エッカルト(2)
アルヴィンは呆れた顔でエッカルトを睨み返した。
「森に入るとは、どういう意味だ。君は何を言っているんだ?」
「ラントヴァルクとやらが来るんだろ。先に森に入って、人喰い化け物を見つける。そういうものがあればの話だが」
まるで二日酔いの頭痛が移ったかのようにアルヴィンは右手で頭を抱えた。
「君が突拍子もない行動をするのは昨日今日の話じゃないけど、今のは流石に話が飛びすぎだ」
「ラントヴァルクが来て森を捜索し、人喰い化け物を退治して、この地を邪悪なものから救う。それを俺たちが先にやるべきだと言っているんだ」
「功を急いでるとも言われたいのか?なぜそんなことをする必要がある」
「勘当された領主の息子が功を欲しがるのは不自然か?」
小屋の隅に立ててある剣を手に取り、一度鞘から抜いてみた。しばらく抜いてなかったせいか少し錆びている感じがした。出発する前に一度研いでおく必要がある。あいにくこのあばら小屋に砥石なんてなかった。クーノかヨストの家に行けばあるだろう。
「不自然だ。何のための功だ。君は跡取りに戻るつもりなんてないと先程も言ったじゃないか」
何のための功。その指摘は的を射ていると、剣を鞘に戻しながらエッカルトは密かに感心した。領主の一人息子として跡取りに戻るつもりはない。それは紛れもない本心だった。今さら化け物の首片手に許しを乞い、領主の息子たるものの自覚とは何かを親父に諭されるのは想像するだけで虫唾が走る。
ならなぜ、何に対して何をしたいのか。エッカルトは自分でもそれが分からなかった。ただ理由の分からない焦りに駆られ、苛つきだけがつのる。そこでふと一人の男の顔が脳裏に浮かんだ。顔中が潰され血みどろになった顔、それを見下ろしている自分。そして血に染まった拳。
「良いか、エッカルト」自分の説教のおかげでエッカルトが迷い始めたと思ったのか、アルヴィンは勢いをつけて言い募った。「これは君やヨストが猪や鹿を狩りに行くのとは訳が違う。騎士のラルド殿を筆頭に、七人もの人があの森に入り消息を絶った。中には森の案内役として狩人のヴィドスが同行していた。ヨストの師匠だ。君もあの男のことは知っているだろ」
「知っているさ。普段は無愛想なくせに、酒に酔って若者に説教する時だけは饒舌になるいけ好かないクソジジイだ」
「そのクソな性格の分だけ狩りの腕は確かだった。このネーベルタールの地であの男以上の狩人はいない。それは君も分かっているだろ。ラルド殿も城では右に並ぶものがいない剣の使い手だ。同じ騎士でも、僕の父なんてあの方を相手では三合でやられる。その二人が消えてしまった森だ、君や僕たちに何ができる」
この男の最もつまらない面が出たと、エッカルトは内心で舌打ちした。アルヴィンは酒も飲めば賭け事もするし、エッカルトと一緒になって街でくだらない騒ぎを起こすこともあったが、肝心たところでは真面目になる男だった。その性分はエッカルトがまだ御曹司と言える立場だった頃は、最後の一線を越えない歯止めの役割を果たしていた。しかし三ヶ月前のあの事件でエッカルトが勘当されて以来、いらなくなった役割をこの男は未だに固辞しているようだ。
「だったらなぜ俺にこの話を持ってきた、お前は」
「僕はせいぜい、ラントヴァルクが到着したらあれに同行を乞うぐらいだろうと思ってたよ」アルヴィンはため息混じりに言った。「そして断られ憤慨する君を酒場に連れて行って、散々愚痴と罵倒を言い合うつもりだった」
「お前も大概趣味が悪いな」
エッカルトは剣を腰の剣帯に吊るした。
「とにかく俺は行く。お前が来ないというなら、ヨストとクーノだけでも良い。あいつらも来ないというのなら、俺一人でも行く。もう決まったことだ」
言葉にすると、それは本当にもう後戻りできない確定事項になった気がした。エッカルトは卓にある母からの差し入れを一瞥した。森に入るなら食糧もお金も要る。着替えが要るかは分からないがとりあえず持っていこうと思った。エッカルトはアルヴィンが一度解いた布を乱雑に結び直し、そのまま荷物袋に突っ込んだ。
