エッカルト(1)
——一二八六、夏。エーデルラント公国・ネーベルタール男爵領。
エッカルトはアルヴィンが渡した包みを、紐も解かずに投げ返した。
「持って帰れ。いらないと何度も言っているだろ」
「それは君から直接言え。僕は頼まれて持ってきただけだ」
ため息混じりそう言うとアルヴィンは卓に包みを置いた。粗い麻布を二重にしただけの包みだったが、角はきちんと折られ、紐の結び目は整っている。送り主の几帳面さが現れていた。アルヴィンはそれを丁寧に解きながら説明した。
「着替えと食べ物と、ひと月分の生活費だ」
「いらないと言っただろうが」
「だからそれはラーラ様に君が自分で言え。あなたの不肖の息子は腹が減ると虫を食べ喉が渇くと泥水を啜り一人で生活できてると」
「ああ、お前の生き血を吸ったとも伝えろ」
バカな押し問答のせいで二日酔いの頭ががんがんと鳴る。森と水が多いこの土地の晩夏の朝は冷えていて、板壁の隙間から入り込んでくる朝の冷気で目が覚めたところだった。エッカルトは腹いせに靴でも投げてやろうかと思ったが、当の靴が見当たらない。いつもは寝台の下に脱いでいるはずのそれは、片方は椅子の下に転がっていた。もう片方を探していると、アルヴィンが卓に無造作に置いてる鉄鍋を覗き見るや顔を顰めた。
「エッカルト、君昨日は何を食べたんだ?まさか本当に虫でも食べたのか」
「食うかよ、そんなもの。塩漬けの豆だ。酒を飲みすぎて鍋に吐いてしまったんだ。豆がちょっと腐ってたのかもしれない」
「……虫を食べる方がまだましだな」
靴の片方は窓際に掛けてある剣帯の下に転がっていた。それを拾って足を突っ込み、水差しから直接水を飲んだ。二日酔いの頭痛が少しだけ引いていく気がした。アルヴィンは乱雑な小屋の中を眺めまわしていた。
「ここに住んで三ヶ月ぐらいか?君、いつまでこうしているつもりなんだ」
「そのうちお金を稼いでもっとまともな家を建てるさ」
「そういう意味じゃない。いつ城に戻るつもりなのかと言ってるんだ」
アルヴィンが来てからずっと開いたままの扉の外に、城へと続く景色が見えた。畑と牧草地に疎に立つ家々を過ぎると、ネバルハイムの低い城塔が現れる。大きな城ではない。城壁が低い丘を渦を巻くように建てられ、その合間と城壁の周辺に家々が寄り集まりできた小さな城郭街で、一番高い北の方に領主の館がある。もう戻ることのないかつての我が家だ。
「戻るつもりはないし、理由もない」
「ラーラ様は君のことを心配しているよ。会いたがっている」
「母親というのは大抵そうだろ。しかし子は自立するものだ。俺に会いたければ、母上がここに来れば済む」
「それができたら、僕が朝からつまらない皮肉のやり取りをしながらお使いをする必要もなかっただろうな」
もっともな話にエッカルトは低く笑った。あの母が、勘当された息子を夫の目を盗んで会いに来るような行動力がある人なら、自分たち家族はもっとましな家族になれたかもしれない。それをあの人の責任にするのは筋違いで、恨む気にもなれなかったが、その気弱い優しさに付き合わされるのは嫌だった。
「それでお前は、用件はそのお使いだけか?ないならあの荷物を片付けて帰れ。日が落ちるとまた来い、久々に酒場で飲みたい気分だ」
「返したいなら自分で返せと言っているじゃないか。酒場で飲むのは構わないが、君はそれまで何をする予定なんだ?」
「狩りだ。ヨストが南西の村の外れで猪の群れを見たそうだ。この辺では珍しいから獲りに行く」
「南西の森か、奇遇だね」
「奇遇?」
「僕は北の森の件で話があって来たんだ」
剣帯を着けていたエッカルトの手が止まった。
「北の森?何か進展があったのか?」
領地の北に、ホルツドルフという小さな村がある。ふた月ほど前、村の狩人が村の北にある森へ狩りに入ったまま戻らなかった。事情を知った男爵が城の騎士一人と数人の従者を派遣して捜索させたが、その捜索隊も戻らなかった。以来、男爵は北の森へ入ることを禁じた。
アルヴィンが持ってくる話と酒場での噂話で聞き齧っているぐらいだが、ただ事でないことは確かで、以前から興味を持っていた。
「街の酒場では、北の森に人喰い化け物が住み着いているのを疑ってない人間はないらしいがな」
「だろうね。男爵様もそうお思いのようだ」
エッカルトは眉を顰めた。
「親父が?どういうことだ」
「昨日の夜に知らせが来た。魔物狩りがここに向かっているらしい」
想像だにしなかった単語が出てきて、エッカルトはしばらくその意味を理解しかねた。ようやく理解した後は何かの冗談なのかと思ったが、アルヴィンの声はいたって真剣だった。この男は冗談を言う時も大抵は真面目な顔をするが言葉には笑いを含んでいるのが常で、口調には冗談と真実を言う時の明確な差がある。
「ラントヴァルクだと。実在したのか」
「するみたいだね。どうやら男爵様は捜索隊が消えた直後にはもう手配していたらしい。それがようやく返事が来た」
「いつ来るんだ」
「さあね、手紙を直接読んだわけではないからな。ただ行き違いになるかもしれないと書いてあったらしいから、すぐそこまで来ててもおかしくない」
エッカルトは寝台にどさっと座った。二日酔いの頭痛はどこかへ飛び去り、頭の中をいろんな考えがぐるぐると回る。子供の頃に寝物語のおとぎ話で聞いた魔物狩りが本当にあるということにも驚いたが、父——男爵がそういうものを呼び寄せたことに胸騒ぎがした。それが焦りの感情だということに気づいた時、エッカルトは自分がするべきことを決めた。
「予定が変わった。アルヴィン、お前も帰るな。これからヨストとクーノのところに行く」
「はあ?どういうことだ」
訝るアルヴィンの顔を睨み、エッカルトは寝台から立ち上がった。
「グラーヴァルトに入る。支度しろ」




