公都での用事が簡単に終わり、道中の道も乾いていた」
クレメンスは「そうでしたか」と頷き沈黙に戻った。ジークムントもそれ以上の旅程を話さかった。いくつかの偶然が上手い具合に噛み合い、自身の想定よりも早く着いたことは確かだった。しかし早い到着にそれ以上の意味も意図もなかった。
広間は辺境領主の館にしては広かったが飾り気がなく質素だった。壁には家紋を刻んだ盾と肖像画が数点掛けられているのみで、床には絨毯も敷かれていない。見栄のために武具や剥製をやたらと壁に掛ける貴族は飽きるほど見てきたが、ここまで淡白なのも珍しい。
広間の窓際にある大きめの卓に案内され、家令は男爵を呼んでくると言い残し席を外した。卓の上にはすでに領地の地図が開かれていた。ネーベルタールというこの地は西を大森林に、東をグランツアハの大河に塞がれた僻地であることが一目で分かる。領都ネバルハイムは中央からやや東寄りに位置していて、南と南西にも村があるようだった。北西には山脈があり、北寄りの麓に小さな森と村がある。
しばらく地図を眺めていると二つの足音が聞こえた。広間に入ってきた男爵は痩せているが背筋が伸び、鷲を思わせる鋭い顔をした五十がらみの男だった。男爵は卓の両側にある長椅子にジークムントを案内した。卓を挟んで対面で座ると、クレメンスが二つの木杯を卓に置いた。
「ネーベルタール領主、ハルトムート・アルトマク男爵だ。まずは遠路はるばる、感謝する」
「ラントヴァルクのジークムントだ。滅相もない」
「スヴェン卿からおまえのことを聞いて、手配を頼んだが、こうも早く来るとは思わなかった。おまえが来てくれるという知らせも、ついこの間届いたばかりでな。これがどういう意味か、話してもらえるか」
やはりそうかと、ジークムントは内心でため息を吐いた。男爵も家令も、ラントヴァルクの早い到来が事態の深刻さを物語っていると受け取っているらしい。
「早く着いたことに意味はない。閣下、俺は簡単な仕事を一つ解決するために公都にいた。そこへスヴェン卿伝手に依頼が来たから話を聞いてみることにした。抱えていた簡単な仕事が想定よりもずっと簡単に終わり、馬に乗って乾いた道を難なく進んできただけだ」
「そうか。それは何よりだ」男爵は少しだけ安堵した顔になった。「長旅で喉が渇いただろう、まずは飲みたまえ」
男爵に倣って木杯を手にしたジークムントは、漂ってくる香ばしい麦の匂いとアルコールの臭いに顔を顰め、そのまま卓に戻した。男爵は怪訝な顔をした。
「どうした、ラントヴァルク。この時期の麦酒の味は格別なはずだが、麦酒は苦手か?葡萄酒が良かったか」
「俺は酒全般が苦手だ。気持ちだけ受け取っておく」
肉が嫌いな猛獣もいると聞かされたような顔をして、男爵は長椅子が狭そうに見える大男をしばらく見ていた。やがてクレメンスに目配せをすると、家令は水を持ってくると言って席を外した。
「これは失礼した。ところが仕事の話をする前に一つだけ。おまえをわたしに紹介してくれたスヴェン卿はわたしのいとこだ」
「それは聞いている」
「ならあの男が、無闇に人を褒めそやす男でないことも知っているだろう。にもかかわらずスヴェン卿はおまえが大陸随一のラントヴァルクだと頻りに褒めていた」
「それは過大評価だ」
「であろうな、ラントヴァルクがこの大陸にどれほどいるのかわたしは知らないし、スヴェン卿も知らないだろう。しかしあの男はおまえに大変世話になったと、おまえを随分高く買っている。何をしたのか聞いて良いか」
「それもまた間違った認識だ」
ジークムントは首を横に振った。
「俺はスヴェン卿から依頼を受け、解決し、報酬を貰った。世話をしてやった訳ではない。しかも通常の三倍の報酬を貰った。閣下、俺は決して強欲じみた報酬を要求しなかった。これがどういう意味か、お分かりであろう。俺の実績を聞いて腕を確かめたいのなら、それに応えることはできない」
「うむ、そうか」男爵は頷いて、ジークムントの漆黒の髪と赤く燃えるような瞳を見た。「そうだな、どのみち、おまえが優れた力を持つラントヴァルクであることは、見れば分かることだ。不躾な質問をしたことはお詫びしよう」
気分を害した様子もなくそう言ってから、男爵は地図に目を落とした。そこへちょうどクレメンスが水が入った木杯を持ってきて、ジークムントは喉を潤した。