アルヴィンはまだ何かを言おうとして口を開きかけ、やめた。代わりに壁に掛けてあった外套を取りエッカルトに投げよこした。
「行く気になったか」
「まだ行くと決まった訳じゃない。ヨストとクーノが行かないと言えば僕も行かない」
「その時は俺一人でも行くと言っただろ」
「いや、その時はヨストとクーノと一緒に君を縛り付けておくから君は行けない。しかし、まあ」アルヴィンは苦笑をした。「そんなことにはならないだろうけど」
*
クーノは畑仕事を一段落終え納屋の軒下で涼んでいるところだった。泥の付いた長靴で二人を迎えたクーノは、ラントヴァルクの話には大いに興味を持ち、それに先んじて森に入るつもりだと聞くと大声で笑った。ひとしきり笑った後アルヴィンを見て呆れた顔をした。
「おい、アルヴィン。こいつは頭でもいかれたのか?」
「どうかな、頑なに行くと言い張ってるくせに自分でも理由がよく分からないようだから、たぶん正気ではないと思うけどね」
「いや、俺は知ってる。あれだろ、ベンノ親方のことでなんかやりたいんだろ」
「なぜその名前が出てくる」エッカルトは口を歪めた。「それとこれとは関係ない」
またあの男の顔が頭に浮かんだ。街の自警団で団長を務める年寄りの農夫。三ヶ月前、自分の手で殺しかけた男。
「そうか?お前が何か『街のために大きなことをしてやる』と意気込んでる理由はそれぐらいしかないと思うんだけどな。素直に謝りに行くのが嫌でずっと逃げてるお前のことだしよ」
エッカルトは反論しようとしたが言葉が出てこなかった。後ろでアルヴィンが納得した顔をしているのが見ずとも分かり、エッカルトをますますイライラとさせた。
「まあ確かにラントヴァルクとやらを出し抜くのは面白そうではあるがな」
無精髭の生えた顎を掻きながら「しかし」と呟いたクーノは、後ろの家を振り返り少し複雑な顔をした。身重の妻が待っている家だ。こんな男でも、世帯を持ち子を授かってからはまともな大人の顔をする瞬間が時々あって、その度にエッカルトは珍妙な魚を見る気分になる。
「……ヨストが行くというなら俺も行くよ。嫁さんは怒るだろうが、お前らだけ送るわけにもいかないしな。それにあわよくば褒美が貰えるかも知れないし」
「それは多分無理だろうね」アルヴィンは首を横に振った。「でも戻ってきたら、一度父に相談してみるよ」
ヨストとの話は簡単にまとまった。彼は家の裏で矢の羽根を一つ一つ手入れしていた。北の森に行く件を話すと、ヨストはしばらく黙って北の方角を見ていた。ここから森そのものが見えるはずもないのに、何かを探しているような目つきだった。
「いつ行く」ヨストが聞いた。
「準備ができ次第」
エッカルトが答えると、ヨストは「そうか」と短い一言を言っただけだった。手入れが終わった矢を矢筒に片付ける。この男は元々口数が多い方ではなかったが、彼の師匠が消えてからはますます寡黙になっていた。
「それで?お前も行くんだな?」
後ろでやたらと大きな声でクーノが聞いた。エッカルトが振り返ると彼は家の壁に立て掛けてある弓やら槍やらをあれこれと触っていた。持っていく武器を選んでいるつもりらしい。
「行く。どのみち、そろそろ行ってみるつもりだった」
「師匠を探したいのか」
アルヴィンの問いに、ヨストは静かに首を振った。
「生きてるならとっくに帰ってきたはずだ」ヨストは暗い目で自分と師匠が暮らしていた家を見上げた。「帰さなかったものが何かを知りたい」
それで話は決まった。エッカルトとクーノは武具を点検する間、ヨストはアルヴィンと共に食糧やら道具やらを調達しに行くことになった。ヨストの家の裏にある砥石で自分の剣を研ぎなら、エッカルトは森の中に巣食う人食い化け物を想像してみようとした。しかし見えてくるのは血まみれのベンノ顔と、もはや怒りすら残っていない父の静かな顔だけだった。




